建設グラフインターネットダイジェスト

〈建設グラフ2001年11・12月号〉

interview

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大雨で示された治水事業の効果 (前編)

大規模洪水被害から20年、石狩川の治水に取り組む石狩川開発建設部

国土交通省北海道開発局 石狩川開発建設部長 田口 哲明 氏

田口 哲明 たぐち・てつあき
昭和23年2月28日生 
昭和48年東北大学大学院工学研究科修士課程(土木工学専攻)修了
昭和59年旭川開発建設部忠別ダム建設所長、60年旭川開発建設部治水課長、63年北海道開発局河川計画課長補佐、2年北海道開発局河川計画課河川企画官、3年帯広開発建設部次長、5年石狩川開発建設部次長、7年北海道開発局河川管理課長、8年北海道開発局河川工事課長、10年稚内開発建設部長、11年7月現職

国土交通省北海道開発局には、札幌、函館など11の開発建設部があり、それぞれ各地域の道路、港湾・漁港、農業農村整備などの事業を総合的に行っている。その一つである石狩川開発建設部は、石狩川の治水を専門に行う部局として異色の存在と言える。一般に治水事業の効果は目に見えにくく、それゆえ一般市民にとってはその意義が分かりにくい。昭和56年の大規模な洪水被害から20年が経過した今、石狩川の治水はどのくらい進んできたのか。石狩川開発建設部長、田口哲明氏に伺った。
──全国的に見て、石狩川開発建設部のように一つの川の治水に専門的に取り組む組織というのは珍しいですね
田口
昭和25年に北海道開発法が制定され、北海道開発庁ができました。北海道開発局はその翌年の昭和26年に発足。その時点で札幌や函館などの各開発建設部も設置されたわけです。しかし、石狩川の治水について見てみますと、明治43年には「第一期北海道拓殖計画」が開始されており、既にこの計画の中に、石狩川の水害防止は重要な施策の一つとして盛り込まれ、それを受けた形で「石狩川治水事務所」が発足、石狩川の治水への取り組みが始まっておりました。ちなみに去年は、たまたまその年から90年という年に当たりました。
このように、石狩川開発建設部は、前身の石狩川治水事務所時代から石狩川の洪水を防ぎ、北海道開拓に貢献する役割を果たしてきたのです。ですから、昭和26年に他の各開発建設部が設置されている中でも、石狩川だけは、北海道開発局「石狩川治水事務所」のままでした。その後、昭和40年に石狩川治水事務所も他の開発建設部と組織上は横並びにということで、「石狩川開発建設部」となりました。当部はこのような歴史があって、石狩川の治水専門で一つの開発建設部になっているというわけです。治水専門で、これだけの規模で、これだけの事業を行っている組織というのは、全国的に見てまれかもしれません。
──石狩川は過去の様々な洪水で沿川住民を悩ましてきたわけですけれども、これまでの治水事業の効果は
田口
治水事業の効果を一口で言うことはなかなか難しいことです。しかし、明治以降、石狩川流域の土地利用が高度化してきている中で、石狩川の治水は、当然一定の役割を果たしてきたと思っています。
先日も台風15号による大雨が降りました。江別市に「石狩大橋」がありますが、ここに水位、流量を測る観測所があり、ここを私達が流域全体の雨量をみる代表的な基準地点にしています。今回の大雨の、この基準地点から上流全域を含む地域の流域平均雨量は170ミリぐらいでした。地点ごとには100ミリ降った、200ミリ降ったということになるのですが、それを流域全体で平均した結果が170ミリです。
昭和50年にかなり大きな水害が発生し、石狩川本流も下流部で何カ所か破堤していますが、この時に降った平均雨量が175ミリなのです。したがって、今回降った雨は昭和50年の水害時の雨量に匹敵するのです。
しかし、今回は雨の降り方がゆるやかで、約二日半かけて降りましたが、前回は一日半ぐらいで降りました。50年の水害時には、例えば時間別に見ると1時間当たり15ミリくらいになっていて、10ミリを超えている時間も何時間かありました。今回はそれから見ると最大でも10ミリに達していないのです。しかし、5ミリから10ミリの雨が何時間も降っています。ですから、50年の時から見ると総雨量はほぼ同じですが、雨の降り方が、この時より1.5倍の時間かかったので、出てきたピーク時の流量は50年の時ほど多くはなかったのです。
今回のピーク流量については精査している最中ですが、約6,000tを超えるぐらいと予想しています。50年の時にはこれが約7,500t、雨の降り方がこれだけ違うことによって、石狩大橋地点を1,000t以上多い水が流下したということです。
ただ、この6,000tという流量は、石狩大橋の観測所を通過した流量としては史上3番目に大きな数字なのです。昭和56年の水害時の流量が史上最大なのですが、この時は1万1,000tで、川の水位が9m23cmでした。昭和50年の水害時には7,500tで水位は7m92cmだったのです。今回の最高水位は6m28cmで、50年の時に比べ1m70cm程度低い水位で、石狩川がこれだけの雨を受けて流すことができたということです。
これはピーク流量が小さかったこともありますが、50年洪水、56年洪水を経験し、石狩川の浚渫・掘削で川幅を広げてきたことなどの、改修をやってきた成果が、今回のこの水位にはっきりと表れたと思っています。
──それは今までの経験を生かしながら治水事業を進め、災害を無くそうとしてきた努力が実ったということですね
田口
その通りです。先に述べた事例で、石狩大橋の基準地点を過去の水害時に比較し1m70cm低い水位で水を流すことができたということは、浚渫等の治水事業を行ってきたことの効果の表れです。それに加え、ダムや放水路が洪水調節を行った効果も出ています。
例えば札幌北部の茨戸川のあたりは、50年の洪水時には大変な氾らんでした。その後、昭和54年からは総合治水対策ということで、その中の大きい柱である石狩放水路も含めて、流域でもある程度分担をしながら安全対策を行ってきました。
