interview (建設グラフ1996/2)

バブルの最中は定住対策に汗

東京都中央区長 矢田美英 氏

矢田美英 やだ・よしひで
昭和15年生まれ、東京都出身、39年慶應義塾大学法学部法律学科卒業、42年ミズーリ州立大学卒業
昭和42年共同通信社に入社、海外部勤務
昭和46年同政治部に勤務、以来政治記者として国政の中枢で取材活動に従事、海外取材も多く経験
昭和62年3月総理官邸記者クラブ・キャップを最後に共同通信社を退社
昭和62年4月東京都中央区長に初当選、現在3期目
東京都中央区の矢田美英区長は、かつては共同通信社記者として海外支局勤務を経験し、総理官邸クラブキャップまで務めるなどジャーナリストとして歩んできたが、昭和62年に、行政官であると同時に政治家でもある現ポストへ方向転換した。国の景気対策を受け、地価高騰に伴い経済が爛熟し始めた時分のことで、区内は業務地化が進行する反面、人口の減少傾向に拍車がかかり、昼間人口と夜間人口の格差がさらに著しく開き始めていた。しかし、矢田区長はそうした情勢に反して人口流出に歯止めをかけるべく、果敢に都民の定住対策に取り組んだ。その結果、経済情勢の変化とも相まってようやく成果が現れ始めた。徳川以来、商工業で栄えてきた歴史を持つこの地域で今後どんな街づくりを目指すのか、矢田区長に現況と今後の政策について語ってもらった。
――中央区の区勢と街づくりの基本姿勢についてお聞かせ下さい。
矢田
中央区の人口は現在、7万2.000人で面積は10k・です。東京には23区27市5町8村で計63の自治体がありますが、面積比率は東京都全体の0.47%で、23区の中でも最も小さい区です。
私の就任当初は人口も8万人強だったのですが、年々減少しています。私が幼い頃、つまり約30年ほど前は17万人いましたから6割ほど減っているという状況です。ただ、昼はその10倍以上の75万人が働いているわけで、世帯数は3万4,000ですが、事業所数は4万3,000と、23区の中では最も多く、経済活動が非常に旺盛な地域といえます。
しかも非常に個性の豊かな街で、例えば日本橋、銀座、築地、兜町、晴海、佃など名前を聞けばすぐに特定のイメージが浮かぶような地域で構成されています。 関ヶ原の戦いで徳川幕府が開かれてから、日本の文化、商業の中心として発展してきた由緒ある街ですから、そうした歴史と伝統に基づいた地域特性をしっかり受け継いで大事にしていかなければなりません。これが、街づくりの原点です。

――バブル経済の隆盛から崩壊へと、社会情勢は大きく変遷してきましたが、就任当初の区内の情勢もかなりの激動が見られたのでは
矢田
私が就任した当時はバブル経済が盛り上がり始めた時期で、当時は「都心は住むところではなく、仕事ができればいい、金儲けさえできればいい」とばかりに、住宅地が次々にオフィス化していき、住民を追い出してもかまわないとの世論が形成され、この煽りで人口も年間1.000人から2.000人ずつ減少し続けていました。
そこで、就任して8ヶ月ほど経った63年1月元旦に、庁内に「人口回復対策本部」を設置し、私が本部長となって、この年を「人口回復元年」と位置づけ、全庁をあげて人口回復に取り組みました。都心には住まなくてもいいという凝り固まった世論の中で、私は「都心はあくまで住む街だ、まず住まなければならないのだ」と反論し、「400年もの間、文化、商業、情報の中心であり、なおも首都東京の核として発展しているのは人が住み続けていたから、人の息吹があったからなのだ」と主張してきたのです。当初は、なかなか受け入れられず、“何を言っているのか”という冷淡な見方もあったでしょう。
しかし、それから8年が経過した今ではそうした風潮が一変し、東京都でも「住める都心をつくろう」と、ようやく提唱し始めたのです。これも職員ともども、そうした根強い世論に立ち向かってきた成果だと思います。
都心の魅力とは、都心にふさわしい最高の文化、福祉、教育というものを享受できることですから、誰もが自由にのびのびと住める街でなくてはなりません。快適に仕事ができると同時に文化、福祉、教育が享受できて、誰もが住める街でなくてはならないのです。

