<建設グラフ97年3月号)

interview

3市合併、政令指定都市移行に全力

浦和レッズでサッカーのまちづくり 2002年w杯開催地に

埼玉県浦和市長 相川宗一 氏

相川 宗一 あいかわ・そういち
昭和17年生、浦和市出身、慶応大商学部卒
昭和55年埼玉県議会議員に初当選以来3期当選
平成 3年浦和市長就任、現在2期目
埼玉県浦和市は、大宮市、与野市との合併、政令指定都市移行への準備が進められ、新都心の一部として整備されるなど新たな方向へと向かっているといえる。また、プロサッカーチーム「浦和レッズ」の所在地で、2002年ワールドカップに向けてサッカー施設の整備も行われており、とかく話題性のある街だ。そこで現在、どんなまちづくりが行われており、将来はどんな展望があるのか、相川宗一市長にインタビューした。
――浦和といえば、最も注目されているのは3市合併と政令指定都市移行の問題ですが、その背景や進捗状況についてお聞きしたい
相川
3市合併の議論は、古い歴史の中で数度にわたり論議がされてきました。しかし、今回の合併論議は、合併後に大都市制度である政令指定都市を目指すという点が、従来の論議と根本的に異なるところで、大都市に発生する都市問題と少子・高齢社会への対応といった時代的課題を、政令指定都市制度を活用して解決するために提起されたものです。
また、わが国の最大の政治課題となっている行政改革の下で議論されている地方分権問題においては、浦和市もその受け皿となる地方自治体として、自らの大きな課題として取り組む必要があるわけです。
現在、浦和市は人口が46万人あまりですが、人口が急激に増えるのは戦後になってからで、特に高度経済成長からは急増し、昭和35年に16万8千人であったのが平成7年4月には45万人を突破しました。平成7年度に策定された第4次市政振興計画では、基本計画の目標年次である平成16年度末の人口を54万2千人と推計しています。
こうした人口の増加と共に、都市化も進展し各種公共施設の整備、交通基盤の整備なども進み、県庁所在都市としての地位が高まってきています。
このように、県の行政、経済、文化の中心的役割を果たしてきた浦和市は、近隣の大宮市、与野市とともに既に一体的な都市となっており、実質的には大都市と呼ぶにふさわしい都市ということができます。
3市合わせると人口は96万人に達するわけですから、これを背景に、大都市生活者としての市民の多様な行政に対する要望に的確に応え、効率的な行政を行うためには、権限の移譲と財政の強化が図れる政令指定都市となる必要があるのです。
また、さいたま新都心への国の諸機関の移転や埼玉県の中枢・中核施設の完成を間近にひかえ、また業務核都市の指定により埼玉県の中枢的な都市として発展が期待されているこの時期こそ、まさに北関東で唯一の政令指定都市となるべき時期なのだと考えられます。
こうした背景に基づき平成7年3月の浦和市議会、大宮市議会、6月の与野市議会で、それぞれ3市合併促進決議を可決し、また3市にそれぞれ政令指定都市推進室を設置して3市の将来ビジョン、行財政実態調査を基礎として一元化の調整的事務にも着手したところです。
今後は、できるだけ早い時期に任意の合併協議会を設置して政令指定都市の実現に努めていきたいと考えています。
――合併に伴い各市の議員定数や市長ポスト、行政機関の所在地など、様々な課題が発生しますね。特に議員定数は削減される可能性もあり、各市の議員の間で反発もあるのでは
相川
その心配はないようです。というのも、合併には各市議会が特に積極的で、すでに各市議会でその促進を決議しているからです。
行政機関やその機構、業務、職員定数などについては、現在、事務レベルで協議している最中ですから、どうなっていくかはまだ回答は出せません。ただ、市長ポストは私も含めて一旦、各市長が辞任し、改めて市長選を行う段階で具体的な動きが出るでしょう。(苦笑)