石狩放水路は昭和47年から事業を進めてきましたが、56年の水害の時にはたまたま放水路が完成間際だったこともあり、緊急通水を行いました。そのため、被害はかなり出ましたが茨戸川の水位をある程度抑えられました。今回の大雨では石狩放水路が既に完成していましたので、最初からこれを使用することができました。茨戸川の水位を、1m85cmという計画水位よりもずっと低いところで何とか保つことができたので、この一帯に大きな浸水被害を全く出さずに済んだのです。
このように、長年かかって行ってきたことの効果が、今回の出水でかなり明確に、現れたと思っています。
──今回の大雨による洪水により、千歳地区の南幌などではポンプで水を汲み上げて対処したということですが
田口
長沼の農業地帯に浸水が発生してしまい、約2億円程の被害になるそうです。ただ、ポンプを全て稼働させましたので、被害を最小限に留めることができました。つい先程も長沼の人達がごあいさつに来てくださったのですが、私も大変感激致しました。
この地域の人達がおっしゃっていたことですが、「雨が降ってくると危険な状況が肌で分かる」と。「今回はその直感で感じたことから比べると、思ったより早く水が引いてくれた、ポンプ車も早く来てくれたので助かった」と。
彼らが感じている感覚からすると、これだけの雨が降ったにも関わらず、比較的被害は最小限に抑えて乗り切ることができたと、喜んでくれているのです。
ただ、まだ低地の部分には水がついてしまう状況にあるので、こうした場所は、今後に向けて何とかしてもらわなければならないとの要請があり、私達も最善の努力を約束致しました。
──そういう意味では、昭和56年に大きな被害を受けた江別の市民も、今はほっとしているのでは
田口
ただ、地域の方々は、今回の大雨で石狩大橋を通過した水の量は、過去の記録を紐解いてみても史上3番目なのだということは分かっておられないのではないでしょうか。ですから、こうしたことを石狩川流域の人達が理解できるような情報提供を、早めにやっていかなければと思います。しばらく経つとみな忘れてしまいますからね(笑)。
──昭和56年時には、石狩放水路を開けるか、開けないかで議論になった記憶がありますが
田口
それはまだ石狩放水路が完成前だったからです。完成していないものを供用するわけですから、建設省にまで話を挙げなければならなりませんでしたし、影響を心配している地域の皆さんの了解も得なければなりませんでした。今回は放水路が既に完成しており、どういう時に放水路を開けるかということを操作規則で決めておりますので、それにのっとって開けることができたわけです。ただ放水するに当たっては、当然地元の石狩市や石狩支庁などにも情報その他を通達してから操作を行っています。
石狩放水路も今回ははっきりとその効果が出たのですが、去年も春の融雪、夏の雨、それから秋雨の時の3回放水しています。茨戸川の水位が一定以上高くなると放水路を開けるという操作規則になっており、わずかですがそれを超える時期が3回あったのです。一年の間に3回開けるというのはその時が初めてでした。
それ以前の、平成6年頃にも開けています。このように、石狩放水路によって茨戸川の水位を抑えることで、水害が起きないようにしているわけです。ただ、今、石狩放水路によって守られている茨戸地区や札幌の北部の平野地帯にもどんどん住宅が広がっていますが、そうしたところに住んでいる人達は、放水路の重要性をあまり意識されていないかもしれません。
──ほとんど宅地に変わりつつあって、56年以降に住んでいる方々は水害の恐怖を知らないですが実は、放水路によって地域住民の安全が守られているわけですからね
田口
やはり住民の方々にいろいろな形で情報提供していって理解していただくこと、いざ、大雨が降ったときの対応に必要なことではないかと思っています。
昭和56年の大水害以降、石狩川には大きな水害が起きていません。石狩川の改修も大分進んできていているし、もう充分に安全なのではないかと言われることがあります。そのように感じられるのも無理はないと思います。
ただ、この20年間、我々が洪水に遭わずに過ごしてこられたのは、改修により安全性が増したことも大きいのですが、一番の要因はやはり雨なのですよ。昭和の初め、昭和元年から毎年、その年最大だった石狩川流域の流域最大雨量は何ミリだったかといえば、先程申し上げた平均雨量という物差しでこれを見ると、昭和56年の水害時には282ミリの雨が降りましたが、その後流域平均で100ミリを超えた年は1年か2年です。昭和63年に雨竜川、留萌川で大水害があり、100ミリを少し超えましたが、それ以外の年で100ミリを超えた例というのはまずないのです。ですから、雨が降らずにきたということが幸いなわけです。
今回の170ミリというのは、我々としては大変な雨なのです。過去の50年と照らし合わせてみても、被害の状況は激減しましたが、低平地で水が溢れた場合、ポンプ車で水を汲み出すという状況は今でもほとんど変わっておりません。まだまだ改修は途上ですから、これからもやっていかなければなりません。
水害というのは自然現象です。私はよく言うのですが、自然災害という意味では水害は地震と同じだと。地震は突発的に起きるものですから水害とは違いますが、大雨が降れば(堤防決壊によって)被害などが発生したりしますが、その時になってみないと雨がどれだけ降るのかは分からないわけです。こう考えると、水害も地震と同じです。今年何ミリ降るか、というのは誰にも分かりません。分かるのは過去に何ミリ降ったのかということです。だから備えをしなければならないのです。これまで続けて行ってきている石狩川の改修は、ある所定の数値目標を描いて、これだけの雨が降っても心配ないように作ろうと考えて行っているわけです。150年に一度の洪水にも耐えられるよう目標を立てて改修を続けていますが、完成はまだまだ先の話で、時間も予算もかかります。
──江別や札幌など流域の住民も水害に対する危機管理の自覚を持たなければなりませんね
田口
昔からその地域に住んでいる人達は、そこは危険性のある土地だとしっかりと理解していただけているものと思っています。例えば先の長沼の皆さんなどは、明治の時代から水害との戦い方が身に付いているわけですね。
確かに水害の経験がない世代は、そのような意識は薄いかもしれません。ですから、そういった人達にもよく理解してもらう努力をしていかなければなりません。

