建設グラフインターネットダイジェスト

〈建設グラフ2006年5月号〉

interview

地域住民の経験知の活用を

砂防対策の心構えは認識 知識 意識

国土交通省 河川局 砂防部長 亀江 幸二氏

国土交通省 河川局 砂防部長 
亀江 幸二 かめえ・こうじ
本籍地 愛知県
昭和49年3月 名古屋大学農学部林学科卒業
昭和49年4月 建設省採用
平成2年4月 九州地方建設局大隅工事事務所長
平成4年10月 中国地方建設局河川部河川調査官
平成6年4月 河川局砂防部砂防課砂防事業調整官
平成9年4月 新潟県土木部砂防課長
平成11年9月 ネパール王国に派遣
平成14年1月 河川局砂防部保全課長
平成15年7月 河川局砂防部砂防計画課長
平成17年8月 河川局砂防部長
平成17年8月  国土交通省北海道開発局札幌開発建設部長
 
 全国の危険地域を行政が常時監視するには限界がある。しかし、迅速な対応によって被害を抑制するには不断の警戒が不可欠だ。このジレンマをどう解決していけば良いのか。亀江幸二砂防部長は、「土地勘を持つ地域住民の経験則を活用すべし」と提唱する。砂防に必要なものは、災害というものに対する認識と、災害の前兆をいち早く察知し、対応するための知識、そしてそれらを常に喚起する意識が重要であると説く。


▲由比地区
――近年の惨状を見れば、人命や財産の保全を考えた場合、国家予算の負担が多少増えてもやむなしとの国民的合意が出来ているのでは
 亀江
 
 大規模な災害が続いているので、いろいろな場面で砂防というものがクローズアップされていますね。例えば、来年度の予算編成方針が閣議決定されていますが、公共事業は減額するとしているものの、防災、治山治水は重点的に推進しなければならないと明記されています。国民の安全・安心の確保のための政策は今まさに注目され、期待されているのだと思います。
――砂防事業を現地で執行する砂防事務所が、全国にありますが、特に重点的に予算措置されているところは
 亀江
 
 直轄事務所というのは、危険の高い地区を対象としており、最近災害が発生したところとしては、雲仙普賢岳の噴火災害対策や、広島県の西部山系の直轄事業、記憶に新しいところでは中越地震対策などに、特に重点を置いています。  その他には、起工式を最近行った静岡県由比地区の地すべり対策もあります。この地域は静岡市の東に位置しますが、そこに薩?峠があり、旧東海道から富士山を見るのに絶好のロケーションで、安藤広重の東海道五十三次の絵にも、薩?峠からの眺望を描いた作品があるほど非常に風光明媚なのですが、急峻な地すべり地帯なので、この間1月14日に直轄で事業着手しました。このエリアにはさらにjr東海道線、国道1号線東名高速道路という日本の大動脈が集中しており、これが被災すると我が国の経済に大きな打撃を与えることになります。  砂防事業は災害が起きないとなかなか重要性が実感されないため、東側での対策は進んでいたものの、この地域だけが後回しになっていました。しかし、地すべりの兆候が至る所で見られると同時に、東海地震が起こったときには被害が甚大になることは確実です。中越地震は起きてしまってからの対策となりましたが、ここは地震が起きる前に着手することに大きな意義があり、急がなければなりません。
――伊豆方面は、雨が降ると通行止めになると聞きますが、思わぬところに危険地域があるのですね
 亀江
 
 大きな災害が起きて初めて社会的に注目されますが、実はそのように大規模災害が起きそうなところは、全国各地にあるのです。都市の近くで起きた災害として例を上げれば、昭和60年に長野市内で発生した地附山地すべりがあります。大規模な地すべりによって住宅が次々に被災し、その模様がテレビで中継されました。  阪神大震災で土砂災害に対する断層の影響がクローズアップされ、断層周辺の砂防事業が重点的に進められた経緯があります。中越地震のような大きな地震が起きると、断層の存在が確認されるように、現時点では全ての断層を把握しているわけではありません。
▲平成17年台風14号による災害
(大分県湯布院町下湯平良)
――ソフト面で、比較的スムーズな避難体制が確立され、被害を巧みに抑制している事例は見られますか
 亀江
 
 台風14号で人が亡くなった11箇所のうち10箇所は、避難勧告が事後か、あるいは出なかったわけですが、逆に言えば、発令が迅速であれば速やかに避難し助かるわけで、そうした事例は実際にあります。代表的なところでは、宮崎県日之影村の例です。その町は町長以下、みなが非常に防災意識の高いところで、早めに避難勧告や自主避難を促す体制を敷いています。そのお陰で、土砂災害は実際に起きているのですが、人的被害を受けずに済んでいるのです。先にも述べた通り、人家の被害はありますが、人命だけは助かっているのです。こうした地域をさらに増やしていかなければなりません。  私は認識と知識と意識というものを主張していますが、危険箇所を知って危ないという「認識」を持っていなければならず、危ない時にはどうすべきかという「知識」が必要で、例えば前兆現象を理解することも知識です。そして最後に、その「意識」を持ち続けることです。
――認識についての啓蒙、知識の普及、意識の啓発活動が重要ですね
 亀江
 
