interview(建設グラフ1996/6)

臨海副都心に本格的サッカー場を

街づくりのポイントは港湾部と旧市街地との連続性と、下町の保存

東京都江東区長  室橋 昭 氏

室橋  昭 むろはし・あきら
昭和 4年8月1日生まれ、東京都江東区出身、早稲田大学第一政経学部卒
昭和30年日刊工業新聞社入社
昭和38年江東区議会議員(2期)
昭和52年東京都議会議員(4期)
平成3年江東区長に初当選
平成7年江東区長再選を果たし現在2期目
江東区は400年にわたる埋め立てが現在も進行しており、行政区域が年々拡大している地域だ。臨海部には木材資材置き場として用途が限定されている木場地区の用途変更の課題もあるが、一方では新木場での臨海副都心開発が進み、そこに区として本格的サッカー場建設の構想を提案するなど、活発な地域づくりが展開されている。反面、同区は伝統的な「下町」の味わいを残している地域も多く、そうした新開地と下町との調和の取れた街づくりが区に課せられた政策課題でもある。同区の室橋昭区長に、区の現況と政策について語ってもらった。
――江東区の地域的特色と政策的課題についてお聞きしたい
室橋
江東区というところは、23区の中でも独特の地理的な特性があります。埋め立ての歴史が400年続いており、今なお埋め立てが続いています。これは、東京23区だけではなく、全国にもこうした例はなく、世界的にも珍しいケースです。 そして、前面が東京港ですから、港湾関係者の住宅もあり、その他に都営住宅も25万戸のうちの2万戸が江東区にあります。したがって、都営住宅の多い港湾後背地と港湾の中にある港湾施設以外の部分をどのように活用していくか、どう生かしていくかということが区政の課題ということになりますね。 永代通りの地下を通っている東西線のラインが幕末の海岸線で、そこから以南はずっと埋めてきたのです。現在、中央防波堤の外側まで埋め立てており、その後はさらに南側500haを埋め立てる計画なのです。新海面処分場は平成9年には一杯になるからです。 このように、徳川家康が関東に入国した1590年頃の江東区はほとんど海だったのですが、それ以来400年間埋め立てているわけです。
――そうした歴史性や特性を街づくりに生かすという考えですか
室橋
そうです。江東区では臨海副都心が新しい街として活発に開発されていますが、一方では古い街並みを残しながら埋め立てが進められてきて、新しい街がつくられてきました。臨海副都心はその延長線上にあるのです。 したがって、古い街と新しい街の共生の繰り返しが400年続いてきているということが江東区の特徴です。
――埋め立て地の用途については
室橋
港湾施設にするところもあるし、それから新木場のように工場の移転先となるところもあり、また公園、海上公園、ゴルフ場、テニス場など、多角的に使う予定です。
――古い街と新しい街との地域的なバランスが重要ですね
室橋
そうですね、ですからまちづくりの基本的なイメージとしては「伝統と未来を結ぶ下町」というのが江東区のまちづくりの基本的な将来像のビジョンとなっているのです。古い街と新しい街との共生やバランス、整合性を図っていくことがまちづくりの基本です。
――江戸時代からの伝統を残しながら、同時に再開発も進めていくというのも、なかなか技術的に難しいですね
室橋
そうです。しかし、旧市街地も防災上の視点から見れば開発していく必要があります。たとえば亀戸・大島・小松川の防災拠点を略して「カメダイショウ防災拠点」と称していますが、これは旧市街地を防災拠点として再開発をしているわけです。


