建設グラフインターネットダイジェスト

〈建設グラフ2007年10月号〉

特 集

北海道土木行政110周年シリーズB

道路及び橋梁(明治34年10年計画・43年15年計画)概要

道路及び橋梁

T.国費支辧
拓殖事業が実際に行われていた時代は、陸路交通の整備は極めて少なく、歴史を振り返って寛政年間に於けるビタヌンケ広尾間の山道、様似、猿留山道、また、安政年間に於ける太田、狩場、雷電嶺、稲穂嶺、増毛の諸山道、一ノ渡江差間、千歳銭函間など見るべきものがないわけではないが、これらも陸路交通としては極めて不完全で、馬足が通行できる程度であった。しかも移住民を未開の土地に収容し、農耕牧畜に従事させ、事業の効果を挙げるには、交通機関を整備し、その往来を便利にし、物資及び生産物の運輸を円滑にすることが肝要だ。 開拓使設置の当時においても、道路橋梁の施設整備を最重点とし、明治5年に起工した函館札幌間の道路のほか長万部寿都間、銭函小樽間の開鑿(さく)、函館小樽間の改修等、明治4年以降開拓使廃止の同18年に至るまで前後15箇年における新開道路はわずかに300余里に過ぎない。明治19年に道庁が設置されてからは道路整備に一段と力を入れ、まず内部の中央を貫通する幹線を開鑿し、四方の支道との連絡網を確保するため、空知上川間、上川網走間、網走釧路間、札幌虻田間に着手、順次、各地へ道路網が広がり、明治33年までの約30年間に開鑿された道路は1,005里前後に達した。
▲改良前の町村道尺別原野道路
▲資源開発道路として新設工事中の道道
 上川〜ルベシベ線、一名層雲峡道路といわれている
10年計画の概要(明治34年度〜43年度)
明治34年度から10年間、約994万円を支出し、継続事業として延長2,260余里の道路を開鑿し、48個の橋梁を架設。竣工の翌年から5箇年は国費で修理維持し、その後は国道、県道に属する橋梁は地方費をもって、その他は区町村費で修理維持することを決めた。 しかし、政府財政の都合により、予定の年度割を4回にも変更、9年間(10年計画は42年度までの9年間で打ち切り)で実施したのは道路延長1,198里、橋梁13箇所に過ぎなかった。 実際に築造された道路を見ると、ここに1里、かしこに半里と個々に断続し、中途半端でした。特定の地域の必要に迫られ随時随所に開鑿を試みた結果、比較的多額の予算を必要とする難工事は後回しにされたことが原因たった。 さらに築造された道路は極めて簡単な築設と弱度の修繕に過ぎず、実用に適用していないばかりか、耐久力に乏しいため、道路築造の効果を減損する状態を呈していた。 修繕に於いては経費が少ないため、破損状態が最もひどい箇所の応急工事にとどまった。特に橋梁は架設5〜6年は耐久力があっても、修繕を必要とする時期になると、地方費、区町村費に移管するため、財政の乏しい下級団体にあっては、開鑿した道路も荒廃し、橋梁は腐朽墜落するなど、復興を困難にしている。
▲砕石敷均輾圧中の町村道尺別原野道路
15年計画の概要
明治43年度から実施した15年計画においては、従来の実績に鑑み、築造の方法を改良するとともに、国道、県道の枢要地区既設の区画原野及び区画外の既処分原野に対し、枢要の線路(路線)を選定。開墾中の原野には必ず1条または数条の道路を一定期間に築造、将来設定すべき区画原野及び区画外として処分すべき原野のうち、枢要な原野に対する道路については別途相当な金額を予定し、必要に応じて漸次整備していくこととし、1,740里の道路を開鑿維持するとともに、10年計画の残工事となった特設橋梁35箇所を継承施行することになった。 しかし、事業進行の実績を顧みると、財政上の打撃を受け、予定していた事業の進捗を見ることはできないまま、大正6年の改訂案に至った。 改良工事については、交通上支障のある枢要道路の改修を予定し、延長450里、事業費として約250万円を計上したが、予定どおりの予算を執行できなかった。 修繕工事は、道路延長28,500里、事業費655万円を計上した。
▲海の中につくる道路工事・2級国道小樽〜江差線沖村付近


▲永久構造の鋼橋―遠別橋〈拓殖月報所収〉
大正6年度更訂案概要
15年経営案では、総延長1,740里の道路を開鑿し、35箇所の橋梁を架設する計画だったが、明治43年度〜大正5年度の実績は、道路開鑿496里、橋梁架設23箇所に終わった。 このため予定の線路を取捨し、当初の予算を整理したうえ、拓殖の前途を展望しつつ重点を配分した結果、さらに道路延長258里、橋梁42箇所を増やし、1,502里の道路を開鑿、54箇所の橋梁を架設することとした。 また、道路橋梁改良及び修繕事業は、予定延長450里の計画に対し、過去7か年の実行延長は80里だったため、なお370里が残っていたが、改良の必要なしと判断された214里を差し引き、今後の施行延長は156里とした。
▲開拓使本支庁管轄図 ▲三県一局管轄図
▲北海道庁支庁管轄図 ▲北海道支庁・市町村管轄図(昭和10年)
U.地方費支辨
明治34年地方費実施の際は、国県道22路線、延長927里7町33間であったが、40年度においては在来国県道を整理し、国道2線142里34町32間、仮定県道21線1,026里7町13間の合計23線1,169里5町45間とした。これらの道路を横断する河川に架設する約40の橋梁とともに、年々応急的な維持修繕を行ってきたが、明治43年度に15年計画の実行とともに拓殖上枢要な国県道16線755里余を国費支辨に移管した結果、地方費を以って支辨すべき路線は13線延長414里となる。 国県道の合計1,169里のうち835里は国費に属し、地方費は残余の334里に維持修繕を行うものとし、以上の路線にある橋梁渡船はそれぞれの所属に従って国費または地方費に区分する。 地方費に属する施業は維持修繕を主とし、稀に必要に応じて一部の改良を、橋梁は架設補助を行い、交通に支障がないように期しているものの、地方費財政状態はなおも多く支出することができず、改良工事についても同様だった。いまだ地方費自治の事業として行ったことはなく、ただ下級団体への補助にとどまっている。大正6年の経費予算は138,977円だった。
V.町村費支辨
国費、地方費で整備する幹線道路と密接な関係にある支線の里道にしても、整備が不十分であれば、折角の幹線もその効用を減殺された。 この里道を維持管理する区町村は、他に実施すべき事業が多く、かつ財力に乏しいため、道路は泥濘没却の状態を呈していて、地方費の補助は、新設改良が10分の5以下、維持修繕は10分3以下で、大正6年度の予算は54,504円。   (つづく)
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