建設グラフインターネットダイジェスト

〈建設グラフ2007年9月号〉

特 集

北海道土木行政110周年シリーズA

北海道第1期拓殖計画が明治43年にスタート

明治43年拓計スタート

V.15年経営案
日露戦争後、わが国の人口は急激に増加し、北海道は食糧、資源の供給基地として、また、新たに領土になった樺太への基地としての役割を担うこととなり、明治43年、北海道第1期拓殖計画がスタートする。 当時の河島長官が策定した15年経営案は、行政費、森林費、拓殖費を区別し、行政費についてはあらかじめ年度ごとの計画を定めず、各年度において法令または実際の必要に応じて相当の予算を要求すること、森林費については所定の計画を実施すること、拓殖費については15か年以内において必要な事業及び事業費を予定し、確実に遂行するために次のような方針を取り決めた。

1.拓殖費に関する本計画の期間を約15年間とし、その経費総額約7,000万円を国庫より支出する。

2.従来の地方費補給を廃止し、地方費に所属する事業のうち、国費で遂行することが必要と認められる事業は、明治43年以降拓殖費の支払いに移し、事業の統一を図る。

3.森林及び未開地の収入を拓殖事業の財源とする方針を改め、拓殖事業に関する一切の経費はすべて政府の一般歳入から支払う。

4.明治34年度以降、北海道拓殖費の確定支出額は年間250万円とし、北海道における政府の歳入増加額と合わせ、拓殖費は最高限度額の500万円を上回らないこと。

5.その他
6.その他

明治43年度の普通行政経費予算は62万円、拓殖費予算は250万円で、森林費が40万円だった。本計画は官民の大歓迎を受け、「本道拓殖事業は局面を一変するに至るべし」との期待感から各地で祝宴が開かれるほどであったが、実施早々、自然増収額が予定額を下回り、さらに政府財政の窮乏のため、予定の計画を実施できないまま途中で頓挫した。
明治43年度から大正5年度まで7年間の予定額3,000万円に対し、実際の支出額は1,847万円にとどまり、10年計画と同様の運命に陥った。大正4年に俵長官が着任するや、鋭意調査の結果、前15年経営案を見直し、大正6年度より実施に入った。
明治43年度予算額
経常部行政費563,819円
神社費3,747円
小樽水道補助費50,000円
営繕費1,517円
議員選学費2,000円
621,830円

単位:円

北海道庁予算額と実際支出額
(明治43年〜大正5年)
年度予定額実際支出額
明治43年度2,500,0002,500,000
明治44年度3,300,0002,500,000
大正元年度4,200,0002,989,639
大正2年度5,000,0002,516,925
大正3年度5,000,0002,626,637
大正4年度5,000,0002,542,637
大正5年度5,000,0002,616,412
30,000,00018,469,187

単位:円

北海道庁支出額(大正6年〜15年)
年度総額殖民費産業費道路橋梁費土地改良費河川費港湾費拓殖鉄道公債利子
大正6年度3,689,241435,131230,9161,219,691154,330366,7941,265,25326,125
大正7年度4,818,479441,086239,7771,421,583178,9451,031,9521,403,386101,750
大正8年度5,015,930444,021240,1051,551,868227,843833,9351,511,908206,250
大正9年度5,192,345430,164229,1251,572,847227,800860,5111,563,896308,000
大正10年度5,349,990430,064227,2061,767,847299,631926,3551,301,908398,979
大正11年度5,500,000430,064235,2061,755,416319,588963,5011,351,517442,708
大正12年度5,500,000428,312231,2062,274,996319,5881,290,190500,000455,708
大正13年度5,500,000424,973227,2062,284,496471,3911,441,513500,000447,421
大正14年度5,500,000409,798227,2062,345,557471,3911,147,557492,401406,133
大正15年度5,500,000385,496225,6402,392,556621,0841,272,606236,476366,141
51,555,9854,259,1092,313,59318,586,8593,282,5489,837,91610,126,7453,159,215

単位:円

W.15年経営案の改訂
ここに改訂の大要を紹介すると、前経営案が明治43年度以降15年間の国庫支出額7,000万円と定めていたのを、2年間延長し17年間で同額を支出することとし、7,000万円から既定支出額を差し引いた5,156万円を国庫支出額の総額とした。その財源は、大正6年度から同15年度まで、それぞれ10年間の自然増収2,421万円、国庫確定支出額2,500万円、道外法人収入448万円などを充て、総額51,555,985円とした。内訳は、殖民費4,259,109円、産業費2,313,593円、道路橋梁費18,586,859円、土地改良費3,282,548円、河川費9,837,916円、港湾費10,126,745円、拓殖鉄道公債利子3,159,215円となっている。前経営案の事業内容にも取捨が行われ、港湾費では予定修築港湾8港から未着手の根室稚内を除外し、網走港は避難港とし、室蘭港は既定計画より拡張して早期完成を目指すこととした。また、拓殖費から鉄道公債利子を鉄道院に支払い、鉄道敷設の推進を図った。
西村保吉
慶応元年生(1865年)〜昭和17年没(1942年)、文官高等試験合格(36歳)、長野県事務官、北海道土木部長(明治43年4月1日〜大正2年6月13日)、同拓殖部長(大正2年6月13日〜3年4月28日)、広島県内務部長、埼玉県知事(大正8年6月〜同年8月)、朝鮮総督府殖産局長(大正8年8月20日〜13年12月1日)同総督府土木部長兼務(大正8年9月9日〜10年2月12日)
北海道 土木

