建設グラフインターネットダイジェスト
〈建設グラフ2008年6月号〉
interview
南宗谷管内の陸の孤島・枝幸町歌登地区のインフラを支える
――地域への恩返しに「癒しの森」を開業
稚内建設協会 副会長、田中建設株式会社 代表取締役
田中 茂夫氏
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田中 茂夫 たなか・しげお |
昭和42年3月 駒澤大学附属岩見沢高等学校 卒業 |
昭和42年4月 田中組 入社 |
昭和46年1月 田中建設株式会社 常務取締役 就任 |
昭和55年1月 同社 取締役副社長 就任 |
昭和59年1月 同社 代表取締役副社長 就任 |
昭和61年2月 同社 代表取締役 就任 |
昭和61年4月 ユタカ商事株式会社設立 |
代表取締役 就任 |
平成 元年5月 サカエリース株式会社 代表取締役 就任 |
平成13年5月 土徳砂利工業株式会社 代表取締役 就任 |
公職 |
平成 7年4月 歌登町建設協会 会長 就任 |
平成17年5月 稚内建設協会 副会長 就任 |
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田中建設株式会社 枝幸郡枝幸町歌登東町106 TEL 0163-68-2026 |
宗谷管内は道内でも最も北部に位置する極北の地で、中でもオホーツクに面した枝幸町は、どの主要都市からも離れ、歌登地区は孤立しやすい立地状況にある。宗谷管内では産婦人科は稚内市にしかなく、その他の主な医療も上川管内の名寄市に依存するしかないが、それらとの距離は80q。路面の凍る冬期間ともなると、移動時間はさらにかかるため、急病人は死をも覚悟しなければならない心細い状況だ。地域住民にとって、安全に安定的に通行できる道路は、命綱でもある。そうした南宗谷管内のインフラを長年、施工してきた田中建設(株)の田中茂夫社長は、「工事は発注官庁から請け負うけれど、真のお客さんは地域に住み、道路などの施設を利用する人たちです」と、地元への恩返しの気持ちを込めて、親権者が所有する山林を借り受け独自に整備し、昨年9月に「癒しの森 音夢路(オムロ)」をオープンさせた。
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▲南宗谷地区の生命線 道道220号歌登咲来停車場線 |
- ――会社の概略と、社長の来歴から伺いたい
田中
- 大正13年頃に、創業者である祖父が高知県から当時の枝幸村に移住してきました。目的は開拓ではなく、小作農家として入植したようです。そして、私は昭和23年生まれで、先代は29年まで農業を続けていました。そうして農業を本業としながら、その一方で建設業の認可を取得して創業したようです。
翌30年からは、個人経営で土木工事に専念することになり、自宅も市街地に転居しました。そして、役所の入札に参加し、元請として受注するのではなく、土木工事をもっぱら下請けしていたと聞いています。
- ──当時はインフラも不備な時代だったでしょう
田中
- 管内は戦前から林業が盛んで、山奥には鉛、ニッケル鉱山もありましたが、当時は砂利道が当たり前で、舗装道路を見ることは滅多になく、馬車が運搬の主役でした。
私は昭和42年に高校を卒業し、稚内市の商社に就職しましたが、45年に田中建設が法人化したのを機に枝幸(当時は歌登町)に戻ってきました。
最初は事務職でしたが、代わりを採用してから現場を担当するようになりました。宗谷支庁の発注した排水路整備の工事を受注しましたが、工事中に大雨被害に遭い、ブロックがまるで団子状態になってしまいました。結局、設計変更で工期は延び、工事は翌年の2月いっぱいかかりました。
当時は、冬季施工というのは滅多にないケースだったので、シバレが厳しく重機のエンジンがかからないこともあったほどです。そのため、炭火を起こしてエンジン回りを暖める作業に半日がかりで当たったこともありましたが、今となっては懐かしい思い出です。
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▲道道220号線(歌登本幌別) 直角に曲がる危険箇所 |
▲国道40号との交差点 |
- ――道路特定財源はとりあえず確保されたとはいえ、来年には一般財源化という動勢にありますが、南宗谷管内の道路整備の進捗にも影響があるのでは
田中
- 北海道道220号(歌登咲来停車場線)は南宗谷管内の住民の生命線です。この宗谷管内で、産婦人科があるのは稚内市立病院だけで、近くに医療機関や商業施設が整っているのは上川管内の名寄市です。そのため、地域住民は名寄市か、あるいはさらに旭川市に行くしかありません。道道220号線から、国道40号線を経由して名寄、旭川方面に向かうのですが、枝幸〜名寄間の距離は約80qもあり、旭川まででは約140qです。勢い道路が一番の動脈になるのですが、冬道では移動時間が10分〜15分も余計にかかり、急患にとっては致命的です。
したがって、道道220号線では急カーブの解消など道路改良はまだまだ必要です。稚内〜士別間の自動車専用道路もいまだ全線開通していませんし、音威子府〜美深にいたっては、高規格道路すら整備されていません。名寄バイパスの整備も効果は限定的でしかないのですから、宗谷、上川管内の道路ネットワークは、一日も早く整備していただきたいと願っています。
