建設グラフインターネットダイジェスト

〈建設グラフ2009年3月号〉

interview

多くの方々の支援と協力でロシアビジネスに取り組む

――共同出資会社をユジノサハリンスクにて設立

株式会社 濱谷建設 代表取締役副社長 濱谷 美津夫氏

濱谷 美津夫 はまや・みつお
昭和36年9月15日生まれ 釧路市出身
昭和59年3月 東海大学海洋学部 卒業
昭和59年4月 村角建設株式会社 入社
昭和63年4月 同社 退社
昭和63年5月 株式会社濱谷建設 入社
平成 3年6月 同社 常務取締役就任
平成19年1月 同社 代表取締役副社長就任
株式会社 濱谷建設
釧路市港町3番6号
TEL 0154-42-5380

 日本、韓国、中国東北三省、ロシア極東地域及びモンゴルを包括する北東アジア地域は、世界的にみても大きな経済圏に成長しつつある。北東アジア地域のなかでも、とりわけサハリン州は石油、天然ガス開発プロジェクトが注目を浴びており、今年2月には「サハリン2」の液化天然ガス(LNG)工場完成記念式典に、日ロ首脳会議の開催が予定されている。宗谷海峡を隔てて指呼の距離に位置する北海道としても、積雪寒冷地における各種技術の提供、開発資材の中継及び供給基地、開発機材の維持補修基地等としての役割を担うことが可能となり、北海道を核とする新たなネットワーク形成の期待が高まっている。  北海道が中心となって2001年4月には、ユジノサハリンスク市に「北海道ビジネスセンター」が設立され、ビジネス情報提供などの支援活動を行っている。ロシア企業と合弁会社を設立し、マンション建設やタグボートサービスなどのサハリンビジネスに乗り出す道内企業も出始めている。  今回ご登場いただいた釧路市の株式会社濱谷建設(濱谷和雄社長)もサハリンビジネスに取り組んでいる数少ない道内企業の一つだ。濱谷美津夫代表取締役副社長に、サハリンビジネスの最近の動向などを聞いた。
――創業は1974年ですね
濱谷 そうです。父(和雄)が濱谷潜水部を立ち上げたのが始まりですが、潜水事業だけでは中核事業としては不十分なので、86年に社名を「(株)濱谷建設」に変更し、50tから400tクラスのクレーン船を造船し、釧路港の西港区島防波堤、根室港の岸壁工事の受注など、港湾に特化して業容を拡大してきました。また、来年完成の東京国際空港(羽田空港)の新しい滑走路(D滑走路)建設工事でも、わが社のクレーン船が活躍しています。
――羽田D滑走路工事への参画は、会社としても大きなセールスポイントになるのでは
濱谷 業界では、公共工事の縮小で作業船を中国など海外に売却したため、400tクラスのクレーン船が国内で不足していることもあります。
――濱谷副社長が入社された時期は
濱谷 大阪の村角建設で4年間お世話になり、大阪に1年、東京に3年勤務し、横浜の「みなとみらい21=1983年事業着工」等の港湾業務に従事しました。  1988年頃に、社長が病に倒れたのを契機に釧路に戻ってきました。釧路西港は着工する以前で、釧路経済は停滞していましたし、会社も社長が病気になり、苦しい時期でした。
――クレーン船のオペレーター等の技術者養成も課題じゃないですか
濱谷 業界としては、大きな課題の一つです。わが社は技術の継承は比較的スムーズにできていると思っていますが、若手の育成に さらに力を注ぐ必要性は感じています。  最近はクレーン船による機械施工が中心で、海中での作業が減っていることもあって、作業潜水士のスタイルも、水上からコンプレッサーでホースを介してヘルメットと潜水服の内部へエアを供給する「ヘルメット式」から、装備の軽量化を図った「フーカー式」に主流が移ってきています。ヘルメット式は潜水服内のエアの浮力を利用して重量物を扱うことができますが、フーカー式は行動しやすい反面、重量物には適さないのです。
▲Shakhalinnerud「リストベンニッチヌイ」採石場 ▲Shakhalinnerud「リストベンニッチヌイ」採石場
――ロシアビジネスにも参入していますが、そのきっかけは
