建設グラフインターネットダイジェスト

〈建設グラフ2009年4月号〉

interview

新幹線、高速道路等の整備で真の国際観光地の可能性に取り組む

――大阪本社の製薬会社から倶知安町の建設会社に転職

倶知安商工会議所 会    頭
株式会社 加藤建設工業 代表取締役
川上 正宏氏

川上 正宏 かわかみ・まさひろ
略歴
昭和18年1月19日生まれ 静岡県出身
昭和40年3月 北海道大学医学部薬学科 卒業
昭和40年4月 塩野義製薬株式会社 入社
昭和52年3月 同社 退社
昭和52年4月 株式会社加藤建設工業 入社
昭和63年3月 同社 代表取締役就任
役職
倶知安商工会議所 会頭
倶知安建設業協会 理事
後志生コンクリート協同組合 理事
後志コンクリート製品協同組合 理事
株式会社 加藤建設工業
倶知安町南8条東2丁目
TEL 0136-22-0177

 いま倶知安が燃えている。「パウダースノー」で人気のあるニセコスキー場は数年前から世界の投資会社から注目を集め、今ではオーストラリア、香港、シンガポールなどから訪れるスキー客等が年間1万人にのぼる。しかも1週間〜10日間の長期滞在客が多く、住民登録している外国人も500人という国際リゾート都市に生まれ変わりつつある。昨年12月、政府与党が合意した北海道新幹線整備で札幌延伸が決まり、倶知安町では駅前再開発の機運が高まっている。北海道横断自動車道の延長も地元の悲願だ。2月25日に「しりべしに高速道路を実現する会」(会長・川上正宏倶知安商工会議所会頭)主催の「しりべしのみちづくりを考えるシンポジウム2009」が倶知安町で開かれ、「食材の輸送、観光、医療の面からみて高速道路整備は不可欠。災害時の迂回路としても必要性が求められている」とアピールした。地元で建設会社を経営する川上正宏商工会議所会頭に倶知安の将来展望を聞いた。

