建設グラフインターネットダイジェスト

〈建設グラフ2007年12月号〉

interview

土木工事を中核に異分野に積極的に参入

――高品質を求める施工技術の向上に取り組む

株式会社 野田組 代表取締役 野田 仁氏

野田 仁 のだ・ひろし
昭和26年9月3日 中川郡本別町生まれ
昭和49年3月 日本大学理工学部土木工業科 卒業
昭和49年4月 株式会社竹中土木東京本社 入社
昭和50年3月 株式会社竹中土木東京本社 退社
昭和50年4月 株式会社野田組 常務取締役就任
平成5年3月 株式会社山中商会 代表取締役就任
平成 7年9月 本別林産振興会 会長就任
平成 9年7月 株式会社野田組 代表取締役社長就任
平成9年11月 本別ライオンズクラブ会員
平成15年4月 本別町観光協会 副会長就任
平成16年4月 本別町建設業協会 会長就任
平成16年5月 帯広建設業協会 理事就任
平成16年5月 帯広林業土木協会 監事就任
株式会社野田組
中川郡本別町北3丁目5-9
TEL0156-22-2101

 十勝管内における建設業界の中堅企業として、今年で創業75年を迎えた野田組の野田仁社長にご登場いただいた。公共事業の激減、入札制度の改革に伴い浮沈の激しい業界にあって、同社は「安全第一」、「信用第一」を社是とし、土木工事を中核に早くからホテル、スーパー、石油スタンド、健康食品事業などの異分野にも積極的に参入するなど経営の多角化を推し進めてきた。建設業界はかつて経験したことのない厳しい経営環境にあるが、同社は高品質を求める施工技術の向上に取り組み、文字どおり十勝を代表する企業グループをめざしている。
――野田組は初代の故・野田永述氏が昭和9年に土木請負業として創立し、今年で創業75年目を迎えました。建設業界では十勝管内の老舗企業として、これまで幾多の困難を乗り切ってこられたと思いますが、創業当初は何が事業の柱でしたか
野田
林業土木が中心で十勝管内の国有林、道有林の林道の整備が出発でした。林道整備の事業は切り土、盛り土から橋までありとあらゆる工事があり、工期も長い。場所によっては土質も異なりますが、まだ土質の改良剤が開発されていない時代で、総合的な技術力を必要としますので、林道整備により広範な土木技術のノウハウが培われたと思います。実際、その技術が農道整備にも仕事に役立っています。その他、製材工場を経営していた時期もありました。
――社長はいつ入社されましたか
野田
昭和50年の入社です。東京の竹中土木で設計業務に携わり、4、5年は修業するつもりでしたが、母が他界したため、1年ほどで急きょ本別に呼び戻されました。 林道整備はその頃がピークで、翌51年11月に当社で経営する本別温泉グランドホテルがオープンしました。本業としてはあくまでも土木が中核ですが、関連事業としてガソリンスタンドも経営していたので、三つの事業に関わっていました。ホテルは初期投資が多く、軌道に乗せるまでの苦労は並大抵ではありませんでした。
――印象に残っている現場はありますか
野田
土木の仕事に集中していたわけではありませんが、現場には何回となく出掛けました。林道の現場は車を降りて数`歩くのが当たり前で、山中の飯場で食べるご飯がおいしかったのが今でも忘れません。飯場では女性も働いていました。
――先代は昭和54年に、会長に退き、三木氏が社長に就任していますね
野田
三木は義兄で、私の実姉の夫です。平成9年に、社長が三木から私に交代しました。
――公共事業が次第に減り始め、建設業界にとってまさに冬の時代に会社の指揮を執ることになったわけですね
野田
この10年は、昔の50年分に匹敵するほど変化の激しかった時期だと思います。一番の変化は入札制度でしょう。公共事業の発注量もピーク時の半分以下です。時代の流れが速いので、ついていくだけでは競争に打ち勝つことはできません。少しでも前に進むことを考えるようにと常々、社員に言っています。 キーワードは「情報の共有化」で、毎週1回、情報シートを提出させており、業務改善などの提案をしてもらい、職場で議論するようにしています。また、直接現場に出向いて話を聞くことが大事ですから、毎月1回の安全パトロールのほか、毎週土曜日はサタディーパトロールと称し、土木部長などの幹部が現場に入っています。