――合併後の3市の地域的役割や方向性は
相川
大宮市は経済・商業都市、与野市は文化・行政都市、そして浦和市は文教都市としての役割を担っていくことになります。
――それに基づき、浦和としてのまちづくりの理念と施策について伺いたい
相川
私は、本市の将来都市像であり政治理念でもある「人と緑が調和する人間優先都市」を、施策の基本理念としています。
この、人と緑が調和する人間優先都市というのは、人や地域社会が地球環境に視点を置き、環境や自然との調和を保ちつつ行動し、また発展していく中で、真に豊かな社会と都市形成を達成していこうとするものです。
そこで、この理念に基づく施策としては、まず市民が浦和の街を誇りとすることができる街づくりをすること。このために私は、浦和市が埼玉県の県庁所在都市としての役割を果たしながら、安全かつ安心できる緑と自然に恵まれた都市として、さらには、風格と個性が感じられる都市を形成していくことを目標にしています。
二つ目は、市民が心の、豊かさとゆとりを実感できる街づくりです。市民が日々の生活の中で、文化、社会、経済などの諸活動を活発に行い、人々が心豊かに、そしてゆとりを持って暮らせる街づくりが必要であると考えています。このため、文化や教育、そして福祉の充実にいっそう努力していかなければならないと考えています。
――どんな事業を実施していきますか
相川
主な事業は、まず「人に優しい都市づくりの推進」です。これは、本年4月に浦和市としてバリアフリー社会を構築していくために、「人に優しい都市づくり推進指針」を定め、順次バリアフリー化を実施していくと方針決定したところですが、9年度からは、従来実施してきた公民館の施設改善、北浦和駅西口周辺地区のモデル事業の推進や、jr駅舎へのエスカレーターの設置事業に併せ、支所の施設改善を図っていきたいと考えています。
次に「都心整備の推進」を図りたいと考えています。都心の整備は、浦和の顔を造ると同時に都市機能の高度化という視点から重要なものと位置づけています。
浦和駅周辺の都心整備は、東口西口とも鋭意進めていきたいと考えています。旧仲町庁舎跡地のいわゆる浦和センチュリーシティについては、平成8年12月議会において事業着手の前提となる財産の利用にかかる議会の議決をいただきましたので、来年度以降は、浦和センチュリーシティ内へ設置を考えている美術館の検討を進めていきたいと考えています。
武蔵浦和駅前地区の再開発事業は、ようやく過去の経過を離れ着実な動きが出始めたところです。今後は、第2街区が目に見える状況となり、先導的効果を発揮してくる時期になります。
この次は第6街区ですが、つい最近、事業許可を申請したところで、来年度は着工に向けて努力をしていくことになります。
――基盤整備の分野では
相川
基盤整備では、「道路・河川・下水道整備の推進」を図りたいと考えています。
まず、道路施策としては、市民生活を支える「人に優しい道づくりの推進」、都市の骨格となる「都市計画道路の整備」を推進しようと考えています。
河川の整備については、荒川に合流する芝川の整備が課題で、現在まで遊水機能を保持してきた見沼田圃については、新たに農地、公園、緑地として土地利用を図っていくことが、土地利用協議会において平成7年度に決定されました。
綾瀬川については、全国直轄河川の中で昭和55年以来平成7年まで水質ワースト1という不名誉な記録がでましたので、流域自治体で組織している「綾瀬川清流ルネッサンス21地域協議会」を発足し、水質改善に取り組んでいるところです。
下水道事業は、現在、公共下水道整備促進5カ年計画に基づいて進めています。この5カ年計画の目標は、平成10年度末で普及率70.5%としたものですが、実際の事業が少し早く進捗していることもあり、来年度末には目標を概ね達成できるものと見込んでいます。
また、「循環型都市形成の推進」も実現したい政策テーマです。今年の春には、長年の懸案であった大崎の廃棄物焼却施設が完成し、名称も「クリーンセンター大崎」と改めたところですが、今後の焼却施設問題を考え、昭和50年代に建設された既存の焼却施設も整備しなければなりません。
また、本年度からリサイクルセンターの調査をしていますが、来年度は計画策定に着手をしたいと考えています。
廃棄物は、単に処分するという視点からリサイクルという視点へ移行しつつあります。リサイクル型、資源循環型社会の構築がいわれていますが、この構築と財源の確保は大きな問題です。しかし、基本的視点は、あくまで資源循環型都市の形成に置いていかなければなりません。
――浦和といえば、「浦和レッズ」のお膝元で、特に地域の知名度や地域イメージの向上に大きく貢献しているものと思います。市としては、まちづくりにどう活かしていますか
相川
そうですね、市としては「サッカーを核としたまちづくりの推進」を図っているところでございます。
埼玉県は、静岡、広島と共にサッカーの御三家として数えられ、特に浦和市は、「サッカーのまち浦和」として全国に数多くの輝かしい成績を収め、埼玉サッカー会の発展の中心的役割を果たしてきました。
このような歴史と伝統のある本市をホームタウンとして浦和レッズが誕生し、本市が進めているサッカーのまちづくりの推進を図る上で極めて大きな意義を持つことになりました。
また、「浦和市サッカーのまちづくり推進協議会」を設立して、サッカーのまち浦和の普及発展、スポーツの振興、地域経済の活性化、さらには青少年の育成などを図り、生涯スポーツのまち浦和、健康で心豊かなまちづくりをさらに進めていきたいと思います。
浦和レッズのホームグランドである駒場スタジアムは、昨年に収容人員を2万1千人規模に改修するなど、サッカー環境の整備にも努めてきました。
jリーグも4年目を迎えた今シーズンは、わが浦和レッズはシーズン前半を3位で折り返して、大いに活躍し、一時期は優勝の声さえありました。
また、2002年ワールドカップサッカー大会も先頃、日韓共同開催が決定しました。そこで、この大会の会場市として、本市美園地区にサッカー専用の施設である(仮称)県営スタジアムが6万人規模で建設されることになりました。
日本での開催地は15候補地から10カ所の開催地にと絞り込みを行った結果、この浦和での開催が決定しました。
また、この施設が2002年ワールドカップサッカー大会の会場としてはもちろん、サッカー競技のメッカとして、また、子供たちの夢、あこがれの場所、地域スポーツの核施設として大きな役割を果たし、野球の「甲子園」、ラグビーの「花園」、そしてサッカーの「美園」といった具合に、全国、世界に通用する施設となることを念願しているところです。

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