建設グラフインターネットダイジェスト

〈建設グラフ2001年8月号〉

寄稿

九州地方の発展を担う「広域高速道路ネットワーク」を形成

福岡北九州高速道路公社 建設部長 三宅 明治

住民の福祉増進と、産業の発展を目指して
九州の中枢管理機能の核となる「福岡市」と「北九州市」は、ともに100万都市として発展し続けているが、一方で、人口の過密化に伴う自動車交通の問題がクローズアップされている。
近年の自動車交通の急激な増加は、市内及び周辺都市において慢性的な交通混雑を引き起こし、交通事故の発生や渋滞車両からの排気ガスによる環境問題、移動時間の増加による時間損失や経済損失など深刻な都市問題となっている。
そこで、立体化され一般道路と分離した都市高速道路が必要となり、昭和46年11月1日に福岡県、福岡市、北九州市の三者が出資して福岡北九州高速道路公社が設立され、福岡、北九州両都市でそれぞれ建設に着手した。
福岡都市高速道路の基本方針は、福岡市内の交通混雑の緩和と都心との連絡強化。東部と西部を結び都心との連絡を図る高速1号線を主軸として、南部への連絡を図る高速2号線と空港の連絡を図る高速3号線、東部方面への連絡の充実を図る高速4号線、高速1号線と同2号線を結び西南部との連絡を図る高速5号線の5路線で構成されている。高規格幹線道路と連携した放射環状型の自動車専用道路網(全長56.8km)を形成している。
北九州高速道路の基本方針は都心と市街地周辺との連結や市内各拠点間の連絡強化および北九州市内の交通混雑緩和。北九州の都心小倉を南北に結ぶ高速1号線、小倉と戸畑を結ぶ高速2号線、高速1号線と同2号線を結ぶ高速3号線。門司から八幡を東西に結ぶ高速4号線、高速2号線と同4号線を結ぶ高速5号線の5路線で構成されている。高規格幹線道路と連携した放射環状型の自動車道専用道路網(全長54.7km)を形成する。
昭和55年10月、同時に福岡市東区内と北九州市小倉北区内に初めて開通。現在の総延長として、福岡は計画延長56.8kmのうち31.5km、北九州は計画延長54.7kmのうち49.5kmを供用しており、日平均交通量もそれぞれ約13万台、および10万台に達し、両都市圏の幹線道路として重要な役割を担っている。
福岡北九州高速道路公社は、道路交通混雑の緩和を図り、豊かな生活を支えるために、明日へ通じる自動車専用の都市高速道路の建設・管理を通して、住民の福祉増進、そして産業の発展に役立つことを目指し、日夜努力を続けている。
公社設立までの経緯
福岡市及び北九州市の都市内交通調査については、昭和41年から街路高能率化調査と総合都市交通体系調査が継続して行われて来たが、その中で、両者とも都市高速道路と地下鉄、モノレール等の高速鉄道の必要性が議論されはじめた。
その後、昭和44年6月に、建設省九州地方建設局、福岡県、福岡市、北九州市及び日本道路公団福岡支社の五者で福岡県幹線道路協議会が発足し、都市高速道路計画の計画立案にあたっての諸問題について本格的に検討が進められ、一方、地元では、人口の都市集中と加速度的に増大する自動車交通需要に対処するための高速道路の必要性が認識され、有識者、知事、市長及び議会の代表者で福岡北九州高速道路建設促進期成会が結成され、都市高速道路建設を促進する運動が繰り広げられてきた。昭和45年5月20日に地方道路公社法が施行されるにおよび、福岡県、福岡市及び北九州市の三者が一体となって地方道路公社を設立し、事業の推進を図る方向で準備が進められていた。
これらを受けて、昭和45年12月、福岡県土木部に都市高速道路建設準備室が設けられ、道路公社の設立と高速道路建設の計画立案に具体的に取り組まれることとなった。
こうして昭和46年度政策予算に、福岡市及び北九州市に都市高速道路を建設するための予算5億円が計上され、その実現のため、昭和46年11月1日、福岡県、福岡市及び北九州市の出資により、これら三者が設立団体となって福岡北九州高速道路公社が設立された。

北九州高速1号線(北方出入口付近)

HOME