建設グラフインターネットダイジェスト

〈建設グラフ1998年7月号〉

interview

社会資本整備は経済に活力を与える

自民党公共事業執行特別委員会委員長・参議院議員 井上 孝 氏(元建設省事務次官、元国土庁長官)

井上 孝 いのうえ・たかし
大正14年2月23日生まれ、本籍新潟県
大連一中、旅順高校、京都大学土木工学科卒。
建設省近畿地方建設局、大阪国道工事事務所長、東北地方建設局長、道路局長、建設技監、事務次官を歴任し、昭和54年6月、建設省を退官
昭和55年6月 参議院議員(全国区)に当選
昭和61年7月 参議院議員(比例区)に当選
平成4年7月 参議院議員(比例区)に当選
平成4年12月 国務大臣国土庁長官に就任(5年8月退任)
【現在の国会活動】
行財政機構及び行政監察に関する調査会長
参議院総務委員会委員
【現在の党活動】
自由民主党組織本部長代理
参議院自由民主党議員副会長
道路調査会副会長
公共事業執行に関する調査特別委員会委員長
住宅対策特別委員会副委員長 etc.

※平成16年11月7日 死去(79歳)
今年は建設省が設置されて50周年の節目を迎えた。公共事業の牽引車として戦後の国土復興とその後の目覚ましい経済発展に公共投資が果たしてきた役割は大きい。しかし、その公共事業もいま、一つの曲がり角にさしかかっている。政府は平成10年度から公共事業費の削減に踏み出したが、本格的な少子高齢化社会を迎え、財源的にも公共事業の先細りは避けられない。その反面、社会資本を整備し経済に活力を与える公共事業は今後、維持管理の時代に入るとも言われ、建設業界としても発想の転換が求められている。建設省事務次官から参議院議員に転身し、現在、自民党の公共事業執行特別委員会委員長を務める、井上孝・元国土庁長官に建設省時代の思い出を交えながら、深刻な不況にあえぐ建設業界の経営改善対策、公共投資の課題を語っていただいた。
――今年は建設省が設置されて50周年になります。この間、先生は30周年の際に事務次官を務め、そして50周年の今年、後輩に道を譲るということですから、戦後の公共事業の歴史とともに生き、官僚時代から今日まで、建設土木行政の牽引役を果たしてこられましたね
井上
いえ、それほどの大それた自信はありません(苦笑)。私は建設省が設置された昭和23年に入省しました。昭和21年に京都大を卒業した後、大学院に残り、23年に入省したわけですが、発足当初から30年間現職でいましたから、ちょうど一番良い時代に育ったといえるのではないでしょうか。上り坂ばかり経験出来ましたからね。
後に国会議員になって、さらに幅広い分野に関わりを持つようになりましたが、私は建設関係から選ばれている比例代表ですから、公共事業の拡大、社会資本の整備を政治命題として18年間、参議院議員を務めて参りました。この時代に議員を辞めていくのは、いささか心残りの点もありますが、私個人としては一番良い時期に役人生活を送り、国会議員も経験できたと思っています。
――戦後の復興時期に建設省に入ったことになりますね
井上
入省当時はすでに戦後の国土復興が始まっていましたが、日本はその当時、敗戦直前からたびたび台風の被害に見舞われました。このため治水事業が盛んに行われているという状況の中で、私の役人生活は道路局でスタートしました。
国の道路整備は、今年から第12次の5か年計画がスタートしましたが、この間、ほとんどの計画に携わることが出来たのは幸せでした。
――北海道では昨年、第二白糸トンネルの岩盤崩落事故が起きましたが、先生は北海道とも縁が深いと伺っています
井上
地名は忘れましたが、日本海沿岸の国道229号線で、橋梁の建設中に土砂崩れが起きました。その時、確か開発局の道路部長で、後に北海道知事になられた堂垣内(尚弘)さんから、災害の原因について詳しく伺った記憶があります。第二白糸トンネルもそうですが、崖の切り立った険しい地形の所に小さな漁港が点在していますので、どうしても陸路をつなぐ国道や生活道路が必要なのです。
しかし、あの地形に道路を造るというのは、非常に決断しづらかったと思いますよ。技術屋にとっては、実に難しい所に手を付けたなと感じましたね。
何しろ、堂垣内さんが現役の頃は、トンネルといえばまだ直線しか掘れませんでした。しかも、延長500m以上になれば換気装置が必要で、それも800mが限界でした。今日では技術が進み、曲線も可能になりました。
――50年の間にわが国のインフラはかなり整備されましたが、国民はそれを当たり前だと思っているのではないでしょうか。そのため、わがままになっているきらいがあるように思いますが
井上
確かに、わがままにはなっているようですね。文化が進展すると、それに慣れてしまい、改めて先人の苦労を考えるということがなくなるのは残念です。
――建設省に勤務されていた30年間で、特に印象に残っていることは
井上