図書館が合築される東雲住宅

――江東区の産業構造は
室橋
江東区は有数の工場地帯だったのです。都内では京浜工業地帯につながる大田区に匹敵するか、むしろこの「江東工業地帯」の方が大きかったのではないでしょうか
その工場が公害問題で、昭和40〜50年代にかけて移転を始めたのです。その後に集合住宅の建設ラッシュが起こり、人口の半分以上が集合住宅にすむようになったのです。
また、木場公園は面積が24haですが、かつて材木のまちだったのを移転させて空き地にし、大規模の公園ができたのです。その他、猿江の恩賜公園には貯木場があったのですが、これを埋めて従来の公園の規模を拡大して15haになっています。
――工場の移転により、区内の産業構造はかなり変わったのですね
室橋
今日では、重化学工業はほとんどなく、大工場、鉄鋼関係もないでしょう。したがって、都市型工業である繊維、印刷といった軽工業やコンピュータ関連、伝統産業としてはガラスの江戸切り子などです。
また、最近ではバブル経済を契機に本社機能を移転してくる企業が多くなりました。都心部に比べ地価が低いからでしょう。したがって、昔の工場地帯というイメージはほとんどなくなりましたね。工場の跡地は団地になっています。
一方、地元商店街は、進出してきた大型スーパーの脅威にめげずになかなか奮闘しています。下町にとって商店街は非常に大切な存在です。江東区は人口が36〜37万人ですから、地域住民に密着した商店街がかなりあります。夕飯の買い物に主婦らが下駄履き、サンダル履きで出かけるという下町本来の賑わいや活力が江東区にはまだ残っています。
――それが地域のコミュニティー形成に役立っているのですね。そうなると、商店街の振興事業も盛んに行われているのですか
室橋
商店街にも何とか頑張ってもらうために、活性化支援事業として、街路灯や舗装の修繕、完備・アーケードの改修などにはできるだけ助成しています。
あるマスコミが、23区の中で最も下町らしい区についてのアンケート調査をしていました。意外なことに中央区、台東区、港区といった都心区でも、古くからの住人は、今なお下町と考えている人もいるようです。確かにかつては下町ではあったのですが、しかし、現実にはやはり都心部のイメージが強いのです。中央区や千代田区神田なども、人口の減少によりもはや下町の雰囲気はなくなっているのですが、現地では下町と呼んでいるのです。台東区も同様です。
結局、江東区が最も下町のイメージの強い区との結果のようです。下町というのは雑然としていながら活気があって、近所のおじさんやおばさんが気軽に出てくるところです。そうした雰囲気は銀座にはないですね。銀座を下駄履きで歩くわけにはいかない。下駄履きで歩けなければ下町とはいえないですよ。
――人口が中心部から周辺に流出して下町が移っているということでしょうか
室橋
そうです。地価は東に行くほど安いですから。一時はオフィスビルが多かったのですが、最近はほとんどがアパートやマンションに切り替えられています。ですから、分譲、賃貸ともに最近の集合住宅の建築申請件数は非常に増えています。区内で申請中、建築中のものを合わせると、20〜30件になっています。ほとんどは10〜15階建てぐらいで50戸前後、多いものでは200戸のものもあります。
オフィスビルの需要は減少していますが、住宅に対する需要はまだあるので、他区に比べ建築戸数が多くなっているのです。
昔からの町並みもあり、交通の便も非常に良く、下町らしい商店街もあるので、新しく転入してきた住民も地域になじみ易いわけですね。江東区にはそうした下町という平場があるから、確かにマンションは多いけれど団地の住人と、低層住宅に住む地域住民との交流があるのです。
だから、まちづくりの方向としては、新しい人々が地元の住民といかに同化して、仲良く暮らしていける環境をつくるかが課題ですね。古い町はできるだけ残していく、そして新しい住民とうまく解け合うということが大切でしょう。
そのためには、やはり団地だけでは、どうにもならないのです。何しろ、お祭りさえできないのですから。祭りというのは、平場がなければ成り立たないものです。もちろん、団地でも「団地祭り」などが行われたりはしますが、伝統的な江戸時代以来のお祭りは平場がないと無理ですね。江戸三大祭りの一つ「深川八幡まつり」もやはり、昔からの伝統的な町並みが残っているところに残されています。
――確かに、業務施設の中に1つだけマンションがあっても生活の用は足せないですね
室橋
まさか、下駄履きで10階からエレベーターで降りてきて、ラフな格好でブラつくというわけにもいきませんね。何しろ周囲の人々がみな勤め人というのではさまになりません。都心区の悩みもその辺りにあるのでしょう。
――ところで、港湾部と内陸との調和については
室橋
未来型都市として開発されている臨海副都心に、住宅も張り付けようという構想もあります。従来の考え方とは全く違った新しいまちづくりなのですが、8〜9割が江東区ですから向こうは特別というわけにはいきません。やはり、古いまちと新しいまちとの共生が重要課題です。
したがって、あくまでも江東区内のまちとして、同化するというビジョンや方向性は、明確にしておかなければなりません。
この点については、これからの問題ですが、やはり住宅ができれば、当然そこに小学校や保育園、幼稚園を作らなければならない、老人ホームも作らなければならない、教育施設も作っていかなければならないということになります。
――その他に本格的なサッカー場の建設構想に力を入れているとのことですが、今後の見通しは
室橋
臨海副都心開発を見直すに当たって、青島知事が「ビルが建つだけではおもしろくない、何か目玉となる構想が一つ欲しい」と主張し、副都心として何か夢のある活用方法を考えてもらいたいと懇談会に課題を投げかけたのがきっかけです。
そこで、江東区としては2002年のワールドカップサッカーの誘致を目指し、その競技場となるサッカー場を建設するのがいいのではないかと提案しているのです。現在、日本と韓国が競っていますが、2002年ワールドカップを何とか日本に招致し、もし日本に決まるとすれば、現在、東京にサッカー専用の競技場がないことを考慮すると、その必要性が大きいと考えています。
サッカー専用といっても、ラグビーや各種スポーツイベントも可能で、しかも観覧席が10万人程度の大規模のものが欲しいわけで、それを臨海副都心に作ったらいいのではないかと私が提言したのです。
東京都でももちろん、どうするか考えているでしょうが、他には野球場がいいという意見もあり、むしろ全て公園にすべきだ、あるいは森林にすべきだなど、様々な意見があります。しかし、私としては是非とも、サッカー場を検討して欲しいものと思います。

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