建設グラフインターネットダイジェスト

〈建設グラフ2008年7月号〉

interview

地域の活性化に一生を捧げる覚悟で社長就任

――XJAPANのYOSHIKIさんの作品(Forever Love)をトリックアート美術館で無料公開

株式会社アラタ工業 代表取締役 荒田 政一氏

荒田 政一 あらた・まさかず
昭和46年3月30日生まれ
平成 元 年 北海道旭川東高等学校 卒業
平成 7年 武蔵工業大学建築工業科 卒業
平成 7年 大興物産(株)海外調達本部 勤務
平成12年 (株)アラタ工業 入社
平成16年 (株)アラタ工業 専務取締役 就任
平成18年7月21日 (株)カミホロ荘 代表取締役 就任
平成18年7月21日 (株)アラタビル 代表取締役 就任
平成18年7月21日 (株)アラタ工業 代表取締役 就任
公職・役職等
 上富良野建設業協会 理事
 上富良野十勝岳観光協会 理事 他
株式会社アラタ工業
空知郡上富良野町北町2丁目
TEL 0167-45-3334

 総合建設業のアラタ工業は富良野地域の中堅として着実に足場を固めるとともに、「雇用の場をつくり、地域に貢献できる企業に」との経営理念から、上富良野の第三セクターが運営していた温泉宿泊施設「カミホロ荘」の経営を引き受けるほか、作品に触れられるユニークなトリックアート美術館を建設。公共事業への逆風が吹き荒れるなか、道内の建設業界でいち早く新分野へ進出し、成功した数少ない企業だろう。  企業グループとして社員のリストラは行わない、1円たりとも給与の切り下げはしない――ことを目標の一つにしており、こうした社風は「無災害記録130万時間」となって実を結んだ。  「私の人生は父のおまけのようなもの。覚悟を決めて地元に戻って来たので、安心して子育てができる、安心して年を重ねていけるマチにしたい」と語る荒田政一社長。人として値のある生き方を懇々と諭され、背中を押されるように8年前、故郷の上川管内上富良野町で再スタートを切った。今日のアラタ工業を事実上一代で築いた父親が平成18年7月に急逝、その後を継いで2代目社長として全力投球の毎日だ。
――会社の成り立ちから伺いますが、創業が大正7年ですから、地元でも古いほうでは
荒田
 そうですね。創業当時は高山建設でした。中富良野町で創立し、その後、上富良野町に移転しています。昭和40年代の後半に創業者の高山氏が経営から身を引くことになり、その後継として、当時、富良野市の山部重機の専務だった父に白羽の矢が立ったようです。
――社長はいつ入社されましたか
荒田
 2000年に入社しました。それまでは東京で建材関係の商社に勤めていましたが、ちょうどバブル経済がはじけ、拓殖銀行が破たんするなど北海道経済が極めて厳しい状況でしたので、東京から見ていて、北海道に戻ることには本当に迷いがありました。父には「北海道と東京でそれぞれ別々に仕事をしていた方が良いのでは。北海道で(父と)同じ船に乗って、行き詰ったら取り返しがつかない」とまで言いましたが、最後は父に「いくら東京で稼いでいても尊敬はできない。富良野の水と土に育てられて大きくなったことを忘れるな。人口の少ないところでいかに仕事をつくるか、どうしたら客を呼ぶことができるか。人を呼んだら雇用が生まれる。そうすれば地域を維持できる。人間として値のある生き方はそういう生き方だ」と言われことが、決断の引き金になりました。28歳の時で、いまは父の遺言と思って、地域の活性化に一生を捧げる覚悟を決めています。
――社長にはいつ就任されましたか
荒田
 一昨年7月に父が亡くなったのを受けて就任しました。
――バブル崩壊後の富良野経済の状況は
荒田
 富良野地域だけを考えれば、最悪ではないと思っていました。非常に魅力のある地域であることを改めて再発見したところです。富良野の魅力をもっとアピールし、おもてなしの心を上手に表現できれば、まだまだ伸びる余地はあります。  テレビドラマ「北の国から」やラベンダーで富良野の知名度は全国区になりましたが、なかでも富良野地域の丘の風景は世界的にも有数です。「パッチワーク」と呼ばれているのは、連作障害を避けるため農作物の耕作地を変えているからですが、寒暖の差が大きい富良野の気候は野菜や果物づくりに最適です。  減農薬を売り物にしている府県産の野菜に比べて、富良野ではさらに1/3の農薬しか使っていません。冷涼な気候で病害虫の発生が少ないためです。こちらの農家はそれが当たり前と思っているようですが、私に言わせればアピールが足りません。食品の安全・安心に関心が高まっていますから、これも大きな付加価値です。いずれもこちらに戻って来て再認識しました。
▲十勝岳温泉カミホロ荘 ▲源泉かけ流しの温泉 十勝岳温泉カミホロ荘
