建設グラフインターネットダイジェスト

〈建設グラフ2007年9月号〉

interview

道内最長の社歴を誇る

――技術と信用で地域に貢献
ブルトーザーの導入や企業体施工を最初に実現

白崎建設株式会社 代表取締役社長 白崎 義章氏

白崎 義章 しらさき・よしあき
昭和55年3月 武蔵工業大学土木工学科 卒業
昭和55年4月 株式会社 田中組に勤務
昭和60年4月 白崎建設株式会社に入社、技術室長付に就任
昭和62年5月 取締役社長室長に就任
平成 6年4月 取締役副社長に就任
平成11年6月 代表取締役社長に就任

明治18年の創業は道内の建設業界では最古の部類に入るだろう。釧路市に本社を置く、白崎建設株式会社は、現社長の白崎義章氏が創業者から数えて4代目となる。120年余に及ぶ歴史の中では、エピソードにこと欠かない。白崎組から白崎建設に法人化した昭和25年、道内の民間企業で初めてブルドーザーを導入したほか、複数の企業が共同で受注するジョイントベンチャーという請負形態を最初に取り入れたのも白崎建設だ。白崎社長は「技術と信用で地域に貢献する」と強調した。
──明治30年という長い社歴を持っていますが、その起源と来歴などをお聞きしたい
白崎
当社は、私の曽祖父の白崎次郎松が、兄とともに明治18年に大工請負業を始めたのが発端で、大正年間に入って初めて公共事業の道路工事を元請けしました。 その後、18歳で家業を継いだ祖父の正治が、官公庁主体の土木建設業に進出するため白崎組を設立し、昭和25年には白崎建設として法人化して、その年に釧路川の改修工事を受注しました。この時、民間で初めてブルドーザーを導入しました。それまでは、ほとんどの現場で土の運搬は馬車とレールの上を移動する蒸気エンジンの機関車によってトロッコや、後にリヤカーを牽引し、木工による人力作業が中心でしたから特殊だったでしょう。このブルドーザーを最初に運転したのが、室蘭工専(現室蘭工大)を卒業したばかりの父親でした。
――創業者である正治氏をはじめ、代々にわたって業界の発展にも貢献されましたね
白崎
昭和21年に釧路建設工事組合を創立し、初代組合長として就任し、その後、昭和23年に釧路地方土建協会組合長、29年から36年まで釧路建設業協会長を務めています。また、戦後になって道建協の渡米視察団に参加し、アメリカにおける建設業の機械化をつぶさに見てきたようです。 一方、昭和28年には、地元業者の結束を固めるため、十勝沖地震で発生した釧路川左岸築堤工事を本田組、小針土建との共同で請け負いましたが、これが北海道におけるジョイントベンチャーの草分けでした。 このように先代たちが残した業績は、機械化による技術革新と経営の合理化、そして個々に活動していた当時の地元施工業者を、企業体などの形態に組織化したことで、これらが今日まで引き継がれ、業界の慣例として踏襲されています。  父も昭和63年から平成5年まで釧路建設業協会の会長を務め、平成10年10月までは釧路商工会議所の建設部会長を務めていました。そして、平成11年に私が経営をバトンタッチしたわけです。現職に就任する以前は、副社長ですが、大学卒業直後は、札幌の田中組に5年間ほど在籍し、昭和60年に地元へUターンしました。
──帰郷して自社勤務となった当時は、どんな社会状況でしたか
白崎
昭和60年といえば、バブル直前の円高不況の苦しい時期でした。近年になって、公共事業費が毎年減少し、前年の半額になったなどと大騒ぎしていますが、それはバブル期の63年頃を基準にした話であって、それ以前の公共事業費は、現在と同じくバブルのレベルではなかったのです。
▲北海道庁釧路土木事務所 根室準地方費道歯舞線道路改良工事
 契約:大正14年7月25日 請負人:白崎正治
──近年は公共事業の存在意義と真価が改めて問い直されています
白崎
先代を見ていて思うのは、建設業とは地域経済を牽引するために、ある一時代を担った産業なのだということです。それ以前に牽引していたのは違う業種であって、例えば昭和20年から25年の混乱期を越え、その後に日本は復興期を迎えましたが、当時は建設業はまだ産業とは認められていませんでした。戦後の日本経済は食品、繊維、造船などが牽引しており、建設業は土建屋と蔑称されていた時代でした。 しかし、47年の冬季五輪以降からその役割が認知され、雇用を牽引する産業へと変貌していきました。これによって建設業の位置づけが定まりつつあると思います。
──果たしてきた役割が、さらに評価される努力が求められますね
白崎
かつて地域住民は、地域の活力を地元行政に支えてもらおうという意識がありましたが、現代はそれが通用しない社会構造となりました。しかし、自治体にしても地元建設業界にしても、雇用と経済を下支えしてきたのは事実であり、のみならず技術力を持った頭脳集団ですから貴重な人材が多く、まちづくりの上で両者は大きな役割を果たしてきたのです。
──建設業の地域貢献と防災体制についてお聞きします
白崎
建設業は、どちらかといえば発注者である行政には根付いていましたが、その反面では地域社会に根付いていなかった側面もありました。しかし、地域のために目立たないところで貢献しているのは、私たち地場企業なのです。 例えば、この釧路は地震が多い地域で、およそ25年周期で大地震が発生しています。かつてはインフラ自体が大規模に整備されていなかったので、大被害というほどではありませんでした。 しかし、バブル以降に急激に予算投下され、様々にインフラ整備された後に地震が発生したときは、地域が滅茶苦茶な壊滅状態となったのです。例えば、平成5年の釧路沖地震では、釧路市内から放射状に整備された国道38号、240号、392号、391号、44号、272号の全てが不通となりました。基礎となる路盤の盛土から破壊されてしまったため、一日や二日で復旧できるレベルではありませんでした。けれども、不通のままに放置するわけにはいかないので、地元建設業界としての技術力を発揮し、全社挙げての総動員体制で、不眠不休で復旧に当たったものです。 そこで、これ以後は建設協会が中心となって、災害時の初動体制など緊急時の防災体制を構築しましたが、その結果、7年の東方沖地震のときには、それが十分な効果を発揮しました。これがきっかけとなって、全国でもそうした防災体制づくりが始まることとなりました。 また、地域というのは様々な産業が結びついて成り立っているものですが、今日ではそれを断ち切ってバラバラに孤立することが、正しいかのように社会が誘導されています。都市部はそれでも良いかも知れませんが、郡部ではともに生きていくために連携というしがらみが必要です。それを地域で自覚してもらうとともに、建設業もその一つとして地域貢献していることを理解して欲しいものです。
▲本社社屋
──地元建設業として、今後とも存続するためにどんな取り組みを考えていますか
白崎
地域に信頼されることが最重要ですから、今後とも「技術と信用で地域に貢献する」という社是を守り、優秀な人材の育成に取り組む一方、国際認証であるISO9001/14001を取得しているので、このシステムを生かしながら21世紀の建設業界の信頼度をさらに高めるよう努力していきたいと考えています。 地元のボランティア団体とも連携し、毎月第1、4土曜日には釧路川の清掃作業を全社員で取り組んでいますが、そうした活動も地域貢献の一環と考えています。

白崎建設株式会社ホームページはこちら
HOME