建設グラフインターネットダイジェスト

〈建設グラフ2008年5月号〉

interview

災害状況を迅速に把握し24時間体制で対応

――選挙区と行政区域が異なる股割き状態を懸念

留萌市建設業協会 会長、株式会社堀口組 代表取締役社長
堀口 亘氏

堀口 亘 ほりぐち・わたる
昭和45年3月 立命館大学理工学部土木科 卒業
昭和48年4月 株式会社堀口組 入社
昭和62年5月 同社取締役副社長 就任
平成 3年5月 同社代表取締役社長 就任
公職
平成10年4月 留萌建設協会副会長 就任
平成12年5月 北海道土地改良建設協会理事 就任
平成17年6月 留萌信用金庫理事 就任
平成18年4月 留萌市建設業協会会長 就任
平成18年6月 留萌間税会会長 就任
株式会社 堀口組
留萌市高砂町1丁目4番15号
TEL 0164-42-1162

 日本海に面した留萌管内は、旭川市を擁する上川管内、小樽市を擁する後志管内、稚内市を擁する宗谷管内、岩見沢市を擁する空知管内に囲まれているが、経済圏域がそれぞれに分散し、エアーポケットの状態にある。管内の中心都市である留萌市は、人口減少が止まらず、政府予算も道予算も周辺の管内に傾斜配分されるため、インフラ整備が停滞気味で、主要幹線は海岸沿いの国道232号線と東西の233号線しかない。寂れゆく管内の将来を、留萌市建設業協会会長でもある(株)堀口組の堀口亘社長は真剣に心配している。「私たちの故郷で、人々が暮らしていける状況にしたい」と、切なる思いを語っている。
――会社と社長の略歴をお聞きしたい
堀口
 私は昭和22年生まれで、45年に卒業し、48年に入社しました。平成3年に堀口久雄初代社長が70歳となり、社長を退いたので私と交代しました。  当社は、元は小平町の運輸会社で、砂利の運送業務を中心としていました。後に大手の大林組が小平町の道路工事の施工に当たり、その下請けとして参画したのが、私たちの土木工事業務の始まりです。骨材を納品していた関係から、さらにトンネル工事の下請け施工にも進出していったと聞いています。  堀口久雄会長は機械好きだったので、機械化土木を目指そうと提唱し、建設機械を次々と導入していったとのことです。
――社長就任時は、バブルに翳りが見える反面、公共事業は伸びていた時期でしたね
堀口
 ところが、業績が急に伸びたという実感はありません。機械を手放す会社が多い中で、当社はたとえ維持費がかかろうとも機械化土木という業務方針を堅持し、系列の運輸会社も含めて独自に機械を保有する体制で、下請けをあまり使わず、ほとんど自社施工をしてきたからです。しかし、今となれば、自社保有の機械で施工してきたのが強味となっています。  スタッフも多く、技術者も含めて従業員は150人で、重機のオペレーターも専属スタッフとしています。
▲除雪作業 株式会社和秀
――留萌市と災害復旧協定を結んでいますね
堀口
 災害復旧協定も含め、地域のお祭りやイベントへの出店、雪割り作業など、地域のほとんどの行事・活動には参加しています。お陰で、留萌市から表彰を受けたりしました。  災害については、住民の安全と、自然に対する使命は我々にあるわけだから、職員には誇りと、プロとしての自覚を持てと絶えず訓辞しており、労災についても人一倍に気を使えと話しています。
――十分な重機とオペレーターを持っていれば、雪害や台風、災害時に十分な対応ができるので、地域にとっては安心ですね
堀口
 私たちとしても、機動力に関しては自負しています。オペレーターや重機の数が多く、機動力が高いために、私たちの担当は233号線ですが、232号線の災害でも出動要請があり、ほとんどの災害に対応しています。
──長年、地域の施工に当たってきたので、勘所も分かっているわけですね
堀口
 そうです。233号線の維持などは、ほとんど当社が担当しているので、道路状況の変化についても、すぐに把握できます。前日の天候に変化があれば、直ちに職員を会社に待機させたり、平時でも休日を含めて365日間、必ず職員が待機しています。  そうして去年も雪崩が起きたときには、オペレーターが24時間体制で待機し、全ての処理に当たりました。最近では、増毛町で発生した落石でも、深夜に現地へ急行して柵を立てるなどの対応に当たりました。
──建設会社は雇用効果を含めて、多面的な役割が期待されますね
堀口