 意識を持ち続けるといっても、災害は100年にわたって起きないかもしれず、逆に翌年には起こるかもしれません。100年は起きていないから安全ということはなく、また昨年に起きたので当分は心配ないということもありません。したがって、危機意識を持続するのは大変なこととは思いますが、そもそも認識すら持っていない人が多く、災害の前兆現象についても教えられない限りは知識を持つ人は少ないのです。  例えば、山鳴りがしたり、木が河川を流れてきたり、川が濁り始めるといった現象は非常に分かりやすいのですが、雨が降っているのに川の水位が下がるという一見して矛盾した現象もあります。津波の場合も大津波が押し寄せる前に海の水が沖合いの方へ引くことがあると言われています。引いた後には魚介類が残されるので、採りに行く人がいて危険です。土石流の場合に河川の水位が下がるのは、上流で大きな崩れがあって流水がせき止められていることの現れなのです。ですから、そうした状況にあってはいち早く逃げなければならないのです。中越地震でも河道が閉塞して天然ダムができましたが、その下流は当然、水量が減っているわけです。そうした知識があるとないとでは、災害を回避する上で大きく異なります。
――地域の危険性をあまり喧伝されることを望まない人もいるのでは
 亀江
 
 都会であっても危険な急傾斜地はあるのですが、あまり危険性を指摘すると、地域イメージが悪くなるとか、地価が下がる、観光客が減るといった反発もありますから、そうした側面を考慮し、上手く共生していかなければなりません。  山奥の鄙びた温泉宿でコンクリートでは、確かに風情が無く似つかわしくないので、周囲の環境・条件に配慮し自然を残した形で安全度を上げていくことも必要ですね。  もっとも、災害が起きれば予防事業が大事だとみな口を揃えますが、災害が発生した箇所への緊急対応が最優先なので、予防的事業を削ってでも災害フォローへ回すしかないのが現実です。しかも喉元過ぎれば熱さ忘れると言いますが、災害の少ない年が続くと予算はどんどん減額されていくため、結局は予防には回らないという残念な実態にあります。そのため、重点的にプライオリティの高いところに集中投下していくしかないと思います。
――雪崩などの発生する可能性を、ある程度は予測する必要がありますね
 亀江
 
 そのためにも雪崩などが起きやすい箇所が、世代を越えて継承され伝えられていることが非常に大切です。また、山の様子は暖冬少雪が続いた20年のうちに大きく変わっています。かつては雪崩が起きなかったところが、森林が伐採されたことで、危険が増している場合もあり得ます。そうした変化が毎年あるなら気づきやすいのですが、20年間雪が少なかったために気付きにくいのです。  しかし、例えば村の長老などはそうしたポイントを心得ているものです。私も各地を転勤しましたが、地域の人は、“雪崩の通り道”などと呼んで雪崩の起きるポイントをよく知っているのです。そうした知識が伝承されているかどうか、あるいは最近の変化で情報が適切に修正されているかどうかが問題です。雪崩危険箇所を調べていますが、豪雪地帯の中で一定の基準を設定しており、機械的な抽出です。  災害の発生も悪い条件が揃うと起きることは誰しも理解できると思います。低木や草地の斜面ではより雪崩発生の危険が高いと言えます。また、その可能性は雪の降り方だけでなく、気温の影響も大きいわけです。今冬の場合も斜面の雪にクラックがあることを地域の人が発見して難をのがれた事例がありました。地域の人が意識して見ていれば、場合によっては危険が予知されて速やかに避難を促すこともできるのです。ですから、家の回りだけを注視せず、山の斜面などにも注意を向けてもらいたいと思うのです。  そのためにも、危険箇所をお知らせし、その兆候を監視してもらうという方法が有効だと思います。雪崩の場合は土砂災害とは異なり、雨が何mm降ったら危険と言い得るような明確な基準を作るには至っていないため、経験則に負うところが大きいのです。  気温が上がったから雪崩が起きやすいというのはイメージとして分かりやすいですが、実は気温が低く凍った状態に雪が積もれば雪崩の可能性もあるのです。
――同じ山でも北と南の斜面では全く違うこともあるでしょう
 亀江
 
 そういうことも考えられます。したがって、ソフト対策というのは非常に難しいのです。山の斜面にクラックが入っていて、今にも崩れそうな状況が見えるならば、誰でも警戒するでしょう。そうした危険性のある場所であることを、事前に知っていれば、注意するようになるのです。
――日本の経済発展の陰では、こうした砂防の貢献も十二分にあったことが知られていませんね
 亀江 
 その通りです。途上国への技術協力のためにネパールへ行きましたが、途上国の事情はもっと切実で、これから道路を造り、産業を発展させねばならず、防災に回す予算はない状況です。しかし、災害の繰り返しで道路は頻繁に崩れています。上流部からの根本的な防災対策を施せば良いのですが、予算が回らないため崩れた土砂を排除するだけなのです。そして、次に雨が降ったらまたも崩れ、効率が悪い。  本来はトータルに国が発展していくような予算体系が必要ですが、どうしても開発系予算に傾きがちで、結局は災害に足元をすくわることの繰り返しなのです。ですから、根本的に危ない国は安全基盤を強固にしてからでなければ、開発が無駄になる可能性があります。
――人口が分散するほど、砂防は負担がかかり不利ですね。砂防整備の完了した地域に密集していた方が、効率は良くなるのでは
 亀江
 
 しかし、中山間地域に住んでいる人々が、山を守っているわけです。都会にいる人々は、応援に行くことはできるでしょうが、中山間地域の人たちはそこに生活基盤があるわけです。そこに暮らす人がいなければ砂防事業は不必要とされるのかも知れませんが、それでは山は荒れ放題です。中山間地域は水源地でありエネルギーの源でもあり、そして食料の生産地でもある重要な地域です。そういう場所を捨てて、みなが都会に出て荒れ放題になってしまったら、国土全体のバランスが崩れます。とかく大規模で広域的な災害や都会に近い災害の方が注目されやすいのですが、しかし現実には、山奥ではもっと悲惨な災害が発生し、深刻な状況になっているのです。もはや砂防だけの問題ではなく、総合行政の政策課題であり、国政全体の問題といえるでしょう。

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