〈建設グラフ2001年2月号〉

interview

建設産業の崩壊が始まった

新世紀の公共事業の変革

「建設動乱」著者 山崎 裕司 氏

山崎裕司 やまざき・ひろし
1953年 福井生まれの大阪育ち
1976年 京都大学工学部土木工学科卒
1977年 同助手
1979年 米国留学
1982年 スタンフォード大学大学院にて、インダストリアル・エンジニアリング、コンストラクション・マネジメントの両マスターを取得。帰国後、山崎建設株式会社企画課長、機材課長、工事課長を経て、取締役企画室長
1987年 「建設産業の高度化」をテーマに、株式会社システムズを設立
 現在、株式会社システムズ代表取締役、CCNフォーラム主宰、全国建設21の会代表世話人、建設経営情報誌『ネクサス』編集委員
 著書に「建設2001年物語」(共著)「建設産業における戦略経営」(共著)(以上、都市文化社)、「建設・構造再編」(清文社)、「建設二世腕の見せどころ」「めざせユートピア建設産業」(共著)「激動建設新時代」(以上、日刊建設通新新聞社)、「談合は本当に悪いのか」(洋泉社)、「iso9000`sが会社をつぶす」(日刊建設通信新聞社)、「建設崩壊」「全社一丸」(以上、プレジデント社)がある。
「建設動乱」 2000年10月19日発行 ダイヤモンド社
「建設動乱」
2000年10月19日発行
ダイヤモンド社
「建設崩壊」、「建設動乱」という衝撃的なタイトルの著作を持つ山崎裕司氏は、かつて「談合は本当に悪いのか」というタイトルの著作で、社会的に問題視されている談合を工事入札の一システムととらえて分析し、その利点と難点を明快に描き出した。だが、21世紀に入り、政府も自治体も公共工事の受発注システムの変革を進めており、これにともなって競争激化の予兆が見られる。これに合わせて、同氏はもはや談合に頼らない新建設産業の興隆台頭があるだろうと喝破する。はたして、わが国の建設産業はどうすれば生き残れるか、何が必要なのか。「全国建設21の会」の主催者として、国内外の公共事業の現場と建設会社の経営を数多く見てきた同氏に、新世紀の公共事業のシステムと、今後の建設会社に求められるものは何かを伺った。
――山崎氏の著書「建設崩壊」は各方面に衝撃を与え、続く「建設動乱」も注目されていますが、いずれも関係者にとってはかなりショッキングな内容だったと思いますが
山崎
僕としては「建設崩壊」が売れれば、必然的に「建設動乱」を書かなければならなかったのです。「建設崩壊」については、僕は「あれは変な本だ」と自分で言っていますが、これらは2冊1組になっているのです。
「建設崩壊」は建設産業論と建設経営論が入り交じっており、経営論は続編として「全社一丸」に発展させました。一方、十分にページを割けなかった産業論の方は「建設動乱」で詳細にしたつもりです。
――「日本独特の流儀で生きている建設産業は崩壊する」、という一文に触れて、少なからずショックを受けている業者も多いのではないかと思いますが
山崎
日本経済は、基本的には軍事計画経済なのです。1938年4月に国家総動員法が発令されて戦時体制に向かった体制を、マッカーサーが民主主義に戻そうとしました。しかし、戻らないうちに軍事計画経済国家にまた戻ってしまったのです。これが日本の歴史です。
そうなると、憲法にしても制度にしても、我々はそれを表向きは教科書で学んだのですが、内実は軍事計画経済です。言い換えれば、官僚統制経済なのです。
――つまり、今なお当時の富国強兵・殖産興業策が続いているということでしょうか
山崎
いや、あの頃よりもっとその色合いが強いですよ。当時の軍事計画経済下では、産業ごとに統制会という組織が設立されました。建設統制会、流通統制会といった具合です。さらに米は配給制、人員は総動員で工場に集める。すべてが命令ですから、非常に強い強制力を持っていました。
この統制会が戦後になって、建設業協会に名称が変わったのです。名前が変わっただけで、統制会の体質をそのまま引き継いでいます。したがって、建設業界がいかに弁解しようと、談合組織に決まっています。もともとそれを目的として設立されたのですから。
――政官民の協力体制とは、本来そういう意味なのでしょうか
山崎
日本は談合社会だと、よく言われますが、その通りだと思います。ただ自動車、電気など、ある程度競争力がついた一部の業界は、国際社会の中で「(国内では)ブロックしていながら、好き勝手に(国際市場に)出てくるのはおかしいのではないか。国内も開放せよ」と批判され、徐々に開放して行きました。
