建設グラフインターネットダイジェスト

〈建設グラフ2007年1月号〉

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荒ぶる斐伊川の氾濫に立ち向かう

本格的な治水を担う斐伊川放水路

国土交通省 中国地方整備局 出雲河川事務所

 
斐伊川本川の地形的特徴
■急峻な河川
 斐伊川は急峻な地形を流れる河川であり、その本川の河床勾配は中流部付近でも1/500〜1/750、出雲平野で1/1,000前後となっています。
■全国でもまれな砂河川
 斐伊川上流或は、崩れやすい特徴を持つ花崗岩に覆われており、崩れた土砂は真砂土として斐伊川に流れ込みます。この真砂土には良質の砂鉄が多く含まれていたため古来から「たたら製鉄」が盛んで、砂を川に流して砂鉄を採取する「鉄穴流し(かんなながし)」が行われてきました。
 このため、斐伊川は網状砂州の発達した典型的な「砂河川」となり、この大量の土砂により出雲平野が形成されました。
■全国有数の天井川
斐伊川からの大量の土砂は、出雲平野を形成すると同時に、斐伊川の河床に溜まっていきました。このため、洪水が増え、これに対して堤防を高くすると、また土砂がたまるという繰り返しにより、全国でも有数の「天井川」となりました。

 中国地方整備局出雲河川事務所は、一級河川斐伊川について上流は島根県雲南市木次町から、下流は境水道までの約112km平成18年8月1日に新たに1級河川となり斐伊川水系に編入された神戸川(斐伊川放水路開削区間を含む)約16kmの直轄管理を担当している。主な事業は河川改修・維持管理・環境整備などで、特に河川改修の中でも「斐伊川放水路事業」と「大橋川改修事業」は、島根県東部における治水の要となる事業だ。斐伊川放水路事業では、現在、掘削・築堤工事、護岸の施工、堰・橋梁の改築等を促進しており、放水路と共に、斐伊川治水の柱の一つである大橋川改修の具体化に向け、調査検討を進めている。
 一方、中海・宍道湖は、浅場、葦帯の整備などとともに、環境護岸や湖岸堤の整備、中海湖心や宍道湖の湖心観測所などで水質監視も行われている。その他、情報通信ネットワークの構築に向けて、光ファイバーの整備も進められている。

流域概要
▲斐伊川の出口 境水道
(境港市名松江市)
▲中海の米子湾と米子市街地
(米子市)
▲宍道湖に注ぐ斐伊川(出雲市)

斐伊川は、その源を鳥取・島根県境に位置する中国山地の船通山に発し、途中、三刀屋川や赤川等の支川を合せながら北流し、出雲平野を東に流れて宍道湖に流入。県都・松江市を流れる大橋川を通って中海に入り、境水道を通じて日本海に注ぐ、流域面積約2,070km2、幹川波路延長約153kmの河川だ。
流域は、上流から宍道湖に流入するまでの斐伊川本川流域と直接宍道湖へ注ぐ宍道湖流域、中海へ注ぐ中海流域の3つに大別される。本川の勾配は、中上流部にあたる直轄区間において1/500〜1/800程度で、出雲平野で1/1,000前後となっている。また、上流域の大部分は風化花崗岩によって覆われているため、古来より多量の土砂が流入して今日の出雲平野が形成された。現在においても、上流からの供給土砂によって網状砂州の発達した典型的な砂河川となっており、全国でもまれな「天井川」である。中には斐伊川の河床が堤内地盤高に比べて、3〜4mも高いところもある。
一方、宍道湖は、流域面積10km2程度の中小河川が直接流入しており、大橋川を通じて中海に注ぐほか、江戸時代に開削された佐陀川によって、直接日本海へ通じている。中海については、飯梨川、伯太川など比較的大規模の支川が流入しており、境水道を通じて日本海へ注いでいる。日本でも有数の大湖で、また日本最大級の冬鳥の飛来地ともなっている。この宍道湖・中海の平均水深は比較的浅く、また日本海との平均水位差が数cm〜約10cmと小さいため、いずれも淡水と海水が入り混じった汽水湖となっているのが特徴だ。このため、特に宍道湖などは、洪水時の水はけが悪く、湛水期間の長期化、内水被害増大の原因となっている。
その他、神戸川は中国山地の女亀山を源として山あいを北流し、途中で頓原川や波多川などの支川と合流しながら出雲平野の田園地帯を流下し、大社湾に注ぐ流域面積約471km2、幹川波路延長約87kmの河川だ。

