建設グラフインターネットダイジェスト

〈建設グラフ2008年1月号〉

interview

基幹産業の酪農関連事業と連携

――社員が生き甲斐を持てる職場づくりを果たし地域発展の一翼を担う

釧根開発株式会社 代表取締役社長 松實 秀樹氏

松實 秀樹 まつみ・ひでき
平成 1年 3月 桜美林大学 卒業
平成 1年 4月 アーバネツト株式会社 入社
平成 4年 4月 釧根開発株式会社 入社
平成 4年 4月 釧根開発株式会社取締役営業次長 就任
平成 9年 4月 釧根開発株式会社常務取締役管理部長 就任
平成10年4月 釧根開発株式会社取締役副社長 就任
平成16年4月 釧根開発株式会社代表取締役社長現在に至る
公職
平成18年4月 根室支庁管内建設業協会監事
平成18年4月 中標津建設業協会監事
平成19年4月 中標津町観光協会理事
平成19年5月 社団法人釧根地区トラック協会理事
平成19年5月 社団法人釧根地区トラック協会中標津支部副支部長
平成19年5月 北海道トラック共済協同組合理事
釧根開発株式会社
北海道標津郡中標津町東11条北1丁目
TEL0153-72-8111

 根室管内中標津町の釧根開発株式会社は、昭和44年に先代の松實武夫氏によって創業。いまや10社の企業グループを形成する道東の有力企業に成長した。土木工事の釧根開発を中核とし生コン、砂利採取プラント、自動車整備からホテル事業まで多角化路線を展開する”釧根コンツェルン”の基礎を一代で築いた松實氏は、商工会長、観光協会長などを歴任した伝説的な経営者でもある。その松實氏は平成18年5月に逝去。その後を長男の秀樹氏が、2代目としてグループのカジ取りを任された。「企業は人なり」「誠心誠意」「和と健康」を社訓に掲げる釧根開発グループの松實秀樹社長に、経営理念などを伺った。
▲昭和38年代のダンプカー
――先代の故・松實武夫氏が創業した釧根開発株式会社は土木工事が主体の企業ですが、高度成長の波にも乗り、いまや10社の企業グループを形成するまでになりましたね
松實
父は昭和14年に標津町川北の生まれで、祖父は入植して農業を営んでいました。兄弟が多かったこともあって、父は中学を卒業後、地元の木材会社などに勤め、昭和38年に、ダンプカーを1台手に入れ、砂利運搬の松實興産を興し独立しました。44年12月には釧根開発株式会社を設立、今年まで38年の歴史を刻んできました。 私は昭和42年の生まれですが、砂利や骨材の運搬から始まり、砂利採取、土木工事に事業を拡大していくなかで、徐々にダンプカーや社員が増えていったのが、子ども心にも強く印象に残っています。 砂利採取の事業を足がかりに土木工事の請負に進出したわけですが、本業に関連する分野として昭和47年に釧根開発運輸株式会社を設立。50年に株式会社釧根自動車整備工場、平成元年には開盛コンクリート株式会社を設立しています。半ば必要に迫られて立ち上げた面がありますが、ホテル、バス、ハイヤー事業は、それぞれ以前の経営者から引き継いだ部門です。
――グループ全体の従業員数は
松實
社員は290人余。ホテルなどのパート従業員を含めると約400人規模になり、大半が中標津町の在住です。
――中標津町の人口は24,000人ですから、従業員数は地元でもトップクラスでは
松實
地元では多いほうでしょう。中標津町はいまだに人口が増えており、他の町村に比べて比較的元気なマチですが、経済状況は必ずしも好調なわけではありません。
▲釧根開発株式会社 社屋
――社長は平成元年に大学を卒業され、4年に釧根開発に入社されていますね
松實
学生時代は家業を継ぐ気はありませんでした。父が亡くなる2年前の16年4月に社長のバトンタッチを受けまして、周囲からは「先代にはお世話になりました。大変な時代に経営を任されましたね」とよく言われました。そういう場面では父の影を感じます。 父はゼロから出発して一代で今日の企業グループを築いただけあって、非常にワンマンな面もありました。勢い先代の言うことが全てという社風が根強く、社業が順調に伸びてきたこともありますが、社員が自らの意見を述べる機会も少なかったと思います。それでも先代自身、晩年は自分の経営手法が少しずつ時代とずれているという感覚は持っていたようです。
――先代から帝王学を学ばれましたか
松實
正直言って直接、言葉で教えてもらうことはありませんでした。自分のやり方を見て覚えろというタイプでしたね。社長に就任した際も細かな指示はなかったと記憶していますが、時代に合った企業経営に取り組むようにと言われました。以前に比べて社内の会議を多く持ち、社員の意見を反映させるように努めています。
――社長としてどのような経営方針で臨まれていますか
松實