――そうして情勢が変わった後の街づくりの課題は
矢田
この地域が日本の文化、商業の中心として栄えてきた原点、生命線は賑わいです。それをもたらすためには、人々にはしっかりと定住してもらわなければならず、また、経済活動も旺盛でなくてはなりません。
したがって、賑わいを取り戻すための施策を行っています。例えば住宅対策、花火や盆踊りなどのイベント、商業経済活動を盛り上げるための助成制度、また商店街の活性化対策などを実施しています。

――住宅対策の具体的内容は
矢田
8年半前は区立住宅が46戸しかなく、非常に少なかった。それを人口回復対策本部を中心に区立住宅、公共住宅の建設を進めた結果、現在は460戸ぐらいになりました。このうち、民間で建てたものを借り上げて、区民に提供する借り上げ住宅が116戸あります
また、家賃も検討課題ですが、都営では所得制限があるので、あくまで低所得者用と限定されます。しかし、住宅に悩んでいるのは、中堅所得者も同じですから、区立住宅はその人達に水準を合わせています。入居者の所得が増えたなら、それに応じて支払ってもらう、所得応負担制度を導入したのは全国で初めてです。だから、同じ間取りでも、所得が少ない人は最低6万数千円、所得が多い人は、上限が23万数千円までのランクを設けています。
――間取りの取り方によっては、住民の間に不満が出る心配もあるのでは
矢田
間取りの基準は70uですが、もちろんすべてというわけではなく、50uのところも60uのところもあります。uで換算するとその家賃設定になったわけです。
また、入居者の選定は抽選によりますが、35歳以下の若い人たち、5人以上の大世帯、新婚家庭には当たる確率をそれぞれ3倍にしています。例えば若い新婚の家庭は6倍の確率となり、このため、ある住宅では7割近くが若い人たちで賑わっているという所もあります。
一方、民間の地権者や事業者が住宅を建てやすい制度も普及させようと思っています。彼らは皆、自分の土地を活用したいと思っているはずですから、造りやすい制度が整備されれば建設は進むでしょう。
そこで、用途別容積型地区計画制度を導入し、住宅ならばオフィスの1.5倍まで容積を上げることができるという制度を実施しています。ただ、中には10階までをオフィスにしてその上の5階を住宅にするという計画もあるでしょうから、あくまで1.5倍を基本とし、あとはどのくらいオフィスを作っても、さらに住宅を設けるなら容積を応分に加算するという内容になっています。もちろん、住宅だけでなく、生活関連の店舗にもこの制度を活用し、容積のボーナスを与えるという方法も実施しています。 
――賑わいを盛り上げる施策については
矢田
施策の中心はイベントです。イベントを頻繁に行って、明るい街にしようということです。特に中央区は商業・工業の街ですから、観光商業まつりなどはすでに43回を数えています。ミス中央のコンテストやパレード、10万円の旅行券を懸賞品としたくじ引きなどがあります。
また、全国的にも有名な隅田川の花火大会もあります。ただ、これは以前は両国橋で行われていましたが、交通渋滞などの問題があり、現在は、上流の台東区隅田川に移ってしまいました。そこで、63年から新たに晴海埠頭で本区独自で花火大会を実施しており、すでに8回行われていますが、動員数は毎年50万人を越えています。
その他、盆踊りは今年が6回目で、「THIS IS TOKYO BON DANCE」というオリジナル曲を作り、振り付けも新たに考案して、8月下旬に民謡連盟のメンバーに実演してもらいました。各町内会での盆踊りに対しても30万円の助成金をだすなどしています。
一方、商店街の活性化事業は現在、人形町商店街、八丁堀のすずらん通り商店街、月島の西仲商店街、銀座は西並木通り商店街で実施しており、新年度は銀座東並木通り商店街などさらにいろいろな地域で実施します。
また、商店街への助成、アドバイザー派遣、通常融資とは別に、3年前から景気対策の特別融資を実施しています。60億円ほどの原資を年利1.4%で融資していますが、最近ではさらに安く貸している自治体もありますから、これももっと下げる方向で研究したいと思っています。
その他、東京都と一体となって実施している施策もあります。例えば、全国の流通基地である築地市場が老朽化しているので、再整備を図る計画を進めています。
――防災対策はどうなっていますか
矢田