 そのように自負していますが、しかし人口が減り続けている今の状態には、危機感を感じています。当社の社員数は多いですが、もしも当社が管理業務だけの会社であれば、到底成り立ちませんから、これ以上、公共事業を減らされると、かなり厳しい状況になります。  思うに、改革のスピードが速すぎます。公共事業カットも、唐突に実施された感じで、用意も準備もできていないうちに、大幅な事業費削減が行われるのですから、対策する以前に気が変になりそうです。  カラ回りとまでは言いませんが、流れが急激に変わったことで、管内にもかなりの影響が出ています。港を見れば、石狩湾新港などの整備には十分な予算措置が行われる一方で、留萌港は置き去りにされている感じです。かねてからフェリー就航を実現させるための運動はしてきているのに、その夢は頓挫しています。道行政の再編を実施するのであれば、留萌港にも光を当てて将来像を示して欲しいと思います。  道路にしても、日本海に面した留萌管内は、道北の稚内から留萌を貫く国道232号線はありますが、上川など東方面へ抜ける道路は国道233号線と239号線しかないのです。もしもこれが通行止めになれば、もはや行き場はありません。それを考えると、道路整備もまだまだ不十分で、冬場の交通は大変です。
▲小平ダム建設事業の内道道霧立小平線改良工事(留萌土木現業所)
――道は14支庁の再編を実施することになりましたが、影響が大きいのでは
堀口
 留萌は、国政選挙区が空知管内に編入されている一方で、支庁再編においては旭川に編入されますから、いわば股割き状態です。何らかの問題を協議するにも、選挙区と行政区が食い違うのは問題があります。  留萌は確かに貧乏管内ですが、地域住民の結束は意外に硬いのです。ところが、毎年、櫛の歯が抜けるように人口減少が止められない状況で、私たちも頭の痛いところです。財政再建の必要性は理解しますが、現況では札幌一極集中が進むばかりで、他の地方は全て過疎化しています。ここらで政策的に何らの手も打たれないなら、我々に死ねと言っているようなものです。  私は平成3年に留萌商工会議所青年部会長を勤めていましたが、管内の若者が気の毒です。就職先は着実になくなっており、いくら足掻こうにもどうにもできない状況です。
――道路特定財源が批判の的になってしまいましたが、どう感じていますか
堀口
 今の社会全体と政治の流れは違いますが、北海道に公共事業予算を多く投じているという主張は、間違いだと思います。社会に流通しているものは、北海道で生産しているのではなく、ほとんど全てが本州で生産されたもので、それを道民が買っているのですから、その売上や税収はおおむね東京に集中しています。  せめて農業生産など、北海道として独自性を持つものに関しては、国として光を当てて食糧政策に反映されるなら、我々も生き甲斐を感じて仕事に取り組めるとの思いがあります。  また、道路にはそれぞれに使命があったのだと思います。近年は何かと叩かれていますが、自然に挑戦する意識というものを土木屋は持ってきたからこそ、今の北海道があるのだという自負があります。  しかし、留萌管内は積雪をはね除けるスペースがないため、スリップした場合には逃げ場もありません。海岸線の波が高いので、冬場には通行止めになることもあり、それだけ道路網の整備が遅れているということで、単なる距離や数の問題ではないのです。
――確かに、管内の主要幹線である232号線は、真冬になると路面にまで波しぶきが届き、留萌港では強風によってケーソンが動くとの話も聞かれますが、そうした気候条件の厳しい地域で道路が使えなくなると、孤立してしまいますね
堀口
 海岸線の232号線は、気象条件の最も厳しいところだと思います。  したがって、バイパスとなる複線が絶対に必要です。それを実現するための運動もしてきていますが、今の状況ではなかなか難しい。
▲社屋
――そうした管内で、さらに財源がなくなれば地域の過疎化がさらに進むのでは
堀口
 北海道は、公共事業以外で町村が活性化することは、有り得ないと思います。人口が途中で大幅に流入するなら別ですが、どこを見ても疲弊しているのは、各地方の建設会社が苦しんでいなくなったり、消えそうになっていることが原因であるのは明白です。  私たちとしても、この地域を再生できるような街づくりに貢献し、この地域で食べていけるように一丸となり、ここで一生を終えたいという望みがあります。私たちの故郷ですから。
――多くの従業員と、その家族も抱えていますが、今後の会社経営の展望は
堀口
 努力するしかありません。経営環境として、基本的には道の支庁再編は反対ですが、しかし何らかの形で道州制が進んでいくことは間違いないでしょう。その時流に、いかにして乗って行くかを考えなければならないとなると、あまりにも急速に進められたのでは、その間に企業がなくなってしまいます。  一方、ソフトランディングが推奨されていますが、小規模の会社が資金もなく、ギリギリの収支で異業種に参入したりしているために、失敗する確率が高いのです。ひとつの核となる産業もなく、末端の小規模事業ばかりを展開しても、成功する確率は低い。せめて本州の力ある企業などが進出していなければ、容易ではないでしょう。
会社概要
創   業:昭和25年7月20日
改   組:昭和38年1月25日
許 可 番 号:建設大臣(特・般)第14801号
資 本 金:50,000,000
年間完工高:約42億円

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