建設省50周年の記念誌に寄稿した一文でも触れましたが、いま四国と本州に架けている連絡橋は、着工前から熾烈な奪い合いとなりました。兵庫-徳島、愛媛-広島、岡山-香川県と三つの大きなルートがありましたが、いわゆる政治路線になってしまったのです。このため最終的には、全部に着手するということで決着しました。ところが、昭和48年のオイルショックによる総需要抑制のあおりで工事がストップしたのです。
46年に発足した本州四国連絡橋公団が、ルート調査を実施し、49年にいよいよ着工という段階にまでこぎつけたのに、起工式の5日前になって工事中止が決まったのです。あの時は、本当に公団が気の毒でなりませんでしたね。
当時の政府は三木内閣で、三木さんは徳島県出身、そして建設大臣だった仮谷忠男さんは高知の出身でした。仮谷さんは建設大臣として「橋は四国の悲願。凍結のままでは困る」と主張し、あらゆる会議に出席して理解を求めるなど本四連絡橋の実現に懸命でした。私はその時、道路局長だったのです。
その後、総需要抑制を少し緩めることになり、副総理の福田さんも一年遅れの着工にゴーサインを出してくれました。国土庁長官の金丸(信)さんも仮谷さんをバックアップしていました。実は仮谷さんの前任の建設大臣が金丸さんで、大臣として総需要抑制にともなう着工中止への要請を飲んでしまったことに、責任を感じていたようです。
ようやく着工が決まり、瀬戸内海の大三島で12月21日に起工式が行われました。寒い日で仮谷さんはこの時、カゼをひいてしまい、年明けの1月15日に亡くなってしまいました。葬儀には竹下登さんが友人代表、私が建設省の職員代表で参列しました。竹下さんは、仮谷さんのご遺体とともに高知県知事主催の葬儀会場に着いて間もなく、三木総理から建設大臣として就任要請の電話が入り、慌ただしく東京に引き返して行きました。非常に劇的でしたね。このことは建設省50周年の記念誌に書かせてもらいました。私としてはこれが一番、印象に残っていることと言えますね。
――オイルショック後の総需要抑制の頃と今日の不況と、時代背景に共通点はありますか
井上
ある点では似ています。といっても、今日のような不景気というよりも、あの頃は石油の値上がりであらゆる物価が高騰しました。建設業者が工事を請け負っても、着工までに建設資材や賃金が高騰し、工事量が増えれば増えるほど損をするという逆転現象が起きたのです。
これは大変だということで、49年に、いま私が委員長を務めている自民党の『公共事業執行に関する委員会』が設置され、公共事業の契約にスライド制を導入したわけです。これは着工時点の物価に応じて入札額に加算する方法ですが、この制度によって全国の建設業者が救われたのです。
当時は、私はまだ役人でしたが「自民党はすごいことをやるものだなあ」と感心しました。役人の頭では、とうてい考えられないことです。物価の値上がり分までを手当するというのですから。その当時の委員会が、今日なお残っているわけです。
――今年1月に、建設省が『建設業の経営改善に関する対策』をとりまとめましたが、公共事業執行特別委員会としてはどのように関わりましたか
井上
銀行の貸し渋り、公共事業の削減などから最近、どうも仕事がやりにくくなっているという話を聞きますので、昨年、業界の代表から直接、政府や政治に対する要望を聴きました。業界の規模によって内容も違うだろうと思い、日建連、建設経営協会、全建、全中建の関係者を個別に招いて要望などを聴いたのです。
総括すると、共通点もありましたが、認識に違う面がかなりありましたね。その後、電気設備や空調衛生の業界からも『われわれも困っているから話を聞いてほしい』との申し出があり、お会いしました。
これら団体の要望を受けて、建設省に指示し具体的な施策として今年1月にまとめたのが、この『建設業の経営改善に関する対策』です。
――どのような施策を盛り込みましたか
井上
ご承知のように、公共事業への依存度の高い中小・中堅業者や不良債権を抱えた大手ゼネコンは厳しい経営環境に直面しており、昨年来、倒産が急増しています。こうした状況の中で、下請建設業者は下請代金の支払いにしわ寄せを受けているほか、金融機関の貸し渋り、資金の引揚げなど資金繰りの面でも厳しい状況に立たされています。
建設業の経営改善、経営破たんへの対応については、基本的にはそれぞれの企業の自助努力、自己責任で行われるべきと考えています。しかし、建設業者の経営不安は一企業の問題にとどまらず、関連する下請業者の連鎖倒産、建設労働者の雇用問題や地域経済など広範な分野に影響を及ぼし、ひいてはわが国の経済や就業構造に取り返しのつかない影響を及ぼす恐れがあるのです。そのため、建設省として経営改善を図るための対策をとりまとめ、総合的な展開を図ることにしたのです。
施策としては、公共工事代金の早期支払い、保証事業会社が金融機関に預託した資金を基に金融機関が建設業者に対して低利で融資を行う制度(預託融資)、分離・分割発注の推進、jv制度の活用、雇用の安定確保など27項目に上っています。
