北海道発未来着

m氏からの景観論について

19.「十年の計は木を育て、百年の計は人を育てよ」ならば景観は何年の計?

 「十年の計は木を育て、百年の計は人を育てよ」は中国のことわざであるが、ひるがって現代日本は果たして木を育て、人を育ててきたであろうか、はなはだ疑問と言わざるを得ない。「うさぎ追いしあの山、こぶな釣りしかの川」は歌の中の世界となってしまった。木の防風効果は木の高さの10倍まで及び、農地ではその効果によって、収量が増加するという。科学技術で自然を制圧するのではなく、自然の持っている大きな力を上手に引き出す知恵が求められている。
 m氏は昨年秋ヨーロッパを回り、その景観が北海道と比べようもないほど素晴らしいとして、9ページにわたる景観論を書き筆者に渡してくれた。一読して、同感するところが多々あり、どこかに発表することを薦めたが、控えめな氏はその気はないと言う。それはあまりにもったいないので、小生が代わりに本コーナーで引用させていただくこととした。
 「ドイツは、200年前から植林の歴史があります。それがシュバルツバルトを生みました。緑と山々と谷間の決して日本ほど美しくない川そして少しの湖沼、これだけの恵みしかないのに、あの谷あいの美しさ、街の景観の美しさは、何故なのか、それは景観に配慮した人的構造物(家、橋、道他)の存在でした。背景の自然と決して違和感のない配色と形(デザイン)に理由があると思いました。そして、無駄な「ゴミ等」が全く目に触れないようにしている努力があるからだと分かりました。(中略)同じ50年の間に復興した日本と比較して何故これほど違うのかと、ただただ驚きなおかつ今の日本の現状に失望したということでございます。つまり、北海道においては、この恵まれた美しい自然を人工構造物(家を含めた)が美観のレベルを下げているのです。(中略)北海道は、近未来において(20から30年)は主力は1次産業と3次産業である。勿論2次産業の誘致は愁眉の願いであるが、日本から円高のせいで工場が外国に移転している現在かなり難しい。それよりも、躍進するアジアの人々、いや世界の人々を意識した景観づくり、観光地を造ることが一つの道民の目標ではないだろうか。」
 最近、21世紀のキーワードはkではないだろうかと思っている。頭文字kで始まる次のような言葉、すなわち、環境・教育・観光・国際化・個人・心・個性化・家族・健康・高齢化などである。確実にこれらの価値、役割が重要になってきている。それ故、これらへの対応如何が次の時代を決定することになる。そして、景観もまたkの一つなのである。m氏の景観論は次代の北海道への一つの警告でもあり羅針盤でもある。これらの多くのkを集大成する言葉が“感動”である。人生とはわずかの感動を求めてさすらう旅である。たまに出会う感動に至福の喜びを味わう、それが人生である。
 m氏の景観論は次のように締めくくられている。
 「我々のこの雄大な大自然、カルデラ、火山、滝、温泉そして氷河で削られたと思うような、非常にヨーロッパと似た石狩平野や十勝平野を代表とする地形、そしてそこで穫れる美味しい農産物、きれいな川、あおあおとした緑、そして、日本の中においては人口密度が大変少ない、暖流と寒流がぶつかる釧路沖の美味しい魚、オホーツク海の流氷等と大変資質に富んだ北海道を考える時、北海道らしい北方型の個性と文化あふれる美しい景観を造り、アジアのスイスと言われるようなアジアの人々を魅了してやまない地域にすべく頑張りたいと思います。」
 ヨーロッパでは、橋一つについても住民が周囲の景観とマッチしているかと大議論になるという。そのせいかヨーロッパでは、一つ一つの橋が全部違う形になっている。多分物真似のような構造は設計者の沽券にかけても絶対造らないという精神が行き渡っているのだろう。m氏によると、中産階級の市民社会によるルネッサンスを経験したヨーロッパと経験していない日本との違いが景観に表われるのだという。しかし、この点だけはm氏と多少意見を異にする。古い寺や城、白壁の城下町、あるいは東京の隅田川の震災復興による橋梁群、さらには旭川の旭橋を見ても、過去の日本人には意識していたかは別として、十分景観思想があったのだと思う。むしろ、高度経済成長時代の大量生産が標準化・画一化を推し進め、全国どこの駅舎・駅前広場が似たようなものといった現象を生み出し、景観思想が置き去りにされたと考える方が正しいだろう。近年、これを反省する動きが“シビックデザイン”などの形で進められている。しかし、まだまだ試行錯誤の段階であり、必ずしも後世の評価に耐えれるものか心配がない訳ではない。
 木を育て人を育てるように、先を見てじっくりいいものを創り出す努力を継続する、その成果は次世代が享受する、そんなプロセスしか我が国の景観をヨーロッパ並みにする方法はないのかもしれない。景観はものづくりに当たる技術者そして住民意識が創り出すものである。美しいものを好むのは人間の本性である。木を育てるように、景観もよい事例を少しずつ創り出すことによって、10年後20年後の北海道が景観向上地域となり、50年後100年後の北海道が景観大国となっていることをm氏ともども願うものである。

20.ドイツ流エコロジー「人間の次は樹木」

 m氏の景観論にはドイツにおけるシカの食害対策についても興味あることが書かれていた。ドイツのある営林署長の話から「ドイツでは、100haにつき3から4頭しか鹿を生かさず、それ以上の鹿はメス、小鹿にかかわらず殺して、肉、皮は営林署つまり州のものとすること。その利益は州に帰すること。そして、その他のネズミを主とした他の動物も増加を抑えるために、山猫を東欧から輸入して森に放していることを淡々と言っておりました。つまり、鹿は樹木、特に広葉樹の若木にとって害獣であるということ。ネズミ等もその理由で数を調整するというのです。つまり彼らの考えには、人間の次は樹木であるという序列がはっきりしているのです。」なるほど、この序列の方が地球上の生物全体にとって長期生存を可能とする合理的な方法なのではないかと感心した次第である。どうも日本人は何事にも感情や惰性に流されて序列を決めることが多いのではないだろうか。このままでは環境問題、食糧問題、資源エネルギー問題などがより深刻化する将来の地球上において、日本人の長期生存すら危ぶまれると言ったら言い過ぎであろうか。


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