interview (建設グラフ1995/11)

ガット合意後も基本理念は曲げない

前・食糧庁長官 高橋政行 氏

高橋 政行 たかはし・まさゆき
昭和15年生まれ、本籍地岐阜県
昭和38年3月東大法学部卒
昭和38年4月農林省入省
昭和53年8月名古屋営林局総務部長
昭和54年4月林野庁職員部職員課長
昭和56年8月北海道農務部次長
昭和59年4月北海道農務部長
昭和60年4月食品流通局企業振興課長
昭和61年6月水産庁漁政部漁政課長
昭和63年1月大臣官房秘書課長
平成 2年8月食糧庁管理部長
平成 4年7月農蚕園芸局長
平成 6年2月農林水産大臣官房長
わが国の米麦を中心とする食糧政策を担う食糧庁は、今回のガット・ウルグアイラウンド合意で、今後の対応が注目されている。農政全体としては、食管法改正による新食糧法施行、6兆円の農業基盤整備をはじめ、価格問題、自給率の向上、輸入自由化阻止への対策と農業経営基盤の強化など、さまざまな課題が山積している。その中でも食糧政策は日本国民の生命線に触れる分野であるだけに、同庁の使命は重い。そこで、かつては北海道農務部次長、部長として勤務し、本道農業の事情に詳しい高橋政行長官に、今後の政策について語ってもらった。
――北海道農務部に赴任していた当時、米で印象に残ることは。
高橋
私が赴任していたのは、昭和56年から60年まででしたが、56年から58年までは冷害続きで、北海道の農業事情は大変、厳しい情勢下にありました。
59年5月中旬までは天候が悪く、作柄がどうなるのか非常に心配しましたが、幸いそれ以後には持ち直して稲作は大豊作となりました。十勝などの畑作地帯も豊作となり、ようやく関係者共々胸をなでおろすことができたのですが、その前の3年間は青息吐息という状況でしたから、当時としては過去3年間の冷害対策が重要課題だったのです。
今年の作柄は、北海道は平年並みで、8月15日時点の調査では全国的にみても平年並みとなっています。当初は、天候がかなり悪かったので、茎数が少ないなど出遅れましたが、その後の天候回復によって遅れを取り戻した状況です。
このように北海道の場合、稲作といえば冷害との戦いなのです。あれだけの寒冷地ですから、稲作はそもそも不可能ではないかといわれていたのですが、にも関わらずそこでいかに安定した稲作を築くかを、研究者をはじめ行政も長年にわたって研究し、努力と工夫をしてきたわけです。したがって、冷害を克服して今日の稲作を完成させたのは、まさに技術開発の成果なのです。 そうしたことから、北海道の研究者には、品種改良を繰り返し、普通なら不可能である稲作を地元に根づかせたことで大変な誇りを持っているのです。
また、私が道庁へ赴任した昭和56年当時までの稲作といえば、収量としてはかなり採れるようになっていたのですが、味があまり良くなかったので、“ヤッカイドウ米”とさえいわれていました。
そこで、試験場へ赴き研究者達に話してみると、「いや、そんなことはない。我々だってすぐにササニシキやコシヒカリなどと同じ水準の品種を作ってみせる。なぜならば我々には、寒冷で、稲作にとっては不毛の地にそれを実現させた技術がある。その技術をもってすれば、良質の米を作ることは決して難しいことではない」と、断言していました。研究者達にはそれだけ覇気と自信があったわけですね。
その結果、私の在任中に「キタヒカリ」という品種が開発普及され、後には「ユキヒカリ」ができました。そして私が道庁を去ってからは「キララ397」も開発され、今ではさらにおいしい米を作っているようです。
したがって、そうした研究開発にかける情熱と技術力の確かさは、北海道として誇りに思ってもいいことだと思います。
特に、私が次長だった時分の農務部長は上田(恒夫)氏でしたが、上田氏はこと育種に対しては、予算を十分につけるなど、研究開発に非常に熱心な人でした。一方、農家の方々もそうした研究開発に対して強い期待を持っていました。研究開発がこれほどまでに進んだのは、そうした環境があったからだと思います。
研究というものは、象牙の塔にこもっていたのでははかばかしく進みません。農家の方々が新しい品種の開発に大きな期待をかけ、行政も十分に予算をつけ、そして研究者自身も実際に農家へ出向いて、実情を見ながら研究に当たる。この三拍子が揃ったことで、他府県に比べて遜色のないレベルにまで到達したといえるでしょう。これは大変、素晴らしいことだと思います。
――問題は価格の低さで、同じくらいのレベルの品種でも価格が本州米より低いため、本州の農家と北海道の農家との間には所得格差が生じているともいわれますね
高橋
北海道の米は、値段としては確かに安価ですが、むしろ味の割に価格も手ごろだということで、評価が高いのだと思います。かつての農家には、とかく量が多く採れる品種を選定したがる傾向がありました。例えば「イシカリ」など多収米を手がけさえすれば、所得が増えるという意識だったのです。
しかし、私の在任中にはそういう人たちの代が終わり、ただたくさん採るだけではだめで、売れる米をどう作るか、品種開発が進んで行くと共に売れる米をどう作るかということに関心が移っていったのです。品種改良が進んでも、農家がその米の育成に着手しなければ意味がありません。