こうした施策を構築するにあたって、私たちも随分と勉強しました。が、その甲斐あって、例えば債権の流動化などによる資金調達の円滑化(債権を信託銀行に信託-投資家へ分配)については、大手からも反響があります。
――大手と中小の要望の違いはどのような面に現われていますか。
井上
官公需の約4割は中小企業に発注するよう、法律で規制を敷いていますが、大手側はこれを緩和してほしいと要望していましたね。しかし、そうなると全部の工事を大手が受注してしまいかねず、当然、中小はその逆となります。それだけ大手も困っているという印象を受けました。
また、拓銀が破たんした北海道は別として、貸し渋りに困っているのはだいたい中堅以上ですね。地方のaランク業者は、意外にも困ってはいないのです。なぜならメインバンクが地方銀行で、もともと地元業者を支援する役回りに徹しており、しかも極端な不良債権を抱えていないからです。バブルの時に不良債権をため込んだのは、大都市と特殊事情のある北海道くらいで、東北や九州の業界には目立った不良債権は見られません。
――今年3月の決算では、大手ゼネコンも不良債権を全面的に公開しました
井上
従来、赤字会社は入札の指名から外されていましたが、過去の不良債権は大目に見るよう指名排除に関する是正措置を取りました。
――公共事業の今後は、内容において質的な変化が避けられないと思いますが、この点についてはどのようにお考えですか
井上
そうですね、過去50年間と違い、社会資本整備もかなり水準が上がっていますから、今後は発注量が少なくなるでしょう。これは自然の流れです。あと10年も経てば本格的な高齢化社会を迎えますから、社会資本整備に税金を回すことがますます難しくなるので、この20世紀中に集中して社会資本を整備するよう馬力をかけてきたわけです。
しかし、今後はそうした余力がなくなるわけですから、その時に建設業界はどう対応するのか、例えば合併や提携によって業者の数を減らすことに、何らかのメリットを与える仕組みも検討しなければなりません。もはや、押せ押せで公共事業を増やす時代ではないのです。ピークはもう過ぎたと感じます。業界もそのことを覚悟して、早く手を打たなければ生き残れないでしょう。
――公共事業は維持管理の時代に入るといわれていますね
井上
そうです。いままでの公共事業は、ひたすら社会資本を整備し新たに造るとの一本調子で来ました。しかし、厳しい自然環境にさらされているわけですから、これからは維持管理、更新に重点が移っていきます。
それを怠ったのが、70年代のアメリカです。当時はベトナム戦争や宇宙開発に莫大な税金を注ぎ込んでいましたし、国民世論が『小さな政府』、つまり減税に向かっていたので、政治的にも公共投資への資財源確保が難しかったのです。特に東部は社会資本整備が始まって80年から100 年が過ぎていましたので、至る所で弊害が表面化したのです。
確か1981年に、ニューヨークの有名な吊り橋であるブルックリン橋のワイヤーロープの素線が切れて、日本人のカメラマンが即死するという事故がありました。当時、アメリカの社会資本整備は荒廃していると言われ、それを警告する本も出版されたほどです。
そこで、レーガン政権になってから、連邦政府はガソリン税の1ガロン4セントを一気に9セントに上げて道路整備などに充てたのです。日本語で維持管理というと安っぽく聞こえますが、維持管理、更新など、新しくすることは必要です。
――技術者も日頃からそうした技術を磨いておかなければ、対応できませんね
井上
発想の転換が大切です。一挙に耐用年数がこないように、日頃から手入れを怠らないようにしなければなりません。例えば、地方の建設業者は効率的に道路の修繕が出来る技術を磨いていただきたいものです。
――近年よく聞かれる、公共事業に対するマスコミの批判はいく分、的外れのように思います。
井上
今回の景気対策でも、公共投資に対してマスコミはヒステリックに批判していますが、減税に比べると経済的な波及効果は3倍も4倍も大きいのです。
しかし、オイルショック以来、ほとんどのマスコミは、公共事業は景気対策だと勘違いしており、それでいて効果がないものと主張しています。実際には、公共投資とは社会資本を整備して経済に活力を与えることなのです。人を雇ったり資材を使うことによる波及効果は、あくまでも副次的な目的なのに、そのことをはき違えています。これは、全くもって初歩的な誤りです。
その点、アメリカは日本よりも10年進んでいます。クリントン大統領も、公共投資は減らしません。公共投資をシビルエンジニアリングと言いますが、橋やダムなどを造るということはつまり文化、文明をつくるということなのです。

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