建設グラフインターネットダイジェスト

〈建設グラフ2009年6月号〉

interview

創立90周年を迎える旭川商工会議所会頭に就任

――行政と一体となって地域経済を支える

旭川商工会議所 会       頭
新谷建設株式会社 代表取締役社長
新谷 龍一郎氏

新谷 龍一郎 しんや・りゅういちろう
昭和27年 1月11日 生まれ
昭和53年 3月 獨協大学法学部法律学科 卒業
昭和53年 4月 新谷建設株式会社 入社
昭和56年 6月 学校法人北工学園理事 就任
昭和56年11月 新谷建設株式会社取締役 就任
昭和57年 2月 社会福祉法人新生会理事 就任
昭和57年 2月 社会福祉法人敬愛会理事 就任
昭和60年 2月 新谷建設株式会社代表取締役専務 就任
昭和60年 5月 株式会社草農興社代表取締役 就任
昭和62年 9月 新谷建設株式会社取締役社長 就任
昭和62年 9月 株式会社草農興社取締役社長 就任
昭和62年 9月 三菱実業株式会社取締役社長 就任
昭和62年 9月 学校法人北工学園理事長 就任
昭和62年 9月 社会福祉法人新生会理事長 就任
昭和62年10月 社会福祉法人敬愛会理事長 就任
昭和63年 1月 株式会社北海道情報開発(現:HJK(株))代表取締役会長 就任
平成 9年 3月 株式会社旭川国際ゴルフ場取締役 就任
平成19年12月 株式会社旭川振興公社取締役 就任
新谷建設 株式会社
旭川市6条通3丁目右10号
TEL 0166-22-6166

 今年で創立90周年を迎える旭川商工会議所の新会頭に、新谷建設(株)の新谷龍一郎社長が就任した。30年前の60周年事業を会頭として仕切ったのが祖父の新谷市造氏(故人)。旭川駅前の平和通買物公園は、集客力の高い百貨店の撤退問題が浮上するなど、中市街地の活性化が最重要課題という。旭川経済のけん引役として大いに期待を集めているが、本業の新谷建設株式会社の3代目社長としての重責も重い。先見の明があった創業者の市造社長時代に、知的障害者等福祉施設の運営を手掛け、教育界出身の二代目・泰治氏は教育の分野にも参入、これまで建設、情報処理関係の技術者を世に送り出しており、「建設」「福祉」「教育」の3本の矢で強固の経営基盤の基礎を築くなど、北海道の建設業界で異彩を放ってきた。北海道第二の都市・旭川市の「経済市長」となった新谷龍一郎氏に会頭就任の抱負を伺った。