――平成6年でしたか、カミホロ荘の運営にも乗り出したほか、トリックアート美術館がオープンしました。そうした新分野に進出したいきさつは
荒田
 平成6年4月、当時、上富良野町の第三セクターで運営されていた十勝岳温泉国民宿舎カミホロ荘の、民間活力の導入による再建を町から要請されたのが始まりでした。当時、町としては民間に任せるか廃業かの二者択一を迫られていました。赤字続きの施設でしたので父は悩んでいましたが、「火を消すわけにはいかない」ということで、アラタ工業の関連会社として再出発しました。  平成12年11月に改築し、昨年からは札幌からの送迎も始め、お陰様で宿泊客は前年対比で5%伸びました。原油高騰の影響で黒字に転換できませんでしたが、何とか収支トントンを目標に頑張っているところです。  十勝岳の麓ということで温泉は素晴らしく、夏、冬ともお客さんにおいでいただいていますが、泣きどころは4、5、10、11月で、平地では夏タイヤでも、現地は積雪の可能性があり、客足が止まることです。  しかし、北海道の良いところなのでしょうが、食材などの仕入れ原価は高くても、安く提供しています。最近も見られたことですが、地元のイベントで豚サガリを`1,050円で仕入れて1,100円で販売していました。1トン売っても5万円の粗利にしかならず、一体、何を考えているのか。「みんなが喜んでくれれば」という考えは大好きな一面ですが、もっと工夫が必要です。安すぎると真価を認めてもらえない面もありますから。したがって、北海道米なども食味は格段に良くなっていますが、それに匹敵する価格が付いても良い。  北海道の良い点を残しながら、ビジネスとして成り立つ仕組みを作っていきたいと思っています。
▲深山峠アートパーク
クリックすると拡大したものが開きます。
――さらに美術館、地ビール館と矢継ぎ早に新規事業に乗り出していますね
荒田
 美術館の構想が持ち上がったのは、バブル経済真っ盛りの時期で、金融機関から「札幌に進出したら」「東京に進出したら」等さまざまな融資話が持ち込まれていました。父はそんな話には耳を貸しませんでした。逆にこれからは「カネ」、「モノ」優先の時代から「心の時代」になると考えていたようで、もともと絵画鑑賞が好きでしたので、直接作品に触れられ、写真撮影もできる美術館を構想しました。  父の発案で、今日でも小学4年生以下は無料にしており、昨年の有料入場者は66,000人を記録しましたが、無料を含めると10万人は来館していると思います。  もう一つは「人のいない所に人を呼ぶ、人を呼ぶと雇用が生まれる、雇用が生まれたら地域を維持できる」という発想で、どうやって人を呼ぶことが出来るかを考えていたらしく、金融機関の融資話があった際、土地、株には手は出さないが、美術館に使わせてほしいと建設に踏み切ったわけです。観光施設は客足が年々落ちていくのが一般的ですが、トリックアート美術館はオープン以来、入場者は横ばいで継続して入館していただいています。「モノ」より「心」に関しては一時のブームではなく、大きなトレンドがあるものと思います。
――地ビール館の状況は
荒田
 実は昨年廃業しました。どうリサーチしても儲かる仕組みにはならないことは、最初から分かっていましたが、父は上富良野の冠が付く特産品づくりにこだわっていて、「上富良野ビール」が実現しただけに、昨年の醸造中止は辛い決断でした。  年間1,500万円の売上に対して、油代に1,000万円がかかっていました。売上を10倍にしないとビジネスとして成り立たないのが現状でしたので、それだけの労力を使うなら、別の部門で努力したほうがリターンは大きいと考えました。しかし、廃業はしましたが、醸造担当の職員2名は別の部門に配置転換し、リストラはしていません。  地ビールのプラント跡には、アートを体験するコーナーや、「アートの地産地消」に向けて、地元で活動している10人の作家のギャラリーとしてそれぞれの作品の展示販売を行っています。大変ご好評いただいています。
▲社屋
――公共事業の発注量が大幅に縮減され、道も建設業のソフトランディングに力を入れていますが、御社の新分野進出は成功したといえるのでは
荒田