――会社のプロフィルからお聞きします。創業されたのは何年でしょうか
川上 昭和36年に妻の父が倶知安町に創業し、38年に会社組織になりました。ですから私は二代目です。私は昭和18年に静岡で生まれ、愛知で育ちました。北海道にあこがれてというのか、北海道大学に入学したのが北海道との縁の始まりです。
――何を専攻されましたか
川上 薬学部です。卒業後は塩野義製薬に入社し、まず3か月間は大阪本社で研修がありました。その後に配属先が決まるわけですが、私は北海道を希望し、札幌支店に赴任しました。全道をカバーしますから、旭川や北見、空知など道内の病院を回り、薬剤のセールスを行っていました。後に札幌医大の担当となり、医局や薬局に顔を出していた当時、薬剤師として札医大の薬局に勤務していた妻と知り合い、一緒になりました。当時、妻の親はすでに倶知安町で加藤コンクリート工業所(旧社名)を興していたので、繋がりができ昭和52年に入社しました。大学は40年に卒業しましたので、塩野義製薬には12年間勤務したことになります。
――先代の社長からの強い要請があったのですね
川上 加藤家の子どもは3姉妹でした。妻が長女なので、家業に転進するようにジワジワと、追い込まれた感じです。
――その頃は建設業に対してどのようなイメージを持っていましたか
川上 確たるイメージはありませんでした。最初は建設業というよりも元々はコンクリート業から始まっていますから、その頃もU字構等の二次製品が主力で、土木はほんの片手間でした。ですからコンクリート製品を造る会社というイメージでした。  仕事は独学で覚えました。それまでコンクリート製品を地元の建設会社にも納品していましたから、土木工事を受注するにしても地元の建設会社への遠慮はありました。痛しかゆしの面はありました。
――その頃から倶知安はスキー客で賑わっていましたか
川上 国内のお客さんは来ていましたが、外国人はほとんど見かけませんでした。今から10年ほど前から国内のスキー客はどんどん減って、さぁどうしようという時に外国からのスキー客が目立ち始めてきました。ですからトータルではスキー客自体は全然増えていません。
――当時の倶知安の印象はどうでしたか
川上 とんでもない田舎に来たという感じでした。函館本線の特急も国鉄の民営化後(昭和62年)に廃止され、倶知安駅頭で最後の特急「北海」を見送ったことを覚えています。札幌まで100kmで、車であれJRであれ2時間から2時間30分かかりますから、こんな不便な所はありません。  交通体系には恵まれていません。JRも効率優先ですから、小樽から余市まではそこそこにお客さんはいますが、それから先の長万部まではほとんどお客さんはいません。勢い列車の本数は少なくする。利便性が悪いと敬遠されます。JRの客離れが起きます。
▲しりべし高速交通ネットワーク推進会議より
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――倶知安に転居された昭和52年以降、インフラ整備はほとんど進展が見られませんか
川上 大きな道路はほとんど変わっていません。
――これまで取り組まれてきた仕事で印象に残っていることは
川上 倶知安町は50年代の半ばから下水道工事が始まり、お陰様でわが社の製品が採用されました。枝線はほとんど地元業者が受注したので、業界としても助かりました。  下水道工事が一段落した時期から公共工事が大幅に削減され、ダブルパンチを受けてきました。売上は10年くらい前から急激に悪化しています。ゼネコンが暇になれば、当然ながらわれわれにも仕事が回ってきません。リストラもしてきました。現在の社員はかつての半分ですが、いまの雇用体制は何とか守っていきたい。
――倶知安商工会議所の会頭にはいつ就任しましたか
川上 平成19年11月で、それ以前は副会頭を9年ほど務めました。
――地域経済も相当に冷え込んでいるようですが、ニセコひらふ地区だけはバブルのようですね
川上 3年連続で地価上昇率日本一ですから、外から見ると「倶知安はすごいね」と言われますが、倶知安町ではなくてニセコひらふ地区だけの現象です。中心市街地の路線価は下落しています。会議所の役割としては、ニセコひらふ地区の賑わいをいかに中心市街地に引っ張るか、その辺が悩ましいところです。
――小さな核にはなっているけれど、地域全体の底上げにはなっていないとのことですか
川上 そうです。惜しい気がします。外国人登録されている人は500人に上ります。オーストラリアのほかに最近は中国、シンガポール、香港からも進出してきています。香港は投資目的の方が多い。特に花園地区は香港資本が圧倒的です。
――世界的に見てもリゾート地区としての格付けは相当高いようですね
川上 高いと思いますよ。これだけ世界から注目され投資が入って来るのは、それなりの魅力があるからでしょう。アンヌプリスキー場の麓でカペラというリゾート開発に着手されるところですが、これも香港資本です。
▲北海道新幹線概要図
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――北海道新幹線札幌延伸を強く願う倶知安期成会の会長として中央要請を行い、昨年12月に新規着工が実現しました。倶知安町に新駅が予定されていますが、地域活性化の起爆剤になりますか
川上 この新幹線倶知安駅は千載一遇の、最初で最後のチャンスです。地方都市はどこも地域の商店街が寂れています。倶知安町、商工会議所、商店連合会としても、どう再構築していくか、まさに正念場です。皆さんが結束して私に何かやれというなら喜んでどこにでも行くつもりです。
――地元の川上会頭への期待は大きいですね
川上 ただひたすら何かやっているだけの話です。福島世二町長、石本達雄議長と一緒に行動することが多いですから、どうしても挨拶の場に出されます。福島町長は町全体を、私は商工業界を引っ張るという立場です。町長ひとり、会頭ひとりが頑張っても駄目で、皆さんが結束して後押しして、ついてくれなければ前に進みません。  当面の最重要課題は新幹線の駅前開発、もう一つはニセコひらふ地区と市街地との連携、これが2本柱でしょう。  今は1本柱、ニセコひらふ地区と連携し何をしようかという段階です。新幹線が開通するのは20年後かもしれませんが、子孫のためにも実現させなければなりません。そうなると倶知安も良くなるでしょう。  倶知安には国際的な観光地としての魅力があります。これからは市街地にも魅力を持たせたい。外国人が1万人も来て、1週間〜10日間前後滞在する地域は全国的に珍しい。国道393号線が昨年9月に開通したので、キロロも大変近くなりました。車で30分〜40分のキロロ(赤井川村)とも連携していきたいと考えています。
――ニセコひらふ地区とのアクセス状況は
川上 サンモリッツ大橋を通った新しい道路と、比羅夫スキー場に入る直前のカーブの改良工事を手掛けているところです。これが完成すればアクセスはかなり良くなるでしょう。
――新幹線の次に問題になるのが、高速道路建設では
川上 そうです。北海道横断自動車道の黒松内〜余市間の延長も地元の悲願です。2月25日に「しりべしに高速道路を実現する会」が開かれ、整備促進に向け、協力をお願いしました。
――冬季間の国道5号線は不便では
川上 冬場は気象状況に影響されます。札幌へ日帰りの場合は各駅列車で行きますが、三分の二は小樽で乗り換えです。スキー場へ列車利用の個人客は少なくありません。
――同シンポ2009で、宮木康二後志支庁長が「後志は食と観光の宝庫で利便性を高めるために高速道路の整備が不可欠」と話していました
川上 まったくそのとおりです。そのためにも新幹線、高速道路等のアクセス整備が欠かせません。観光と農業が伸びれば、商工業にも波及効果が期待できます。そうした地元の声を中央に届けたい。
――駅前再開発については本格的な検討に入っていますか
川上 町は新年度にプロジェクトチームを立ち上げるので、商工会議所、観光協会、商店連合会も加わって、本格的な検討に入ります。私たちの考えとしては、現駅舎から国道5号線まで延長500mの区間を全部再開発する構想を持っています。全部新しく作り直すぐらいの気持ちでやりたいと思っています。  商店連合会も独自の考えを持っているので、それらと合わせて計画を固めていきます。これは大きなイメージアップになると思います。再開発に伴って撤退する人が出てくる可能性もありますが、それはそれでやむを得ない。代わって新しい人が貸店舗に出店しやすい魅力を持たせることが大事です。将来に夢を持って行動したいと思っています。
会社概要
設   立:昭和38年4月
資 本 金:3000万円
建設業許可:
 北海道知事許可(般-16)後第00648号
 日本工業規格表示認証
  レディーミクストコンクリート
      認証番号 TC0107100
  プレキャスト鉄筋コンクリート製品
      認証番号TC0107092

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