interview(建設グラフ1996/8)

緑豊かな福祉と文化のまちを形成

160の防災会を組織、初期消火に万全の体制

東京都杉並区長  本橋保正 氏

本橋 保正 もとはし・やすまさ
大正10年3月7日生まれ、東京都杉並区出身、明治大学専門部政治経済学科卒
昭和38年東京都芝授産事業所長
昭和40年東京都杉並区土木部管理課長
昭和44年東京都杉並区総務部総務課長
昭和46年東京都杉並区区民部長
昭和49年東京都杉並区総務部長
昭和54年株式会社エコー保険企画、代表取締役社長就任
昭和55年安田火災海上保険株式会社 顧問就任、東京都杉並区収入役就任
昭和58年東京都杉並区助役就任
平成 7年東京都杉並区助役退職(通算3期)後、杉並区長に初当選
東京23区の中では有数の住宅都市である杉並区は『みどり豊かな福祉と文化のまち』をめざしている。住宅都市に特有の課題も少なくないが、区が最重点課題として取り組んでいるのが、災害に強い都市づくりと、急速に進む高齢化に対応した在宅福祉対策の充実や特別養護老人ホームの整備促進。全区160地域に住民主体の防災会を組織、タンクやポンプを配備して初期消火に万全の体制を整え、災害時の第一次避難施設に指定している各小中学校に井戸を整備するなど、地震対策を着々と進めている。本橋保正区長に杉並区の課題や将来の都市像を聞いた。
――“杉並”という区名の由来ですが、杉が多かったのでしょうか
本橋
徳川時代に青梅街道に杉並木があったことから、明治時代の村名に『杉並』が採用されたのが始まりです。ただ、スギは排気ガスに弱く、かなり減っています。
現在はスギ科に属し『生きている化石』といわれているアケボノスギ(メタセコイア)を区の木に、またサザンカが区の花になっています。アケボノスギは育ちが良いのです。緑化条例を制定する際、北大農学部の教授らをメンバーとする審議会の委員に相談して決めた次第です。
――都内23区は人口の目減りに悩んでいるようですが、杉並区政全般の課題は
本橋
10年前は52万人強でしたが、現在は50万人余と漸減の状態が続いています。杉並区も核家族化の進行と地価高騰の影響で若い人を中心に郊外へ転居するドーナツ化現象がみられ、高齢者が残る傾向があります。65歳以上の高齢者の割合は14%を超えています。
区政の指針となる基本構想を昭和63年に策定しましたが、この中で総合的な目標に掲げたのが『みどり豊かな福祉と文化のまち』です。この実現を図るため平成15年まで10か年の「長期計画」と3か年ごとのローリングシステムで財政的な裏付けをする「実施計画」を基本に区政の運営を行っています。
杉並は関東大震災のあと、都心から一斉に被災者が流入してきたのが都市化の始まりで、いわゆる住宅都市なのです。当時、北西地域は区画整理事業がすでに始まっており、良好な住宅環境がつくられていましたが、それ以外の地域は未整備のまま住宅都市化が進んだので、防災や都市基盤の面でさまざまな課題を抱えています。特に古い木造住宅が密集しているので、防災に強い都市づくりは周辺区ともに共通した課題になっています。
――その点について区独自の対策は
本橋
木造住宅の鉄筋化に助成制度を導入し推進しています。区民の負担も大きいので一戸建ての2軒を共同住宅にする手法も取り入れています。
――阪神大震災では狭あいな生活道路が網の目のようになっていて緊急自動車が入れないという問題がありましたが、杉並では
本橋
各町内会を中心に全区に約160の防災会を組織して、50トンタンクやポンプを配備しているので、狭い所でも初期消火できるよう手は打っています。
――町内会長が地元の対策本部長ということになりますか
本橋
そうです。防災対策として、私が区長に就任してからは、いち早く区内67の小・中学校を一次避難所に指定しました。そして、災害時は水の確保が一番の問題ですので、各学校に井戸を掘りました。今年の夏までに整備が終わります。また、空き教室を利用して備蓄品を保管しています。
また、災害時に学校の教員がどう協力するか、その役割について、マニュアルづくりを検討させているところです。もちろん区の職員も派遣しますが、防災対策の根本的な見直しを進めており、東京都と国の対策との整合性が出来れば、防災対策はより確実なものになります。
その他、平成11年2月の完成をめざし、今年10月に着工を予定している仮称・保健医療センターに応急医療品などの格納庫や簡易ベッドを備え、急病診療で待機している医療技術者が災害発生の直後から早期に医療救護活動に入れるよう施設を整備します。
――学校は防災施設として確かに有効なのですが、中には教育の場をそのように使うのはいかがなものかといった意見もあるようですね
本橋
確かに学校は聖域だという見方もありますが、いまは違います。学校は地域のもの、地域に開かれた学校にしなければなりません。たとえば、『いじめ』の問題にしても、学校はもっと地域と密接につながることが大切です。教師と父兄だけでは不十分で、地域の人たちと一緒になって取り組む体制をつくることを私は絶えず主張してきまして、ようやく浸透してきました。学校は、地域の人たちがいつでも自由に出入りできることが大切だと思っています。
校舎については11年前から耐震調査を実施していますが、この取り組みは都内でも早かったようです。老朽化の激しい学校は建て替えが終了しています。

――区政のテーマである『みどりと福祉と文化』ですが、杉並の自然環境は
本橋
23区の中ではまだ農地も若干ですが残っています。しかし、緑地率はかつて24%ほどだったのが、現在は19%弱まで減っています。何とかこれだけは残したいと公園整備などに区としても努力していますが、行政だけでは限界がありますので、民間の協力が欠かせません。農地もできるだけ保全しようと、未利用の農地は区民農園として活用しています。区民農園は人気があり、希望者の競争率は3〜4倍にもなっています。
いずれにしろ、国の法的な措置を急いでもらわなれば、都市の農地はますます先細りになります。
――実際に営農はしているのですか
本橋
出荷はほとんどしていませんが、直売所でダイコン、ハクサイなど蔬菜類や花類などを扱っているようです。
――ところで区の福祉政策については
本橋
杉並区も高齢化が急速に進んでおり、65歳以上は平成3年に約63,000人だったのが、現在は約74,000人に膨らんでいます。全人口に占める割合は12.3%から14.8%へと増加しています。
特別養護老人ホームへの入居を希望している待機者が今でも600人を数えます。杉並区では初めて区立の特別養護老人ホーム(定員75名)を建設中で、来年6月に完成の予定です。福祉と保健医療は密接な関係がありますので、できれば病院を経営している方に設置してもらうのが望ましい。建設費の一部を区が助成する独自の制度で特別養護老人ホームの整備を支援しています。
――区の将来像をどのように描いていますか
本橋
住宅都市の性格は変わらないでしょう。区内には中央線に4駅と私鉄が3線乗り入れており、駅前には商店街が形成されていますが、規制緩和による大型スーパーの進出もあって、昔のままの商店街ではなかなか難しい。
交通体系は都心へ向かうのは便利ですが、横の連絡が悪いのが難点。将来的に解決しなければならない課題です。いずれにしろ住み良くて買い物にも便利な杉並区を区民は望んでいると思います。

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