建設グラフインターネットダイジェスト

〈建設グラフ2002年2月号〉

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事業着手から100年、着実な発展を見せる大阪市の下水道

平成13年度より「第9次下水道整備5か年計画」がスタート

大阪市都市環境局・下水道整備事業

太閤下水
大阪の地勢は、南から北にのびる上町台地と、その周囲をめぐる低地から成り立っている。かつて、この上町台地は深い原始林に覆われ、低地は波打ち寄せる入江だったが、長い年月を経て、入江は潟となり、湖となり、湿地となり、そのうえにまちづくりが行われ、現在の市街地へと移り変わっていった。
大阪市の下水道の歴史は、古く豊臣秀吉の時代に遡る。秀吉は大坂城築城に伴い、東西の横堀川を開削。その土砂で土地のかさ上げを行った。道路は、大坂城に向う東西路を軸に碁盤の目状に整理され、それに面した建物の裏口が、背中あわせになっているところへ下水溝が掘られた。この下水溝に挟まれたほぼ40間四方の区画が町割りの基本となり、この下水溝は背割下水あるいは、秀吉にちなんで「太閤下水」と呼ばれている。
▲豊富秀吉が大阪城築城の際に造った下水溝“太閤下水”
近代下水道の整備
明治時代に入ると、コレラの流行などが契機となり、明治27年(1894年)に近代的下水道事業が始められ、大阪市中心部の下水道は、明治34年(1901年)に一応の完成をみた。
その後も市域の拡張や人口集中、工業の発達等に伴い、下水量も増加し、河川等の水質汚濁を招いたため、大正12年(1923年)に「大阪市下水処理計画」をまとめ、大正14年(1925年)には、市岡抽水所内に下水処理装置を建設。「促進汚泥法」(活性汚泥法)による下水の処理・浄化の実験を行い、この調査、研究及び実験データを基礎にして下水処理計画を策定し、昭和15年(1940年)には、津守・海老江の両下水処理場が通水した。
また、下水道事業の財政についても事業経営の基本とも言うべき下水道使用料金制度を昭和13年(1938年)に創設するなど、わが国の下水道事業の健全な運営に寄与した。
12行政区で水洗化100%を達成
戦後は、数次にわたる下水道整備計画により、中浜下水処理場をはじめとする10か所の下水処理場が通水。昭和57年(1982年)には、全下水処理場の高級処理化が達成されるとともに、天王寺〜弁天下水道幹線の主要部が竣工した。
水洗普及についても、昭和52年(1977年)に当時の南区が全国の市町村・行政区で初めて水洗化100%を達成。現在では、12行政区で水洗化100%を達成している。
今後の下水道整備の展開
平成5年(1993年)5月に策定された「大阪市環境基本計画」の、水環境分野の実施計画である「大阪市水環境計画」では、良好な水環境を創出するため、「きれいな水」「市民が憩える水辺」「水辺に生息する生き物」の実現や「水質環境基準の達成」を目標とした施策を推進することとしている。
そこで大阪市では、これらの目標達成に向け重要な役割を担う下水道整備について、平成17年度までの5年間で、計画事業費3,400億円をかけて行われる「第9次下水道整備5か年計画」を今年度からスタートさせた。
同計画では、浸水のない安全で快適な都市の形成を図るために、浸水安全度の向上を目指した「浸水対策」、健全な水循環・良好な水環境の創出を図るために、下水の安定かつ適正な処理と、より一層の処理水質の向上をめざした「水質保全対策」、人と環境にやさしいアメニティ豊かなまちづくりを行うため、下水道が有する資源や施設の有効利用等をめざした「アメニティ対策」の3つの施策を重点的に推進する。  
また、これらの施策の中で、下水道施設の機能を適正に維持・向上させる計画的な改築・更新を行うための「リフレッシュ対策」、下水道施設の統廃合や遠方監視制御システムの導入等を進め、簡素で効率的な事業運営を行うための「事業の効率化」、震災に強い下水道を構築し、耐震性の向上等を図るための「地震対策」も進めていく。
なお、これらのうち、主な事業としては、淀川以北の抜本的浸水対策として平成3年より着手している「淀の大放水路」や、臨海部8か所の下水処理場の汚泥を集中処理する「舞州スラッジセンター」の建設等が上げられる。
良好な水環境の創出を
大阪市の下水道事業は、平成6年度には着手100周年を迎え、下水道科学館の建設をはじめ、様々な記念事業を実施。平成7年4月にオープンした下水道科学館には、これまでに多数の来場者が訪れている。
大阪市では、今後、上記の5か年計画に沿って着実な事業の展開を図り、市内の良好な水環境の創出・改善に努めていく考えだ。
▲舞洲スラッジセンター完成予想模型 ▲淀の大放水路・姫島立坑



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