公共事業の発注が激減しており、我々のような建設関係の企業は淘汰されかねない状況ですので、本業で生き残るためにはモノづくりの原点に立ち返って高品質の成果品を提供することがますます重要視されています。品質向上への取り組みを発注者や地域に認識してもらうことが大事ですので、従業員には自分の仕事に誇りが持てるよう、新技術の導入に積極的に投資するなど攻めの経営を基本に置いています。 土木工事などに欠かせないのが測量ですが、新たにGPS方式の測量機器を導入しました。従来の光波測距儀を使用しての測量ですと、観測機械とミラーの視通がきかないと観測できません。例えば、傾斜地や立ち木などの障害物でミラーが見えないことがあります。 しかし、人口衛星との通信によるGSP方式なら、観測機械を取り付けたポールを観測点に立てて衛星から観測するため、空が見えていれば障害物があっても観測できます。防水機能が付いていて雨や雪のなかでも観測できるため天候に左右されません。これまでは光波測距儀を操作する観測者とミラーを立てる人の2名が必要でしたが、GPS測量は1人で測量できるため、人員の削減効果があります。専用ソフトを使用することで、観測データをパソコンに転送し、即座に各種の計算や図面展開も可能になりました。18年度は草地整備の現場で310地点の観測を実施しましたが、GPSが観測できなかったのは立ち木の中の2地点しかありませんでした。
▲草地整備改良工事 ▲毎日欠かさない牛乳の集荷
――公共事業費の削減は経営にどう影響していますか
松實
公共事業自体の発注量は開発局、道、市町村とも最盛期の半分にまで落ち込んでおり、グループ全体をみても、5年前をピークに売上は減少傾向をたどっています。公共事業費の削減は砂利、生コンの需要にも影響しており、運輸会社としては車両を減らすことも検討しています。100%公共事業の土木会社が多い中、競争は激しいですが当社は以前から民間工事を受注しており、全体として受注額は半分までには落ち込んでいません。 一方、中標津町の基幹産業である酪農関連の地域密着型の仕事は大事に育てていきたいものです。牧草のサイレージづくり、生乳の集荷やジャガイモ、ビートなどの農作物、配合飼料や農機具の搬送は、保有している重機や車輌を生かすことができます。 7、8年に1回の周期で行う牧草地の更新事業にも力を入れていきたいと思っています。中標津で生産される牛乳の品質は世界的にも有数。酪農が安定していなければ、当社も困ります。
――根室管内唯一のシティホテルであるトーヨーグランドホテルやバス事業の関連で観光振興にも関心をお持ちと思います。開発局は農業と観光を重点分野に位置付けていますが、中標津観光の将来展望はいかがですか
松實
現状では、観光産業は遅れています。知床の世界遺産効果で一時、ツアー客が当社のホテルで昼食を召し上がるなどのプラス要素がありましたが、長続きしませんでした。道東には釧路、女満別、中標津空港がありますが、路線、便数とも釧路、女満別がメジャーです。中標津空港は札幌が1日3往復、東京は1往復しかないので使いづらいのです。しかも出発が午後1時台、羽田発も午前11時台ですから、1日仕事でも2泊必要です。 私自身、上京の際は釧路空港を使うことが多い。せめて2往復にして利用しやすくする必要があります。中標津から知床まで1時間もかかりません。このほかにも摩周湖、屈斜路湖、釧路湿原など周囲にはいろいろな観光資源があるだけに残念です。
▲トーヨーグランドホテル
――一方ビニールハウスで農作物を生産しているそうですね
松實
グループ会社のホテルの食材に活用するためジャガイモ、とうもろこし、いちご、レタス、トマト、アスパラなどを生産しています。隣接してお年寄りのグループホームと保育園がありますので、一部を開放して種芋の植え付けから収穫までの農業体験を楽しんでもらっています。お年寄りと子どもたちが触れ合うことで世代間交流のお役に立てばと考えています。
――社会貢献活動は他にも取り組まれていますか
松實
標津川河川敷の草刈作業を毎年実施しており、以前、漁協や地域住民らとともに400本の苗木を植樹したこともあります。
――経営面で一番力を入れていることは
松實
先代の古い体質が残っていますので、時代にマッチした理想的な組織を作り上げることでしょう。  一人で悩むこともありますが、土木業界も世代交代が進んでいますので、若手の経営者同士で意見交換しながら頑張っているところです。
会社沿革
昭和38年 4月:松實武夫氏、松實興産 創業
昭和47年 8月:釧根開発運輸株式会社 設立
昭和47年 8月:釧根開発運輸株式会社 設立
昭和50年 3月:株式会社釧根自動車整備工場 設立
昭和63年 8月:株式会社北武商事 設立
平成 元年10月:開盛コンクリート株式会社 設立
平成 6年 3月:株式会社こだまハイヤーより経営を引継ぎ、株式会社北都ハイヤー並びに株式会社北武レンタリース 設立
平成 8年 8月:羅臼砂利砕石株式会社 経営移譲を受ける
平成10年 4月:東陽観光株式会社の経営を引継ぎ株式会社トーヨーグランドホテル 設立
平成11年 3月:株式会社エフ・エムコーポレーション 設立
平成17年 1月:株式会社さんわ経営譲渡を受ける
平成16年 4月:松實秀樹社長 就任

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