- ――道北となると、冬期間には除雪を頻繁に行う必要があり、通年通行の確保も容易ではないでしょう
田中
- 道道220号線の除雪は組合で受注し、当社は小さなエリアを受け持っているだけですが、それでも14人態勢で道路パトロールや除雪作業にあたっています。しかし、社員は全員通年雇用ですから、除雪業務だけでは経営が成り立ちません。
加えて、道予算の圧縮で稼動時間が減らされていることから、除雪作業後の仕上がりは、国道に比べると遜色があります。残念ながら、道道と国道との除雪態勢の格差が年々広がってきている状況です。
- ――公共投資への地域要望に反して、事業費は収縮していく情勢ですが、どのような気構えで乗り切っていきますか
田中
- 当社は「技術と技能に優れ、自覚と責任を持った社員を育て、社会に評価される企業たること」を経営理念に掲げています。この意識に基づき、すでにISOも取得していますが、しかしながら、実行しようにも先立つものがますます細くなっているのが建設業界の実態です。稚内建設業協会の会員は、ピーク時に59社を数えましたが、現在は48社にまで減っています。
そこで協会は「事業掘り起こし委員会」を発足させ、道路、河川、農業、維持、港湾の五つの部会を構成しました。その中で、私は道路部会長を担当していますが、それぞれの企業が日常業務のなかで、早急に整備する必要のあるヶ所などを発見したら、写真と図面を添付して役所に提示し、対策の必要性をアピールすることにしています。
例えば、決壊する恐れのあるヶ所があれば、その時点で整備した方が、後回しにして決壊してしまってから整備するよりも、遙かにコストを縮減できるのです。そのため、私たちから提案し、事業の掘り起こしに取り組んでいるわけです。市町村や農協、商工会など様々な団体、関係者が陳情すれば、行政も真剣に取り組んでくれていますから、根気よくアピールしていくことが大事です。
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▲入り口の看板 |
▲分岐点の案内板 |
▲「緑のトンネル」 |
- ――昨年には、西歌登に社長が管理者となって「癒しの森 音夢路(オムロ)」がオープンしました
田中
- 私は枝幸町と歌登町が合併する以前から、南宗谷森林組合の役員を20年間務めてきたので、森林に対して私なりの愛着を持っていました。毎年、全道の森林組合の研修会に参加する機会がありますが、数年前に、当時の北海道水産林務部長だった梶本孝博氏が特別講師として講演され、そのなかで語られた「森林セラピー」の話に、深く感銘したのがきっかけでした。「森林セラピー」とは、森林浴の効果として、自律神経のバランスを向上させる、ストレスを抑制する、血圧を下げる、心身機能を良好にする等々の効能があるとのことです。
これを聞いて、私は親権者が所有する山林の約4qの林道を整備し、住民交流の場として開放することを計画しました。そこで宗谷森づくりセンターに指導を仰ぎ、現地調査の結果、「森林づくりと健康づくり」をテーマとする企画書を作っていただきました。
「癒の森 音夢路」は面積が200.66haで、主な林分はトドマツ人工林と天然林で構成されています。整備の基本方針を、「住民交流の場となる快適な森林」、「体験や生涯学習へ利用する森林」、「地域住民の健康づくりへの森林」、「森林の活かした林産物生産の森林」と定め、セラピーロード、出会いの広場、観察の森、生産の森、小鳥の森、長寿の森、植樹の森、いく樹の森といったコースを設定しました。
一周が3.8qで、セラピーロードとして案内看板の設置やロード沿いの倒木の除去、枝打ち、ササの刈払いなど、ウォーキング環境を整えて、休憩所や展望箇所を新たに設置しました。観察の森ではイチイなどの樹木プレートを取り付け、生産の森ではキノコ栽培作業所の整地と、ホダ木の伏せ込みを行いました。森のシンボルである「開拓の木」周辺は木柵で囲み、林道からのアプローチにチップを敷き込み、バリアフリー化の散策路にしました。
お陰で、昨年5月には森林浴と健康づくりを研究している中頓別町国保病院長で、NPO法人中頓別森林療法研究会の住友和弘医師と会員さんたちにより、森林浴を体験しながら森林整備の方向と癒しの効果を検証する催しが実現しました。
そして、昨年9月8日のオープン当日は、あいにく台風19号が北上し、枝幸町を通過したので天候には恵まれませんでしたが、それでも一般者も参加していただき、オープンセレモニーを無事終了しました。
長年、枝幸、歌登で商売をさせてもらってきたのは、地域の人たちの応援があったお陰ですから、地元への恩返しの気持ちから「癒しの森」を整備した次第です。
会社沿革 |
昭和21年 5月:田中組として創業 |
昭和31年 5月:最初の知事登録 |
昭和46年 1月:田中建設株式会社を設立 |
昭和52年 1月:最初の知事表彰(土木工事施工) |
平成19年11月:北海道社会貢献賞(雇用対策) |
営業許可登録: |
北海道知事許可(特-19)宗第63号 |
許可建設業: |
土木一式工事業、ほ装工事業、しゅんせつ工事、 |
水道施設工事業、土工工事業、石工事業、鋼構造物工事業 |
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