interview (建設グラフ1996/1)

官庁施設はまちづくりの起爆剤

建設省官庁営繕部長 照井進一 氏

照井進一 てるい・しんいち
昭和16年生まれ、北海道出身、北大工学部建築工学科卒
昭和38年建設省入省
昭和48年北海道開発庁長官官房営繕部建築課営繕監督官
昭和49年関東地方建設局営繕部建築第一課営繕設計官
昭和50年大臣官房官庁営繕部営繕計画課設計官
昭和51年同営繕計画課長補佐
昭和52年東北地方建設局営繕部計画課長
昭和55年関東地方建設局営繕部積算課長
昭和57年大臣官房官庁営繕部営繕計画課建設専門官
昭和62年同研究学園都市施設管理企画室長
平成元年北海道開発局営繕部長
平成 2年大臣官房官庁営繕部営繕計画課長
平成 4年現職
東京都庁の独創的な超高層ツインタワー建設を契機に、官庁施設建築がさまざまな観点で注目される機会が増えてきた。例えば阪神大震災ではその耐震度と構造が、景気対策としては、その波及効果の広さが、そして95年11月は外務省の赤レンガ庁舎が建築100年を迎えたことから、「霞ヶ関官庁街100年」記念事業を通してその歴史性、文化性が再認識された。一方、官庁施設、特に合同庁舎などは職員と利用する国民を集約するものであるため、地域の活性化には大きな威力を持っている。全国の官庁施設を一手に担う建設省官庁営繕部の照井進一部長は、「どんなに工夫を凝らしても、最終的にはバランスの取れた建築物が最も耐震性が強く安全」として、安全性を第一とする建築の理念を強調、一方、地域がそうした官庁施設とまちづくりとを巧みに連動させていくことを提唱している。同部長に官庁施設の理念と思想について語ってもらった。
――今回の補正予算では、営繕事業も大幅の補正がされたのでしょうか。
照井
そうですね。第2次補正予算の大きなポイントは景気対策です。かつては景気対策に営繕関係の補正予算が組まれるケースは少なかったのですが、ここ数年、建築事業の需要も景気対策に貢献するのではないかとの判断もあって、かなり積極的な予算措置が取られるようになってきました。
――景気の刺激という点では、土木よりも建築事業の方が関連分野が広いため、波及率が高いといえるのではないでしょうか。
照井
経済効果を数字的にどう見るかは微妙なところですが、波及効果は建築事業の方が若干高いのかな、とは思いますね。特に、民間の建築の事業が少なく、さりとてインフラや一般的な公共施設は民間ではほとんど行っていないわけですから、そうした現状で公共関係の建築物に期待度が高いのは事実です。
田村 インフラはもともと公共事業そのものでしたから、それが増えるのはインフラ関係を主に請けていた業界にとっては非常に良いのですが、建築を主体とする業界は80%までが民間ですから、それが落ち込むとダメージは大きい。それだけに期待も大きいのだと思います。
田村 しかし、本来、国の建築関係の予算は少なく、いくら増やしても限界があります。民間レベルのキャパシティに比べればかなり小さく、全体枠の中ではわずかな比率ですから、実際は少しでも足しになればというところです。

――補正の対象が情報研究の分野に重点が置かれるとのことですが、官庁関係も研究機関に比重を移すという方針なのですか。
照井
そういうわけではありません。そもそも国全体としてはその方向だったのですが、いままで試験研究機関については予算的に低迷した時期があり、技術の基盤整備は物足りない面がありました。今回、新めてその方向に力を入れだしたということは適切な考え方だと思います。
田村 ただ、私たちの部署からすると、阪神淡路大震災がありましたので第1次補正予算でだいたいの処理は終わっているのですが、さらに足りないところを補填したり、再びあのような震災が襲ったら大変なことですから、全国ベースで既存の施設にどう耐震性を持たせるか、という視点から予算づけをお願いしました。
田村 今度の補正予算では、研究機関については各省庁が予算要求し、私たちが事業を執行しますが、予算そのものの要求スタンスは各省庁に任されています。したがって私たちはどちらかといえば一般会計の行政施設について予算要求をしており、その要求も防災が最も大きな柱となっています。その意味で代表的なのは、例えば北海道釧路市の合同庁舎ですね。
田村 釧路は地震の多いところですし、これまでの地震で既存の庁舎がガタガタになっているので、防災の観点から要求しました。したがって防災という面では釧路が象徴的だったかも知れません。しかも、釧路はシビックコア整備制度の網をかけようということになりまして、jrの清算事業団から土地を取得し、そこに一種の官庁街というのか、防災を考慮した新しい拠点計画を進めようとしています。釧路駅から幤舞橋に向かうちょうど中間ぐらいの西側に、5ヘクタールの土地を取得しエリアをつくろうというものです。
田村 その中にあるいは釧路市役所も移ってくることになるかも知れません。市でも計画を練っていると思います。その核となるのが合同庁舎で、補正は今年度分ですから年度内には発注することになります。今回は防災上の問題と、釧路市は市として都市計画にどう貢献して行くかとの観点で、非常にうまく行くケースになるでしょう。
田村 シビックコア整備制度の網をかけようというのは、国の施設の整備を前提に、上物を整備するための制度ですから、そこにどういうものを配置し、どういう考え方で都市整備を進めるのかが問題です。
田村 これによって、釧路駅と幤舞橋との間の既存の都市景観が、これまでとは全く異なるまちづくりができるのではないか。さらには駅とフィッシュマンズワーフとをつなぐ地域形成のクサリになる可能性があるのではないかと思っています。
田村 官庁施設は、このように人の流れを変える力があり、その意味では地域のまちづくりとも密接に関係し、また貢献するものと考えます。
――釧路市で計画している防災面とシビックコア整備制度のドッキングは、全国的に見ても初めてのものなのですか。
照井
現在、神戸市でも震災の後で構想を検討しているようです。