濱谷 (社)寒地港湾技術研究センターが立ち上げた「北東アジアネットワーク研究会」が、2003年10月に北海道前知事の堀達也さんを団長にサハリンプロジェクトの調査団を結成し、大学や道内企業の関係者がサハリン州政府やサハリンプロジェクトの実施企業を訪問しました。そこにわが社の社長もメンバーとして参加させてもらいました。そこで現地の採石場を見学する機会があり、コンクリート用骨材に転用するための機械が不足していることを聞かされました。その時、メンバーの中で、オーナー社長はたまたま当社だけだったこともあり、興味を持った社長と現地企業との間で合弁企業設立の糸口ができました。  帰国後、社長から「あとはお前に任せる」と、一切の権限を委任され、その年の12月にサハリンに渡航、現地企業のサハリンネルード社や、コンサルティングを行っているカナダ企業FSC(アルバータ州エドモントン)の現地法人であるFSCIとの協議がスタートしました。当時、サハリン経済が好調だったこともあって協議のペースは速く、メールのやり取りでも向こうからの問い合わせには素早く返答するようにしました。  韓国、オーストラリアの企業も食指を動かしていたようですが、金利水準なども考慮して日本企業との合弁がベストの選択と判断してくれました。  そして、合弁企業の設立にこぎつけたのは、社長の現地視察から約5ヵ月後です。そうして設立されたロシア、カナダ企業との共同出資によるコンクリート骨材等の製造会社「ハマヤグラベル」(HG)の出資比率は、FSC11%、濱谷建設40%、サハリンネルード49%で、それぞれが単独で過半数を超えないよう、ロシア企業の49%を筆頭に日本とカナダ企業で51%と、現地企業を上回るように構成しています。HGの社長にはサハリンネルードの工場長が就任しました。任期1年とし、株主総会ごとに審議しています。
――生産ラインはどうなっていますか
濱谷 サハリンネルード社の砕石工場に、わが社が輸出した日本製の3次工程の機材を据え付けました。当初は04年7月から生産開始の予定でしたが、現地での機材設置用基礎コンクリート設計の確認申請・許可が遅れた影響で、05年度からの生産開始となりました。
▲リストベンニッチヌイ砕石場
――現地との連絡や連携はスムーズですか
濱谷 銀行の入出金等の帳簿は毎週メールで確認しており、決算時の監査とは別に、必要に応じて随時監査できる仕組みにしています。3月末決算時の配当を確実に行い、配当金は日本円で振り込まれます。  トラックスケール計量記載のIT化、管理体制の強化などの業務改善にも取り組み、生産体制は順調に推移しています。ペイローダー購入のため05年度に1千万円の短期融資を行いましたが、計画どおり1年で返済が終了しました。  そのほか、HG向けに機材関係の消耗品を年3〜4回輸出していますが、その代金は輸出前日までに日本円で入金されています。
▲社屋
――サハリンにはどの程度の頻度で行かれていますか
濱谷 合弁企業の立ち上げの際は6回ほど渡航しましたが、その後は年1〜2回ほどです。新千歳か函館から航空機で現地に飛びますが、5年前に比べてユジノサハリンスク市内はホテルの改築、新築が急ピッチで進み、グレードは格段に良くなっています。
――観光資源としての魅力はありますか
濱谷 エコツアーや魚釣りが良いですね。新しいホテルの建設や宿泊施設のリニューアルも進んでいます。  ユジノ以外の都市については事前にホテル事情を調べた方が良いです。
――コンクリート骨材製造の合弁企業を足がかりに、ロシアビジネス拡大のお考えは
濱谷 現地とのパイプが出来たことで、いろいろな情報が入るようになりました。お互いに信頼関係をどう構築するか、信頼に足る人をどうみつけるかがポイントでしょう。サハリンはほとんどが天然の良港で防波堤はありません。本業の建設業で何かお手伝いができればと思っていますが、いまのところ具体的な話はありません。
会社概要
創 業:1974年4月1日
職員数:技 術 24人
      事 務 9人
      技能職 24人
代表者:濱谷 和雄

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