建設グラフインターネットダイジェスト

〈建設グラフ2009年9月号〉

interview

航空会社から建設会社に転職

――地域の物産振興を通じて民間工事の受注拡大へ

小樽建設事業協会 会     長
阿部建設株式会社 代表取締役社長
 中野 豊氏

中野 豊 なかの・ゆたか
略歴
昭和54年3月 武蔵工業大学 工学部機械工学科 卒業
昭和54年4月 全日本空輸株式会社 情報管理部 入社
平成 3年5月 阿部建設株式会社 営業第2部長 就任
平成11年4月 同 代表取締役社長 就任
表彰
平成20年8月 北海道知事表彰 建築工事部門
平成21年5月 社団法人 北海道宅建業協会 功績表彰
阿部建設株式会社
小樽市緑1丁目5番1号
TEL 0134-23-6221

 小樽市で70年の歴史を誇る阿部建設株式会社の四代目社長・中野豊社長は、全日空運輸から転職した異色の人物だ。東京生まれだが、雄大な北海道へのあこがれもあって、阿部暢・二代目社長のご令嬢と職場結婚し、35歳で阿部建設入り。二級建築士、一級土木施工士を取得、10年足らずで同社のトップに立った。この間、気さくな人柄と持ち前の行動力で小樽に広く人脈を築き、産学官の「東アジア・マーケットリサーチ事業実行委員会」委員長を勤めるなど、小樽経済の活性化にも精力的に取り組んでいる。
――会社の概要からお聞かせください
中野 昭和14年に創業し、法人化したのが10年後の24年で、ことしで創業70周年となります。戦前から鉄道や電電公社、ニッカ工場等とのご縁が深く、建築ばかりではなく、土木の仕事もしていました。
――70周年の記念事業は計画されていますか
中野 5年ごとに全社でハワイ旅行に行っています。65周年の前回は、平成17年2月にお客さんと社員が参加し、二班に分かれて実施しました。  70周年事業はまだ決まっていませんが、何か計画したいと考えています。
――70周年となると、地元小樽でも老舗企業の部類に入るでしょう
中野 古いほうになります。創業者は阿部毅で、義父である阿部暢の父親です。私が四代目ですが、東京生まれで娘婿です。22歳から13年間、全日空に勤務していました。妻も全日空にいた縁で結ばれ、平成3年に義父の会社に入社し、もう18年になります。
――全くの畑違いの世界に入ったわけですね
中野 北海道が好きだったので、仕事のことはあまり考えないで来ました。東京はごみごみしていて、もういいか...という気持ちもありました。  小樽は非常にコンパクトな都市で、日常生活には何の不便もありません。会社は義父が切り盛りしていたので、経営はあまり心配しませんでした。こちらに来て38歳で二級建築士、40代になって一級土木施工士の資格を取得しました。
――公共事業で印象に残っている現場はありますか
中野 倶知安ニセコ線改良工事は、長年取り組んでいます。コンクリートの擁壁を倶知安側から見るとすごい構造物です。この工事のご縁で、五色温泉の増改築工事も手掛けました。建設業は目に見える形で成果が現われるので、地域貢献を再認識させられます。  手宮公園の競技場、サッカー・ラグビー場は小樽市の発注ですが、子どもたちが遊んでいるのを目にすると、公共事業は絶対に必要だと思います。
▲社屋
――建設業を取り巻く環境は厳しいものがありますが、日ごろ社員の皆さんに訴えていることは
中野 世の中はどんどん変わっています。最近読んだ本に「変わらないのを変えないと会社は致命的になる」と書かれていました。「変えないことを変える」ことをしないと、本当に今の世の中生きていけません。一歩進んで次のステップを考えないと生き残れない業種ですから、考えて取り組むように言っていますが、まだ危機感が不足しているように感じます。
――小樽建設事業協会の会長を務めていますが、会員企業は建築主体ですか
中野 建築の売上が多い企業がけっこういますので、どうしても箱物の話がメーンになります。先ほど触れた坂牛邸保存活動の一環として建設事業協会がボランティアを募ってシンポジウムを開催しました。私としては、歴史的建造物の保存も建設業の社会貢献であることをアピールしたい、という気持ちはありました。
――小樽市側は箱物行政からはすっかり遠ざかっています
中野 小樽市庁舎や商工会議所など歴史的建造物が多いので、建て替えどころか、壊すに壊せないという事情があります。  マンション建設に対しても景観上問題があると関係住民から反対論が出ているようです。
――本業以外でも、小樽市や小樽商大教授らと産学官の「東アジア・マーケットリサーチ事業実行委員会」の委員長として活躍されていますね
