<建設グラフ1997年3月号>

interview

平成9年6月、延べ床面積50万uのクイーンズスクエアが完成

横浜みなとみらい21 代表取締役社長 佐藤昌之 氏

佐藤 昌之 さとう・まさゆき
昭和 3年 2月生まれ、東京出身、25年東京大学第一工学部卒
昭和25年横浜市に入庁
昭和54年助役
昭和59年横浜みなとみらい21専務
昭和63年副社長を経て
平成 7年社長
12年開業へ、地下鉄「みなとみらい新線」建設も急ピッチ日本を代表する国際港湾都市・横浜の新しい“顔”が「みなとみらい21」。事業がスタートして早13年。すでにインフラ整備は完了、開発面積186haのうち3分1まで整備が進み、来年6月には24街区に延べ床面積50万uの超高層ビル3棟『クイーンズスクエア横浜』が同時オープンする。現地では建設のツチ音が響き渡っているが、ここもバブル崩壊の直撃を受け、開発のペースがスローダウンしている。『みなとみらい21』の現状と今後の展望を、佐藤昌之社長に伺った。
――「みなとみらい21」事業がスタートして13年が経ちましたが、最近の状況はいかがですか
佐藤
桜木町駅から『みなとみらい21』の全貌が見えます。工事が順調に進んでいるように見えますが、実はどれも3年前に決まった計画ばかりです。
9年6月に延べ床面積50万uの「クイーンズスクウエア横浜」が予定どおり完成すれば、当面の開発事業も一段落しますが、後続事業がまだ動き出していません。その辺が気になるところです。
民活のモデル事業
――「みなとみらい21」プロジェクトの経過を伺いたい
佐藤
このプロジェクトがスタートした背景には三つの要素があります。
一つはオイルショックの影響で100万トン級のマンモスタンカーの時代が終わり、三菱重工横浜造船所(三菱ドッグ)の移転問題が持ち上がったこと。二つ目に自動車輸送の発達で国鉄貨物の需要が激減し操車場が遊休地化したこと。そして、港湾貨物のコンテナ化が進みバックヤードの確保など港の再編成が必要になったことです。
このため沈滞していた横浜経済を活性化させる方策として、横浜駅と桜木町駅周辺に新しい都心をつくろうという構想が持ち上がり、昭和55年3月にドッグの移転が決まった翌年、みなとみらい21構想が急速に具体化しました。
昭和58年に臨海部の区画整理事業の起工式が行われ、同時に埋め立て、護岸工事がスタートしたわけです。地権者や事業内容のコーデイネーター役として「鰍ンなとみらい21」が第3センターとして翌59年に発足しました。当時は中曽根政権下で盛んに民活が叫ばれていました。会社も自社ビルを建てて開発の一部を分担する勢いがありました。
この構想にかかる総事業費も2兆数千億円、2000年までに完成させる計画でした。ところが、景気の後退で今は予定が狂ってきました。2010年の完成もあやしいぐらいです。
しかし、インフラ整備は完成しています。これまで道路、下水道、公園整備や埋め立てなどのインフラ整備に投入した資金は3千億円になります。そこに建築物を建てるのは主として民間です。したがって、これは民活事業のモデルだったわけです。その骨組みは今も変わっていません。
――その民間開発の進捗状況は
佐藤
建物は全体の開発の三分の一しか進んでいません。横浜ランドマークタワーは2,700億円、隣の24街区(クイーンズスクエア)は3棟の超高層ビルからなり、それだけで4,000億円以上の投資です。現在の見積りで総事業費は3兆円を超えています。
ただ順序から言えば、横浜は国際都市の旗を掲げていますから、国際会議場の建設が悲願でした。国際会議場となると大規模なホテルが必要になります。それに展示ホールも含めワンセットにしました。平成3年に会議センター、展示ホール、ホテルが完成したのに続き、6年には国立横浜国際会議場がオープン、国際交流拠点「パシフィコ横浜」を形成しています。
ランドマークタワーは横浜観光のメッカ
――平成5年7月にオープンしたランドマークタワーは全国的に大きなインパクトを与えましたね