――本別町は農業が基幹産業ですが、新たな産業起こしの動きはありますか
野田
十勝管内も帯広周辺を除き軒並み人口が減っています。銀河鉄道の廃止は象徴的な出来事でした。また、ここ4、5年は格差が目立ちます。 本別建設業協会は土木のウエートが高いですが、公共事業の削減に伴って会員も減っています。昭和50年代以降、木材産業の衰退に代わって建設業が公共事業の波に乗って伸びてきましたが、新たな産業の創出は容易ではありません。
――本別建設業協会長として会員企業をどう育成していく考えですか
野田
最も大事なことは自助努力です。土木主体で頑張っていくか、廃業するか、それとも新分野に参入するか。きちんと方向を決めることです。協会として情報交換なり助け合うことは必要ですが、最後は自分で方針を決めるしかない。いずれにしろ全社が生き残れる時代ではありません。 
――道は建設業のソフトランディング対策として新分野への参入に力を入れていますが、野田組としては計画はありますか
野田
以前からホテルを運営しているほか、グループ会社がスーパーや健康食品のウコギ茶を扱っています。起業したからといってすぐに採算は取れないし、初期投資の体力も必要です。爆発的に成功する事例があるのかもしれませんが、地道に育てていくしかありません。道には特に情報の提供と人材の確保をお願いしたい。新規事業へのノウハウがなければ失敗する確率が大きいわけですから、その道に詳しい人材を確保できるかどうかで事業の成否が決まります。資金調達は何とかなるものですから。
――ウコギは自生しているのですか
野田
道東の山中に多く自生しています。長年、林道整備を受注していた関係もあって山には詳しいのです。抽出工場があり製薬会社に納品しているほか、自社ブランドのドリンクを生産しています。発足は昭和58年ごろですが、ウコギブームが短かったので、軌道に乗るまでは大変でした。
――いま、最も重視している経営上の課題は
野田
変化の激しい時代ですから、最後は品質の伴った技術力。それもコストをかけずに品質向上のための技術をどう磨くか。そのための体制づくり、人づくり、ノウハウの蓄積に努めています。 実は製造業は10年、20年前から取り組んできており、建設業はそれだけ遅れている。今は辛抱の時です。
▲地域貢献活動
――士幌中央中学校の校章モニュメント補修、豊頃町大津小学校の児童全員の手形を十勝川改修工事に伴う樋門に掲示するなど、地域貢献にも熱心ですね
野田
そうです。いずれも工事現場に近い学校を対象に実施しており、土木工事に対する理解を深めてもらいたいと願っています。 この他にも、当社は毎年、グループ企業の山中とともに社会奉仕活動をしており、今夏には本別町国保病院の裏側の道路植樹帯で除草作業に当たりました。この通りは近隣のパークゴルフ場を利用する人々が通りますが、植樹帯が4列にわたって設置されており、放置すると雑草がすぐに伸びてしまいます。そこで、少しでも快適な沿道環境を提供しようと、私や役員も含めて社員が総出で作業に当たりました。当日は気温が30度を超えており、根の深くなった雑草の除去にみな汗だくで悪戦苦闘しましたが、道路はただ整備するだけでなく、地域での自主的な維持管理も重要だと思います。
会社概要
本社所在地:北海道中川郡本別町北3丁目5番地9 TEL 01562-2-2101 FAX 01562-2-3123
観光事業:本別温泉グランドホテル 中川郡本別町西美里別20番地 TEL 01562-2-3101
石油販売:野田組石油部  中川郡本別町北4丁目 TEL 01562-2-2329
創   立:昭和9年
会社設立:昭和37年11月
資 本 金:3,000万円
営業項目: 総合建設業(特定建設業)・観光事業(ホテル経営)・古物商・建設業用重機・車輌の賃貸
グループ会社:永寿(株)健康食品(エゾウコギ)の製造及び販売
        (株)山中 総合建設業
        食品館ステラマート
        野田組砂利砕石工業(有) 砂利砕石の販売

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