したがって、その分野だけが資本主義市場経済になっているだけです。それ以外は、官に近い分野になるほど、統制経済のままなのです。まさしく癒着構造になっています。しかし、日本においてはそれが正しい姿だったのです。
――その正しい姿だったものが、なぜ今日になって崩壊するのでしょうか
山崎
いくつかの理由があると思いますが、一つは「豊かさ」です。そもそも、戦後50年にもわたって、戦時統制を維持すること自体が無理な話です。戦後の経済を復興するという目的を、ある程度実現できれば、ここらで一度、40年体制を見直そうという気運が起きて当たり前です。
あのシステムによって、日本が幸せだったのは、せいぜい1980年までのことです。ソビエト社会主義が終焉したのと同様に、社会が豊かになってくると、官僚統制経済など、いつまでも維持できるはずがありません。ところが、一度動き始めたシステムというものは、惰性で動いて行くものです。本来、壊れるべきものがあまりにも長い間、存続してしまったわけです。
  もう一つは、国際化です。はたして、これまでのやり方が国際的に見て良いのかどうかを考えたときに、アメリカがそれを壊しにかかってきたわけです。
――従来の建設業界の手法は、これからは通用しないというわけですね
山崎
そうです。もはや従来型では無理です。そこで僕は、建設業界に対して「施工を捨てろ」と主張しています。
現在、地方の建設会社が行っている公共土木工事というのは、誰にでもできることなのです。誰でもできる程度の建設会社がたくさんあるということは、個々の建設会社が経済的価値を持っていないということなのです。
空気は大事ですが、これを買う人はいません。水も同じく大事ですが、このために誰も高い金は払わないですね。地方の公共事業の施工はそれと同じで、水や空気のようなものです。だからこそ、談合で維持しようとしたり、逆に競争となると、叩きあいになることにばかりに心を砕く人がいますが、本来はその競争こそが自然なのです。
建設省が発表したPM(プロジェクト=マネジメント)ビジョンでは、「2004年までに国は、国際標準に見合ったやり方にしますよ、その準備を進めていますよ」と言っているわけです。そうすると、現在、携わっている仕事は、もはや単なる請負い仕事ではなくなるでしょう。
これからは、細切れ発注で仕事をするのではなく、大規模にプロジェクトを組んで、そこに責任者を一人置く、といった具合に大型化して行くはずです。そうすると、現在の日本中の中・小業者は人材派遣会社に取って代わられると思います。
人材派遣業は、建設省建設経済局の労働資材対策室、あるいは建設業課が所管していますが、先日、局内のある課長と話していて、国はそうした情勢を受け入れる方向にあるのではないかと感じました。その意味でも、潮流は一昔前とは全然違います。
人材派遣に関しては、僕の予想ではまもなくそういう時代になるはずです。そうすると、従来の建設会社は、その存在価値とは何なのかが問われることになります。
――新聞などでは、地場産業育成の名目で、官制談合を行っているとの批判報道がありました
山崎
北海道は特にそうでしょう。「天の声」システムが徹底していますね。ほかの地域は、元々北海道ほどではありません。本州では、この7〜8年で随分、減ったと思います。
――行政サイドの意識が変わったのでしょうか
山崎
それが正しい方向と言えるのかどうかは分かりませんが、少なくとも過去のシステムは捨てようとしていますね。
――国については
山崎
新しいシステムを明示して、その方向に向かって突き進んでいます。しかも、ものすごいスピードですね。中でも、最も変わったのは建設省でしょう。建設省はこの平成12年10月、11月もそうですが、明らかに変革の方向に向かって動いていますね。
――建設省に出入りしている建設会社の意識は、それについて行っているのでしょうか
山崎
実態としては、99%が今まで通りで変わっていないと考えて良いのではないでしょうか。
――建設省が考えている方向は、今後どのくらいで地方にまで浸透して行くでしょうか
山崎
「日本で談合が無くなることは有り得ない」と、よく言われます。確かに、外国にも談合はあります。ただし、明確に犯罪としてです。そう考えると100%無くなることはないでしょうが、これからどれ位のパーセンテージまで減らすことが出来るかといった議論になるでしょう。
