建設グラフインターネットダイジェスト

〈建設グラフ2009年5月号〉

interview

誠意ある対応で地域からの信頼も厚く岸本産業に親子三代の貢献賞

――石狩建青会平成21年の役員改選で会長に新任

石 狩 建 青 会 会       長
岸本産業株式会社 代表取締役社長
岸本 教範氏

岸本 教範 きしもと・よしのり
平成2年 3月 早稲田大学 商学部 卒業
平成2年 4月 北海道銀行 入行
平成4年 9月 北海道銀行 退職
平成4年10月 岸本産業株式会社 入社
平成8年12月 岸本産業株式会社 代表取締役社長 就任
岸本産業株式会社
石狩市浜益区柏木87番地
TEL 0133-79-3233

 総合土木建設業を核に生コン、砕石、製材、給油所、貸しビル業等、多角的な分野で事業展開している石狩市浜益区の岸本産業株式会社は、地元の最大手企業だ。祖父の代から親子3代で村議会議員を務め、雇用の受け皿として地域の発展に貢献してきた。「時代がどう変わっても、地域に根ざした企業として発展していくことが生き残る道」と強調する3代目の岸本教範社長に、今後のビジョンなどを語ってもらった。

――岸本産業は社長の祖父・巌雄(故人)さんが昭和7年に浜益で造材業を始めたのがルーツと聞いています。建設業への進出はいつでしたか
岸本 旧浜益村の面積の87%が山林で、豊かな森林資源の有効利用を考え、昭和7年に岸本巌雄(祖父)が造材事業を始めました。その後、岸本全次(父)が昭和31年9月に岸本産業株式会社を設立、社長として創業しました。39年に毘砂別砕石工場を、47年には浜益生コン工場を開設し、建設土木と合わせて、これら三つの事業が会社の中核になっています。  旧浜益村は、道都札幌市から80km(一般国道231号)、空知の中核都市滝川市から60km(一般国道451号)、オロロンラインの中心留萌市からも70km(一般国道231号)の位置にあります。その当時は、道路事情も悪かったので、インフラ整備は地元でやらざるを得ず、人材や資材など地元で調達するしかなかったのでしょう。  昭和38年に開設したガソリンスタンドは、他社が2、3年前に廃業しており、いまでは浜益区唯一の給油所として頑張っています。
――平成17年10月1日に浜益村と厚田村が石狩市と合併し、新石狩市が誕生しましたが、地元ではトップクラスの会社に発展しましたね
岸本 年商は完成工事高14億円、兼業売上高9億円の計23億円で、石狩市内ではトップの売上高だと思います。正社員46名の他に、季節雇用44名を抱えています。自然減などで従業員数は最盛期に比べて4割ほど減少していますが、これまでリストラは行っていません。今後も雇用を守ることに全力を尽くします。
――社長の生まれ年は
岸本 昭和41年で、母の話では、親父の会社もようやく安定してきた時期だったようですが、それまでは苦しかったと聞いています。
▲社屋
――親父の背中を見て育ったのですか
岸本 いいえ、私と母は札幌で暮らし、父は札幌と浜益を行ったり来たりの生活でした。私は高校までは札幌で、平成2年に大学(早稲田大学商学部)を卒業後、北海道銀行に入行しました。  家業を継ぐ考えはありませんでしたが、平成5年に父がガンを患い、体調が思わしくなくなり、私としても(親父の会社は)大変だなあと感じました。そのため、父からは何も言われませんでしたが、3年で道銀を辞め、転進を決意しました。
――建設業にはどのようなイメージを持ちましたか
岸本 銀行に比べるとアバウトな印象はありました。銀行で担当していた商店などより扱う額が大きいので、さすがに規模はちがいます。
――岸本家は祖父の代から浜益村議会議員を努めていますね
岸本 祖父は私が大学2、3年の時に亡くなりましたが、同じ時期に祖父と父は親子で村議でしたから、今では笑い話ですが、選挙になると「どっちが得票数が多いか」と親子でけんかしていたそうです(笑)。
――社長自身も村議会議員選挙に挑戦され、親子3代の村議が誕生しました
岸本 平成8年12月に父が亡くなり、わずか1か月足らずの準備期間で村議選に出馬、平成9年1月に初当選させていただきました。村議は2期務め、石狩との合併特例で3選出馬も可能でしたが、石狩市の条例では「公共事業の受注企業役員の市議会議員兼職は好ましくない」と明記されていたので、合併直前の選挙には出馬しませんでした。  浜益村議会議員の定数は14人で、平成17年の合併後の新石狩市議会議員定数は24名です。平成19年5月20日執行の新市議員選挙で浜益区からは3名が選出されました。
