interview

総合病院の誘致、環状地下鉄・メトロセブンの実現に全力

地域振興は区画整理から

東京都江戸川区長 中里喜一 氏

中里 喜一 なかざと・きいち
明治45年、江戸川区生まれ、昭和5年東京府立第一商業学校卒
昭和 5年松江町役場に就職
昭和22年江戸川区教育課長
昭和35年江戸川区助役
昭和39年江戸川区長に就任
平成11年3月勇退
平成13年1月21日死去
著書:「区政史話」 関連著書:「逞しき挑戦」「痛快ワンマン町づくり」
江戸川区は、かつては「住めないところ」と批判された地域だったが、中里喜一区長は、この不評をバネに「汚名返上に向けて区民と行政が共に協力し、地域づくりが始まった」という。その発端となったのは区画整理事業で、現在も至る所で活発に行われている。そうして街並みが整備されると同時に、江戸川区民の生活を豊かにすべく、様々な行政サービスを充実させていった。そして、現在は総合病院の誘致と、環状地下鉄・メトロセブン構想の実現に向けて、全力を挙げている。中里区長によると、「病院の誘致については、年内にも区民に朗報をもたらすことができそうだ」という。同区長にまちづくりへの取り組みと21世紀の将来像などを語ってもらった。
――区長は、公選前から江戸川区長を務め、長年に亘って街の変遷を見続けてきましたが、常に念頭に置いていた地域の理想像とはどんなものでしたか
中里
子どもは明るく、物怖じすることなく、個性豊かで笑顔で過ごし、一方、熟年者には、江戸川区に住んで良かった、生涯を江戸川で過ごせて良かったと思える人間性豊かなまちにすること。これが私の目標なのです。
これから21世紀を迎えるに当たり、将来の理想的なまちをつくるには、まず環境面が重要です。街がきれいで住み良いこと。緑豊かで、親水公園もあるというのが理想です。
これからは、長寿社会となりますから、高齢者対策が政策の柱になるでしょう。もちろん、59万人の区民すべてが、満足感を肌で実感できるように配慮していかなければなりませから、高齢者だけを政策の対象にするわけにはいきません。しかし、高齢者対策の比重は高まっていくでしょう。
一方、若い世代の人々にとっては、子どもの育成が大きな負担となるでしょう。しかし、子どもを多く持つことのできる社会にすることは、行政の使命でもあります。
日本の出生率は、現在、1.46人となっていますが、これでは人口は先細りとなります。その点、江戸川区では、昨年に6,600人も生まれていますから、町内を歩くと、自転車の後方や前方に乳児を乗せている主婦や、中には3人もの子どもを連れ歩いている母親の姿を至る所で見かけます。このように子どもを育てやすい環境、地域社会を作っていかなければなりません。
そのためには、公園で安心して遊ばせておくことができること、夏には親水河川で、子ども達が喜々として遊ぶことができるという環境を整備しなければなりません。
また、私立幼稚園の学費は毎年、上昇するので、父兄の負担軽減のために、月額2万4,000円、年間では30万円の助成を行っています。医療費も、6歳までは無料にしているので、年間の区の支出は18億円となります。
これらは初歩的な政策ですが、子どもを背負った若い人を多く見かけるような街をつくることが、これから新しい時代を迎えるにあたり重要なことだと思います。子どもが多く、兄弟が多くて良かったと思えるような街にすること。一人っ子では過保護になりやすく、脆弱になってしまいますから。
――現在、区民のために整備している施設は
中里
区として最も自慢できるものとしては、船堀に整備している7階建ての総合区民施設です。エントランスホールは7階まで吹き抜けとなっており、さらに展望塔もあります。
完成は平成10年末ですから、11年の新年賀詞交換会はここで行えることを期待しています。
――区長を題材にしたノンフィクション(※)には、「江戸川区は23区の中で最後の区となっているが、逆にすれば最初だ」というくだりがありました。実際に区長の政策も、23区で初めて、さらには全国でも初めてとされるようなものに、積極的に着手している様子が描かれていますが、このように政策の新機軸を打ち立てたり、既存の政策でも最高峰を目指すというのは、区長のプライドと政策的こだわりの現れと見られますが
中里
そうですね、特に順位にこだわっているわけではないのですが(苦笑)、30年、20年前の江戸川区は「住めるところではない」と、評判の悪い地域だったのです。雨が降ると、水はけが悪かったので「水害の街」と呼ばれたり、都内で最東端に位置するため「千葉県下の街か」などと言われていたのです。また、塩害で作物ができる土地柄でもありませんでした。
だからこそ、その汚名を返上すべく、逆に都内で「最も良い街にしよう」というのが、住民にとっても行政にとっても共通の悲願となったわけです。そのためにこれまであらゆる苦労を忍び、最善を尽くしてきました。その道のりは容易なものではありませんでした。

※「痛快ワンマン町づくり」(ちくま文庫)

