建設グラフインターネットダイジェスト

〈建設グラフ2008年7月号〉

interview

農業土木が会社の経営基盤

――農業の発展を支援する建設会社を目指して

株式会社 増山建設 代表取締役 増山 省吾氏

増山 省吾 ますやま・せいご
昭和52年3月 日本大学工学部土木科卒業
昭和52年4月 新谷建設株式会社入社
昭和54年4月 株式会社増山建設入社
平成 3年3月 株式会社増山建設代表取締役 就任
公職
平成19年4月 富良野建設業協会副会長 就任
                  現在に至る
株式会社増山建設
富良野市字扇山1547番地
TEL 0167-22-3171

 富良野地区で農業土木技術に定評のある株式会社増山建設の、2代目社長である増山省吾氏にご登場いただいた。社長に就任したのは平成9年。公共事業が「冬の時代」に入り、同社も年商がピーク時の7割程度にまで落ち込んでいるという。それでも最盛期の陣容を維持し、従業員の雇用を守っていると聞いて頭の下がる思いだ。技術力と品質にますます磨きをかけ、今後とも難局を乗り切ろうとしている。

――御社の設立当初の経緯をお聞きしたい
増山
 昭和40年の設立で、先代で現会長の増山政雄は旭川の北野組で職長を勤めた後、北野組から独立し、有限会社としてスタートしました。  独立当初は北野組さんの下請として、南は函館から北は網走まで道内の建設現場を回っていました。冬期間は富良野に帰っていましたが、繁忙期は地元にはほとんどいませんでした。それこそ米担ぎや稲刈りの仕事をしながら昭和45、6年ごろから富良野市の公共工事を受注するようになり、開発局や上川支庁から指名されるようになったのは50年前後のことです。
▲社屋
――昭和41年に富良野町が山部町と合併し、富良野市が誕生していますから、社会基盤整備事業が本格化する時期に独立されたわけですね
増山
 そうです。同業者が次々と生まれたため、中には行き詰った会社も少なくなかったようです。先代は、土木の雄である北野組さんで培った技術力には自信を持っていたようで、橋梁工事でも行政に施工能力をアピールしたと聞いています。
――ご自身の経歴は
増山
 昭和29年生まれで、52年に大学を卒業し、旭川の新谷建設さんで2年ほどお世話になりました。そこで中富良野の農業土木の現場を担当しました。圃場整備も最盛期の時代で、春から区画整理で水田づくり、小さな水田を大きくする工事を、冬は用水のパイプライン工事が中心でした。当時は休耕して施工していましたが、今は夏を避けて秋から区画整理を行うようになりました。泥炭地が多く、農家には受益者負担があるので神経を遣いました。
――建設業への社会評価とイメージは当時から厳しいものがありましたが、家業を継ぐのに抵抗はありませんでしたか
増山
 親父の背中を見てきたので、将来は技術者になろうと思っていました。高校生の時に小遣い稼ぎで親父の仕事を手伝ったこともあり、大学時代は神奈川県の測量会社でアルバイトを経験しました。
▲暗渠排水工事(島津地区) ▲泥炭地帯での区画整理工事(上富良野町 島津地区)
――それでは管内の地形等の条件は把握されていますね
増山
 泥炭地などの土地条件はだいたい分かります。農家でもそれだけ神経を遣いますから、農業土木は非常に難しいものです。  泥炭地なので、土地のレベルが下がります。農道の整備では火山灰は入れますが、路床に荷重がかかり、次第に水田が引っ張られ、一部が沈下すると、さらに客土を実施します。  用水施設や道路施設の整備に伴って耕作面積が減るので、条件が悪くなると思われたりもするわけです。
――農業土木が会社経営の基盤になったのですね
増山
 土地改良区からも仕事を受注しました。元請受注と下請受注を合わせると、農業土木はそれなりのウエイトを占めます。農家側も地元業者を希望します。昔は半分以上農家の人を土木作業員として使っていましたから、お互いに気持ちが通じ合います。農業土木は、受益者負担の伴う農家の顔を見ながら従事するように心がけています。
――近年の農家経営の状況は
