建設グラフインターネットダイジェスト

〈建設グラフ2008年11月号〉

interview

道産水産物の流通対策を推進(中編)

――東京支店に18年勤務

北海道漁業協同組合連合会 代表理事副会長 宮村 正夫氏

宮村 正夫 みやむら・まさお
昭和19年7月31日生まれ
昭和43年3月 北海道大学農学部 卒業
昭和43年4月 北海道漁業協同組合連合会 入会
昭和56年3月 同 東京支所次長 就任
平成 5年5月 同 参事 就任
平成10年5月 同 代表理事常務 就任
平成16年6月 同 代表理事専務 就任
平成18年6月 同 代表理事副会長 就任
委員就任状況
社団法人日本水産物貿易協会 理事
北海道卸売市場審議会 委員
北海道産業団体協議会 幹事
北海道・ロシア連邦極東地域経済交流推進委員会 委員 他
北海道漁業協同組合連合会
札幌市中央区北3条西7丁目
TEL011-231-2161

 かつて北海道からの輸出が少なかった道産水産物が、今では年間の輸出量が15万tに上り、鉄鋼、機械に次いで3位という位置を占めるに至った。北大農学部卒でありながら水産界に入り、18年間に渡り東京支店で国内市場の確保と海外市場の開拓に当たった宮村正夫副会長は、一方で250億円もの損失を生み出したぎょれん事件に遭遇する。

(前号続き)

