建設グラフインターネットダイジェスト

〈建設グラフ2008年11月号〉

interview

食糧があれば怖いものはない

――社会動乱の源は貨幣資本至上主義

北海道土地開発公社 理  事  長
小 樽 観 光 協 会  会     長
ゆらぎ物産株式会社 代表取締役
真田 俊一氏

真田 俊一 さなだ・としかず
昭和16年 三笠市生まれ
昭和38年 北海道大学水産学部卒業
北海道庁入庁
平成 3年 檜山支庁長
平成 6年 水産部長
平成 7年 商工労働観光部長
平成 8年 上川支庁長
平成 9年 北海道副知事
平成13年 北海道副知事勇退
       北海道土地開発公社理事長
       ゆらぎ物産(株)設立・代表取締役就任
平成14年 居酒屋・回転寿司「ゆらぎ亭」(小樽市)開店
平成19年 小樽観光協会会長

 三笠フーズによる事故米流通や中国の脱脂粉乳問題など、折りから問題視されている食の安全と需給バランスに加えて、リーマンブラザーズの破綻を契機に、世界の金融経済はその余波に戦々恐々としている。国際化社会では、一国の問題が一国内だけで済む話ではなくなってきている。そうした情勢の中で、日本はどのように振る舞い、どのように生きていけば良いのか。長年、水産行政に携わり、疲弊した浜の再生に尽力し、実現してきた経験を買われて各地で講演活動を行う一方、自らも飲食業界に転身したほか、北海道土地開発公社理事長、小樽観光協会長などの公職もこなす真田俊一理事長は、「本質を見失った結果だ」として、世情の根底にある問題の核心を指摘する。食と政治と経済について、連載でインタビューした。