防災では、いつ直下型地震が来ても犠牲者ゼロのまちづくりを進めています。区内には小中学校が20校あるので、学校を防災拠点にし、地域ぐるみの防災体制を確立しつつあります。各学校には食料13万8,000食と、1人1日3リットルとして53日分の水を確保しています。しかし、まだ油断はできませんので、洗濯場、風呂場、プールの水なども、いつでも飲料水になるよう濾過器を設置しました。
一方、区内には建物がおよそ2万棟あり、うち1万1.000棟は鉄筋コンクリート、9.000棟が木造ですが、鉄筋コンクリートの建物については所有者の希望により耐震強度調査に対して助成しています。
公共施設は区内に約100軒あり、そのうち3階建以上の施設全てを3年間で点検しつつあります。
――ところで、歴史が古く、しかも過密都市の場合、公共施設の建設が難しいと聞きますが、これまでにどんな施設を整備しましたか
矢田
昨年、区が施工したセレモニーホール(葬祭場)が竣工しました。それまで、都心には葬祭場がなかったのです。というのも中央区では年間500件ほど葬儀が行われていますが、今はマンションや共同住宅がほとんどで、たとえ自宅でも出来なくなり、さりとて寺では資金がかかります。そのため、地区集会場や区民館などのコミュニティールームの利用を呼びかけたのですが、地域の中には区民館での葬儀に反対するところもあるのです。そこで、葬祭場を作ってほしいとの要望が出され、区で作ろうと決めたのが昭和53年のことでした。竣工までに実に17年もかかったのです。趣旨には皆、賛成しても、建設地として指名された地区の人々が反対するという現実があるのです。
特別養護老人ホームの建設も非常に重要な課題でした。私が着任した当時は 全くなかったので、最初の特別養護老人ホームを晴海に造りました。「マイホームはるみ」という名称で、ベッド数は80床、ショートステイ(1週間〜10日間)20床、その他通所で機能回復や食事、入浴サービスも受けられる施設ですが、中学校、保育所も一体となっており、世代間交流ができるようになっています。これによって、子供の時からお年寄りを敬い大事にする精神を育て、一方、お年寄りは保育所の庭で子供達と一緒に遊ぶことができ、共に遊技をしたり歌を歌ったり、運動会を一緒にしたり、防災訓練も一緒に行うことができます。また、中学生は下校時にお年寄りを訪問し、そこで読書をしてあげることもできます。このような複合施設は全国でも初めてで、いろいろな賞も受賞しました。
しかも、地域にあるので週に一度は家族が見舞いに来るそうです。それまでは、都外の施設に入所していたので月に1回が限度だったとのことです。
その他、女性の地位向上と社会参加のために、「ブーケ21」という女性会館や、40歳以上の熟年層のふれあい、趣味をいかすサークル活動のためのシニアセンター、退職した人が余裕を持って働けるシルバー人材センターなど公共施設は充実しています。
――東京は、全都的に国際都市としてのカラーも強い都市ですが、国際交流、都市間交流については、どう取り組んでいますか
矢田
オーストラリア発祥の地、サザーランドと姉妹都市になって今年で5年になります。中学2年生が40人近くオーストラリアでホームステイし、向こうからもこちらでホームステイしてもらっています。最初は住宅事情が異なるので、地域住民に受け入れを依頼しても断られるのではと心配しましたが、意外にも「ぜひ、やらせてほしい」という申し出がかなりありました。
また、都内にはフランス人の学校がありますが、生徒が多すぎて収容しきれなくなったため、本区の明正小学校で4クラスほど教室を提供し、一緒に勉強しています。一緒に凧上げをしたり、もちつきをしたりといった交流を4年前から続けています。
その他、国内では山形県東根市と「都心にさくらんぼを」ということで、子供からお年寄りまで交流しています。岡山県玉野市からも都市間交流したいと要望があり、防災協定などを検討しています。また、山梨県上九一色村はオウム真理教のためにイメージが幾分、歪められましたが、かつてここにテント村を作ったことが縁で交流が始まっています。区としてはイメージ回復に向けて、村の物産展を銀座で開催するなど、何とか役に立ちたいと思っています。
このようにネットワークは結構ありますが、特に中央区は東京の中心部なので、希望があるところ、縁があるところとは幅広く交流する方針です。北海道にも要望があれば、ぜひ交流したいと思っています。

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