interview (建設グラフ1996/8)

錦糸町は文化、両国はファッションタウンに

中小製造業者の異業種交流促進とインターネットを活用

東京都墨田区長  奥山澄雄 氏

奥山 澄雄 おくやま・すみお
昭和 4年3月25日生まれ、愛知県出身、日本大学経済・経営学部卒
昭和48年墨田区建設部計画課長
昭和50年同総務部財政課長
昭和52年同企画経営室長
昭和57年同助役
昭和62年墨田区長に初当選
現在3期目
いま墨田区が面白い。錦糸町ではjr駅北口で大型の市街地再開発事業が来春の完成に向けて急ピッチで工事が進められており、完成後は東京の新しい副都心にふさわしいホテル、デパート、2,000席の大ホールを備えた文化会館、業務ビル群として、都内でも有数の情報発信基地に生まれ変ろうとしている。国技館のある街で全国に知られる両国はファッションタウンに変身する。文化会館のトリフォニーホールは、世界的に有名な小澤征爾氏が指揮する新日本フィルのフランチャイズだ。『ここから世界に向けて墨田区をアピールしたい』と意気込む奥山澄雄区長に、21世紀を展望した墨田区の都市づくり、全国に先駆けて取り組んできた木造住宅の不燃化対策など防災都市づくりを聞いた。
――東京23区もそれぞれ区によって事情が異なると思いますが、墨田区が抱えている懸案事項から伺いたい
奥山
一番の課題は防災対策でしょうね。墨田区は大正12年の関東大震災や、昭和20年の東京大空襲で壊滅的な打撃を受けました。災害に強いまちづくりが墨田区政の大命題になっています。
昭和54年には全国に先駆けて不燃化促進の助成制度を新設し、木造住宅を不燃化に改造する場合、当時で150万円を上限に助成金を出すようにしました。大蔵省からお叱りを受けましたが、今では全国の自治体に波及するようになりました。
――木造住宅が多かったのですね
奥山
そうです。今では鉄筋コンクリートの建て物が多くなりましたが、昭和54年当時、区内の不燃化率は平均30%程度でした。現在は約60%程度まで上がっていますが、70%になると火災が発生しても延焼率が低くなるとされていますので、そこまで不燃化率を上げようと思っています。
東京都は木造密集地帯の緊急整備10か年計画を策定していますが、墨田区も向島の一部が整備区域に入っています。
――公共トイレの防災化や雨水の利用促進にも取り組んでいるようですが
奥山
震災時には、下水道をどこまで使えるか疑問なので、阪神淡路大震災を契機にトイレの防災対応化を検討し、建て替えに合わせて、地下部分に貯留槽を設置しています。いまのところ完成したのは3か所ですが、順次整備していく考えです。
それに雨水利用の促進のため、ビル建設時に地下に貯水槽を設置する場合には、助成金を出しています。雨水を貯めれば2重に使えるわけです。有事の際は消火に活用できるほか、排水系統を2系統にすることで雑排水に利用できますから、水の節減にもつながります。
――防災対策について、どうお考えですか
奥山
防災対策の柱はハード面もさることながら、何といっても一人一人の意識が大切ではないでしょうか。逃げることより、まず火を消すことや家具の固定化をするなど、そうしたちょっとした配慮で、安全が保たれるのですから。
――墨田区は人口22万人、9万7千世帯ですが、区の財政規模で防災対策の比重は大きいほうですか
奥山
以前はそうでしたが、最近は活性化対策を踏まえた再開発に力を入れています。両国、錦糸町、向島などポイントを決めて再開発事業を推進しています。交通渋滞の要因になっている、道路と鉄道の平面交差を解消するため、立体交差化事業にも積極的に取り組んでいます。
JR総武線錦糸町駅北口地区で進めている市街地再開発事業の施行面積は約4万4千u。旧国鉄清算事業団の用地を活用するため中曽根総理(当時)の政策的背景を受けて始まった事業です。後のバブル崩壊でかなり苦労しましたが、ようやく建ち上がったところです。
関東大震災後に同潤会が建てた同潤会アパート2地区も老朽化がひどく、最近、建て替えが終わりました。
――ところで産業面の特色は
奥山
墨田区は明治以降、産業で発展してきましたが、主要産業となると、ニット関連、ガラス、メッキ、金属関係が盛んです。区の中小企業センターには検査設備がありまして、需要家のニーズに応えて良質の製品を提供できる仕組みが出来ています。地方都市のように工場を誘致するというわけにはいきませんので、今後は少人数でできる企画開発型の産業を育成するため、中小企業センターを中心に異業種交流事業にも力を入れています。センターではインターネットにホームページを開いて企業紹介の情報を発信しています。
墨田区の異業種交流は現在、約10グループがありますが、ここから『消臭毛布』といったアイデア商品も生れています。問題はいかに流通ルートに乗せるかです。
わが区は、工業出荷額の3割以上を占めるニット産業が盛んなので、区役所第一庁舎跡地にファッションセンターも計画しています。
――生産拠点を海外へ移転させる傾向が続いていますが、こうした空洞化現象の影響は出ていませんか
奥山
比較的転換が早いですね。堅実な経営者が多いので、倒産も少ない。新製品開発で通産大臣表彰を受けた企業もあります。
――錦糸町のイメージがずいぶん変わりましたね
奥山
錦糸町駅北口地区の再開発事業が着々と進み、その波及効果もあってイメージが一変しました。ホテル、デパート、文化会館などを中心に商業・業務・文化・アミューズメント機能を集積した広域総合拠点として整備しており、来年春に竣工します。
錦糸町・亀戸地区が東京都の多心型副都心構想に基づく副都心に指定され、総武線、地下鉄のターミナル駅としての発展性が期待されています。東京駅から約4.5kmと都心部に近接しており、平成12年には地下鉄11号線と東武線の相互乗り入れが実現します。
文化会館の大ホール(トリフォニーホール・2千席)は新日本フィルハーモニー交響楽団のフランチャイズとして、常時、新日本フィルなど国際的にも有名なオーケストラの演奏会を開催したい。世界に向かって墨田区をアピールしたいと思っています。
――両国の位置付けは
奥山
両国は相撲のイメージが強いと思いますが、落ち着いた町並みで昔から繊維産業が盛んなので、ファッションタウンとして整備したいと思っています。錦糸町、両国が墨田区の核となるわけですから、錦糸町と両国を結ぶ南割下水通りはファッションストリートにして将来の繁華街にしようという構想です。
――昼間人口はどのぐらいですか
奥山
約27万人ぐらいでしょうか。
――今後の産業振興については、どのようにお考えですか
奥山
スリーMと称しまして、ミニ博物館のミュージアム、職人のマイスター、区内で生産された製品を買うモデルショッピングを推進しています。墨田区は昔から伝統工芸が盛んでして職人がけっこういます。そうした職人を顕章したい。
墨田区は江戸時代から明治初期にかけては文化性に富んだ土地柄でした。水運に恵まれて工場群が出現し、産業の街として発展しました。また、地盤が低いため水害のまちのイメージが強かったのですが、最近は『墨田は何かやっている、動いている』と、皆さんから注目を集めるようになりました。

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