――相当に新しい技術が取り入れられるのでしょうか。
照井
一応は免震構造で進めるということで計画に取り組んでいるところです。実験施設などではすでに行っていますが、本格的な行政庁舎の建設で免震構造を取り入れるのは初めてです。今後は地域的に取り入れるモデルケースになることと思います。
田村 従来は、釧路など地震多発地域では建物が壊れなくても家具や備品が壊れることが非常に多かったのです。そうした被害を少なくしようと考えたのが免震構造でした。若干コストは高くなりますが、建物の付加価値が高くなる利点がコストの上がった分を補ってくれるだろうと期待しているのです。
――民間の建築物はユニークなものも多くなってきていますが、官庁の庁舎は全体的に箱型で地味な印象があります。今後も同じような思想で進むのでしょうか。
照井
今度の神戸の震災を見ても、結果的にはバランスのよい建物が残るのだという痛烈な印象を持ちました。構造的にバランスの悪い建物は、大震災には耐えきれないのです。
田村 デザインの良し悪しや歴史性、文化性などいろいろな視点があるかと思いますが、私たちは国民に親しみやすく安全であることを建物づくりの信念としています。どんな建築物も安全抜きにして語れないということがあります。
田村 例えば、人事院ビルが建ったのが昭和8年ごろのことで、今年解体しますが、昭和20年の東京大空襲にも耐えて、60年以上もその役割を全うしたわけで、改めて安全性の価値が評価されていると思います。
――合同庁舎化が進んでいますが、中にはそれが不可能な役所もあるのでは
照井
同居できない性格の役所もありますが、それも時代の流れの中で変化します。コンピューターを使うなど、直接応対しなくても用が足りるようになってきましたから、合同庁舎では困るという例はだんだん少なくなってきています。逆に単独庁舎は管理上からも困難になってきているという事情もあります。法律的にも大きな建物だと電気事業法上の資格を持った人を配置しなければならないなど、人的な面での問題があります。全体的な定員削減の中で各官庁ごとに資格者を雇うより合同庁舎にして10か所の役所が入れば一人で済むということもあるわけです。
田村 ただし、測候所のように地理的な条件の制約を受ける役所もありますから、一概にはいえません。ワンパターンではなく変化があるということです。
田村 中高層の合同庁舎の場合、どうしても1−2階に配置しなければならない官署があります。保税倉庫を持つ税関などは1階に配置せざるを得ません。常に多くの人が詰めかける役所を高い階にすると、エレベーターがパンクしかねませんから、こうした役所も1階か2階に配置することになります。
田村 また、事務所のスペースも基準で決められています。しかし、書類や資料がたまってきますから狭くなってしまうという現実もあります。これをコンピューター化するといっても大変な作業であり、資料などをどのように保管するかも課題です。既存の基準では限界に近くなってきているのは確かですね。
――新年度に向けては新規の構想はありますか。
照井
以前から東京都区内にある国の施設を23区外に移転する事業に取り組んできていますが、その一環で行政施設や研究所、研修施設を移転する事業を引き続き行います。
田村 今年度末に発注する「さいたま広域合同庁舎」は、大手町の第1次地方行政機関といわれている施設を埼玉県大宮市の操車場跡地に移転する事業ではかなり大きなものになります。主要なところは5年ぐらいで終わるでしょうが、すべてが終わるには10年ぐらいかかるでしょうね。

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