建設グラフインターネットダイジェスト

〈建設グラフ2008年7月号〉

interview

本州企業との技術交流で雇用維持

――公共投資激減で破壊された農家と建設業の共働

株式会社坂本建設 代表取締役 松下 正幸氏

松下 正幸 まつした・まさゆき
昭和35年6月5日生まれ
昭和56年 専修大学北海道短期大学土木科 卒業
昭和60年3月 熊谷道路北海道支店 退職
昭和60年4月 株式会社坂本建設 入社
平成 7年 株式会社坂本建設取締役営業部長 就任
平成10年 株式会社坂本建設常務取締役 就任
平成12年 株式会社坂本建設取締役副社長 就任
平成14年 株式会社坂本建設代表取締役 就任
株式会社坂本建設
瀬棚郡今金町字今金594番地
TEL 0137-82-0278

 農業の町・檜山管内今金町を地盤とする坂本建設は、農業基盤整備の受注を通して、農閑期の農家雇用に努めてきた。近年は公共投資の激減によって、それもままならなくなってきたが、地域雇用を維持し続けるべく群馬県下の建設業者と技術交流し、繁忙期の技術者と作業員の職務などを通じて、必死の経営維持を続けている。公共投資の削減は建設業界だけでなく、農家経営にも深刻な影響をもたらす地域事情を、同社の事例は如実に物語っている。それでも「経営責任は私にある」と謙虚な姿勢を崩さない松下正幸社長に、近年の動向などを伺った。
▲社屋
――会社の創業と、社長のプロフィールなどを伺いたい
松下
 創業は昭和31年4月で、現会長の松下謙司と、兄の坂本正司が二人で始めた会社です。初めは今金町美利河の炭坑と鉱山関係の土木工事が主体で、その後に土地改良区の施工も請け負うようになり、会社として設立したと聞いています。39年に会社法人とし、社長に坂本正司、専務に松下会長が就任していました。  私は35年生まれで、子どもの頃には建設業には絶対に携わるまいと思っていました。何しろ、昔の建設業は始業が5時や6時で朝が早く、夜中まで仕事をしていながら休日は全くないという状況でした。雰囲気もどこか荒けずりで、作業員が酔って家に暴れ込んできたこともよくありました。いまでこそ、そんなことはありませんが、会長がなだめすかしている情景を、幼い頃から目にしていましたから。
――入社時期は
松下
 昭和60年で、それまでは褐F谷組に1年、潟KイアートT・Kに2年勤務していました。そこで、エリアは横浜から帯広に至るまで、工種もトンネルの現場から高速の現場に至るまで、幅広く携わってきました。
▲渡島半島横断道路
――大手の組織で経験されたとことは、現在でも役立っているのでは
松下
本州大手も地方建設会社も業務自体は全く同じですが、規律や礼節など、この業界は古くから厳しいものがあり、大手は特に厳格でした。  例えば、時間に対しても非常に厳しく、朝のミーティングへの遅刻などは絶対に許されません。それに比べると、20年前の当社などは時間にルーズでびっくりしたほどです。  その大手に在席している間に、岩見沢の高速道路の道央自動車道、防衛施設局の千歳空港の滑走路などを経験しましたが、コンクリート舗装の分野で勉強になりました。桧山支庁管内では、そうした現場は経験できません。トンネル工事も、十勝の中札内村にあるラジオパーソナリティの田中義剛の花畑牧場付近のトンネル現場を経験しました。
――桧山管内は日本海側に面した地形的特色がありますが、思い出に残る施工はありますか
松下
 日本海側の瀬棚町南川地区海岸保全工事を施工していたのですが、それが南西沖地震で破壊された時は、最も大変で記憶に残っています。この工事は、最初に施工したのが当社で、しかも大部分は私が担当したのです。それが地震でやられて、またやり直しとなりました。
▲北檜山町 道立桧山北高校
――本州企業と人材交流を行っているとのことですが
松下
 昭和62年から群馬県館林市の河本工業(株)という会社と、技術者交流をしています。この10年前くらいでは、作業員も運転手も連れて、先方の現場の下請け施工もしています。現在も昨年の11月から6月いっぱいまで実施しており、最高で40人が行っていました。  雇用が少ない今金地区とはいえ、何十人もが本州に渡って下請け施工に当たるのは、かなりのリスクを背負わなければなりませんがこうした取り組みは、20年ほど前から実施してきました。現在の建設業状勢により道内での受注高は減少する一方と考え、その不足分を確保し、雇用を促進する為に今後も継続していくつもりです。
――群馬などは夏場に仕事が少なくなるため、合理的な取り組みですね
松下
 とりわけ館林などは猛烈に暑いところなのです。ニュースなどで40度を越えたなどとよく報じられますね。そのため、現場に行くとペットボトルと塩が備えてあるのです。つまり塩を舐めつつ作業をするわけですね。それほど塩分補給が大切なのです。北海道から行った当初は、みな戸惑ったものですが、今ではもう馴れました。
――社長に就任した頃の経営環境はどのような状況でしたか
松下
 就任は平成14年6月ですが、周知の通りで公共投資が減少し、売上が下がって来ました。かつては、平成10年度に年商最高額が32億円に到達した時もありました。民間建築工事も5億円から6億円ほど施工していましたが、平成19年度では12億円という状況です。  それでも、地域のものを使い、人を採用することが地域貢献だと思い、待遇などは現状を維持しています。坂本建設という独特の社風を持つ企業グループの職員と家族を合わせると、200人〜300人になりますから。