T.沿革
開拓事業で最も重要なのが土木事業である。開拓移民は先ず原生林を伐採するなどして道路を確保し、交通機関の端緒を開かなければならない。開拓使時代においては早くから外国人を招聘し、西洋新進の技術を利用、道路開削、鉄道敷設、埠頭の築造、堤防の工事等を着々と実施してきた。三県時代を経て、道庁時代に入るや、土木事業は益々活況を呈し、幹線道路の整備、原野の排水、河川の整理、港湾の修造、鉄道の敷設等、調査・設計及び工事の進捗状況は目覚しく、本道土木工事史のなかで最も特記に値する。明治43年の10年計画に触れてみたい。 10年計画の目的は、43年度から10年間にわたり、予定経費994万円を投入し、道路、橋梁、排水の各事業を実施するもので、初年度は従来どおり支庁において予算執行したが、35年度からは直接道庁が所管することになり、札幌、室蘭、増毛、河西、釧路、網走の6か所に土木派出所を設置、技手事業手を配置した。道庁が直接施行する事業のほか、道路新設、河川の浚渫等は土木派出所が測量、設計・施行に当たり、新設道路の修繕工事及び地方費工事は支庁が行った。 しかし、日清戦争の打撃により土木事業費が大幅に圧縮され、10年計画は道半ばで頓挫を余儀なくされた。

西村2代目土木部長

方針表明
15年計画が具体化したことで本道の土木事業は再び発展したが、当時の土木部長西村保吉は事業執行に関し、道庁の方針を表明している。
▲開拓使時代の銭函〜小樽間新道の開削 ▲朝里隧道西口切腹工事
事業の統一
これまで道庁所管の土木事業は、本庁が直接施行する事業を除き、道路整備は土木派出所、修繕工事及び地方費所属工事は支庁に委任していたが、同一種類の事業を二つの官庁に分けることは事業の執行上非効率きわまりないので、新計画の実施を機に、支庁に委任していた土木事業はことごとく本庁の直轄とし、すべて派出所に統一して施行させることにした。このため、派出所を3か所増設、従来の派出所と合わせて8ヵ所とした。
事務の分配
土木事業を本庁の直轄とすると同時に、事務の分配を一新する。これまで本庁においても護岸の築設、橋梁の架け替え等、国費または地方費に属する若干の事業を直接施行していたが、今後はこれらの事業も土木派出所に移管し、本庁はもっぱら計画の策定及び司令監督にあたり、一切の土木事業は土木派出所、築港事務所及び治水事務所にそれぞれ分担させることとした。築港、治水両事務所に属する特殊な事業を除き、土木派出所で統一執行させるため、道路整備事業にのみ従事してきた土木派出所の所管事業は、次のとおりとなる。
▲明治42年北海道庁 ▲明治43年8月 有珠山噴火
土木派出所の権限
これまで土木派出所は道路整備事業のみを所管し、事業量も比較的僅少だったため、設計の監査から設計の変更、竣工延期等事業の執行に伴う審査、経費支払いに至るまで道庁が管理してきたが、前述のとおり派出所の執行する事業が飛躍的に増大するため、今回の改正を機に事業執行に関する派出所の権限を拡張し、監督上重要な関係のあるもののほか、おおむね派出所長に道庁の権限を委譲する。これまで派出所における事務の停滞、請負業者との病弊に対して根本的な革新(改革)を試みることになり、事業の進捗や請負人の利便が図られることを期待している。
事業の執行方法
「直営及び請負の二種を併用することは従来どおりといえども、今後事業の増加に伴い請負業者に付託すべき事業の数量は次第に増加するであろう。諸君の誠実な対応を切に望むものである。」 明治43年6月、西村部長は各土木派出所長及び全道土木請負業者を招集、新計画方針の考えを説示し、同年9月、土木事業規定を発布するとともに、土木派出所は札幌、室蘭、増毛、河西、釧路、網走、上川、函館の8ヵ所に、築港及び治水事務所は小樽、釧路港湾事務所のほか、函館、留萌に港湾事務所、石狩川治水事務所を置き、事業遂行に努める。 この間、大正6年度に15年経営案の改訂により経費が急激に膨張し、同7年には予算額が422万円の巨額に達し、技師、技手を増員するとともに、勅任技師を配置して技術上の統一、指導強化を図った。同時に庶務課、工務課の二課を廃止し、道路、土地改良、河川、港湾の四課体制とした。
▲大正13年11月竣功した北海道庁正門前の木煉瓦舗装道路
道路課
土木改良課
河川課
港湾課
地方費支弁の土木事業は、下級の公共団体もしくは私人の事業を助成する補助的なもので、前者は道路橋梁の修繕架設、河川堤防の修繕桟橋及び埠頭、排水運河、後者は灌漑工事調査設計、漁港調査設計補助費の支給等で、明治42年4月発布の土木費補助規定により補助金を支給している。 道路橋梁河川等に関する必要な施設は、公費をもって施設経営する一方、財政難のため事業の完成が大幅に遅れていた。且つ完成した道路橋梁等は、利用者の注意と努力によって愛護節用する意識を助長するため、明治45年6月、土木事業奨励規定を発布し、毎年、功績者を表彰している。
土木工事設計調査規定
本道における下級団体の基礎は構築されておらず、最も緊要な事業の一つである土木事業施設の多くは、必要な土木技術員が配置されておらず、計画、設計ともに杜撰を免れない。このため道庁は大正5年、土木工事設計調査規定を発布、地方費の新事業として、町村及び土功組合の要請により、土木建築工事の設計を調査し、これを交付する計画を立てた。(つづく)

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