──世界的な食糧難が懸念されていますが、理事長は戦後の食糧難を経験していますね
真田 私は1941年2月に夕張市で生まれ、その12月に太平洋戦争が勃発したので戦前生まれということになります。3歳か4歳の幼少時に爆撃を受けて育ち、25年に終戦を迎えて食糧難の時期を過ごしました。買い出しに追われる日々で、汽車などはそうした人々で混雑し、乗客が窓から乗り降りしていたほどです。闇米は政府から禁止されていたため、それを忠実に守って餓死した山口良忠判事がいましたが、現実には誰もそんな法にはかまっていられない状況で、現存する全ての人々は闇米で生き伸びたのです。そうした時代に少年期を過ごしたので、何よりも食糧が大切であることを、身を以て痛感していました。  食糧確保のためには、私も含め全ての子供が畑に入り、大根でも人参でも生のまま囓って飢えをしのいだものです。ですから、今でも食事を残したり、中途で切り上げることができない習性です。
──そうした時、食糧生産に携わる農家は強味がありましたが、日本は工業化への道を進みましたね
真田 私も友人が農家ばかりだったので、助けられました。みんなで農家に遊びに行き、いろいろと食べさせてもらったものです。小学4年くらいまではそのように暮らし、後に三笠市の炭坑地を転々としました。その時は、日本のエネルギーは石炭が中心だったので、炭坑関係者は大変に恵まれていました。  しかし、政府はエネルギー政策として石炭を廃止しましたが、それが正しかったのかどうか、現代においては反省することが必要です。廃止とはいっても、火力発電は行われるなど、世界的に見ても石炭が見捨てられたわけではありません。豪州などは世界でも有数の産炭地で、日本が政策的に石炭から石油に変更しただけです。  また、戦後は輸出向け製造業の労働力が不足していたため、地方の少年たちが集団就職で東京、大阪の大都市に送られました。この結果、地方の労働力が流出し、都会は繁栄し、地方は過疎化していくことになりました。これを時代の流れとして是認して良いのかどうかも問題です。均衡ある発展を考えるなら、政治・行政は一極集中と過疎の問題をどう調整し、解決するかに努力しなければなりません。
──つまり、地方は都市部のために人材派遣しているようなものですね
真田 人材を生み育てて提供しているわけですから、都市部や国家は代償をもたらす必要があるのですが、地方への恩義を忘れています。同様にして、食糧難で貧困だった時代に、誰がそれを提供してきたでしょうか。今日の発展途上国のように、日本の都市部は地方から米や野菜をはじめ様々な食糧を提供してもらっていたのです。  ところが、外貨を得られるようになったことから、農業や漁業に専念するよりも輸入した方が効率的なので、輸入中心へと変わっていきました。ただし、これは外貨収入がある間は可能ですが、かつてのローマ帝国や大英帝国が滅亡したように、永遠に続くものではありません。強力な覇権と軍事力と、高度に民主的な政治システムを構築した帝国ですら滅んだのに、日本だけが不滅ということが考えられるでしょうか。  したがって、国家の基本において必要なものが何かを考えることは必要ですが、結果的には一時的な便宜主義の発想に陥った形で、国際化へ向かうことになりました。そして国際社会に対応するには資本整備が必要なので、大資本の構築に向かいます。その結果、弱小資本は敗北することになり、その原因は先読みが的確でなく、将来の見通しと対応が適切でないからで、根幹にあるのは国際競争力であるというのが現代の主張です。  それならば、政治・行政の基本とは何でしょうか。それは国民全体の生活の安定と発展を確保することです。そのために、弱者には生活保護や医療保護を与えてきたわけですが、現在は少子化となって弱者や高齢者が増える一方で、それを養う若年層が激減したことから制度を維持できなくなり、高齢者にも負担を負わせるしかなくなりました。これは国家の根幹を見失った結果です。  大切なことは、夫婦単位で稼ぐことができる規模の就業形態をつぶさないことです。タバコ屋でも玩具屋でも農家でも、小規模経営で生計が立てられる状況にすべきで、これを合理主義によって潰していったために、いわゆる駅前商店街や中央商店街といった地域の商店街がシャッター街と化していったのです。そもそも小売店とは「小さく売る」から小売店なのであって、大店法に基づく大店舗の小売店など矛盾しています。
──弱肉強食を是とするアメリカ型ジャングル資本主義に、巻き込まれた格好ですね
真田 日本は国民の食を確保するために生産力のある土地を奪い合い、勝利した者がそれを占領する植民地政策という帝国主義へと進んできました。しかし、食糧さえ豊富にあれば、誰も困ることがないので、争う必要もなくなるのです。  したがって、家族のために食糧を獲得できる男性は、それ以上に何を求める必要があるでしょうか。企業で出世したところで、いずれは定年その他でクビになるだけです。企業の株を過半数以上獲得しない限りはオーナーにはなれず、とりわけ大企業になればなるほど困難で、いかに能力があり、貢献してきても定年になればクビです。いずれは去らねばならない職場に、何のために命がけでしがみつく必要があるでしょうか。  それに比べると、農業や漁業などは、営農権や漁業権などの権利を、代々に渡って持ち続けることができるオーナーなのです。
──ジャングルで生き残るには、個人レベルでの競争力が求められますね
真田 皆が自衛をすることが必要で、どこの国家も基本は自給自足です。国民が自給自足できるとなると、国家はそれ以上に何をする必要があるでしょうか。他国からの侵略に備えたり、外交交渉にどう臨むかを考えることは必要ですが、国民が自給し自立しているのに、国家が国民経済に口や手を出す必要はありません。  かつての武家社会は、生産者である農家を守り、村落を守り、米蔵を守る必要から、武家集団を擁してできたものです。それらの武家の経済基盤としては、防衛によって報酬を得るよりも、農地そのものを領有した方が合理的なので争奪合戦となり、合戦によって得た他国の領地を報酬として配下に与え、そのためにも武士らが奮戦してきたのが戦国時代です。その報酬は貨幣ではなく、石高で表される米で、つまり基本はすべて食糧にあったのです。
──水資源と土壌に恵まれた日本は、食糧生産には理想的な国土だったのですね
真田 だから、戦後の食糧難では、どこの家庭でも中庭に畑を作っていたものです。しかし、家族を養うための栽培で農薬を無制限に使うなど考えられるでしょうか。薬品を使えば、見た目の良い物はできるかもしれませんが、それは発ガン物質を一生懸命作っているわけで、多少は虫食いはあっても家族のために安全なものを作ろうとするのが通常でしょう。  そうして家族を養う以外に余った分は、それを売却するか援助すれば良いのです。資金で援助したのでは使途を追跡できないので、食糧で援助するのが良いでしょう。
──貨幣経済の今日では、貨幣だけでなく有価証券も流通し、日々の為替レートや株価の変動に一喜一憂しており、特にリーマンブラザーズの破綻によって、世界は戦々恐々としています
真田 物資、食糧を貨幣に変えてしまったことに、問題があるのだと思います。貨幣は確かに便利ですが、反面では無尽蔵に貯蓄ができるという弊害があります。食糧であれば備蓄期限にも限界があるので、いずれは分配するしかなくなります。みんなで分かち合うので、不公平なくみんなが平等に豊かになれます。 しかし、貨幣は一人でいくらでも溜め込むことができるので、それが可能な立場の者ばかりが強大な権力を持つようになり、その結果、いつかは世直しが始まることになります。何しろ、貯蓄ができない者は以前の生活に戻るしかなく、一方で貯蓄できる者はさらに際限なくどん欲に搾取を続けるようになるのですから。  日本国民は、世界的に見れば裕福なのです。ところが、なおも裕福になりたいとどん欲になり、世界中の富を日本に集めようとするために、逆に世界にとっては日本だけが無くなってほしいと思われ、ジャパンバッシングを受ることとなりました。
──それでも日本は結局、福祉国家にはなれませんでした
真田 フィンランドなどの北欧は、個人収入の70%という高税率ですが、その代わりに医療費や教育費は国家が負担します。子どもは国家の宝物であり、納税・勤労に長く貢献した高齢者にも報いる政策です。彼らの人生観は、みんなで楽しく生きようという前向きなもので、国民の税負担を軽くするためには、代わりに国内企業のノキアとサーブが収益を上げて、少しでも多く納税できるようにと熱心に支持しています。  ところが日本は将来の憂いに備えて、ひたすら蓄えなければならないという強迫的な考えに囚われる一方で、業績が順調な企業と見ればどこかに不正を隠しているのではないかと、鵜の目鷹の目で引きずり下ろそうとする有り様です。  またフィンランドでは、自給率を上げるのではなく輸入するためにEUに加盟しています。表土の薄い国土の特色から、農産物の生産に適さない国家はEUに所属し、その代わりに観光産業で外貨を得ようとしています。  そうした国家に比べれば、我が国は食糧生産が可能なのです。世界中の水資源が日本に集まるように、造物主たる神が作ってくれたのだと感じています。ヨーロッパの干ばつで水蒸気が上昇し、それがヒマラヤ山脈を越えて雨となり、日本に降り注いでいるのですから。ただし、その水源に毒を盛られてしまえば、日本国民は壊滅です。それゆえに世界から疎んじられないよう、国際貢献も必要になるのです。    (以下次号)

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