建設グラフインターネットダイジェスト

〈建設グラフ2008年9月号〉

interview

建設会社が教育環境の整備に学習塾を運営

――広尾町に塾生100人を数える「翔南舎」開設

拓殖工業株式会社 代表取締役社長 武田 泰幸氏

武田 泰幸 たけだ・やすゆき
昭和33年8月8日生まれ
昭和57年3月 日本大学 生産工学部 土木工学科 卒業
昭和57年4月 北海道機械開発株式会社 入社
昭和62年4月 拓殖工業株式会社 入社
平成12年6月 代表取締役社長 就任
拓殖工業株式会社
本社)広尾町公園通北2丁目1番地
TEL 01558-2-5900

 広尾町に本社を持つ拓殖工業株式会社は、土木、しゅんせつ工事などを得意とする十勝の中堅企業で、公共事業の縮小は同社にも大きなダメージを与えているが、札幌市内などで不動産業に活路を見出し、経営基盤を固めてきた。その一方で、教育の場が不足している地元・広尾町の現状から、社員寮の空きスペースを活用して学習塾「翔南舎」を開設。「広尾町の中学生、高校生は毎週土曜日に1日かけて帯広市内の学習塾や予備校に通っていた。コマーシャルベースでは、広尾に学習塾や予備校の進出を望めない以上は、地元企業が応援するしかない」と、2代目の武田泰幸社長は語る。

