建設グラフインターネットダイジェスト

〈建設グラフ2002年6月号〉

寄稿

三宅島火山砂防事業の取り組み

東京都建設局 河川部 防災課長 池田 繁敏

池田 繁敏 いけだ・しげとし
昭和25年5月21日生まれ 神奈川県出身 東京都立大学卒
昭和48年4月東京都下水道局採用
平成 6年総務局大島支庁土木課長
平成 8年建設局西多摩建設事務所工事第二課長
平成10年建設局第四建設事務所工事第一課長
平成12年建設局河川部副参事(中小河川担当)
平成13年現職
三宅島の概要
三宅島は、東京の南約180kmの太平洋に浮かぶ、伊豆諸島では大島、八丈島に次ぐ三番目に大きい島で、雄山(814m)を中心に直径約8km、周囲35km、面積55.5平方キロメートルのほぼ円形の地形となっている。気候は温暖多湿で、植物、野鳥などの生育に適し、黒潮がもたらす海の幸と、緑豊かな大自然の恵みに満ちている島である。昭和39年に富士箱根伊豆国立公園に編入され、自然と景観保持に努めている。
人口は約3,800人で、高齢化率は30%に達する高齢地域である。就業構成は、釣り・ダイビングなどの観光関連産業と建設業に従事している人が圧倒的に多い。居住地域はほぼ全島にわたって5集落に分散している。
都道は約35kmで、これらの集落を連絡する生活道路となっているが、災害時には避難路として重要な役割を担っている。港は各集落ごとに1港の漁港と併せて大型客船用の桟橋を備える2港があり、中型機(ys11)の定期航路となる飛行場がある。
二酸化硫黄を噴出し続ける雄山
1.噴火活動の経緯
平成12年6月26日、気象庁から緊急火山情報が発令、7月8日に最初の噴火と火口陥没が観測され以後数回の噴火があり、8月29日には低温火砕流を伴った大噴火が発生し、その後小噴火を繰り返しながら大量の二酸化硫黄を主成分とする火山ガスが噴出し続けている。
三宅島は新第三紀中新世の基盤岩上に玄武岩質の溶岩または同質の火山砕屑物が互層状に重なりあって、円錐形の成層火山が形成された火山島であるといわれている。噴火は頻繁に繰り返されており、昭和になってからは15年、37年、58年の3回でほぼ20年サイクルとした規則性を持っており、今回17年ぶりとなるが予測されていた噴火であった。
過去五百年の噴火は山腹からの割れ目噴火が主であったが、今回は山頂に抜けられないマグマが西方に貫入移動したため、マグマ溜まりや火道に間隙が生じ陥没が発生、その後、マグマ溜まりの中で火山ガスによる泡が大量にできて圧力が高まり、山頂に抜け、八月の大噴火となったと推測される。
山頂火口からの噴出物1,100万立方メートルに対し、火口陥没体積は6億立方メートル(直径1.5q、深さ500m)であり、大方が水平方向に移動したとされる。
2.噴火災害の概要
7月の噴火降灰に伴う最初の泥流は、26日の降雨により島東部の9渓流で発生した。8月の降雨でも同様に発生したが、家屋を直撃するほどのものでは無かった。
8月18日と、低温火砕流を伴った29日の大規模噴火により島全体に降灰があり、山頂付近では1mを超える厚さとなった。火砕流の発生が全島避難のきっかけとなり、9月4日までに防災関係者を残し、一般島民の島外避難を完了した。避難直後の5日から雨が続き、全島で大規模な泥流が発生、各所で被害が続発した。
その後も、降雨の度に泥流が各所で発生したが、図らずも4日までに避難を終えていたことが幸いし、人的被害は皆無であった。
島一周都道の16箇所で大規模被害が発生したのを始め、村道、林道の被害とあいまって水道、電気・電話などの道路占用物のライフラインにも多大な被害が発生している。家屋は地震被害と併せて50戸を超える被害が出ており、この他にも港や農地、山林に及ぶ被害は計り知れない甚大なものとなっている。
火山ガスの影響で島外避難が1年8カ月経過しており、この間、一般家庭では家屋の維持や農地の手入れが全く出来ないため、被害は更に進行している。特に深刻なのは、強酸性のガスが屋根を腐食させ、雨漏りを誘発させており、家屋の傷みを助長させていることである。
▲灰煙をあげて走る車 ▲泥流で埋まった神社
3.復旧事業への取り組み
9月4日の全島避難と共に、一部の在島者を除く300名を越える復旧要員は、火山活動が目視出来ない時間は洋上の客船で生活する「ホテルシップ」体制となったのである。雨日や夜間は離岸し、波に揺られながらの生活を強いられた。この体制は1ヵ月が限度であったため、10月からは約40km離れた隣島の神津島に現地本部を移した。
最初は漁船を連ねて渡航し、道路啓開や火山観測機器設置、道路や砂防などの被害調査と復旧計画調査にあたっていた。しかし、冬季に入って海上不良が相次いだため、ヘリによる警視庁や消防庁、自衛隊の支援輸送を受けた。更には、輸送力増強のため、600人乗りの大型客船を導入し、段階的に渡航人員の改善に努めた。量的に増えたものの、自然の脅威は抑制できず、海上不良による欠航が相次ぎ、上陸しての作業時間が5時間程度で、復旧作業が遅々として進まない日が続いた。
火山ガスはなお盛んに噴出しており収束を見せなかったが、噴火の兆候が低下してきたため、作業時間の改善のための島内滞在の検討がなされた。
まず、三宅支庁(都の出先機関)に脱ガス装置を施し、試験的に防災要員の夜間滞在を13年5月から始め、様々な検証を経て一般作業員用の脱ガス装置付きの「クリーンハウス」を建設し、現在約580名の人員が常駐し作業に従事している。
4.砂防事業の執行
最初の泥流発生から以後の再度災害が予測されたため、いち早く建設省(現国土交通省)に現地調査をお願いし、12年度「災害関連緊急砂防事業」の要望準備に入った。顕著に被害が発生した川田沢や釜の尻沢など16渓流について、12年9月に事業費約81億円の採択を受け事業を開始した。
火山活動の動向や、ガスの影響で本格着手は13年7月になったが、クリーンハウスの整備と共に工事が飛躍的に進捗し、14年3月には完成の運びとなった。
砂防事業は引き続き13年度新設の「火山砂防激甚災害対策特別緊急事業」の採択を受け、17年度までの5ヵ年で事業費182億円の計画で実施することになった。先の16渓流に11渓流を加えた27渓流が対象で、砂防ダム50基などを構築する予定である。
13年度は金層沢など、3渓流に4基の砂防ダムを構築する。13年9月の台風による大雨で新規に発生した泥流対策として、13年度「災害関連緊急砂防事業」の採択を受けた。9渓流に9基の砂防ダムなどで57億円の事業費となっている。
現在、両事業併せて13件の大型工事が着手しているが、島内業者だけでは業務量が過大であるため、都内大手業者とのjvで施工に当たっている。
▲完成した三七沢ダム
おわりに
全島避難で不自由な生活を送っている島民は一日千秋の思いで帰島を待ち望んでいる。
火山ガスが生活環境レベルまで低下するのはいま暫くかかると予測されているが、帰島時までには泥流被害からの安全度を一定に高めておくことが我々の使命と考えている。
今後も事業執行には様々な難関があると考えられるが、他事業との緊密な連携のもと効率的な事業を展開していきたい。

HOME