そこで、そうした農家の意識の向上と品種開発との相乗効果により、今日の米市場において北海道米は良質な割りに手ごろな値段として評価が高まったわけですから、むしろこの評価を生かすべきではないでしょうか。
――ガット・ウルグァイラウンドの合意に伴い、今後の農政は食料政策を含めて大きな転換期を迎えて行くと言われますが、将来像が明確に見通せず、不安を訴える声も聞かれます
高橋
ガット・ウルグァイラウンド合意によって、体制が大きく変わり、生産者にとって大変なことになった、などとマスコミ報道されたため、不安を抱く人がいるようです。
しかし、国として米についての基本的な政策の理念は合意前も合意後も変わらないということをまず、認識してほしいものです。ガット・ウルグァイラウンド交渉において、日本が各国に対して強調してきたのは、自国内での消費に必要な量は、自国内でまかなうという基本政策をとっているから、関税化はすべきでないということだったのであり、そしてそれは実現したわけですから。
これまで、米の輸入は不足した時にのみ行ってきましたが、一昨年の米不足の時を除き、最近では不足していなかったので、輸入する必要はなかったのです。というのも、年間の消費量は判明していますから、逆にどれくらいの量を生産すべきか、方針が明確になります。それに基づき、農家に対して転作などの営農指導をしてきたわけです。
転作についてはいろいろな批判もありましたが、しかし、もしも転作をしなければどうなるのか。各農家が作りたいだけ作るとなると、供給量は間違いなく消費量をオーバーすることになり、やがては日本国中が米であふれてしまい、その結果、余ったものを海に捨てるか、輸出するか、または生産を抑えるしかなくなります。しかし、海に捨てるわけにはいかず、さりとて高い米を輸入してくれる国はないでしょう。したがって、消費に見合った量に生産を合わせるという政策を、転作という形で行ってきたわけです。
こうした基本的考えで政策を進めている時、外国米の輸入を野放図にしておくなら、需給バランスは即座に崩れていくでしょう。これを回避するため輸入量を限定したわけです。ガット合意に基づく年間輸入量は、例えば今年度では上限を40万トンに限定し、合意後においても政府として数量管理ができるという状態を維持したわけです。その意味で、基本的な政策は何も変わっていないと言えるのです。
――将来にわたっても完全自由化・輸入過剰という心配はありませんか
高橋
長期的な展望については、現時点で明言することはできませんが、ガット・ウルグァイラウンドの実施期間であるこの6年間は心配ありません。6年後に、次の交渉がおそらく始まることになりますが、その時にどうなるかは、単純には申し上げられませんが、現野呂田農水大臣も、将来にわたって自由化する考えはないと発言しているとおり、私たちもその方針です。
ガット・ウルグァイラウンドができた1980年代は、世界的に穀物が供給過剰になった時代です。アメリカもECも過剰な穀物をかかえ、その処置に困っていたわけです。その過剰な穀物をいかに販売するかということが大きな要因となってガット・ウルグァイラウンドができたのです。
しかし、現在は様相が全く変わり、世界の穀物の需給関係は非常に緊迫した状況で、あらゆる穀物の在庫率が低くなっています。したがって、今ならガット・ウルグァイラウンド交渉を行なおうとする動きは出てこなかったのではないかと思いますね。
おそらく次のラウンドでテーマとなるのは「環境」だと思います。世界の人口が増えていく情勢下で、食糧環境をどうするのか。むしろこの問題の方が重要となるでしょう。
食物は人間の生命の源ですが、自動車などは単に人間に便益を供与するだけのものでしかありません。にも関わらず、これらを同一次元でとらえ、ただ安ければよい、輸出入すればいいなどと議論することには疑問を感じます。
――日本として、今後の食料政策の向かうべき方向は
高橋
わが国は、外国から輸入している農産物を土地の面積で換算すると、面積の2.4倍くらいになります。ある国会議員が、「自分の体の3分の1は国産で、残りは外国産だ」と発言していましたが、よく考えると恐ろしい状況です。農業関係団体の方々がよく食糧安保や食糧の安全供給を論議していますが、その心情は理解できます。
それに対して国民の多くは、農業関係者が自分の利益のためにそうした理屈を述べているものと思うのかも知れませんが、しかし本来は消費者や都市住民が、これでいいのかと真剣に考えることが大事です。
なにしろ穀物の自給率は約30%にも満たず、カロリーベースでの自給率でいえば半分を切っているわけです。おそらく世界の歴史の中でも1億人以上の人口をかかえながら、国内での食料自給率が、半分にも満たないという国は未だかつて存在しなかったのではないでしょうか。
食糧の確保というのは、今後の世界の状況、人口の増加、世界の天候、世界の耕地面積など不安定要素が多いのです。そのことを、私たちもよく見極めながら政策を展開していかなければならないと思います。