ただ、ここ数年で減ることは確実でしょう。叩き合いの状況に突入するのは間違いないでしょうし、それでも50%くらいは談合で決められ、逮捕者が続出するというのがここ数年は続くのではないでしょうか。
――業界には、かなりの戸惑いが生じるのでは
山崎
皆が戸惑っているからこそ、地道に研鑽している会社にとってはチャンスなのです。5、6カ所もの自治体を取引先としている会社であれば、研究してもっと範囲を広げたら良いのです。そうすれば、あるいは自分たちが参入しやすい自治体に行き当るかもしれません。そこに営業所を置いたなら、新たな受注を得るかもしれません。
複雑になったからマイナスなのではなく、生き残り策を検討する幅が広がったととらえた方が良いのではないでしょうか。
――21世紀の新建設産業は、どうあるべきでしょうか
山崎
今春、札幌の建設協会の幹部の方々と懇談する機会がありましたが、その際、「このままでは中・小の業者がつぶれてしまうのではないか」、「物凄い危機感を感じる」といった声を多く聞きました。それは分かるのですが、北海道は日本全国の比率から見てもお上依存の傾向が強く、考え方自体が甘えていますね。
自浄努力よりも先に、お上が何かをしてくれると期待してしまう。その発想自体を変えなければなりません。開発庁の合併後は、これまでのように北海道だけが特別扱いされるとは思えません。全国一律になると考えると、今までのやり方のままで生き残れると考える方が甘い。
今までの考え方で生き続けようとするのは旧建設産業であって、この旧建設産業は近い将来にはゼロになります。
建設市場全体が縮まるのではなく、旧建設産業、新建設産業の2つに分かれた動きをするのです。その結果、旧建設産業は消滅するというのが私の考えです。泥舟に乗って入ってくる水を掻き出すだけで、そこから一歩も動こうとしなければ、後は沈むしかありません。掻きだす手をちょっと止めて回りを見回すと、そこに新建設産業という新造船がたくさんできている。それに乗り換えたら良いのです。
――その点をさらに具体的に
山崎
建設省の主張は、「新建設産業とはプロジェクト=マネジメントだ」と宣言しているわけです。ではプロジェクトマネジメントとは何かということになります。
下水道事業団が、ある地域で工事発注しました。それを受注した建設会社の社長が、「何が何でも100点の成績を取りたい」と思って、完璧に仕事をこなした後に、事業団側の評価結果を見たら、なんと70点だったんです。社長は「なぜ?」と問うたところ、事業団の担当者は「知らなかったんですか。うちは最近、減点主義から加点主義に変わったのです。100点からマイナスするのでは無く、ある一定の点数からミスが有ればマイナス、よいものが有ればプラスするという制度になったのです。おたくの現場は確かに良い仕事をしてくれてマイナスはほとんど有りませんでしたが、プラスも無いのです。だから、この点数になりました。」と答えました。
プロジェクトマネジメントとは、まさにこれです。では、何をすれば加点されるのかというと、要は適切で有益な提案をするということです。例えば、コストダウンの提案、近隣に対する迷惑を減らすための提案、工事の進捗がスムーズに行くための提案、騒音を減らす提案などです。とにかくプロジェクトとして成功裏に終らせるべく、いろいろな提案をして下さい。一言で言うと、頭を使って施工しなさいと言っているわけです。
ものを考えずに施工するのが旧建設産業で、ものを考えたり気を利かせてするのが新建設産業。それをシステム化したのがプロジェクトマネジメントというものです。
――「全国建設21の会」を再出発させるとのことですが
山崎
民間の住宅部門、非住宅部門含めてこれからもの凄い変革期に入ります。これを背景に、オープンシステムという一級建築士のグループが、猛威を振るいそうな雰囲気です。2001年〜2005年の5年間は、産業全体が明らかに新建設産業に向かって怒涛のように変わっていくでしょう。これを僕は「建設動乱」と表現しました。
崩壊が始まり、次に動乱期が来て、それが終ってやっと安定期になります。その動乱期として2001年〜2005年と位置付けたわけで、このようなもの凄い歴史的転換のときを凌いで行くには、今の「全国建設21の会」の姿勢では弱すぎます。
そこで一旦、解散して新たなコンセプトで再出発させることにしました。全体としては地域というものがキーワードで、地域における住環境をターゲットに、建設省、国土庁、環境庁など関係省庁へ幅広くアピールして行こうと動いているところです。

HOME