――それ以来、社長業1本ですか
岸本 合併に伴って新設された「浜益区地域協議会」など地域の活動には、声がかかれば断らないようにしています。
――地域協議会の副会長ですね
岸本 地域の意見を取りまとめ、特色ある地域づくりに取り組んでいます。昨年は地域自治区振興事業として浜益斎場周辺の緑化環境整備事業を行ったほか、浜益区の活性化のため産業間連携の「はまます井戸端倶楽部」を立ち上げました。  よりよいまちづくりを進めるため、地域にどんな課題や問題があるか情報を入手し、特色ある地域づくりに向け活動しています。
▲経営体育成基盤整備柏木大成地区30工区 ▲千代志別川復旧治山工事
――岸本産業は、北海道開発局長表彰、北海道森林管理局長表彰は二年連続、また親子三代で建設業の発展に寄与されたことで石狩市長表彰を受けていますね
岸本 札幌と留萌を結ぶ一般国道231号が、長い間「幻の国道」と呼ばれながらも悲願の陸路全線開通したのは昭和57年です。全面舗装が完了したのは平成元年、通年開通は平成4年からで、それまでは陸の孤島といわれていました。その一般国道231号の浜益村道路維持除雪外一連工事での開発局長表彰は励みになります。  私どものように地域に根ざして企業活動をしている会社にとって、国道の維持管理の仕事は苦情をいただくこともありますから、きちんと丁寧に取り組むように努めています。年間を通じての安定した仕事ですから、経営においても助かります。  石狩市長表彰は、「優れた技術や誠意ある対応で地域からの信頼も厚く石狩市建設業の発展に寄与された功績」が評価されたもので、その責任の重大さを感じております。
▲浜益の海水浴場
――会社としての今後のビジョンをお聞かせください
岸本 時代がどう変わっても、この地域のためにある会社という認識を持って、地域に根ざさなければ、この会社はないという気持ちで頑張っています。平成21年2月に皆さんに推されて石狩建青会の会長に就任しましたが、総会では「厳しい時代だからこそ地域に根ざした会社にしよう」ということを確認し合いました。  さらに、今年は発足30周年を迎え、記念事業の開催を予定しています。また、農業土木研修などの事業を行いますが、北海道は特に農業を強い産業にしなければと思っています。  その意味でも建設業として、環境との調和に配慮した浜益区柏木大成地区の農業農村整備事業等を通じて地域に貢献したいと考えています。
――石狩観光協会の理事も務めていますが、浜益の魅力とは
岸本 平成2年に指定された暑寒別天売焼尻国定公園は、手つかずの自然が残されています。浜益のシンボルである黄金山は標高約740mで、別名「浜益富士」と呼ばれ、多くの人々が登山を楽しんでいます。  また、雄冬山、浜益岳、暑寒別岳などの山容が四季を彩り、海は奇岩と絶壁の間に美しい砂浜が広がっています。千本ナラは新日本名木百選に選定され、推定樹齢820年を越す幹周り4.8m、樹高18mの奇樹です。  その他、水産庁の「未来に残したい漁業漁村の歴史文化財産百選」に認定された「はまます郷土資料館」は、旧白鳥家番屋で、浜益がニシンとともに栄えていた明治32年の建物です。浜益川沿いに広がる平野部における農業は稲作主体で、米の品質は石狩管内でもトップクラスです。  海水浴場として人気のある川下海浜公園は、海底が透けて見える美しい砂浜で、海浜リゾート基地として賑わっています。浜益は登山、海水浴、キャンプが楽しめ、食もタコ、ホタテ、米、果物などがおいしく、農業と漁業と自然に恵まれているのが魅力です。
会社概要
資 本 金:2,000万円
従業員数:98名(役員6名 正社員46名 季節雇用44名)
業  種:総合土木建設業
兼  業:生コン・砕石・石油・貸ビル
年  商:23億円(完成工事高14億円 兼業売上高9億円)
主な受注先:北海道開発建設部、 北海道森林管理局・管理署、北海道各支庁、石狩市など
支  店:札幌市中央区北1条西20丁目
     TEL 011-642-3533
関連会社:浜益海運株式会社


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