――自給率を上げるには、どうすればいいでしょうか
高橋
自給の「率」を上げるということは、極めて難しいですね。ただ、現在、わが国の農地と人、資本力をフルに活用して自給力を上げていくことが一番大切なことだと思います。
――食管法が改正されますが、そのポイントは
高橋
現行の食管法と比較すると、生産者に対しては価格の安定を図り、消費者に対しては家計の安定を図るという従来の基本理念は変わりません。 相違点は、できるだけ生産者の自主性を生かした形での生産、販売ができるようにすること、それを通じて稲作経営を少しでも活気あるものにして行こうということです。
また、それに関連しますが、米の流通段階の規制については、できるだけいろんな人が新規参入できるように規制緩和し、反面、政府の役割を縮小したものにするといったことがポイントになります。
――以前の米不足の時には闇米が出回りましたが、闇米屋は人のためにやっているのに何が悪いのかと開き直り、むしろ食管法の問題を公の法廷で論議すべく法違反で起訴されるのを待っていたなどというケースもありましたね
高橋
法律、特に経済行為を規制する法律の場合には、必ず抜け駆けをする人が出ますね。抜け駆けをすれば、法に従っている人より利益が上がったり、有利な事業展開が可能になるため、そうした違法行為をする人は常に存在します。したがって、これまでの食管法は、ある意味ではそうした違法者との戦の歴史であったといえるかも知れません。
全体の利益を考え、配慮しようとするなら必ず規制はできます。しかし、中には全体の利益を無視して自分だけの利益を求める人が現れ、そうした人が多くなってきますと、制度を守って行こうという意識は薄れ、法制の維持は不可能になり、無政府状態になります。現行の食管法もそうした問題が表面化したことで、今回の見直しになった面もあると言えます。
――農業基盤整備に約6兆円が投資されることになりましたが、食糧庁の立場としてはどんな整備を期待しますか
高橋
6兆100億円というのは、ガット・ウルグァイラウンドの実施期間の間に、わが国農業の体質強化を図ろうという目的で組まれた数字です。ただ、6兆100億円のうち、国の負担分は2兆7,800億円で、半分をやや下回り、残りは自治体や農家が負担することになります。6年間で足腰の強い農業をつくって行くためにいろんな事業を組み、その事業費として6兆100億円を決めたわけです。
ただ、農業というのは政策を決定しても、それが末端に浸透して動き始めるまでには時間がかかるものです。稲作について消費者の理解を得るよう生産性の向上に努力しなければ、政府の保護の下にあぐらをかいていると批判されかねません。
したがって、私たちとしては、農家がこうした事業の主旨をよく理解し、今後の規模拡大、生産性向上を図るために利用して、足腰の強い経営体制をつくってもらうことを期待します。
――農家の中には、重い受益者負担を敬遠するケースもあると聞きますが
高橋
そういうこともあるかも知れません。逆に農家だからという理由で助成するわけにはいかないという声もあります。私たちとしても、農家個人の経営に関わることですから、行政の立場で直接に関与することではなく、農家が自ら努力し、計画を立て、それに対して行政も支援するというのが本来のあり方だと思います。
――北海道は今後の開発により耕地面積が拡大していく可能性はあるのでしょうか
高橋
耕地を新規に開拓するのではなく、既存の農地やマンパワーをいかに上手に活用するかが基本でしょう。北海道は畑作、稲作、酪農とも国内にあってはかなり規模が大きく、中でも酪農や畑作は既にEC並み、あるいはそれを超えているといわれています。このように、条件は整っているのですから、北海道農業は他の府県の農業には負けないぞ、という心構えが必要だと思います。
私たちは、わが国の農業とアメリカの農業とを比較する場合に、とかく“アメリカは規模が大きいから、とてもかなわない”と自嘲します。確かに、規模も利益もかなり大きいのですが、国内で考えるなら、府県の農家の耕地面積は1町もないところが多いのに対し、北海道は10倍から20倍もあるため、同様に「北海道は規模が大きいのだからとてもかなわない」ということになりますね。
したがって、北海道はそうした優位性を活かした農業を展開していかなければならないという意識が必要だと思います。
北海道は歴史が浅く、短期間に様々な投資をしてきました。そうした急激な投資が北海道の負担を重くしているといえます。ECなどでは投資に長い歳月をかけてきたので、負担が少ないわけです。
その上に、北海道には様々な問題があるので、今回のガット・ウルグァイラウンド対策では、負担軽減のための金融措置など工夫をしています。そこで、北海道はそうした政策と、与えられている条件とをうまく連携させて、まず国内で他の府県に負けない農業をつくり上げることが、必要ではないかと考えています。

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