▲経営体育成大矢谷地区
――今金町の人口が6,300人ですから、5%が坂本建設に関わっていることになりますが、現状維持のためにどのような工夫をしていますか
松下
 5%の責任が肩にかかっていますから緊張感があり、これほど大変な時代に、どうすれば存続できるかを考えるのが私の仕事です。  当社は専務、常務などの役員はおらず、私を含めて部長、幹部クラスはすべて40代で、実働部隊となる技術者は30代ばかりです。そして、待遇システムは年俸制にしており、個人面談の上で給与を決めています。個人の評価制度を作って、現場での評価を土木部長、次長に明記してもらい、普段の生活態度なども考慮して年俸を決めるわけです。  社員には本州への派遣に一部消極的な職員も多いですが、それをしなければ会社もやっていけないのです。何しろ本州での売上が19年度で2億もあるので、そのお陰で、厳しい時代とはいえ誰も給与は下げていません。
――会社の内情を公表して理解を得ているのですね
松下
 当社は年に3回、利益検討会を行っており、各現場での収益結果を課長以上の全員に公表して、なぜ利益が上がったか、あるいは下がったのかを点検するのです。それによって、今は利益の少ない時代であることを、みな一目瞭然で認識できます。
――桧山管内の農業基盤整備の受注実績が充実していますが、農業と建設業との共働は可能でしょうか
松下
 今金町は、農業が最大の産業で、建設業は農家の一部雇用を支えています。農閑期に作業員として来てもらうことで、建設業は非常に助かるし、農家の人には現金収入が入ります。近年は工事量が減ってきたので、農家の方の稼動日数が減少していることから、群馬に出向してもらい働いてもらっています。  親子二代で営農している農家には、親が建設業で働き、息子が農業に専念するところもあります。そして、田植えや稲刈りなどの繁忙期だけは親が戻るというパターンが見られます。そうした中で、現金収入が確実に毎月得られるのと、そうでないとでは、大きく違うと言っていました。
▲中歌漁港整備
――公共投資が今日のように半減する以前は、どのような状況でしたか
松下
 何十人もの農家の方が来ていました。特に南西沖地震の時などは、農家の方が7割を占めた時期もありました。したがって、建設の仕事がなくなると、農家の方の雇用も無くなるという構造になっています。
――農業と建設業は、お互いに地域で協力し、助け合う構造だったのですね
松下
 古くから農業の街でしたから、逆に私たちも農業基盤の仕事を多く受注させてもらってきたのです。だからこそ、農家に手伝ってもらう形で還元し、理想的な循環ができていました。  しかし、公共投資の激減した今日では、建設業も農業もともに厳しい時代となりました。都会と地方では、同じ建設業でも別物で、都会であれば職種も豊富で、転業、転職の可能性もありますが、地方では行き場がありません。  やはり最低限必要な公共事業はあります。南西沖の地震の時もそうでしたが、災害はこの10年で3回くらいありました。地盤が崩れたり土砂崩れや橋の崩壊などで、一般国道は230号しかありませんから、それが通れなくなれば、5号線にでるまで道道810号線で八雲までいかなければなりません。そのためには時間かかりますから、もしも再び震災などが起これば大変なことになります。  また、急病患者が発生した場合も道道810号線で八雲町の病院に行くしかなく、夏場なら40分で到着しますが、冬期間で猛吹雪となると、雪が真横に吹き付けて道の両脇に積もるので、視界が数メートルしかなく危険です。しかも、八雲でダメなら函館にまで行くしかないのです。北海道の道路の課題は冬です。冬期間にいかに整備されているかで、全く事情が異なります。
▲大成大型魚礁
――近年は、施工のクォリティのみでなく、地域貢献への期待も高まっています
松下
 今年も6月に美利河ダムで植樹を行います。他にも年に2回〜3回は清掃活動にも参加しています。  また、毎年今金中学校から職場体験の実習の要請があるので協力しています。二日間にわたって作業員とともに汗を流し、工事現場で働き、みんな驚いたり、現場の人はすごいと尊敬してくれます(笑)。そうして、後日に子供達の作文が届けられます。もう5年くらい続けています。  3年くらい前には、自分の息子が来たのでびっくりしました。その時は魚礁のコンクリートブロックの現場を対象とし、どうしてこれが海に運ばれるのかを説明しました。ブロックを100m水深のところに降ろし、そこに魚が来て漁師が収穫するという循環は、説明しないとわからないものです。しかし、そうした建設行為の意味についてのPRが、業界全般には下手なのかなと思いますね。
会社概要
創   業:昭和31年4月1日
設   立:昭和39年4月30日
資 本 金:4500万円
建設業許可:北海道知事(特-14)檜 第58号
事 業 内 容:
 (1)土木建築工事請負
 (2)砂利採集砕石運搬
 (3)不動産の売買・賃貸・管理・仲介などの取引に関する業務
 (4)浄化槽の設計・施工・及び維持管理業務
 (5)上記に附帯する一切の業務
事 業 所:函館営業所・札幌営業所
関 連 会 社:
ゼンケン工業株式会社
  瀬棚郡今金町宇田代32番地
  TEL 01378-2-2275

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