北海道発未来着

竜飛崎に立ちて思う

16.吉田松陰と松前街道

8月下旬、青森県津軽半島の最先端、竜飛崎を訪れる機会があった。そこは言うまでもなく、青函トンネルの本州側入り口でもある。当然、北海道福島町と同じようにトンネル記念館があった。しかし、同じなのはそれだけで、ほかに多くの北海道側とは違う本州最果ての地の素顔を垣間見てきた。
 竜飛崎には青森から国道280号を北上して行ったが、途中何カ所も車1台が通るのがやっとという狭いトンネルがあり、とても観光バスで行くことなど無理な地域である。280号には昔松前藩が参勤交代の時に通ったことにちなんだ松前街道と名付けられたところがある。陸奥湾に沿って見事な松並木が続き、国道5号の赤松街道を思い出させてくれた。嬉しいことに、道路沿いの防波堤の壁面に道案内があり、そこには“松前”の文字が書かれてあった。この道を北上すれば、松前に行くという意味なのだが、まさしく280号の終点は函館市なのである。ほかにも279号、338号と3本の国道が津軽海峡を横断している。北海道側も道案内の中に、青森の地名を加えるくらいの気持ちがあってもよいのではないだろうか。
 これだけ道路事情が悪いにも関わらず、竜飛崎には青函トンネル記念館のほかにも、風力発電の風車が10基も立ち、付近をウインドパークとして観光にも活用している。さらに、トンネルの斜坑を体験坑道として観光客に開放している。一度北海道側の斜坑を見学させてもらったことがあるが、そこは管理用だけになっており、観光用にはまったく使われていなかった。その間の経緯は知る由もないが、北海道側は青森側と比べ道路事情も良く、松前・江差へと続く観光ルートにありながら、どうして青森側とは違う利用形態になってしまったのかと残念に思った。狭い道でも懸命に頑張って観光開発に努めている青森に対し、立派な道がありながら十分生かし切ってはいない北海道はこれから将来どうなっていくのだろうかと、ふと心配になった。そんな時、「新潮45」8月号の記事『北海道には金が落ちている―続・天国になった北海道』の中にあった1節――「そんなことまでして町を活性化させたって、なーんもアタイしないさ」というのが、(中略)市町村の首長をはじめ観光関連業者や行政の商工観光担当者たちの本音である――が頭をよぎった。
 竜飛崎には幕末の志士吉田松陰の碑が立っていた。1851年外国船の北方海域への暗躍を憂慮して、現地を見ようと盟友宮部鼎蔵と吉田松陰はその年の12月足掛け5ヵ月に及ぶ東北への旅を決行した。翌3月竜飛崎を遠望する所で、松陰は次のような感想を書き残している。「海面に斗出するものを竜飛崎となす。松前の白神鼻と相距ること三里のみ。而うして夷船憧々、其間に往来す。これを榻側に他人の酣酔を容す者に比ぶとも、更に甚しと為す。苟も士気ある者、誰か之れが為に切歯せざらんや」百数十年も前から津軽海峡は国際的な重要拠点として考えられているにも関わらず、いまだに我が国にその意識が低いのは残念でならない。これに対し、最近、マレーシアとインドネシアの首脳間でマラッカ海峡(最小幅40q)への架橋構想が合意されたというマスコミ報道があった。南の国際海峡「マラッカ海峡」に比べ、北の国際海峡「津軽海峡」をめぐる取り組みは余りにも寂しい。吉田松陰の熱き想いは、寒村が続き、満足な道路もない津軽半島・竜飛崎の強風にかき消されたままである。

17.北海道を眺めて思う

当日は雨上がりであったが、19qの海峡を隔てて、松前小島から駒ヶ岳まで北海道がはっきりと見えた。そして、眼下の津軽海峡には大型貨物船が悠々と通っていた。もしかすると、それはサンフランシスコ発釜山行きの船かもしれない。なぜならば、津軽海峡はれっきとした国際海峡であるからである。その船を見ながら不意に、船をロープでしばって日本に立ち寄らせたらと思ったものだ。北海道と本州の間に、北米とアジアを結ぶ重要な国際海峡があることを日本人は忘れている。
 函館から青森へはジェットフォイルを初めて利用した。所要時間1時間40分、80キロを超えるスピードで快適そのものであったが、利用者は定員の1割ほどの20数名しかいなかった。理由は料金が高いのと便数が少ないため、利用勝手があまりよくないということであった。その上、乗り場が函館、青森とも駅から少し離れている。そのせいか、今年限りで運行を中止し、高速フェリーに交代するという。せめてその効果に期待したい。帰途はjr津軽海峡線を利用した。ジェットフォイルほどではないが、まだ夏休み中であったにも関わらず、半分ほどしか席が埋まっていなかった。そもそも青函トンネルの利用は図−14のように伸び悩んでいる。今回あらためて津軽海峡線に乗りながら、旅客の伸び悩んでいる理由を考えてみた。

@連絡船に比べ、時間短縮はあるが思いのほかではない。
Aトンネルという閉塞空間が長く続くためか、連絡船のような旅情が感じられない。
B青函圏の交流が不足している。例えば、イベント情報が相互に交換されていないし、新聞にも相手側の記事・情報があまり載っていない。

 青函トンネルの効果を活かすことについて、新幹線やカートレインの話題が出てくるが、それらハード面だけではなく、ソフト面における活用策を今からでも十分検討し、実行できるものから実行する必要がある。それに加えて、国際海峡“津軽海峡”の活用を多面的に検討する組織の必要性を強く感じた竜飛崎であった。



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