建設グラフインターネットダイジェスト

〈建設グラフ2009年8月号〉

interview

地域に必要とされる会社を目指して

――防災事業者として緊急時の出勤体制を構築

株式会社 富士サルベージ 代表取締役社長 須田 新崇氏

須田 新崇 すだ・あらたか
昭和40年11月24日 生まれ 函館市出身
昭和63年 3月 国立東京商船大学 商船学部 卒業 (現 東京海洋大学)
昭和63年 4月 大成建設株式会社 入社
平成15年 3月 大成建設株式会社 退社
平成15年 4月 富士サルベージ株式会社 入社 専務取締役 就任
平成21年 6月 代表取締役社長就任
株式会社 富士サルベージ
本社/函館市大町8番25号
TEL 0138-26-3911

 「規模の拡大だけを求めず、地域に必要とされる会社にしていきたい」―今年6月、株式会社富士サルベージの代表取締役社長に就任した須田新崇氏にご登場いただいた。同社は昭和26年の創業で、新社長が3代目。現在は建設業を主力事業とし、港湾建設、漁港建設など海の専門工事会社として、函館地域で存在感のある企業に成長した。長年にわたって港湾整備事業に貢献した実績が認められ、昨年12月には20年度北海道開発局港湾空港関係功労者表彰を受賞している。若きリーダーを得て、富士サルベージ社の飛躍を期待したい。

