建設グラフインターネットダイジェスト

〈建設グラフ2008年8月号〉

interview

美瑛の美しい丘陵地帯の農業基盤整備は誇りに思う

――「冬の時代」に覚悟を決めて社長に就任

浜塚建設工業株式会社 代表取締役社長 濱塚 努氏

濱塚 努 はまつか・つとむ
昭和40年9月29日生まれ
昭和63年3月 足利工業大学工学部土木工学科 卒業
昭和63年4月 日清建設株式会社 入社
平成 4年6月 浜塚建設工業株式会社 入社
平成 8年6月 同社 取締役次長に就任
平成11年5月 同社 取締役部長に就任
平成15年3月 同社 常務取締役に就任
平成19年7月 同社 代表取締役専務に就任
平成20年1月 同社 代表取締役社長に就任
浜塚建設工業株式会社
上川郡美瑛町栄町4丁目
TEL 0166-92-1378

 上川管内美瑛町を拠点に建設業を展開している浜塚建設工業は、平成20年1月、4代目の濱塚努社長にバトンタッチされ、新たなスタートを切った。頼みの公共事業は年々圧縮され、今や全国の発注量はピーク時の半分という「冬の時代」。新社長は「過去は過去。厳しい時代であっても常にプラス思考で考えられるよう気持ちを切り替えたい」と明るい表情で語ってくれた。