──社歴と社長の略歴からお聞きします
武田  創業は昭和36年で、戦後に樺太から北海道に引き揚げてきた父・武田孝は、広尾町に移住して会社を設立し、近隣の石山で採石業に従事していました。その時に、広尾町で最大規模だった三浦組という建設会社が倒産し、その煽りで私たちも危機に陥りました。そのため、債務関係を整理し、三浦組の土木部門を当社が引き継ぐ形で建設業に参入することになったのです。  私は昭和33年に苫小牧で生まれて広尾町に移り、そこで育ちました。当時の広尾町は漁業が盛んで、中卒で早くも漁船で漁に出る人も数人はいて、一度のサケマス漁で、百万円から二百万円も稼いだりしていました。私の小遣いが三千円くらいのときです。  しかし、当時の漁港は今日の十勝港に比してかなり小さく、年月をかけて少しずつ拡大していきました。
──広尾といえば、農林大臣(昭和52年就任)で科技庁長官も勤めた故中川一郎氏の膝元でもあり、地元の農林漁業の活性化を強力に推進したのでは
武田  小さい町なので、中川一郎さんの縁戚や親戚が大勢いたものです。農林大臣に就任した頃から町は発展し始め、昭和40年代は人口が14,000人で最も多かったものです。200海里規制前で漁業が盛んで、漁師町も商店街も活況を呈していました。農家と違って、宵越しの金を持たないタイプの人が見られるほどに景気が良かったものです。  しかし、今日ではピーク時の6割弱で8,400人にまで減少してしまいました。200海里規制により、遠洋漁業の港町は全道的にどこも同じようなパターンで衰退していきました。
▲広尾漁業協同組合 工場見学会(H19.11.10)
──インフラ整備はどんな状況でしたか
武田  道路などは砂利道が多く、日高方面の国道336号線は通行止めも多く、海岸線は波が高くて道路にまで到達し、自動車も潮かぶりの状態でした。日高管内のえりも町までの道路整備が進むにつれて広尾が生活圏になり、同町をはじめ日高管内南部の近隣町村の人々が広尾町に来るようになったのです。それまでは峠越えもかなり厳しかったものですが、日高の住人が広尾高校にまで通ったりしていました。  40年の歴史を振り返ると、その変化は大きく、当時は本当に通行止めカ所が多かったものです。帯広方面へも国道236号線の道路が一本しかなく、日高方面の336号線と両方の道路が通行止めとなり、孤立したこともありました。その解消に努力した中川一郎氏は、地元にとっても掛け替えのない人だったでしょう。豪快な人でしたが、意外と繊細なところもある人物でした。
──社長が入社したのはいつ頃でしたか
武田  入社はおよそ20年ほど前で、30代になる直前でした。それ以前は札幌の会社に勤めていました。建設業界がダメになるという話は、当時からずいぶんと聞かれましたが、不況対策で公共事業が増えたりしたことで、むしろ成り立っていました。ただ、それによって油断が生じ、みなガードが甘くなって今日を迎えたのだろうと推測します。
──そうした影が広尾町にも見られたのですね
武田  港湾は特に変化が大きかったものですが、中心街もかつてのシャッター通りのシャッターは無くなり、空き地となるなど、人口が激減したことで本質的に変わりました。  私が社長に就任したのは8年前ですが、その時点ではまだ今日のように疲弊しきってはいませんでしたから、業況が下降するとの予感はあったものの、これほどの状況になることを予想した人はいなかったでしょう。
▲Hiroo絵本フェスティバル (H19.12.1)
──地域貢献活動として、学習塾を運営していますね
武田  「翔南舎」という学習塾で、平成18年から開設しています。地元には学習塾がなく、個人経営の私塾を若干見かける程度です。わざわざ80qも離れた帯広市内の学習塾や予備校に通う子どもがいて、とにかく学校の補完機関が不足しているのです。広尾町の中学生、高校生は土曜日の早朝に行って、晩になってから広尾まで帰宅しているという状況を耳にしました。予備校がフォローできるのは、2時間で往復できる圏内ですから、広尾は圏外となっているのです。  一方、私たちの建設業は業務が減り、社員寮のスペースが余るようになってきたことから従業員の子供の教室に活用との要望がありました。その後、小中学生ならどなたでも参加いただけるようにしました。会社として全面支援するので、父母の経済的な負担を軽減し月額授業料は1万円(5教科週4時間授業、自習室毎日利用可)と格安にしました。結果的には赤字運営です。  私たちとしてはボランティアの積もりですから、塾生である子供達にもボランティアをしてもらうよう計画しました。これによって地域を学び、ふるさと“広尾”をよく知ってもらい、奉仕し、それを私たちもボランティアで支え、地域に貢献するという考えです。そのために、行政には様々な現場見学会を許可してもらい、農協や漁協なども訪問して勉強の場を提供してもらうなど、地場産業の成り立ちを学ばせています。中でも広尾漁協組合長は「自分の親の仕事を知らない子どもが非常に多い」と指摘し、「自分の親がどんな仕事をしているのかを、子どもに見せることは大切だ」と主張していました。そこで、第一回目は組合長にご協力をお願いしたわけです。  この他、「絵本フェスティバル」を開催したり、帯広開発建設部や十勝支庁、帯広土木現業所の協力で当社が施工している工事現場を案内し、工事内容とそれによる効果を説明したり、漁協では清掃活動を行うなどしています。今年2月には海外体験講演会を開催しました。子どもたちにグローバルな視点や考え方が少しでも伝わることを願い、現在タイに在住し東南アジアの様々な国に精通している寺田陽さんを招き、タイの生活、国境の様子、商店などを写真で紹介してもらいました。  平常の授業は週二回で、生徒は小学1年生から高校2年生まで100人近くですから、2教室の他にも自習室を1室提供しています。熱心な子は毎日、自習室に通ってきており、授業料をアルバイトで、自力で確保している子もいます。講師は3人で、希望者を当社の子会社で完全雇用して授業を担当させています。
──それだけ地域で人気がありますが、一企業としては限界がありますね
武田  運営は厳しいですが、地域には落ちこぼれた子どももおりますし、所得格差もあるので、特定の子どもだけを救ったのでは、さらに問題も発生しますから、むしろボランティアとして行うのが良いのです。お陰で成績の振るわなかった子どもも、順位が少しずつ向上しているようです。また、英語検定の合格を目指して英語教育も行っており、年に4回は受験するようにしています。  赤字ですから、会社としての負担も生じますが、それを通じて企業イメージの向上にもつながります。建設業は厳しい状況ですが、札幌市内では不動産収入もあるので、なんとか維持しています。そもそも、当社はこうした状況になることを想定して、10年がかりで本業外の収入対策を進めてきた結果でもあります。
▲国道沿道花壇整備(H19.7.27) ▲モイケシ法面防災現場見学会(H19.7.27) ▲十勝港・避難階段付近の除雪(H20.2.9)
──翔南舎が始まってから、学習とボランティア活動に対する保護者の認識も定着したのでは
武田  地元新聞がよく記事紹介してくれるようになりました。それによって、子供達の意識が変化してきたことが感じられます。周囲の見る眼が変われば、やはり子供達も自覚するようになり、報道などを通じて知った親からも、改めて評価されるようになります。
──今後とも規模は拡大していくのですか
武田  いえ、そろそろ受け入れ体制は限界ですから、これ以上の定員は増やしません。社員寮のスペースも限りがあります。
──子供達が成長していくと、教育内容も変わってきますね
武田  高校に進学したものの、中学課程で分からなかったことを教えて欲しいという要望もあり、一方では大学受験を控えて対策を望むケースもあり、そのため塾も講師もともに、子供達と一緒に成長している感じですね。
▲海岸清掃活動 フンベの滝付近(H19.9.1)
──塾を始めるに当たって、社員はどんな反応でしたか
武田  最初は戸惑いもあったようです。この厳しい状況で、なぜ学習塾?との疑問もあったようですが、一生懸命頑張る塾生たちと、また、これだけの規模になると、さすがに理解してくれています。やはり、地方の教育環境の格差は大きく、地元がボランティアでも良いから自分たちで何とかするしかありません。広尾町の子どもたちが豊かに成長できるように一企業として応援していきます。
会社概要
社  名:拓殖工業株式会社
設  立: 昭和36年10月14日
資 本 金:2,500万円
許可番号:北海道知事許可(特-19)十 第635号
許可業種:土木、とび・土工、しゅんせつ、造園、水道施設
役職員数: 38名
札幌支店:札幌市中央区南1条西25丁目2-12
        TEL:011-621-3230
帯広営業所:帯広市公園東町3丁目8番地の4
        TEL:0155-25-1693

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