佐藤
そうですね。これはオフィス、ホテル、ショッピングモールに加え、展望フロアや文化施設など多彩な機能を持った、70階建ての日本一高い超高層ビルです。
8年のゴールデンウィーク中も全国で4番目という人出がありました。土曜・日曜は20〜30万人、平日でも約10万人。半分は観光客です。本来はビジネスの街をつくろうとしたのですが、これは思わぬ副産物ですね。
――超高層ビル『クイーンズスクエア』が9年6月にオープンしますね
佐藤
住友・東急グループが開発した業務、商業、ホテルなどの複合施設で、世界的な水準を満たしたクラシックホールも建設されます。
ただ、テナントがどれだけ集まるか、デベロッパーとしては頭の痛いところです。特に店舗、デパートは人が集まりやすい立地条件でなければ商売になりません。
横浜から元町までの「みなとみらい新線」は平成12年に開通の予定で、その中央駅前に立地しますから、早く開通しなければ乗降客を狙っての商売ができません。桜木町駅からでは遠く、途中にあるランドマークタワーと客の取り合いにもなりかねない。店舗、デパートの関係は新線の開通までは厳しい状況が続きそうです。
オフィスの方も全体の需要動向に関係してきますが、みなとみらい地区は横浜駅西口より地価が高かったぐらいですから、テナントもなかなか手が出せない面があります。賃貸料を急に安くすることもできないので、その調整に苦慮しているところです。
個人的な見解ですが、今では20階から30階建て規模のマンションの方が経営しやすいのではと思います。今後どのように事業を促進するか、私たちにとって重要な課題です。
横浜の中枢管理機能を集積
――今後の展望と課題について、さらに具体的にお聞かせ下さい
佐藤
現在、横浜市のマスタープランは2010年を見越したものです。その中で横浜は二つの都心をつくろうとしています。一つがみなとみらい21で、ここが横浜の顔になります。もう一つは新幹線の新横浜駅です。
その中でもみなとみらい21地区は行政機関も含めた中枢管理機能を持たせ、企業の本社機能を東京からできるだけ誘致して、横浜らしい国際交流、貿易を中心とした先進的な街をつくるのが狙いです。結果的には、それが一極集中している東京の機能分散になります。平たく言えば、夜間人口が多い横浜でもっと働く場をつくろうというわけです。
新規雇用の目標19万人のうち、すでに雇用の場を得たのは概ね4万人ですから、まだこれからです。38万人が流出していますから、その半分ぐらいを、というのが目標です。
居住人口については、ゴーストタウンにならないよう1万人、3千世帯を想定しています。なぜ1万人かといえば、それ以上になると保育所や小中学校が必要になるからです。既成市街地に連なって開発していますから、周辺にある既存の施設で対応しようという考えなのです。
――完成時期の見通しは
佐藤
「開発の目標達成はどのぐらい遅れそうですか」とよく聞かれますが、2000年といえば平成12年だ。その目標にしているのが「みなとみらい新線」の開通です。その頃に4割〜5割の進捗率なら良いほうでしょう。平成20年頃にならなければ全体が熟成するのは無理かもしれません。
現時点では4〜5年の遅れです。この先どうなるか予測しにくい面はありますが、国の経済状態がどんなに悪くなっても、『安売りはしない』というのが基本的なスタンスです。
幸い地権者が国鉄清算事業団、住宅都市整備公団、三菱グループなどで固まっており、街づくり基本協定、一種の紳士協定を交わしています。
私たちの会社が事務局になっていますが、街づくり協議会のワーキンググループが開発計画に対し注文を付け、実際の建築設計が提出されると、その予備審査を行いますから、ここをパスすれば行政サイドの審査はほとんどないわけです。
このように、みなとみらい地区のまちづくりは、そこまで徹底した姿勢で臨んでいます。

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