建設グラフインターネットダイジェスト

〈建設グラフ2008年11月号〉

interview

匿名性からの脱却

――人々の暮らしを支える土木技術

土木学会北海道支部 支部長 武田 準一郎氏
(北海道建設部 技監)

武田 準一郎 たけだ・じゅんいちろう
昭和28年9月20日 門別町出身
室蘭工業大学大学院院修士課程 土木工学専攻
昭和54年10月 北海道庁採用(土木部管理課)
平成 9年 6月 函館土木現業所事業第一課長
平成10年 4月 建設省建設経済局建設機械課課長補佐
平成12年 4月 建設部道路計画課長補佐
平成15年 4月 室蘭土木現業所事業部長
平成17年 4月 建設部道路計画課長
平成18年 4月 函館土木現業所長
平成19年 6月 建設部技監(平成19年6月1日〜)

 十一と十八で土木の2文字が構成されることから、11月18日は土木の日と制定され、毎年土木への理解を深めるためのアピール活動が全国で行われている。今年度は、土木の匿名性からの脱却がテーマで、北海道支部でもそれに沿ったイベントが行われる。その支部長に、北海道建設部技監の武田準一郎氏が就任した。財政再建の煽りと公共事業批判によって、公共投資とその施工に当たる建設業界は危機的状況にあるが、「土木施設は、設計者や施工者の名前は記されないが、人々の日々の生活を支えることにつながる」と訴える。