頻繁に発生する洪水と発生原因

斐伊川は、過去の記録では8世紀初めに「出雲に大洪水あり」との記述が見られる。さらに近世に入ると、洪水の記録が多く残され、ほぼ4年に1度の割合で洪水が発生している。明治以降も台風や梅雨前線による洪水で大災害が相次いでいた。洪水が頻繁に発生する原因としては、斐伊川のもたらす大量の土砂で河床が上昇し、典型的な天井川となっていること、下流に、日本海との水位差があまりない宍道湖や中海があることが挙げられる。
このため、斐伊川の歴史は「洪水との戦いの歴史」ともいえ、過去の記録を辿ると、本格的な治水事業は17世紀初めの築堤工事が始まりといえるが、当時の洪水で斐伊川は東流し、宍道湖に注ぐようになっていた。
そこで、宍道湖河口部では「川違え(かわたがえ)」を繰り返してきたが、松江城下などの宍道湖沿岸では浸水被害が頻繁に生じたため、1787年に湖水を日本海に排除する佐陀川を開削した。しかし、排除できる流量が少なく抜本的な解決には至らなかった。そして1832年には、斐伊川の出西より分流する新川が開削されたが、むしろ土砂が堆積し始めたため、1939年には廃川となったのである。
砂河川である斐伊川は、その水防工法にも独自な方法がみられ、例えば、当時に用いられた「出雲結(いずもゆい)」は、破堤した堤防の仮復旧工法で、丸太で組み合わせた支柱に木の枝や竹を張り付けたものだ。その水流を利用して川底の砂を移動させ、仮堤防を築き次の洪水に備えるものだった。
そして、1922年には本川の改修事業に着手し、同時に宍道湖の水位上昇を防ぎ、舟運の便を図るため大橋川の浚渫を実施した。その後、流送土砂対策として、下流の複断面化、漏水対策及び宍道湖・中海の湖岸堤整備なども実施してきた。
そうした近代的な改修事業が完了した後でも、1940年代から1970年代にかけてはなおも相次いで洪水に襲われた。このため、1976年に斐伊川及び神戸川の抜本的な治水計画として、工事実施基本計画が改定された。この計画は斐伊川、神戸川の両水系を一体とした高水処理計画で、両川の上流にダム(尾原ダム・志津見ダム)を建設と、中流の斐伊川放水路の建設と斐伊川本川の改修、下流の大橋川改修と中海・宍道湖の湖岸堤整備の3事業が中心となっている。

▲斐伊川上流 鬼の舌震
(奥出雲町)
▲宍道湖の湖水排除のため
開削された 佐田川(松江市)
斐伊川放水路事業に大きく期待

現在、施工されている斐伊川放水路事業は、洪水時に斐伊川の河川水の一部を神戸川へ分流させることにより、斐伊川下流部や宍道湖の水位を下げ、また神戸川の川幅も広くなることで、両河川の安全性を高めることが可能となる。放水路の開削部は、出雲市大津町米原付近から同市上塩旭町半分までの4.1kmの区間を、96mの川幅で新たに掘削し、神戸川に合流させる。拡幅部は、合流点から河口までの9kmの区間においては、神戸川の川幅を平均で現在の約1.5倍(300〜370m)に拡幅する計画だ。
これらの事業に基づく施工においては、掘削土量が約1,600万m3、築堤土量が約400万m3となり、橋の架け替え・新設は25橋に上る。また、斐伊川分渡部の分流堰、神戸堰の改築、新内藤川水門などの河川構造物が建設されている。事業にかかわる用地面積は約322ha、移転家屋は437戸となる。
こうした大事業に伴い、同事務所では「グリーンステップ事業」と題し、放水路事業で発生する土砂の大部分を開削節南側の3つの谷に搬送して階段状に盛土し、その跡地を島根県が有効利用する予定となっている。また、太古の「神々の国」でもあった地域柄から、島根県教育委員会と出雲市教育委員会に委託し、埋蔵文化財調査も行っている。


出雲河川事務所管内の整備に貢献

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