interview (96/4)

自治権の拡大に取り組む

50周年を契機に港区らしい街づくりを

東京都港区長  菅谷眞一 氏

菅谷 眞一 すがや・しんいち
昭和12年茨城県生まれ、日本大学法学部法律学科卒。
昭和55年環境部防災課長
昭和58年総務部職員課長
昭和63年総務部総務課長
平成 2年企画部長を経て平成4年5月退職
平成 4年6月港区町に当選(1期)
港区は千代田区、中央区、新宿区とともに23区の第一ブロックを構成する都心区だ。ここでも他区と同じく政策課題は区民の定住対策だが、第一ブロックの幹事を務めてきた菅谷眞一区長の視点はより広域的で、特別区の抱える共通問題である自治権拡大に取り組んできた。菅谷区長に特別区の現況と自治のあり方、そして来年で50周年を迎える港区の将来像などについて語ってもらった。
――現職に就任してから力をいれてきた政策は
菅谷
私は、平成4年6月の選挙で区長に当選したのですが、当時の港区の事情もバブルの終焉を迎えていた状況の中で、街並みも様変わりして雑然としていました。
とりわけ人口が激減し、昭和33〜34年頃の26万7千人が最多で、私が区長に就任した当時は15万人でしたから、11万人以上の人達が転居したことになります。11万人といえば、一つの地方都市が消滅するのと同じです。これは、街に人が住めない状況が進行しているということですから、まず「人が住み続けるまちづくり」を目指すことが優先課題でした。何と言っても自治体の存立基盤は人口ですから、その定住人口をいかに確保するか、その政策をめぐっていろいろと方策を考えました。
そこで、住宅政策を区政の柱に据えて、いろいろな事業を積極的に展開してきました。区民向けの住宅を建設しているほか、民間のアパートについて、家賃を助成したり、借り上げて低家賃で提供しています。また、民間の賃貸住宅の供給を促すため、その建設資金の支援も行ってきました。
しかし、そうした政策の展開は区単独では限界があります。というのも、一方では地価が上昇し、それに伴い固定資産税や相続税が上がり、かなり負担が重くなるので、最後には自分の土地・住宅を手放し、転居せざるをえないという現象が起こるわけです。これは国の税制の問題ですから制度上の壁となり、区の権能では限界が生じます。この4年間を回想すると、それを痛感することが非常に多かったといえます。
[港南三丁目住宅棟と福祉棟の完成予想図]
――そうした場合などは特に、都や国の権限をもっと自治体に移譲して地方分権を進めるべきだといえますね
菅谷
定住対策以外にも、街を快適に便利にするため交通アクセスを整備したり、新しい良い環境を創造し、また道路をはじめ様々な生活基盤を改善するなど、あらゆる事業を総合的に推進する中で「住みやすい街」という結果がでるのです。ところが、区には都市計画を決定する権能がないため、権限上、制度上においての壁があります。
東京23区は、日本の首都・東京の中心にあるため、それらを併せて初めて1つの市というイメージがあります。23区それぞれが自治体としての特色を活かして展開できれば、当然のことながら望ましいと思います。
 ただ、首都・東京の一体性と地方分権とは二律背反ですから、難しい制度上の問題ではありますが、我々としてはとにかく地域政策は区に一任し、東京都はより広域的な行政を担当し、そして国は地方政策を自治体に一任すべきだと思います。これによって街は特色ある、特に港区のように古い歴史がありながらも、現代の息吹の非常に強い街の特色が活かされると思うのです。

[赤坂支所 7年11月完成]

権限の制約が足かせに求められる地方分権

――特別区という自治体は東京都内にしかないので、周囲の理解度が低いのですね
菅谷
そうですね。特別区とは、特別に権能を付与されているということではなく、むしろ特別に制限されているという意味なのです。たとえば、ゴミ収集や清掃事業は日本全国3,300の自治体の中で東京23区だけは東京都が担当しています。これで、自治体と言えるのかという疑問が生じます。上下水道事業も都が担当しており、消防も東京23区は東京消防庁が担当しています。
したがって、地域に密着した事業に係わる権能は、特別区に付与し、東京都は広域的な府県行政に徹するべきです。行政には福祉、教育、保健、医療、環境、都市計画など様々な分野がありますが、この現状では区の機能が中途半端で生かし切れていないといえます。

