建設グラフインターネットダイジェスト

〈建設グラフ2007年9月号〉

interview

田舎の企業は田舎で頑張ればいい

――町村合併は時代の流れで避けて通れない課題

株式会社渡辺組 取締役社長 渡辺 正利氏
網走支庁管内町村議会議長会会長
上湧別町議会議長

渡辺 正利 わたなべ・まさとし
昭和12年2月11日生まれ 上湧別町出身
昭和63年3月 株式会社渡辺組代表取締役社長 現在
昭和54年2月 北海道砂利工業組合北見支所幹事
平成 4年4月 湧別川砂利工業協同組合理事長 現在
平成 5年2月 北海道砂利工業組合網走支所長副支所長
平成 5年3月 北海道砂利工業組合網走支所幹事
平成13年4月 北海道砂利工業組合網走支所長 現在
平成 5年5月 社団法人日本砕石協会網走支部長 網走支庁管内
平成 5年5月 砕石緑化事業共同組合理事長 現在
平成 9年6月 社団法人北海道火薬協会理事 現在
昭和58年4月 上湧別町議会議員
平成 3年3月 上湧別町議会副議長
平成 7年4月 上湧別町議長 現在
平成 7年5月 網走支庁管内町村議会議長会会長 現在

北海道網走管内上湧別町に本社を構える株式会社渡辺組は、明治39年創業の老舗企業。建築から土木工事まで手掛けるほか、生コン工場、ヒューム管工場を擁し、管内を代表する地場企業だ。三代目の渡辺正利取締役社長は、昭和58年から町議会議員を務め、現在7期目。4期目から議長に就任。今年から網走管内町村議会議長会会長の大役が回ってきた。本業の建設業では「信頼される企業づくり」を経営理念のモットーとし、公共工事が先細りしているなか「一人のリストラ解雇も出さない」のが渡辺社長の信念だ。合併問題、厚生病院の建て替えなど地域の課題にも真正面から取り組み、管内のリーダーとして、その存在感は大きい。
――会社の創業は明治39年と伺っていますが就任後の歩みをお聞きしたい
渡辺
昭和27年に義務教育を終えて、30年ごろから会社の仕事をするようになりました。当時は従業員も多くいませんでしたので、一般住宅を建てるのが主業務でした。34年に現在の株式会社組織に改め、建築工事業と砂利・砂採取販売の二本立てで再スタートを切ったわけです。 そうして36年に遠軽の南出建設さんの吸収合併を引き受け、コンクリート二次製品製造工場の操業と土木工事を始めました。40年代に入ると網走管内も公共工事が年々盛んになり、砂利採取を行っていた関係で生コンの分野にも進出しました。先代からの教えで、「人様が手掛けている事業には手を出さない」ことが渡辺組の流儀で、砂利も生コンも他には誰も着手していなかったので始めたわけです。昭和47年には生コン工場とヒューム管工場を遠軽町豊里に新設し、既設のコンクリート二次製品製造工場を移設しています。当時は公共工事が増える一方で、寝る暇もないほどでした。いま振り返ると良い時代です。
――先発の企業があれば無理に割り込まないのは、一種「共生」に通じる考えですが、経営理念を反映しているのですね
渡辺
「和衷」「誠実」「勤勉」を社是とし、社訓には「超一流の技術サービスをめざせ」、「与えられたノルマの20%アップを自己の目標とせよ」、「柔軟性・先見性・積極性を持て」の三つを掲げています。
――個人住宅の分野ではカナダの輸入住宅を扱っていますね
渡辺
セルコホームから打診があり、網走管内は当社が唯一の施工会社になっています。基本的には輸入した部材を組み立てるので、大工は一人で十分なのです。北見にモデルハウスを展示しており、最近は紋別地区を重点に営業展開しています。公共工事は先細りですが、マイホームは個人向け住宅ローンの融資基準が緩和されてきていることもあって、不況でも一定の需要が見込めます。ゼロになることはないので、会社としても力を入れていきたい事業の一つです。
――これまでに札幌進出を検討したことは
渡辺
マンション建設などで何度かお誘いを受けましたが、すべてお断りしています。 管内でも札幌に進出した建設会社の多くが失敗していますから、田舎の企業は田舎で頑張ればいいと思っています。
▲セルコホームオホーツク ジョージアンテイスト ▲セルコホームオホーツク ビクトリアンテイスト
――公共事業が目減りしていますから、会社を維持していくうえで何かとご苦労も多いと思います
渡辺
