〈建設グラフ2001年4月号〉 

最上川を治め、住民の生命と財産を護る

度重なる集中豪雨被害に住民悲嘆

国土交通省 東北地方整備局 長井ダム工事事務所

山形県長井市に整備されている長井ダムは、「最上川工事実施基本計画」に基づき、最上川左支川、置賜野川に建設されている。
最上川は、西吾妻山に源を発し、山形県内だけを流れ日本海に注ぐ長さ229kmの東北第二の大河川。その水害の歴史を振り返ると、野川では鎌倉時代初期に、洪水を防ぐため「締切堤防」が造られたが、締切堤防は、大洪水のたびに破壊され、平山・長井地区でかなりの被害をもたらしていた。
特に記録に残っている被害で大きかったものは、宝暦7年(1757)と明治36年(1903)・明治38年(1905)に発生した洪水だった。

明治36年の大洪水は、8月の大強雨で野川が大洪水となり、130年にわたって水害から守り続けた締切堤防を崩壊させた。復旧の工事費は膨大で、長井・平野両町村では事業費が確保できず、県からの補助を得て翌年3月に締切堤防の復旧工事が完成した。
しかし、完成を喜んだのもつかの間、明治38年7、8月にかけて、またも大暴雨が発生。洪水の猛威は旧堤防の大部分を破壊し、新築堤防も数力所にわたって分断してしまった。あい次ぐ洪水被害に住民は、一時は呆然となり、為すすべもなく生きる気力も奪われた。

野川の洪水は、7月に多く、おおむね6月下句から7月下旬の梅雨の末期に停滞していた梅雨前線が活発になることにともなう集中豪雨によって起こっている。昭和42年と53年の水害も、集中豪雨が原因だ。
最上川で洪水が発生しやすい原因は、流下速度が速い上に、各盆地や平野部の間にそれぞれ狭窄部があり、洪水が流れにくなっているためだ。これが、洪水氾濫や内水湛水の被害を助長しており、また狭窄部にある狭隘地区では治水対策手段が限られ、効率的かつ効果的にダムで洪水調節する方法が最適である。
しかも、最上川水系の流域形状は樹枝状で、特に上流部は流域面積が小さいため、河川流量が不安定で渇水が頻発しやすい。また、最上川上流部の松川や須川は酸性河川で、水利用ができず、隣接する河川から導水するなど、上下流や小流域間が連携して水需要のバランスを確保する必要がある。そこで期待されるのが長井ダムからの補給である。
さらに、山形市周辺では地盤沈下が発生し、昭和49年から地盤沈下の調査に着手。その原因が地下水の過剰揚水にあることが解明された。この対策として、最上川中流のかんがい用水を長井ダムへ依存(表流水への転換)する施策とし、これによって地盤沈下を沈静化するため、長井ダムの早期完成が求められている。長井ダムはこうした期待を背景に整備されている。

以上のように、長井ダムは、最上川の上流から中下流までの広域的な治水や利水機能を担うダムとなる。
したがって、長井ダムの使命と機能は、最上川水系の洪水を解消するため、ダム地点に於ける計画高水流量1,000立方メートル/sのうち、780立方メートル/sを調節することにより、置賜野川はもちろん、最上川沿川の人々の暮らしを洪水の被害から守る。また、流水の正常な機能を維持し、ダム下流の約7,900ヘクタールの農地にかんがい用水を補給し、渇水時にはダムの水を放流して、つねに安定した水量を維持する。また、年々増加する電力需要に対応すべく、ダム建設に合わせて新野川第一発電所が新設されるため、これに発電用水を供給して最大出力10,000キロワットの電力を供給する。
そして、長井市民のライフラインたる水道用水として、1日最大10,000立方メートルの水道用水を供給することにある。

▲最上川 白鷹町荒砥橋付近(洪水時) ▲最上川 白鷹町荒砥橋付近(通常時)
▲置賜野川 平泉橋付近(通常時) ▲置賜野川 平泉橋付近(渇水時)

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