建設グラフインターネットダイジェスト

〈建設グラフ2001年12月号〉

interview

建設分野での多角化を模索

コンクリート補強剤の研究を推進

岩倉建設株式会社 代表取締役社長  宮崎 英樹 氏

宮崎英樹 みやざき・ひでき
昭和15年11月18日生まれ、
苫小牧市出身、青山学院大学経済学部卒。
昭和42年9月〜昭和47年1月 道路建設株式会社勤務
昭和47年2月〜昭和62年11月 道路建設株式会社取締役
昭和62年12月〜平成5年12月 道路建設株式会社代表取締役社長
昭和55年12月〜昭和62年11月 岩倉組土建株式会社監査役
昭和62年12月〜平成5年12月 岩倉組土建株式会社取締役
(平成元年 岩倉建設株式会社に変更)
平成5年12月 〜 現在 岩倉建設株式会社代表取締役社長
平成5年12月〜平成9年11月 道路建設株式会社代表取締役会長
平成 年11月〜現在 道路建設株式会社取締役相談役

北海道の岩倉建設は、バブル期にも過剰な投資を行わず、誠実を社訓に、堅実に建設会社としての基盤を固めてきた。建設業界の再編が進みつつある中、会社経営も曲がり角を迎えており、同社としても事業の多角化を模索している。宮崎英樹社長は、「慣れない事業に手を出せば失敗する。あくまで建設関連産業での多角化を」と抱負を語る。
――現在、公共事業が削減されていく方向にありますが、会社の運営にも影響が出るのでは
宮崎
業界全体が厳しい状況にありますが、当社もご多聞にもれません。北海道開発予算の北海道特別枠のお陰で、国土交通省への再編後も今のところ極端な落ち込みはありませんが、来年からは非常に厳しいと予測されます。
来年以降は、公共事業予算が1割ダウンする方向のようですが、農業土木事業は、極端に減ることはないようです。農業基盤整備に予算が傾斜配分されると、他の事業費に大きな影響が出ることが懸念されます。それが、地方の中堅ゼネコンを圧迫することとなり、風当たりが非常に厳しい。この影響がどのようなことになるのか、今後の見通しは予測がつけにくい状況です。
しかし、建設産業そのものが全く無くなったり、消滅することはあり得ません。なぜなら、建設された構造物は、いずれは必ず壊れるわけで、そのためのメンテナンス需要があります。ただ、その状況下でどう生き残るかについては、社としても頭の痛いところです。
――北海道が導入したランダムカット方式が、業界内では不評のようですね
宮崎
入札とは、競争をして行うのですが、道が新たに導入したこの方式は、入札に際して各々の企業がどの会社と競争するのかが解らないという不自然なものです。競争相手を知らずに競争せよというのですから。上川管内の発注問題の影響もあるのでしょうが、少し過剰反応気味と思います。
――全国的に構造改善プログラムが進められていますが、市場開放を望んでいる諸外国の圧力も背景にあるのでは
宮崎
確かに、外圧その他の外的要因も感じられますが、日本は後進国ではないのです。自国内の建設事業においては、自国内の建設業者だけで用が足りるのです。
かつて、新幹線建設のために世界銀行から資金を借り入れた時代とは違います。自国内の税収で公共投資が行われているのですから、外圧などを受ける筋合いはないはずです。
――建設業界だけに公共投資が行われることに対して、他の産業界でも意見があるようです
宮崎
各産業に対して、国は補助金や助成金を出しています。建設業だけが特殊な業界だという訳ではないと思います。大量生産方式によって物を売買するわけでなく、全てがオーダーメイドですから、そのことが装置産業と違うところです。そうした特殊性を理解してもらいたいものです。
――PFIが徐々に浸透してきていますが、建設会社としてどう考えますか
宮崎
PFI事業を建設の一手法と捉えるのは、間違いだと思います。従来、建設業の仕事は、物を完成させて発注者に引き渡して終了でした。しかしPFIは、建設業者が建設物を引き渡した時点から始まります。したがって、その管理運営も担っていかなければなりません。それゆえに、建設業者の手に余る課題が、たくさんあります。
――岩倉建設の来歴は
宮崎
当社は、戦前から長野県の林道やボルネオの軍用道路建設に従事していましたが、会社組織となったのは昭和34年です。北海道開発局の設立が昭和25年でしたから、その受け皿として苫小牧港の整備に従事したのが最初です。当時は、北海道選出の政治家らが、北海道は日本における食糧基地だと主張し、その基盤となる産業は漁業、農業などの一次産業です。その位置付けに基づき、スムーズな移送手段を整備したのが北海道開発局だったわけですが、その目的は今日でも変わっていません。
――公共事業が曲がり角にありますが、会社としての生き残り戦略は
宮崎
北海道は日本の食糧基地ですから、当社の出資会社の有機肥料開発を支援していますが、これによって出来上がった作物が良いものでなければ、農家は繁盛しません。その成否に期待しています。
一方、岩倉建設の今後としては、多角化を考えなければなりません。といっても、建設会社が建設とは無関係な事業に着手することはできません。視野にあるのは建設資材です。現在、「クリスタルシーラー」という、コンクリートの劣化を防止する添加剤を、構造物のコンクリートに塗ったりすることにより効果を発揮します。特に塩害対策に役立てばと考えています。
――生コンは、韓国産の安価なものが建設市場に浸透しつつありますね
宮崎
安くて良い物であれば問題ありませんが、最近の建築物の寿命は、一般的には30年程です。コンクリートは永久構造物ではないので、経年変化によって、亀裂が生じたりします。一つには施工上の問題もありますが、もう一つはコンクリートの質の問題があります。
こうした製品管理のための体制を整える必要と責任が、我々建設業者にはあります。
――全国的に業界再編が進む方向性にありますが、その中で岩倉建設はどのような将来像を描いていますか
宮崎
規模の大小を問わず、企業の合併吸収は、建設業の場合はかなり難しいものです。例えば、以前から銀行の合併は見られましたが、合併後でも銀行内には旧銀行職員の相互の派閥ができて壁が生じているようです。そのために、頭取と会長は交互にたすき掛け人事を行っています。つまり、銀行でさえも合併による同一化が難しいことの現れです。まして、企業ごとに独自の工法と作業慣習を持つ建設業はなおさらです。
それが如実に見られるのが、ジョイントベンチャーを組んだときです。お互いに作業手順などが違うので、混乱しやすいのです。しかも大規模の会社が必ずしも高い技術を持っているとは言えず、会社によって得手不得手があり、技術レベルにもばらつきが生じます。基本的に、各社とも自分の会社で培われた土壌というものを捨てがたいということでしょう。
――そうした時代を生き抜く岩倉建設が、一貫して守っている理念は
宮崎
誠実の一路を開拓者精神で貫け」を、設立以来の社訓として守っています。フロンティアスピリットで、北海道に開拓使として初めて来た人々は、大変な苦労をしてきたと思います。その人達の精神を汲み取るなら、自ずから道は開けるという理念です。どんな事業でも同じですが、誠実が商売の基本原則だと考えます。
この精神に基づき、社内の開発セクションを中心として、建設業を核とした周辺産業に力を入れる方針です。建設業者が、ホテル経営など慣れないことをしても駄目です。建設業や建設資材など建設業に関連する分野において、多角化を図っていきます。 

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