わが社は人材から資材、機械まで何でもありますから、いくら仕事が減ったといっても食べさせていかなければならない。ですから幹部には「従業員を辞めさせるぐらいなら、自分から下がれ」と、うるさく言っています。仕事を探してくるのが上の者の責務です。 企業経営にとっても最も大切なことは「信頼される」ことてす。そうすれば仕事は黙っていても付いてきます。
――遠軽町の中心部で大型スーパーの建設が急ピッチで進んでいますね
渡辺
現地は当社の社有地で、関連会社の渡辺興産がオーナーになり、テナントに賃貸します。
――町議選に出馬したのは、どのような経過からですか
渡辺
父が町議を勤めていました。本人は昭和58年の改選期に「6期努めたのでそろそろ潮時」と引退を決意し、選挙前の2月に後援会関係者と相談し、その際に「後継者」が話題になり、「息子の私に」という話になりました。私は大の選挙嫌いで、青天のへきれきでした。 結局、町議選に出る羽目になりましたが、幸い断トツのトップ当選でした。7選の今回もトップ当選させてもらいましたが、他の5回の選挙も2番手か3番手で当選しています。
▲本社外観
――4期目から議長、そして今回から網走管内町村議長会の会長の大役が回ってきましたね。町村合併にはどう取り組まれますか
渡辺
合併はまず首長がどう考えるか。それに国なり道なりの指導がありますので、議会は両者の緩衝材のような役割となります。
――上湧別町、湧別町、佐呂間町3町の合併は05年3月に合併協議会が解散しました。今後の見通しは
渡辺
私は遠軽町、生田原町、丸瀬布町、白滝村の4町村と3町が一緒になるより、3町でまとまるのが望ましいと考えていましたが、湧別町の住民投票で「反対」が多数だったためご破算になりました。合併は時代の流れですから、避けて通れない課題であることは間違いありませんが、相手の立場に配慮し、本庁舎の位置も町名も自分の都合ばかり押し付けるようでは合併にならない。いずれにせよ首長に信念がないと、合併は実現しません。 今年1月に湧別町の町長選が行われたので、3町合併に向けた検討委員会のような組織を8月ごろまでに発足することになっています。 いま緊急の課題は厚生病院の建て替えです。厚生連は道内6ヵ所に総合病院、8ヵ所に小規模の病院を設置していますが、上湧別町の厚生病院はご多聞に漏れず赤字経営で、昨年までは赤字の三分の二を、今年からは全額を町が負担します。赤字にしろ設備の改修にしろ、湧別町の負担はどういうわけか年間100万円が上限で、建て直しの費用は全額地元負担です。しかし、民間病院があるため上湧別町は過疎債を活用できません。一方、湧別町は医者が一人もいない無医地区なので過疎債は可能です。上湧別との境界付近の国有地を湧別町が買い受けているので、そこに両町の折半で新しい厚生病院を整備することを内々に打診しましたが、「新病院の位置は市街地が望ましい」など町内の反対意見が多かったため、これもご破算になりました。今年2月になって、湧別町から中湧別町の文化センター周辺に、医者一人の診療所規模を希望してきました。上湧別町は厚生連の発祥の地でもあり、最終的に「やむを得ない」ことになり、来年4月開院に向けて取り組んでいるところです。それでも湧別町の一部に「なぜ中湧別町に建てるのだ」と反対論がくすぶっているようです。
▲ブロック工場 ▲遠軽コンクリート工場 ▲廃棄物リサイクルセンター
――いったん合併協議会が解散すると、仕切り直しは難しいですか
渡辺
網走管内16町村でもいま、合併の機運はありません。4町村が合併した新遠軽町はいろいろな課題を抱えているようで、「こちらに再合併の話は持ち込まないでほしい」と言っているほどです。合併してどのようなメリットがあるのか、きちんと町民に説明しなければなりません。合併による特例債だっていずれ返済しなければならない。合併しなかったら交付税が極端に減らされるわけでもない。 上湧別町は職員定数を99人から83人に削減したほか、さまざまな経費削減に取り組んでいます。昨年は開基110年のセレモニーも取り止めました。18年度は基金を2億2,400万円を取り崩す予算を編成しましたが、最終的に取り崩しゼロで決算できました。

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