――代々にわたって公益的な偉業を残してきた家柄ですが、創業者の思い出からお話していただけますか
新谷 創業者の新谷市造は、単純明快な人でしたね。モットーが「早寝早起」、「質素」、「不言実行」です。酒もタバコも嗜まず、人一倍人情味が厚かった人でしたが、会社ではよく怒鳴り散らしていましたね。一度も怒られていないのは私ぐらいじゃないですか。男の子がいなかったから、孫の私が可愛かったのかもしれません。 そして、よく食べる人でした。自宅の庭に畑を作っていましたが、肥しで土づくりをするため最後まで下水道を引きませんでした。もとは農家の出身ですが、土地が肥えていなかったため、作物の生育が思わしくなく、それで土木の道に入ったようです。どういう考えで東京の学校に進んだかはわかりませんが、兄弟が10人もいてコメの飯が食べられないので、卒業後は旭川で日銭を稼ぎ、コメを買って音江(現 深川市)の山に帰ったという話はよく聞きました。苦労人だと思います。
――社長は学校を卒業され何年に入社しましたか
新谷 昭和53年でした。当時、旭川市は五十嵐広三、松本勇と長い間、革新市政がつづいて基盤整備が遅れていました。がたがた道路にパルプ工場からの廃材を撒くなど、今では信じられない状況でした。  53年11月に坂東氏が市長に就任されてから、旭川も一気にインフラ整備が進みました。現在、下水道の普及率は98%ぐらいになり、ようやく近代都市になりました。
――現場を踏む機会はありましたか
新谷 幼い頃にはよく親父(2代目の泰治氏)に現場へ連れて行かれ、2、3日は飯場に寝泊りしました。ですから建設業界に入るのに抵抗はありませんでした。  昔は社屋の3階に現場技術者らが寝泊りしていて、隣社屋の社長宅で飯を食べるのが日課でした。私の母がみんなの飯を作っていましたから、わが家は大家族でした。私が中学、高校の頃です。それが今や大幹部です。
▲創立者 新谷 市造 ▲前社長 新谷 康治
――印象に残っている現場はありますか
新谷 一番思い出深い現場は大雪山国立公園内の黒岳沢ですね。何十回となく行っています。昭和25年の会社設立と同時に、ここで60年近く治山事業を手掛けてきましたので、わが社の歴史そのものです。  黒岳はたいへんな暴れ沢で、地盤が緩いため全部崩れたら層雲峡の温泉街が埋まってしまいます。昭和51年には、施工中に豪雨で大きな災害を受けましたが、克服して昭和51年度の治山工事コンクールで表彰を受けました。
――黒岳の砂防工事は完成間近ですか
新谷 まだ継続しています。山地が著しく荒廃し、土石流災害の恐れがあるために、渓岸、渓床の不安定土砂を押さえています。
▲昭和50年 旭川営林支局大雪営林署 黒岳沢治山工事
――昭和63年には十勝岳も噴火しました
新谷 十勝岳火山泥流対策の砂防工事も、わが社で行っています。頂上は森林管理局の所管で、山の下は国の管理、さらにその下が道の管理となっています。前回の噴火後に、大災害に繋がる危険箇所を取り除き、安全のための備えは進みました。
――砂防工事の受注のウエイトが高いのですね
新谷 わが社は林野と鉄道と開発の三事業に育てられた会社です。施工条件の極めて厳しい箇所で、困難を克服し、多くの職員が全道の現場で従事しています。
――北海道林業土木協会と農業土木協会の会長を兼任されていますが、農業土木の分野にも力を入れていますか
新谷 農業土木は一般の公共事業と違い、農家の土地、財産をいじるわけですから、よく分かっている人でないと農業の仕事は簡単に出来ません。競争で安い金額で落札した会社が手掛けるという性格の仕事ではありません。  山の仕事も同様で、経験と実績がなければ技術的にも対応が難しい。黒岳の現場は雲の流れを見ただけで天候の変化がわかりますから、雲行き次第で「みんな作業止めよ」ということになります。
――地元で何十年も経験されている技術者を組織の中にどれだけ抱えているかが、公共事業に取り組むポイントになりますね
新谷 そうでしょうね。わが社の技術陣はピカ一と自負しています。
▲昭和38年 新谷市造氏 道議会議員初出馬、初当選
――創立90周年を迎える旭川商工会議所の会頭にも就任されましたが、奇しくも祖父の新造氏は創立60周年当時の会頭でした
新谷 不思議な縁や宿命を感じます。
――グループでは学校法人、福祉施設等も運営していますが、これらも新造氏と泰治氏の遺産でしょうか
新谷 祖父は、特に貧乏育ちで苦労しています。兄弟にコメの飯を食べさせたい思いから、日銭稼ぎの人夫仕事をしたことが建設業へ入るきっかけになっており、そこが原点です。  私は一生かかっても祖父は越えられないと思っており、大いにプレッシャーを感じています。
――旭川経済のけん引役でもある会頭就任にあたっての意気込みをお聞かせください
新谷 体調を崩した前会頭の高丸修氏が任期途中だったので、筆頭副会頭の私には責任がありますから、来年10月31日までの残任期間中に、高丸氏のやり残したことを、少しでも完成に近づけることが私の大きな使命だと思います。
――会頭と4副会頭の平均年齢は54.8歳に若返りました
新谷 若返ったというのはいい部分もありますが、経験不足は否めませんので、経験豊富な諸先輩の意見に耳を傾けることは謙虚に考えています。
――その中で当面の懸案は
新谷 中心市街地の活性化が最重要課題です。中心市街地が活性化しなければ街に賑わいが生まれず、旭川駅周辺開発である北彩都事業の意味もなくなるので、非常に難しい。行政と一体となって、まず行動を起こしたいと思います。
▲本社社屋
――中核都市の旭川が活性化すれば周辺地域への波及効果も大きいので、稚内や網走の経済界も旭川への期待度が高いですね
新谷 都市間の道路もぶつ切りがほとんどで、高速道路で繋がっているのは旭川〜札幌間だけですからまず繋げないと駄目ですよ。費用対効果だけをモノサシに公共事業を論じても片手落ちです。 建設業は、地域経済を支えており、これから先もそうあるべきと考えています。いままでの建設業界は、土建屋気質というのか、肩で風をきる尊大な一面があり、皆さんから慕われる感じはありませんでした。  これからの建設会社は、社会から信頼される産業を目指すこと、それが生き残りの絶対条件です。これまでも建設業は社会貢献に積極的に取り組んできました。マチづくりにも協力していますが、PRが下手なのか、悪いイメージが先行しているきらいがあります。
――国の経済対策もあって、公共事業の発注量が伸びています
新谷 それには期待していますが、いまの入札方式を変えなければ。まずは最低制限価格を上げてくださいと、各方面にお願いしているところです。
――旭川では自民党北海道開発委員長の今津寛代議士が頼りになるのでは
新谷 旭川は、これから働き盛りという与党の代議士を落選させてきた苦い思いがあります。何と言っても与党の代議士がいれば、国政の情報量も野党の先生とは全然違います。  今津代議士の支持者として、いままで苦労が多かったですが、ようやく中央政界で思い切って働ける立場になっていただきました。旭川経済の活性化のためにも大いに期待しています。
――中心市街地の活性化を成功させ、賑わいを取り戻したいところですね
新谷 旭川の経済は、日本全国の悪化に比べて、それほど大きく落ち込んでいないことが数値にも表れています。バブル崩壊以降、業績の悪かった建設業も公共事業の後押しで光が見えてきました。少しは良くなるでしょう。  ですから、会頭に就任しても本業はおろそかに出来ません。「創造は想像を超えて」をコンセプトに、新谷建設らしい独自性を発揮したいと思っています。
――旭川経済は旭山動物園の集客力も大きな要素ですね
新谷 ピーク時に比べて減り始めていますから、これからが正念場でしょう。旭川市長と一緒に旭川のPRにも積極的に取り組んでいきます。
公職歴
昭和62年 1月 (社)旭川青年会議所理事長
昭和62年10月 社会福祉法人のぞみ会理事 就任
昭和62年12月 社会福祉法人愛善会理事 就任
平成 2年 4月 北海道教育大学附属旭川小学校PTA会長
平成 4年 4月 旭川社会教育委員
平成 8年 4月 旭川家庭裁判所家事調停委員
平成 9年 4月 北海道社会福祉施設 経営者協議会副会長 就任
平成11年 6月 社会福祉法人旭川育児院理事長 就任
平成14年 2月 (社)旭川建設業協会副会長 就任
平成14年 4月 上川農業建設協会会長 就任
平成16年 5月 旭川中間税会会長 就任
平成17年 3月 社団法人旭川林業土木協会会長 就任
平成19年 3月 更生保護法人旭川保護会理事長 就任
平成21年 3月 旭川商工会議所会頭 就任


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