――浜塚建設工業の創業時からの足跡からお聞かせください
濱塚
 創立は昭和14年5月1日で、現会長・光政の父が旭川市で土木建築請負業を開業したのが始まりです。
――社長の祖父にあたる方ですね
 そうです。21年8月1日には美瑛町へ移転し、建設業の浜塚組を設立しました。そして43年3月18日に、個人経営から法人組織に衣替えし、商号も現在の浜塚建設工業に変更しました。その当時の社長が、2代目の現会長です。その頃は資本金が500万円でしたが、年々増資し現在は2,000万円です。平成19年度の売上は3億8,900万円で前年度に比べかなり落ち込みました。ピーク時は約8億でしたから、半分以下です。従業員数は16名のうち現場担当の技術員7人、重機のオペレーター3人、事務員2名という構成になっています。
――業種としては土木が主体ですか
濱塚
 ほとんど100%土木といっていいでしょう。そのうち農業基盤整備は年1、2件というところでしょうか。
――社長は何年のお生まれですか
濱塚
 昭和40年の美瑛町生まれです。高校卒業後の大学と社会人になって5年間は埼玉県にいました。大学は工学部でしたので、63年に埼玉県の建設会社・日清建設に就職しました。確か2年目でしたが、前田建設とのJVで埼玉県朝霞市の下水道工事の現場に1年間技術員として従事しました。現場には地下25bぐらいの立て坑が3箇所あり、そこで直径5bの下水管敷設坑を掘りながら進むシールド工事で、測量を担当しました。先端の切り羽がどの方向に向いているかを調べる測量の担当です。シールドマシーンのジャッキのシフト量を測り、下向きか、横向きか等の状態から掘削の方向を予測します。測量は朝の4時と午後6時の1日2回。立て坑への到達式があった時、ズレが12aの範囲にとどまり、ホットしたのを鮮明に覚えています。前田建設の責任者の方から「よくやった」とお褒めの言葉をいただきました。それ以来、測量にはこだわりがあります。丁張ひとつにしても、測量次第でロスタイムを大幅に減らすことができます。
▲畑総(担い手育成)事業水沢地区 31工区 表土めくり ▲畑総(担い手育成)事業水沢地区 31工区 土砂掘削状況 ▲畑総(支援:一般)北台地1地区 31工区 採礫状況
――実父の会長を間近に見ていて印象に残っていることはありませんか
濱塚
 わたしが高校生の時でしたが、大工さんら多くの作業員を抱えており、今でこそ月給制ですが、当時は請負で仕事をさせていました。気の荒い人もいて、夕刻になると酒に酔ってとりとめのないことをくどくどと言う人がいても、父は必ず自宅に招き入れて本人に納得させていたのが一番心に残っています。  過去に一度、事故で従業員を亡くした時に、父は遺族の前で床に頭をこすり付けるように泣きながら土下座をして謝ったという話を聞き、企業のトップの責任の重さを強烈に感じました。  その後、父が病で倒れたこともあって、跡を継ぐつもりで美瑛に戻りました。美瑛に戻ってから16年になりますが、この間、父から厳しく指導を受けました。私も年を重ねるうちに覚悟を決め、平成20年1月、社長に就任しました。確かに売上は落ちていますが、これが現実と受け止め、過去は振り返らないことにしています。
――平成4年に戻ったそうですが、当時、北海道内は公共工事の発注がまだあったほうですね
濱塚
 同じ業界でも畑違いなので、農業基盤の暗渠工事は初めての経験でした。作付けを遅らせるわけにはいかないし、点検も考慮して工程管理、施工管理をしなければなりません。単純な工法であっても、手抜きはできません。補償問題に発展する恐れがありますので、神経を使いますが、美瑛町「四季彩の丘」がある新星地区でも私たちは実績があります。
▲畑総(支援:一般)北台地1地区 31工区 暗渠排水掘削状況 ▲畑総(担い手育成)事業水沢地区 31工区 軟岩リッピング状況
――農業土木は独特の世界と聞きます
濱塚
 同じ業界の中でも、施工のできる会社とできない会社があります。わが社は昔から地元で受注実績があるので、良い経験をさせてもらっていると思います。特に美瑛町は農業が主要産業ですから、農業振興の一旦をサポートできる仕事をさせてもらっていることを誇りに思っています。  残念なのは採算が合わないとか、後継者不足で離農が後を絶たないことです。町長から以前、離農後の跡地を建設業界で買い取ってほしいとの要請がありましたが、農地を生き返らせるのに2、3年かかるそうですから、素人が手を出すにはリスクが大きい。
――美瑛の丘といえば、自然美そのものですね
濱塚
 土木は自然相手ですが、そのなかでも農業土木は最も自然に近い仕事だと思います。  美瑛町には「日本で最も美しい村連合」の本部が置かれています。丘陵風景と花の風景は、特に有名です。連作防止のため畑に異なる作物を区画ごとに植え、四季折々の色彩を見せてくれます。  見た目には美しい農村風景ですが、雨が降ると表土が流されることがありますから、平地に比べると農家にとってはやっかいです。設計図どおりに施工しているつもりでも、勾配について農家からやり直しの注文を受けることがあります。あまりにも勾配がきついと、暗渠を掘っても下で目詰まりを起こす危険があります。着工前には勾配や施工方法について、必ず受益農家に説明し、納得してもらってから工事に入ることにしています。勾配がありすぎると暗渠のパイプの中を走る水に勢いがつき、吸水管から集水管にぶつかる時にパイプが外れて水が噴きあがることがあります。下部を浅くすると、上の方を掘削しなければなりません。  農家にとって(基盤整備事業は)生活がかかっているわけですから、われわれとしても軽い気持ちではやれません。暗渠工事は本当に難しい。
▲四季彩の丘 ▲北西の丘
――農業土木のほかに得意としている分野は
濱塚
 私自身は埼玉にいたときから最も現場経験があるのが橋梁の仕事です。作品として残るので思い出に残ります。美瑛町にも私が携わった橋が幾つかあります。
――トップとして、どのように会社を運営していきますか
濱塚
 何とか一本でも多く受注できるように日々努力しているところです。トータルで利益が出れば良いということではない。現場ごとに実行予算を組んで、最低でも計画どおりの結果を出すことが大事です。  私の経営理念は、目標を達成するためには計画し、確実に実行することで、全社員に徹底させています。  具体的な行動目標を設定し、目標達成に努力すること。  組織で活動することをよく認識し、基本ルールを順守すること。  和親協調が組織の潤滑油であることをよく理解し、個々の基本である挨拶、感謝の言葉を励行すること。  常に健康の維持に注意し、会社のために十分働けるよう努力すること。  固定観念にとらわれず、独創性を発揮するため大いに考え、大いに発言し、より考えを反映させること。  以上のことを経営の基本方針に掲げています。
――会社としてボランティア活動などにも参加していますか
濱塚
 河川の清掃ボランティアや流雪溝の投雪ボランティアに参加させてもらっています。  建設協会を通じて、開発建設部、土現と災害時の協定を結んでいます。異常気象時に直ちに出動できるよう重機を確保しています。過去にも何度か災害復旧の対応に当たりました。これらも地元建設業の重要な役割だと思います。
会社概要
創  立:昭和14年5月1日
     旭川市において土木建築請負業を開業
設  立:昭和43年3月18日
     法人に変更、商号を浜塚組』より
     『浜塚建設工業株式会社』に変更
資 本 金:2,000万
売上げ高:3億8千9百万円(平成19年度)
事業内容:土木建設業
従業員数:16名(現場技術員7名、
     重機オペレーター3名、事務員2名)
建設業許可:北海道知事許可(特-19)上第808号
許可業種:土木工事業、管工事業、水道施設工事業
I S O:ISO9001:2000(JIS Q 9001:2000)

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