──今年の土木の日のテーマは
武田 本部では、東京四谷の土木学会の会館で、シンポジウムと土木コレクションの展示を行います。シンポジウムは、「匿名性からの脱却」をテーマに行います。これは京都大学の宮川先生が「土木技術者よ、仮面を脱いだ月光仮面となれ」と表現されたものです。月光仮面の主題歌は「どこの誰かは 知らないけれど 誰もがみんな 知っている・・・・」ではじまりますが、縁の下の力持ちであり顔の見えない土木技術者と月光仮面をダブらせ、顔が見えないままでよいのだろうか、月光仮面から脱却する必要があるのではないだろうかと言う問題意識を説いたものです。また、土木コレクションでは、土木界が保有するお宝グッズや記念品、土木関連の貴重なアイテム、普段目に触れることのない歴史的な写真や図書などの各種コレクションを展示し公開します。
――北海道支部の行事は
武田 北海道支部では、札幌で行う選奨土木遺産の認定証授与式、記念講演の他、北見、苫小牧、室蘭、函館の4地方でイベントを予定しています。北見地方ではPRイベント、現場見学会、写真コンクール、苫小牧地方では土木に関する展示、室蘭地方ではトラス・コンテスト、プロジェクト・ワイルド in登別、函館地方では土木技術体験講座、橋を作ってみよう、と言ったイベントを予定しています。これらのイベントは、11月18日の土木の日に一斉に行うのではなく、地方の土木系の大学、高専、専門学校などの学校祭に併せて行ったり、地域の他のイベントと同時に行ったりします。詳しい日程や開催場所につきましては、土木学会のホームページなどで確認していただければと思います。
――そもそもどんな動機で土木を志すことになりましたか
武田 月並みかも知れませんが、男らしくて、世の中のためになるような仕事をしてみたいということでした。  私が室蘭工大に入学したのは昭和47年で、列島改造論により国土開発が強力に進められ、映画「黒部の太陽」のように国土づくりに関する映画が公開されるなど、世の中は建設事業がアピールされていました。そのため、文字を書くより、物を作る技術を身につけて生きていくのが良いと感じ、世の中のためになるような仕事で、男らしい土木の世界に行き当たった感じです。
――列島改造時代となると、建設技術を教える工業大学などは学生が多くて盛んだったのでは
武田 私の入学当時は、50人位のクラスのうち20人位は東北や東京など本州からの入学者が集まっていた時代でした。特に室蘭工業大学の土木工学科は、発足が札幌農学校まで遡る歴史があり、みなそこに惹かれたのかも知れません。  北大には恵迪寮という伝統あるバンカラ気風の学生寮がありますが、室工大にも明徳寮という古い木造の寮があり、そこで学生時代を過ごしました。最初の一、二年は勉強もせずに、先輩や仲間と酒ばかり飲んでいたものですが、三年目には就職活動や試験に追われ、4年目から卒論準備のために研究室に入りました。その研究室のテーマは道路の交通工学で、道路上の自動車がどう動くものか、交通事故が起きるのはどんな場所が多いかといった内容だったので、最初から公務員志向でした。しかし、公務員試験は難しく、民間企業の面接も受けましたが、何をしたいかの問いに回答したところ、やはり公務員を目指した方が良いと言われ、伊達市に入庁しました。それが私の公務員生活のスタートです。
――伊達市の土木課に配属されたのですね
武田 土木課で測量を担当しました。もっとも、在庁期間は一年半位しかなかったのですが。市内の橋の架け替え事業で「君は大卒者だから、自分で構造計算し、設計して発注しろ」との指示が与えられました。そうした業務は、今日ではコンサルタントに発注するのが通常で、自分で実際に行う機会はあまりないので貴重な経験となりました。
――道では、どこに配属されましたか
武田 最初は一般的に現場へ配属されるものですが、私はかつての管理課に配属されました。今の技術管理課と建設情報課の母体となったセクションで、主幹を筆頭に、5〜6人くらいの技術職員の班があり、そこに6年近く在籍しました。  現在は、積算業務を全てパソコンで処理していますが、その頃は大型電算機を使って現場担当者が積算をするための資料作成を管理課が担当していました。その電算機を動かすプログラムを作るノウハウを持つ人材が必要だったので、若い職員をそこで育成する考えだったのでしょう。  お陰で現場に赴任していた職員が本庁に戻ってくる頃に、ようやく現場へ行くこととなりました。昭和60年から平成4年まで札幌土木現業所深川出張所に在籍しました。そこでは2車線道路の4車線拡幅や、函館本線と立体交差する道路の整備、旭川─深川間の道路改良などを担当しました。  このとき、街路を広げると、喜ぶ地権者も困る地権者もいて、利害調整の難しさを知りました。  また、交渉の難しさという点で印象的なのは、本庁にいた時に経験した帯広の連続立体交差や、旭川駅周辺の鉄道高架事業を、国の補助事業として採択してもらう交渉でした。山間部の道路改良では、設計図通りに山を掘削しても、地すべりで山が動く有様をまざまざと見て、現場で経験しなければ分からない基礎を先輩達から教えられました。
――その後の平成10年には、旧建設省に派遣され、霞ヶ関の地を踏みましたね
武田 自分たちの仕事とあまり変わらないと感じたことや、違うと感じたことや色んなことを経験しました。  北海道にいる時は、北海道しか見えていませんでしたが、霞ヶ関からみれば北海道は日本の一部でしかないことを再認識しました。象徴的なのは、在籍中の平成10年に拓銀が破綻して消滅しましたが、北海道では新聞のトップ記事でも、東京では地方のことなので扱いが小さいものでした。  このため、北海道での自分たちの取り組みが、遠く離れた人達からどのように認識されているのか、そのギャップを理解しておかなければならないと痛感しました。
――北海道に復帰してからは、どんな業務に当たりましたか
武田 平成12年の道路計画課長補佐時代に有珠山が噴火し、有珠山の避難道路整備が課題となりました。その後も、室蘭土木現業所事業部長の時には、台風10号の復旧に当たりました。
――土木学会北海道支部長として北海道の土木一般についてどのように感じますか
武田 北海道における土木あるいは社会資本整備は明治維新後にはじまったと言えると思います。本州などと比較すると歴史は新しい訳ですが、明治13(1880)年に開通しました札幌〜小樽手宮間の鉄道は、我が国で新橋〜横浜、大阪〜神戸に次いで3番目のものです。また、明治22(1889)年に完成しました函館市の水道も、横浜に次いで全国で2番目の近代的な水道です。この様に全国に先駆けて整備されたものもあります。明治の初めには10〜20万人であった人口が、現在では560万人程にまで増加したのも、社会資本の整備があったればこそではないか思います。
――北海道のインフラ整備の状況については
武田 北海道は国土面積の約22%、東北6県に新潟県を合わせた程の面積がありますが、人口は日本の全人口の5%程ですので、都市が点在した広域分散型の構造となっています。また、鉄道の密度がそれほど高くないことから、交通、物流の多くが道路に依存しています。この様な中で高速道路の役割は大きいのですが、まだまだ整備が進んだと言えるような状況にはありません。  防災についても、近年の雨の降り方が変わってきたのではないかと感じます。例えば、平成18(2006)年のオホーツク海側や道東の降雨では、年間降水量の1/4〜1/3が一度に降ると言ったことが起こっています。これまで整備してきた堤防などの治水施設は、当然それまでの降雨の特性に基づき計画し整備してきたものですから、災害の危険性は高まったと言わざるを得ません。治水施設を最近の雨に合わせて作り直していくことができれば良いのですが、一朝一夕に完成するものではないので、現在の施設をいかに活用して災害を防ぐか、あるいは完全に災害を防ぐことはできなくても被害を極力小さくする減災を考えなければならないと思います。
――今後の抱負など
武田 今日の北海道があるのは、先人の営々たる努力の結果だと思います。その営々たる努力の一部には当然社会資本整備が含まれます。すなわち、今の私たちは先人が築いた社会資本を利用して、現在の生活を営んでいる訳です。私たちは、未来の世代が安心して生活できるよう、現在の社会資本を維持していく、必要な社会資本の整備を進めることが大事ではないかと考えています。しかしながら、現状では社会資本整備あるいは土木に対して強い逆風が吹いています。この様な時代ですからこそ、産学官の様々な分野の土木技術者の集まりである土木学会は、社会資本の重要性、土木の果たす役割を訴えていく必要があると思います。

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