建設グラフインターネットダイジェスト

〈建設グラフ2002年12月号〉

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老若男女問わず、市民の心にいつまでも新潟の“歴史・文化”を伝えたい

博物館本館の外観は2代目市役所庁舎を採用 歴史的建造物に第四銀行旧住吉町支店を移築・復原

新潟市 新潟市郷土歴史博物館(仮称)

新潟市は、既存する新潟市郷土資料館を発展させる“郷土歴史博物館整備事業”の中核施設となる「新潟市郷土歴史博物館(仮称)」をはじめ、敷地のそばを流れる信濃川と調和した港町を表現する「歴史・文化ゾーン」の設置を目指し、重要文化財でその佇まいを現在に残す“旧税関庁舎”を中心とした一体的な整備を進めているところである。
これは、市民に新潟の歴史や文化を分かりやすく伝える目的で創られるもので、人々が気軽に訪れ、そこで多くの人やものに出会い楽しく会話を交わしながら、“新潟の歴史や文化”に触れ、それらが様々な形で新潟への共感や理解を引き出す糧になるよう願いが込められている。
建設地は、新潟市柳島町2丁目地内で、敷地面積は約22,400平方メートル。新築となる「博物館本館」は、建築面積約2,100平方メートル、規模・構造は、鉄骨鉄筋コンクリート造3階建、延床面積約5,500平方メートルで、一方、第四銀行旧住吉町支店の移築・復原となる「歴史的建造物」は、建築面積約530平方メートル、規模・構造は、鉄筋コンクリート造一部3階建、延床面積約930平方メートルとなる。

この工事で注目を集めているものとして、一つは博物館本館の外観となるモチーフに、明治44年に完成し、昭和8年に焼失した「2代目市役所庁舎」の姿が採用されていること。また、歴史的建造物は、昭和2年に建てられたもので、正面に4本の大きな柱を持つ西洋風の建物であるが、それを文化財的な価値をできるだけ損なわない様にしながら移築・復原することが挙げられる。特に、その外壁に花崗岩、内部に大理石やしっくいが使われている構造物を解体し、建設地において再び組み立てるということは、現代における建築事業にとっても非常に珍しい事例となる。
また、これまで郷土資料館として展示場に使われていた旧新潟税関庁舎(明治2年竣工)を、内部の修繕を行い公開する他、当時と同じ場所に荷揚げ場と石積みが復元される。

敷地全体の整備の考え方は、信濃川に開かれた形で建物などの配置を行うものであるが、その他、(1)堀・広場・橋・植栽等の整備、(2)敷地内の園路、周辺の自歩道等の整備、(3)来館者駐車場の整備(乗用車60台、観光バス5台)を進める。
完成予定として、博物館本館は平成15年夏頃、同館の外構整備は平成15年12月頃となっており、歴史的建造物も同じく平成15年12月頃となる見込み。開館は展示準備等を経て、平成16年春を予定している。

▲完成予想模型 ▲現在は郷土資料館として
使われている旧新潟税関庁舎
▲現在に残る石庫(保税倉庫)
新潟の“歴史・文化”を思う存分、自由に楽しく探訪
施設内の主な内容として、郷土歴史博物館は、
(1)「レファレンスルーム」―新潟の歴史・文化や博物館に関する書籍を読むことができ、現在郷土資料館が所蔵している民俗・歴史・美術工芸・写真などの多くの資料を用いて調べることや、新潟に関係するVTRも視聴できる、
(2)「企画展示室」―常設展示では捉えきれない新潟の歴史・文化・自然や、全国各地の貴重な文化財などを紹介。現在郷土資料館が所蔵する資料展示も行い、博物館での数年間に渡る調査や研究の成果を展示し、企画展示の開催時には関連する講演会やイベントも行なう、
(3)「体験の広場」―博物館に集まった子ども達に、創作・体験活動などを通じて、新潟の歴史や文化に興味を持ってもらうための部屋。楽しい創作・体験活動やコンピュータを使った調査活動を行なうほか、週末ごとに楽しいイベントも盛り込まれる予定。
(4)「常設展示室」―テーマは“郷土の水と人々とのあゆみ”で、面積約850平方メートルの小学校体育館程度の広さを利用し、新潟の歴史について、「港」を中心に表現するゾーンと、「低湿地の農業」を中心に表現するゾーンなどを設け、様々な角度から歴史や文化を楽しく表現するために、実物資料・模型・複製・映像・音響・グラフィックパネルと、多様な手法を用いる。
(5)「ミュージアムシアター」―常設展示では伝えることができない新潟の歴史や文化を映像で表現するもので、映像の魅力を十二分に駆使し、楽しい時間を過ごすことができるものを上映する。映像の内容として、「新潟の人物」「新潟の歴史の流れ」「新潟の昔話」などを検討中である。
一方、歴史的建造物は、復原後に、建物の内部を公開するとともにレストランなどに用いることとしている。
▲当時の新潟市役所2代目庁舎 ▲創建当時の第四銀行旧住吉町支店
 5代目で学校町通1番町にある現在の市役所庁舎は、初めて場所を移して新築されたもので、初代から4代目の庁舎では焼失後の復旧により合計3回の建て替えを行なっていたが、“新潟区役所”をそのまま使った初代から4代目の庁舎は、ずっと西堀に面した同じ場所に建っていた。このため今回、2代目市庁舎の外観をイメージした郷土歴史博物館の前面に堀を再現することで、昔の市役所周辺の雰囲気が蘇るよう工夫を凝らしている。また、そばを流れる信濃川を挟んだ向こう岸には、これからの新潟のさらなる国際化を象徴する「万代島再開発事業」が進められていることから、新旧の時代を照らし出すお互いの空間が共鳴し響き合い、織りなすことで、“新潟”における魅力あふれる新スポットを生み出す効果としても、大いに期待を集めている。
▲戦前の堀の風景

▲郷土資料館に隣接して
再現されている早川堀
5港時代の税関として唯一現存する旧新潟税関庁舎
安政5年(1858)6月の“日米修好通商条約”を皮切りとして、オランダ、ロシア、イギリス、フランスの各国とも同様に条約を結んだ。これに基づき、下田(のちに神奈川)、箱(函)館、長崎、兵庫が開港したが、新潟はそれに遅れて、明治元年11月19日(1869年1月1日)にようやく開港し、旧新潟税関庁舎が関税業務のために建てられた。明治2年の正月に埋立に着手し、8月上棟、10月に竣工した。
信濃川河口の左岸にあり、川からの昇降に石段を設け、これに相対して庁舎を置き、石庫、土蔵、荷揚場等が併設された。当初は運上所と呼ばれたが、明治6年に全国的に名称を統一することになり、「新潟税関」と改められた。
旧新潟税関庁舎は、その5港時代の税関として現存する唯一の建物で、往時の運用状況を偲ぶことができるものとして、我が国の海外交渉史上、建築史上にも貴重な遺構となっている。

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