――確かに、自治体の使命はきめ細かい行政サービスとよく言われますが、権限がなければ機能も乏しく、住民の信頼度も高まりづらいといえますね
菅谷
区長に就任して以来、23区はそれぞれ自治権拡充運動に取り組んでおり、私も情熱を燃やしてきたつもりです。特別区という制約された自治体の歴史は自治権の拡充運動の歴史そのものといえます。
昭和40年に福祉事務所が東京都から特別区に移管され、昭和50年には保健所が移管されて公衆衛生行政や福祉行政が特別区に移譲されてきました。区長も以前は議会が選任していましたが、昭和50年には公選となり、区民が直接選挙で選ぶことになりました。
今後は平成12年に清掃事業も区に移管される予定で、その他教育、都市計画など、本来、区が直接担当すべき様々な業務についても制度上の改革が実現するめどがつきました。

――これまで行政の効率化を目指し、国から市町村まで行政改革として経費を節減し、機構もスリム化することに専念してきましたが、権限の拡充と行政改革は背反することになり、バランスが難しい問題となりますね
菅谷
効率性を求めることも重要ですが、一方、住民の自治という民主的な原理に立てば、住民の意志が反映しづらくなるというジレンマがあります。
無駄を省き、スリムになり、効率を追求することで、逆に大きな自治の能力を失ってはなりませんから、その調和をどこに求めていくかが問題ですね。

――財政も密接に関わってくるのでは
菅谷
景気を反映して、区が自由に使える財源も底をつき、思うようにはいきません。そのため、不要不急の事業は中断せざるを得ず、まさに英断しなければならないという状況です。これがいわゆる行政改革ということになるのでしょう。
区民の福祉水準を低下させることはできないので、新規の大プロジェクトは先送りせざるを得なくなってきています。

[台場地区 高齢者在宅サービスセンター完成予想図(8年6月オープン)]
通勤手当の代わりに家賃補助を
――そうした様々な制約の中で、今後重点的に取り組まなければならない政策は
菅谷
特別養護老人ホームなどの高齢者福祉施設は、当面確保していきたいので、これらに対して重点的に財源配分をしていかなければなりません。同時に現在、65歳以上の高齢者の割合が人口の16%を超えていますが、それが高齢化していく一方、若者がいなくなり、平成になってからは14歳以下の年少者人口と65歳以上の高齢者人口が逆転してしまいました。
したがって、若い層をいかに区内に定住してもらうか、先の住宅政策の中でも子育てをする世帯形成時の中堅ファミリー層を何とか住み易いように、という政策も進めて行かなくてはなりません。高齢化社会を支えるのは働く若い人です。それを考えると、若年層に対する政策をどう組み立てていくかが課題です。
しかし、若者の定住を促進するために、「家賃を周辺の区と同じくらいに安くしろ」といわれても、これはすぐには無理な話です。ただ、私は企業関係者に対して冗談まじりに、「通勤手当をなくし、それで家賃補助するように変えてはどうか」というと、一瞬は唖然としながらも次の瞬間はなるほどと納得されたりするのです。首都圏の近郊、近県から通っている人はたくさんいます。その人たちに会社が負担している通勤手当は平均で5万円近くになるのではないでしょうか。それを家賃に転嫁するというのはどうなのかと私は主張するのです。
一方、区としても港区は多少、家賃が高いけれど住みたい、住んでいたい街だといえる魅力を作らなければならないと考えています。東京タワーもあり、増上寺という徳川の菩提寺もあり、古いものと新しいものが良いコントラストで共存しています。港区は江戸の末期から維新にかけて数多くの歴史の舞台になったところですから非常に古いものがあるが、同時に臨海副都心などは21世紀を目指して新しい息吹が感じられます。また、市街地も、ファッションストリートをみても若者の街です。
そして、港区は、来年に50周年を迎えます。それを契機に一層、区民の一体感をはぐくむための住民運動を盛り上げていきたいと考えています。港区は、50年前には芝区、麻布区、赤坂区の3区に分かれていたので、現在もその名残りがあります。自治体、街を支えるのは「人」ですから人が住めるように、大きくは都市計画事業として20ヶ所の市街地再開発事業を進め、街を再生しなくてはならない、雑然と並んでいる街の状況をよりきれいに、港区らしい将来を見据えたまちづくりを今後も推進して行かなくてはなりません。


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