――会社の設立はいつですか
須田 昭和26年12月です。祖父の須田新吉がそれまでのフェリー会社から、海難救助と船骸撤去・解撤を主業務とするサルベージ会社を立ち上げました。創業前から海とかかわって生きてきた会社です。
――昭和43年に建設業に進出していますね
須田 43年に建設業の許可を取得し、作業船を用いて港湾建設工事、漁港建設工事、漁礁の水産土木工事を主体とする建設業にシフトし、これを契機に土木分野に参入していきました。高度成長期に合わせて公共事業が増えていく時代だったので、会社も軌道に乗ってきた状況でした。
――社長の略歴を伺いたい
須田 私は昭和59年に地元の高校を卒業して、東京商船大学に進学し、卒業後は大成建設に入社しました。平成15年まで15年間在籍しました。バブル期と崩壊時にゼネコンにいたわけです。昭和63年前後から建設バブルが始まり、当時、大成建設の工事高は1兆円超でしたが、何年もしないうちに2兆円の大台に乗せました。  私は建設工事の技術者としてビル建築の現場にいました。東京はどこを見てもタワークレーンが立っていました。最後の仕事は東京都港区の汐留再開発。大成建設が単独で受注、300億円の現場でした。平日は夜の10時、11時まで、土曜、日曜に出るのは当たり前で、体はきつかった。なにせ東京は忙しいところです。
▲函館山と社屋
――函館に戻ってきて、東京とはスピード感は違うでしょう
須田 感覚は違います。しかしそれよりも、仕事の内容ががらりと変わりました。それまでは現場の技術者という立場でしたが、会社の経営者という立場になりましたから。準備もしていませんでしたので、非常に戸惑いもありましたし、精神的にはいまの方が辛い面はあります。
――今年6月に社長に就任されてプレッシャーは感じていますか
須田 背伸びしてもしょうがないと思っています。私の出来ることを一歩一歩着実にやっていこうと思います。先代社長・須田新梧は強烈な個性でグイグイと社員を引っ張っていきました。私自身はそれをまねようと思ってもそこまではとても出来ません。社員と協力してやっていくしかないと思います。一人では出来ないことでも組織なら出来ることが多くあります。会社が成長できるかは「人」次第だと思います。会社は自由な発想を持った人間の集まりです。自由な発想を大切にしながら、会社としての方向性を定め、社員が一枚岩となり、ベクトルを同じにして同じ目的に向かって進むことが出来れば、会社はうまくいくのではないかと思います。
――情報共有も大事なポイントになりますね
須田 いろいろなことを水平展開しながら、情報も共有しながら、理想としては技術が特定の社員に偏らないようにしていきたい。
――規模は違いますが、大成建設での経験は十分生かせますね
須田 現場の大小に関係なく、安全管理にしろ、品質管理にしろ、また工程管理、予算管理等、取り組む課題は同じです。その意味では仕事自体は入りやすかったですね。
――帰郷を決意した経緯は
須田 今思うと丁度、大きな現場の引き渡しが終わり、自分を振り返るチャンスでした。15年間もいると仕事も責任のあるポストを任されますし、やりがいも感じてきます。このまま、その仕事を続け、技術屋として更なる向上を目指すか、家業を引継ぐかの岐路に立ち、辞めるならこれが最後の機会だと思い決断しました。
――民間から公共主体になりましたね
須田 官工事との違いは、施工業者が持っている自由度ではないでしょうか。民間物件では施工者の責任において色々な変更が可能です。もちろん施主と協議してのことですが。  段々と変わりつつありますが、官工事の場合は決められた仕事を決められた工法にて確実に進めていくという違いはあると思います。
▲鋼製魚礁設置(恵山沖合)
――海洋土木の仕事には慣れましたか
須田 現場知らずして経営も成り立ちませんから、いろいろな現場を見てきました。社業としては、あくまでも海にこだわりたいと思っています。公共事業は減っていますが、海の専門工事業者としてある程度の位置にいて、トップを目指してやっていけば、仕事はなくなることはないと思います。  漁港、港湾建設工事に加えて座礁船や沈没船の撤去、油防除等のサルベージ業務を行っています。海の環境を守りつつ技術力に裏打ちされ、海に関係する事業なら「富士サルベージ」と世間に認知される会社にしていきたい。  いまの技術をもっと切磋琢磨して磨くのが、今の私の重点方針です。従業員の年齢構成は年々上がっているので、若い人に技術を継承していくことも大きな課題になります。
――津軽海峡は他の海とは違いますか
須田 確かに潮の流れは早いです。冬の日本海とか夏場の太平洋とか、風の強い地域を知り、自然の摂理を知らないと仕事は出来ません。自然と一体となって取り組む事業です。
――平成5年の北海道南西沖地震の際は、会社としてどのような対応をしましたか
須田 当時、緊急的にフェリー航路の確保のため、港内に落ちた障害物の撤去ですとか、電力復旧のための北電さんの電柱の運搬などを自社の作業船を駆使して行ったということを聞いております。
――作業船や技術者が必要になりますね
須田 技術者や作業船を安定して維持していくためにも、それなりの仕事は必要です。また、地域を災害から守る、災害時に緊急対応ができる企業がその地域になければまずいと思います。
――海上なら作業船がないと手の施しようがない。全国的に作業船は十分確保していますか
須田 中国、韓国に相当数売却し、全国的に減っています。
――緊急時の社内体制は構築されていますか
須田 ある程度の資機材も用意しており、緊急時に出動できる体制は整えています。横浜にある独立行政法人の海上災害防止センターが海上保安庁の窓口になっていて、函館周辺で何か災害等が発生すれば、わが社が出動する旨の契約書を海上災害防止センターと締結しています。また、海上防災事業者協会にも加盟し、事業者間での情報交換を行っています。
――この10年、20年で津軽海峡と宗谷海峡を航行する船舶が非常に増えているそうです
須田 いまは中国が元気いい。アメリカと中国を結ぶ航路、北太平洋航路はアリューシャン列島に沿って行くわけです。ものすごい数の貨物船が中国とアメリカの間を航海しています。サハリンの天然油田が軌道に乗れば相当数のタンカーやLNG船が日本及び各国に向かって出港しますから、事故発生の恐れはあります。
▲はこだてクリスマスファンタジー
――商工会議所の海外視察にも積極的に参加しているようですね
須田 函館商工会議所青年部に国際事業委員会があり、以前にその委員長を務めていた関係で、東南アジア、中国等のことをもっと知って、函館を元気にするために何をするか、自ら打って出るために上海のデパートで函館の産品を販売しました。ベトナムの視察にも参加しました。いまは青年部の副会長を仰せつかっています。  地域が元気にならなければ地元企業の発展もないと思っています。当社では港祭りなど函館の様々なイベントに積極的に参加させていただいています。冬の観光資源が少ないということで10年程前から始めたクリスマスファンタジーでは当社の台船を提供し、その上に巨大なツリーを設置し、海の上のツリーということで好評を得ています。こういうことは地元企業であればこそ出来ることだと思います。 
――函館港は今年、開港150周年を迎えました
須田 シンガポール、香港、上海、釜山などアジアの主要港のコンテナ物流は東京、横浜、神戸、名古屋などの日本の主要港を遥かに上回っています。現在、海洋国である日本はそういった海外の貿易港に肩を並べるべく、中枢になる港湾の近代化整備を行っているわけですが、日本という市場のみならず、そこから海外に発信する機能を持った港づくりをするうえで、津軽海峡に面した函館港の可能性は非常に大きいと思います。実際に相当数の巨大な貨物船が津軽海峡を航行しているわけですので、この地の利を生かし、函館を中継港として函館からトラック輸送や、JR貨物を利用して物資を全国各地に運搬することや、アジア各国へ輸出入したりすることも可能ですし、燃料を補給するための港として活用するという使い道もあるように思います。函館は150年前に全国に先駆けて開港しました。これを機会に国際港としての函館港をアピールし、貿易港としての函館の可能性を検討していきたいと思います。
――ウラジオストックの視察もその関連ですか
須田 2012年にウラジオストックでAPECが開催されます。これからの建設需要はかなりあるだろうと思い、現地に行ったところ、APECの開催が決まっているのに意外にノンビリしていました。
――函館にはロシア極東大学の分校があります。地理的にも近いですね
須田 ロシア極東国立総合大学函館分校は日本で唯一のロシアの大学の分校です。函館市も財政支援を行って経営しており、私も大学の評議員を務めています。道内にはサハリンに進出して成功している企業もありますが、わが社の規模ではなかなかそこまでいきませんので、ロシアの状況を注視しているところです。
――ウラジオストックの港はどうでしたか
須田 ウラジオストックは、港の後背地に山が迫っていて、いまの港を拡張するのは難しいでしょう。現在の港は機能的には目一杯で、別の場所に新しい港を造らない限り、これ以上物流を増やすのは難しいように感じました。
会社概要
会社成立:昭和26年12月5日
資 本 金:73,800,000円
役 員 数:7名
社 員 数:35名
事 業 所:
 関東支店/横浜市金沢区並木2丁目11番2号 102号
      TEL 045-783-6015
 札幌支店/札幌市北区北8条西4丁目22番1号
      TEL 011-738-5455
各種登録:
 (建設)国土交通大臣許可 (特定-20)第11639号
  ※土木,建築,とび・土工,電気,管,しゅんせつ,水道施設
 (造船) 北海道運輸局北小鋼造第58号
 (内航運送) 内航運送取次第53520号
 (古物) 函館公安委員会函西保第2号
 (計量) 北海道 第206号
 (廃棄処理) 函館市 (廃油・廃プラスチック)第5224005828号
 ISO品質規格:ISO 9001:2000/登録番号:NJQ-033

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