建設グラフインターネットダイジェスト

〈建設グラフ2007年11月号〉

特 集

北海道土木行政110周年シリーズC

河川(明治34年10年計画・43年15年計画)概要


河川

T.国費支辨
本道の治水事業は、明治12年、開拓使お雇い蘭人ファンゲントが石狩川を調査したが、単に水運利用が目的でしかなかった。公共の利害に重大な影響を持つ河川は60に及ぶものの、いずれも原野の状態を持続し、古来のままの密林の間を還流し、原野に氾濫しても、容易に荒廃しないばかりか、いったん洪水になっても流速は遅緩のため衝突力に乏しい。両岸には樹木が繁茂しているため人工の堤防に代わって河岸を擁護し、出水量の多い割には被害は比較的少なく、府県に見られるような急劇な惨状を見ることはなかった。 しかし、拓殖事業の進捗とともに、森林の伐採、原野の開墾、河畔の侵墾等の結果、山野における雨水貯留の量が減り、出水時の水量増大とともに、水流の速度も増し、洪水氾濫による被害が年とともに著しくなってきた。 水害は良圃(畑)を流亡し、家屋を損壊するなど、遠く墳墓の地を離れて北辺の地で刻苦努力してきた移民の10年の苦心を一朝にして水泡に帰すことになる。明治31年の石狩川の大洪水は開拓以来、最大の被害をもたらした。治水が緊急の課題であることを重視した当局は、翌32年から石狩川の調査に着手したが、これが道内の河川に対して組織的な調査を行った最初である。
▲角田村水門
10年計画の概要
明治34年の10年計画施行に伴い、石狩川以外の16河川を調査し、うち最も重要な石狩川ほか12河川の本支流に対し浚渫工事を行う予定だったが、財政の関係上、地形測量、水準測量、水位、気象及び流量に関する予定の観測を実施できたのは千歳川ほか5河川で、利別川ほか4河川は全く着手できなかった。浚渫工事にあっては障害物の樹木を除去しただけで終わった。
▲明治4年の幌平橋  ▲明治9年米人ホルト技師設計の 幌平橋の正面と側面 
15年計画の概要
15年計画においては、治水に関するおおまかな計画を策定、@移民の不安と疾苦を救うA国家富源の損亡を防護して拓殖の効果を維持するために、これまでの現状維持の方針を改め、国家財政上の許す範囲に於いて相当施設を試すことはもとより、私人に対しても自称的工事を許可する方針の下、
@河川調査の達成を図る
A堤塘敷地の状態を調査し、公益上支障のない限度に於いて使用料を徴収し敷地の一部を貸付けるとともに、堤塘維持の義務を負担させる
B舟筏の安全航行を目的としていた河川の浚渫に、治水上の目的を加える
C石狩川ほか25河川の調査を急ぎ、不測の危害を招く恐れのある箇所に対しては護岸工事を実施、重要な河岸を防護する
これらの事業を行うため、河川費総計1,030万円を計上した。 最も重要な石狩川の工事は、石狩平野の水害を除却するため650万円の事業費を投じ、 江別以下2万町歩の土地に対する氾濫を防ぎ、旭川、深川、滝川の3市街を防護するため、低水工事と高水工事を行う。 低水工事は、江別以下河口道11里の区間で決壊が甚だしい箇所13,600間に対し、護岸工事を施工する。 高水工事は、放水路と堤防築設工事に分け、放水路は篠津から河口付近の生振に達するルートで、延長3里10町、流過量6万立方尺/秒とし、本流と相まって15万立方尺の水量を流過させる。また、石狩川、忠別川、空知川に対して堤防を築設する。 明治43年から各種工事に着手したが、しかし15年計画に計上された1,030万円のうち大正6年度までに支出されたのは99万円に過ぎなかった。
▲戦後まだ大半を占めていた重量制限の木造橋  
大正6年度更訂案の概要
以後山野の開発は益々進捗するとともに、各河川の決壊が相次いだため堤防工事の急を要する事態となり、大正6年度からの更訂計画においてさらに55万円を増加、総額583万7,916円とし、10年間にわたって施行することになった。計画の概要は次のとおり。
@公益上重大な関係を有する26河川に対し治水の計画並びに設計を定め、既定計画の残程を施行する。
A河川の監視は既定の計画に基づき、26河川に対し常設の監視人を配置、河川の取り締まり、工事の保護等の任に当たらせる。
B河川の浚渫は河中の障害流木を除却し、舟筏の安全及び河身の維持を図るために、従来の計画を継続する。
C護岸工事は調査指定の26河川中において河身の決壊甚だしく、これを自然のままに放任すれば、農耕地や市街地に対して不測の危害を及ぼす場所には、河岸を防護し流身の維持を図るため、既定の計画では延長3万374間の施行を予定してたものの、財政の関係上、未だ着手していないが、調査の成績に鑑み、延長1万225間増やし、4万599間に対しこれを施行するものとする。
D堤塘敷地整理は、71河川の予定に対し22河川が未実施となっており、治水上の必要に基づき、これに85河川を追加して引き続き整理を行うものとする。
E石狩川の治水工事は、舟筏の通行を安全にし、石狩平野の水害を除却するため、低水工事及び高水防御工事を行うことにしており、既定の計画においては篠津〜生振間に延長4万2,438尺の放水路を開設する。在来放水路と相まって洪水の疎通を図るが、治水上洪水に対し単一なる直流水路に設計を変更施行する。
▲大正13年8月竣功した幌平橋 
U.地方費支辨
34年の地方費法実施の際、全道河川中2郡以上にまたがる石狩川ほか50河川を地方費の所属としたが、のちにこれを変更し、流域の如何を問わず、地方公共の利害に最も重大な関係を持つ石狩川59河川と定めた。もともと本道の河川は、従来ほとんど工事を加えたことがなく、太古自然の状態に放任されていたが、拓殖事業が漸次進歩するにしたがって、たびたび市街地を浸し、農耕地を流出させるようになってきたため、根本的治水の方策を立てて実施しなければ、今日に大きな禍根を残すことは明らかだった。 しかし、地方費の困難な事情は治水対策に根本的解決策を講ずるのに最大のネックとなり、実際のところ地方費の実施された明治34年度の治水堤防費は3万7,166円、15年度計画が実施された43年度は2万2,383円を支出したに過ぎない。以後、大正2年度ではいきなり13万円以上、同4年度14万8,000余円、同5年度9万7,100余円、同6年度9万8,418円の支出となったが、このように巨額の事業費を執行したのは、旭川町の石狩川築堤工事、札幌区における豊平川護岸築堤及び改修工事に投じたもので、その他の58、9河川に回った事業費は少なく、大正4年度の事業費14万8,900余円のうち豊平川の改修工事が実に6万1,800円を占めた。 このように本道地方費に属する河川の維持管理は、焦眉の急に対応するだけの応急措置にとどまっており、常に自然的及び人為的な障害に対し、法令を以って禁止したり、沿岸住民の公共心に訴えて防止するの必要があった。45年度の土木事業奨励既定によりに流木税をを設定したのは、収入の目的以外に一種の制裁措置の要素が強かった。 (以下次号)

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