増山
 兼業の農家は少なくなりましたが、離農して当社に入った方が数人います。その中には30代が2人います。5年前に採用しました。農業土木は土をいじるので、当社の仕事は手っ取り早いという面もあるのでしょう。  しかし、この数年、農業土木事業が減り、土木作業員として働いていた農家の人の雇用の場も減りました。現金収入が無くなった農家は、廃業を余儀なくされています。
――十勝岳の噴火もあって、土地の条件は地域によって異なるのでは
増山
 麓郷、富丘など十勝岳の麓は、噴火の際の火山灰で形成されており、何十dもある火山岩も農地に転がっていました。そのために、除レキ工事はまだ続いています。  石があればニンジン等の根物は変形するし、地熱が上昇し、農作物には障害になります。  富良野盆地は昔から十勝岳の影響を受けています。かつては上富良野も泥流が流れたことがあり、泥流が下に層になっていて、暗渠工事で掘り起こすと酸性の強い土が出てくるので、中和して埋め戻さなければなりません。
▲十勝岳を望む田園地帯
――北海道は面積が広大であるだけに、ひと口に農業基盤整備といっても工事の手法はさまざまですね
増山
 観光振興の一環として富良野市の中心部に観光施設をつくる構想が持ち上がっており、協会病院の跡地に、富良野に特化した農産物を販売したり、賞味したりできるゾーンができれば良いと期待しているところです。  富良野の知名度も上がっているので、富良野産のラベルを貼っているだけでもアピール効果があると思います。
――これまでの仕事の中で特に印象に残っている施工は
増山
 十勝岳の泥流の話をしましたが、パイプラインは今はFRP管などの新素材を使っていますが、昔はコンクリート管でした。そのパイプラインの金物の継ぎ手が泥流の影響で腐食し、パンク状態になっていたので、真冬に総延長にして何十`ものパイプラインの取替え工事を雪の中突貫で行ったのが、辛かったこともあって今も忘れません。継ぎ手が膨大な量なので生産が追いつかず、現場で継ぎ手が到着するのを待っていたり、猛吹雪の中、氷点下で重機のエンジンがかからないことは日常茶飯事でした。
――公共事業が大幅に縮小されてきた時期に社長に就任しましたね
増山
 平成9年の就任で、ちょうど下り坂に向かう時期にバトンを受けました。それでも就任後の数年間は元請、下請の別はともかくとして、それなりに仕事は回っていました。しかし、この2、3年は仕事の量そのものが減っており、単価もギリギリまで落とさないと受注するのが難しいところまできています。売上もピーク時の7割程度まで落ち込んでいますが、従業員はピーク時のままです。企業としては品質と安全をモットーにしていますから。  先代は、そのためいずれこういう時代の到来を予想し、平成に入ってから内部留保に努めてきました。
▲ボランティア参加状況(独居老人宅)
――幹線道路の除雪業務もありますね
増山
 占冠地区の国道の維持、除雪を平成元年から行っています。また、独居老人宅の除雪を手伝ったりもしています。開発局関係ではボランティアサポートプログラムがあって、富良野地区の協議会が主体になっている活動には積極的に参加するようにしています。
会社概要
創   業:昭和40年4月
設   立:昭和52年4月
資 本 金:3,000万円
売 上 高:7億円(平成19年度)
事 業 内 容:土木建設業
従 業 員 数:21名
建設業許可:北海道知事許可(特-19)上第781号
許 可 業 種:土木、とび・土工、管、舗装、水道施設
格 付 け:北海道開発局 一般土木B 管B 舗装B
       北海道農政部 農業土木A
       北海道建設部 一般土木A 建築A 管A 舗装B
        北海道水産林務部 森林土木B
       富良野市 A1
I S O:IS09001:2000GISQ9001:2000)
その他:H16北海道開発局局長表彰
    H19優良申告法人

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