――どんな政策から着手しましたか
中里
江戸川区にとっては、区画整理組合による区画整理事業が発展の決め手だったといえるでしょう。住民と行政とが一体となり、街を立派にするために、住民には2割から3割の減歩を了解、決断してもらい、この不毛の地に道路、公園などを整備して、そこに住宅が立地してきたのです。
まちづくりは10年から20年後でなければ、正否は判断できません。ですから、最初に必要なのは決断です。住民にそれを理解させ、そして決断を促すというのが、行政の使命なのです。今にして思えば、それを理解する住民性は豊かだったのだと思います。
その結果、例えば葛西地区には8組合もあり、区内で最も区画整理事業が活発に行われています。このお陰で、当初5万人くらいだった人口は20万人以上になりました。こうした発展が、自信につながってくるのです。
――そうした諸政策にかかる自主財源確保の手法も、単に補助制度の活用だけでなく、国保料徴収業務を非常勤職員に専任させて、徴収率を基準以上まで高め、それを財源に繰り入れるなど、秀でた手腕が伺われますね
中里
区民の生活を守るために、区自体が行う政策は最も重要なもので、自主財源の確保に手を抜くことはできません。
しかし、それとは性格の異なるビッグプロジェクト、または生活基盤である下水道などは、6,000億円もかかるものですから、この場合は国や都の制度を活用するしかありません。
鉄道もそうです。10号線は江東区から江戸川区篠崎を通り、市川市本八幡まで延伸させていますが、これらは1,800億円もかかっています。単に自主財源の確保だけでなく、国や都が実施するそうした事業の推進に向けて、住民と区とが協力して努力することも必要です。
――確かに交通網の整備は、東部地域に共通の政策課題のようですね
中里
環状7号線地下に検討されている地下鉄・メトロセブン構想が、ようやく調査段階に来ていますから、その実現に力を入れていかなければなりません。交通審議会の検討対象としてもらうのは容易なことではありませんが、私は葛飾、足立、そして江戸川3区の促進協議会会長ですから、自ら先頭に立ち、住民大会なども行いました。
この構想に対する住民の関心はかなり高いものです。環状7号線は交通量が多く、バスが通っていない上にタクシーも拾えないという不便な状況です。したがって、是非ともメトロセブンは実現してもらいたいとの思いが強いのです。
ただ、首都高速の地下を通すので、地上に建築物がないのは幸いですが、地下の工事は1メートルに数億円の投資となりますから、財源が最大の問題です。現在、国は国債が25パーセントにも上り、都も財政が逼迫して緊急事態宣言をしていますから。
――都内人口の分散や地方分権が進んでいますから、長期的な需要動向を見れば、非現実的とも言えないのでは
中里
問題は分散の仕方です。地方分権は良いが、単なる分散となるとそのあり方によっては、むしろ余分な出費が生じるとの懸念もあります。
例えば、霞ヶ関の官庁街の移転は莫大な支出を伴います。このために、かえって交通問題が発生することも考えられます。したがって、現在、遷都が論議されており、北海道もその候補地の一つにはなっていますが、実際には官庁を一つ移転しただけで、そこに至る交通手段の問題や宿舎の整備など付随施設への投資も必要になります。
その意味で、折から論議されている首都機能移転というのは現実的とはいえません。例えば筑波学園都市などは、数十年に及びかなりの投資が行われましたが、いまなお完成はしていないのです。私自身も講演に呼ばれて訪問しましたが、現地では生活基盤の整備が後れているため、これを促進するための住民組織が結成され、市町村に要望を繰り返しているという状況です。
これを考慮するなら、むしろ地方分権を推進するのが妥当な方向性だと思うのです。国、都が所管している住民に直結した単純業務などは、自治体に任されても良いと思います。何しろバスの停留所ひとつ移すにも国の認可が必要で、また、市街化区域と市街化調整区域の線引きも国や都が所管しているため、我々がまちづくりの計画を立てる上でも実情が分かりづらく、不便なのです。
また、都では「福祉のまちづくり条例」を施行していますが、区には財源がないのでそれに適した事業がなかなか起こせないわけです。したがって、都が政策を実行するにも、補助制度などの財源的な裏付けがなければ、我々も対応し切れません。
――その地方分権に関連して、ある区長は、特別区の「特別」とは特別に権限が制限されているということだと語り、あまりに権限が制限されていたのでは住民の要請に応えきれなくなると問題提起していましたが
中里
ただ、特別区の場合は市町村と違い、保健行政が機関委任されています。財政的にも、他の市町村よりは余裕がありました。その意味では、独自の政策は行いやすい環境にあったと、私は思います。
――21世紀を迎えるに当たり、今後、区として整備しておかなければならない施設や制度は
中里
最も重要なのは、総合病院です。これまで、住民の世論調査では下水道整備への要望が最も高かったのですが、今や100パーセントの普及率に達したので、これは姿を消しました。
代わりに要望のトップにあるのは、総合病院なのです。総合医療機関が区内にはなく、今のところ身近にあるのは江東区の墨東病院なので、区民はそこまで出向かなければなりません。さらには日生病院や東京医大病院、虎ノ門病院などのある都心までも出向いているのです。
これが区内にもあれば、区民も心強いと思うのです。そこで私は、区内に400床から500床規模の大規模病院を誘致すべく医療法人に働きかけているところです。幸い区としての受け入れ態勢が整ったので、年内には具体化しそうな見通しとなっています。

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