中野 全日空の仲間を通じていろいろルートを探しました。香港や台湾からの観光客が大勢北海道に来ていますので、それでは小樽の物産を売り込みに行こうと始めました。  初回は5年前で、香港に出かけました。「おたる」の名前はすでにブランドになっていて、香港そごうには「小樽運河まんじゅう」のブースがあります。鳥取県米子市から進出した「ルタオ」や砂川の「北菓楼」など、ガラスと並んで「スイーツ」が小樽を代表する土産品になっています。
――ロータリークラブでは職業奉仕委員長も勤めていますね
中野 6月にエア・ドゥ航空教室を開催しました。道内でも初めての試みです。エア・ドゥが開業10周年ということもあってお願いしました。パイロット、CA、整備士がパワーポイントで仕事の内容を子どもたちに説明していましたが、CAの若い女性はたいへん緊張していました。
――幅広い人脈が伺われますが、小樽は閉鎖的な土地柄とも言われており、ご苦労も多かったのでは
中野 元々しがらみはありませんし、飲み歩いているうちに自然と仲間が増えてきました。コンパクトな都市ゆえに、情報を収集できますし、東京にない魅力を感じます。
▲倶知安ニセコ線改良工事 ▲ニセコ五色温泉 増改築工事 ▲出抜き小路開発新築工事(外観) ▲小樽洋菓子舗 ルタオ
――10年も経たないうちに社長に就任しましたが、プレッシャーは感じませんでしたか
中野 一番心配したのは公共工事がなくなるのではと思ったことです。社員にも「公共工事は間違いなく減る」と口をすっぱくして言っています。口を開けて待っていれば仕事が回ってきた時代は終わりました。  そこで、社長に就任した当時から、民間工事にシフトするようになり、ちょっとした情報でもあればすぐ動くように努めています。小樽に魅力を感じて新規事業を検討している道内外の企業等から仕事をもらうことも重点戦略の一つです。  石屋製菓さんは、色内に延べ面積1,300uの旧商家風二階建て屋台村(出抜小路)を建設しました。20店以上のテナントが入居しています。土地の仲介を私が行い、建築工事も担当させていただきました。米子市から進出した菓子店の「ルタオ」もそうです。地元の人が何かを立ち上げることはめったにありません。  海に面し後背地には山が迫っていて、平地は限られていますが、自然の良さが揃っており、札幌にも近い。そんな立地条件をもっと活用したほうがいい。
――確かに小樽は、海と山に囲まれた美しい自然、明治・大正・昭和をしのばせ、かつての栄華を今に伝える運河や歴史的建造物など多様な観光資源に恵まれています。昨年は小樽市議会において「小樽観光都市宣言」が決議されました
中野 フランク・ロイド・ライトの帝国ホテル設計事務所で修行し、北海道建築の父といわれる田上義也(1899-1991)のことはご存知かと思いますが、田上が設計した坂牛邸(1927年)が小樽市入船に現存しています。坂牛邸は、小樽市の歴史的建造物にも指定されています。このほか2棟が現存しています。  小樽にはほかにも歴史的建造物がいくつかあり、「NPO小樽ワークス」が歴史的建造物の保存・活用に取り組んでいます。建物の維持のためボランティアを募って雪下ろしなど行いましたが、ボランティアの負担も大きく続けていくのはなかなか大変です。ツアーを組むなど商業ベースで活用できれば、観光の目玉として活性化につながると思います。
――最後に社長の経営方針をお聞かせください
中野 公共事業依存の建設業は受身でしかない。仕事が来るまで待っており、言われたことはちゃんとやるけれど、それ以上のことはやらない体質があります。  そうでなく、情報を共有し仕事に結び付けるように、とにかく動くことだと、社員には口うるさく言っています。  建設事業協会も小樽市と入札制度の見直しについて議論しているところです。今年からようやく最低制限価格を設定してもらっていますが、一般競争入札ですから運よく立て続けに同じ会社が受注することがあります。しかもジャンケンやくじ引きで選別することもあります。  一般競争入札に参加する企業の技術力はさほど変わらないわけですから、公平を帰すために現在の「持ち工事」を点数化して市内の業者が満遍なく受注できる仕組みが必要と考えています。
会社概要
創  業:昭和14年4月6日
設  立:昭和24年9月15日
資 本 金:3,000万
従 業 員:60名
事業内容:
 土木工事業・建設工事業・ 大工工事業・とび、
 土木、コンクリート工事業・タイル、レンガ、
 ブロック工事業・鋼構造物工事業・しゅんせつ工事業・
 内装仕上げ工事業・水道施設工事業
建設業許可:
 北海道知事許可(特-18)後第30号
 北海道知事許可(般-18)後第30号
建設士事務所登録:一級建築士事務所北海道知事登録(後)第12号
宅地建物取引業者免許: 北海道知事後志(10)第153号

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