 成功している例だと思っています。1名もリストラしていませんし、給料は1円も減額していません。受注自体は減っているので、私の役員報酬は専務当時のままで、乗っている車は国産のスモールカーです。社員には責任はありません。よく頑張ってくれていると思います。  北海道において土木建設業は特別な存在だと思います。例えば、兼業農家で建設会社から解雇されて離農するケースがままあります。農業収入は翌年の種、肥料等の調達に大半を費やすため、建設業で働いた現金収入で生活し、農地は祖父母ら家族が耕して維持できれば良いとするのが一つの生活スタイルになっていますから、ここで建設業がなくなれば農家も維持できません。  富良野、美瑛の丘が全国区の観光スポットになり、人気があるのは、自然の原野ではなく整備された田園風景なのです。したがって、建設業がダメになれば、農業や観光にも影響を与えかねません。地域の地場に根差しているローカルな業者としては、何としても頑張らなければと思っています。
――公共工事の入札で落札率がマスコミの話題にのぼることがありますが、官庁の設計価格は適正でしょうか
荒田
 北海道は安いと思います。例えば、工事現場の旗振りの人工賃は、設計の100%で日額7,000円強。それが落札率80%なら5,000円台です。これでは食べていけませんから、当社では設計価格の5割増程度の賃金を払っておりますし、一番安い所の価格帯を採用しているなら、たいていの地域では逆ザヤになっているはずです。絶対額が違うので、落札率だけでは比較できません。
――自然環境に恵まれている富良野地域ですが、交流人口を増やしていくためにも交通アクセスの整備は欠かせませんね
荒田
 札幌に出張に行くのに、以前は3時間かかっていましたが、桂沢湖の道道452号線の整備により、三笠経由で2時間に短縮されました。これが富良野地域への観光客の入り込みに大いにプラスになっており、道路の重要性を実感しました。  どこにもつながっていない道路は誰も利用しません。コストパフォーマンスを考えたら、地価の高い首都圏に比べて北海道は安く道路を整備できます。道路整備が進めば農作物等の物流ネットワークが確立し、いずれ北海道の時代が来る可能性があります。  その北海道で一番美しいのは冬です。しかし、冬は交通止めになることを懸念して、客足が大幅に減ります。安心して行き来できるように道路整備による冬の克服が最大の課題です。
▲トリックアート美術館 外観 ▲トリックアート美術館
――多彩な事業に取り組んでいますが、それらを通じて最近印象に残ったことは
荒田
 今年の5月18日放送のテレビ番組「行列のできる法律相談事務所」の「100枚の絵でつなぐカンボジア学校建設プロジェクト」で、X-JAPANのYOSHIKIさんが直筆した「Forever Love」の楽譜を360万円で落札できました。上富良野の知名度を何とか高めようと、勝負を賭けたもので、美術館のエントランスに展示しており、無料で見られます。  これを目当ての人なら入場料を払ってでも見てくれると思いますが、X-JAPANだけが目当てとなると、美術館にしか入ってくれないでしょう。私が真に狙っているのは、「北の国から」や「旭山動物園」に来たついでに、多くの人が立ち寄ってくれることです。有料ではなく無料なら寄ってくれると思います。そして上富良野でおにぎりの一つでも、ガソリンの給油でも何らかの消費があるでしょう。父が健在だったらそうしたと思います。
――今や世界的に有名なアーティストですから地元でも話題になったでしょう
荒田
 本当にうれしいと思ったのは、インターネットの掲示板に「北海道復活のノロシが上がった」というメッセージがあって、感激しました。勝負を賭けて良かったと思っています。  番組で司会の島田紳助さんがこう言ったんです。「こんなことをしても何も変わらない。学校は世界中に何十万と必要で、一つぐらい建てたって何も変わらない。それでもないよりあったほうがいい」と。これはトリックアート美術館を建てるときに父が言った言葉と一緒なんです。紳助さんの言葉と父の言葉が重なって、絶対に取ってやろうと思いました。一生で最大の買物でした。何せ40万円のスモールカーに乗っている社長ですから、400万円の新車を買った気持ちでいます(笑)。  お陰で、放送日翌日には、上富良野トリックアート美術館がヤフーの急上昇検索ランキングで18位にランクされました。かみふらの十勝岳観光協会へのアクセスも過去最大の件数を記録し、広告代理店の方からも億単位の宣伝効果と言われました。本当に値がありました。
――今年の夏は楽しみですね
荒田
 期待しています。
会社概要
設 立:法人化 昭和29年6月
資本金:2,000万円
関連会社:
タッケン測量株式会社
 富良野市若葉町1番1号
 TEL 0167-23-3414
株式会社 カミホロ荘
 空知郡上富良野町十勝岳温泉
 TEL 0167-45-2970
深山峠アートパーク
(株)アラタビル
 空知郡上富良野町深山峠
 TEL 0167-45-6667

株式会社アラタ工業ホームページはこちら
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