──日本からの輸出も増えているようですね
宮村 平成12、13年の全国の輸出量は20万tくらいだったのが、この数年間では60万tで3倍になっています。なかでも北海道の水産物輸出は、全国の伸び率を大きく上回り、急増しています。北海道の港湾からの輸出は、平成10年頃には2、3万tしかなかったのが、近年は14〜15万tにも達していますから、3倍どころではありません。輸出金額も、かつては50億円に満たなかったのが、近年では350億円に上り、この他にも検品の都合等で神戸から輸出している干し貝柱は100億円、東京港と横浜港から輸出している冷凍ホタテも100億円、スケソウは下関で通関し、韓国に輸出しており、これは67億円となっていますから、輸出総額は600億円に近いレベルになっています。  北海道からの輸出品目を示した4、5年前のパイグラフでは、自動車や鉄鋼が圧倒的で、魚介類などは登場していなかったものですが、19年度は336億円で第3位を占めるようになってきました。  さらに主要魚種の輸出動向を見ると、秋サケの魚価はこれまで激しく乱高下していましたが、18年以降からは雄雌込みで300円の浜値レベルを落とさないよう維持しています。昨年の場合は漁獲量は16万tで、輸出量はおよそ6万tですが、頭部と内臓を除いて輸出されるので、原魚で見れば半分くらいが輸出されています。それを中国で骨を取り除いて、さらに欧米へ輸出されるという流れで、消費は欧米です。ただ、中国食品の安全性の問題が発生したため、今年は試験的に加工の一部をベトナムに移転します。また、完全な骨取り機も新たにメーカーに開発を依頼していまして、これが実現すれば、北海道からアメリカへ直接輸出することも可能になります。  ホタテについては、殻付きで40万tですから、正味はその12パーセントくらいです。仕向けとしては、干し貝柱を製造し、ほとんどは香港や台湾に輸出しています。また、冷凍品については、平成15年に国内在庫が過剰となり浜値を暴落させました。このため浜に1キロ2円約6億円の拠出を願い、損をしてアメリカに4,000tを輸出しました。これで国内の在庫を処分しました。そのお陰で、翌年からホタテの浜値が一気に回復し、それ以降は特段の対策をしなくても正常に輸出できるようになってきています。現在では9,000tに増加しており、これは原形の貝の状態では10万tに匹敵することになります。この他に、7万tの干し貝柱など乾燥食品が台湾、香港に輸出されているわけです。  一方、スケソウについてみると、かつては韓国が自前のトロール船で北海道やロシアの沖合で漁獲し、チゲ鍋の材料に利用していたのですが、200海里規制で閉め出されたためにスケソウを買い付けるようになり、北海道からも生鮮ものが輸出されるようになりました。冷凍品は中国に輸出し、同じく骨や内臓を除去してフィッシュバーガーの原料に使用されたり、フィレとして欧米に再輸出されています。この結果、輸出量は7万〜8万tとなっています。  コンブは、これまで台湾に輸出しており、最高では平成4年に2,500tにもなっていたのが、かなり減少しています。原因は、中国の安価な養殖コンブに台湾マーケットを奪われたためです。そこで政府予算を活用し、3カ年計画のうち今年が2年目ですが、道産コンブの台湾マーケットの回復に取り組んでいます。
▲昆布漁
──道内の自給率が十分で、対外輸出においても独自の強味を持つに至った北海道の水産業にも、ウィークポイントはあるのでしょうか
宮村 やはり、漁業経営が全道的に安定しなければなりません。漁業の生活は苦しいからと、親が子には継がせない状況では困ります。しかし、これまでと違って世界のマーケットを相手に展開が十分にできるので、資源管理を確実に行い、殖やしていくことができれば北海道の漁業は安定してくるでしょう。  また、漁業者の高齢化対策も重要ですが、これも経営を安定させ、若者が後継してくれるようになれば、解決していくものと思います。その他、近年の燃油高騰とコスト高の問題、WTO貿易対策、国内外の流通対策、衛生管理対策などは、地道に取り組んでいけば、それほど悲観的になる必要はないでしょう。  ただ、今後対処を考えなければならないのは、日本の若年者層の食生活における魚離れです。残念ながら若い人ほど魚の消費量は減っています。欧米では箸を使う習慣がないために、魚は骨がない状態で供給されるのが当たり前の慣習ですから、日本の若者にももっと食べやすい状態で提供すべきだろうと思います。欧米、中国、東南アジアでは相対的に魚介類の消費量が増えているのに、魚食大国の日本人があまり食べなくなっている状況は皮肉です。  輸出を拡大しているとは言っても、私たちのマーケットの主力はあくまで国内ですから、150万tに上る漁獲の大半を国内で消費してもらわなければなりません。輸出はいわば価格対策と国内の需給バランスを安定させるために行っているのであり、あまりにも漁獲が多すぎて、魚価が値崩れするような状勢の時に、それらを凍結して輸出し、外国に消費してもらうわけです。大漁の結果、全てがマーケットに出回ったのでは価格が下がるため、水揚げの段階で我々が買い上げてしまうわけです。それによって国内の需給バランスが維持され、浜値も崩れずに安定するわけです。
──宮村副会長がこの職務に携わったのはいつ頃で、どのような情勢でしたか
宮村 昭和43年に漁連に就職しましたが、北大農学部卒ですから水産とは全く関係がなく、もちろん同期生の友人もホクレン関係に勤務する者ばかりです。  30代中半から東京支店に18年以上も勤務しました。入会した当時はニシンが消滅してしまい、ロシアからの輸入もできなくなり、アラスカ、カナダから輸入するなど対策に追われていた時期でした。  その後には漁連事件が発生し、200億円を超える損失を出してしまったのです。その時34〜35歳くらいの時に、東京支店に赴任し、その後18年半東京で仕事をしました。平成3年には債務を完済し、再建を達成ました。その間にも工場などの設備投資はしてきたのですが、今は年度末借入金ゼロにできるまで財務体質が改善しました。
──驚くべき成果ですね
宮村 農林中金の支援を受けながら、当時600人だった職員を400人に削減して再スタートしたのです。事件直後には、アンチ漁連の立場を表明した漁協なども現れましたが、今はそうした様子は全くなく、全ての漁協がぎょれんに結集し様々な対策を進めています。
──18年間も同じ支店に勤務するのは珍しいのでは
宮村 私が最初で最後と思います。当時は道内の漁家がカニ漁やエビ漁に出られるよう、ロシアと契約交渉に当たったりしていましたし、道産の魚介類の販売先の主力は関東圏であり、一方、所管官庁の水産庁もあります。仕事がたくさんありました。そのため、本部には帰らずに東京勤務を希望し18年半に及び、結果的には私が最長勤務となりました。
▲中国での販促フェア
──やはり人口の半分が集積している関東圏のマーケットは重要ですね
宮村 北海道水産物の大半は関東圏のマーケットで販売されます。輸入品も多く競争も激しい所です。そこに売り込んでいきます。現在も60名を超える職員がいて営業に力を入れています。  やはり全道の浜が漁連に結集し、事業が進められているという体制は強固なものです。  ただし、闇雲に価格を設定するのではなく、漁獲量に基づいて国内販売分と国外輸出分の流通量を見越しながら判断しているわけですが、少なくとも道産水産物の価格決定の主導権を握ることは、生産者団体としての使命でもあるのです。  したがって、当然ながら市況によっては価格を下げることもあります。
──かつて発生した数の子倒産を通じて、在庫調整と価格決定の難しさを傍目にも感じさせられましたが、そうして生産者団体が価格決定を主導していくシステムは、いつ頃から確立されたのでしょうか
宮村 この取り組み自体は、かなり以前から続けてきていました。しかし、相場等のリスクがありますので、浜と一体となって消通対策に取り組む必要があります。数の子事件の時は、道内の加工原料確保のためとはいえ、輸入品でした。今は輸入品の取扱は全くやっていません。
──海外の販路開拓にはかなりの努力があったでしょう
宮村 道内における全日空国際線の利用率は、我々漁連関係者がダントツに多いそうです。今年は、魚卵を好むロシアにイクラを輸出しようと企画し、職員が足繁く通っています。関係部署の職員が常に海外に目を向け情報を収集し販路開拓に努力しています。     (以下次号)

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