(後編)

河川法が改正され、治水事業は行政だけで計画を策定せず、地域住民の声を取り入れることになった。石狩・空知管内の治水整備を専管する石狩川開発建設部の田口哲明部長は、「住民参加」を求め、地域住民の川づくりへの活動に行政が積極的に関わっていく「行政参加」の必要性を強調する。そのため、同部長自らがNPO法人「水環境北海道」の副理事長として積極的に活動している。
――今年は昭和56年の水害からちょうど20年になりますね
田口
大雨が降ると、果たして我々の考えている通りに水が治まるのだろうかと、不安を覚えます。まさに私達自身が試されているという感覚です。模型実験では計画通りでも、現実には経験できないことですから、今回の大雨を通じても、研究・分析しなければならないことがいろいろ見えてきたと思っています。
じつは部としては、この20年間に私達がどれくらい石狩川の安全度を高める仕事ができたかを振り返ろうと、過去のデータを整理していたところです。幸いなことに、この20年間に大きな洪水は発生しませんでしたが、もし大雨が降ったらどうすべきかという心配は常にあるわけです。その意味で、この節目にいろいろと考え直してみようということです。
そこでまず昭和50年、56年の大雨では、どのようなことが起こったか。石狩川流域の低平地帯、つまり札幌の北部、北村、千歳川の中下流、それから雨竜川支川の大鳳川流域の4地域を、私たちは「四大低平地」と呼んでいますが、ここは全地域で浸水被害が発生しています。56年には、さらに豊平川の札幌市南区でかなりの土砂災害が発生しました。南区真駒内のマンションの杭が現れた情景なども見られました。この時の石狩川本流の溢水破堤は、本流の流下能力が飲みきれなかったことが原因でした。
これらの被害に対して、安全を高めるためには何に取り組むべきかが問題です。56年のような大雨が降っても対応できるように、私達は全体計画を見直したのです。一つには、石狩川それ自体の容量を拡充することです。河道を広げたり堤防を高くすることです。
次に石狩川に集まってくる水の量を少しでも広域的に分散して、貯められるところでは貯めて、下流に洪水が出てくるのを調節しようと、必要なダムを支川に計画しました。56年当時には既に豊平峡ダムや桂沢ダム、金山ダム、大雪ダムなどは完成しており、その調節機能は働きましたが、さらにその洪水を踏まえて、幾春別川や夕張川の洪水調節のためにも新たなダムを作ることにしました。
それでも不十分な部分については、さらに遊水地を計画し、それで補うわけです。このうち、砂川遊水地はすでに稼働しています。
――現在は、幾春別川の新水路が建設中でしたね
田口
先の「四大低平地」対策として、札幌北部は石狩放水路でかなりの安全を確保できます。北村付近では、まさに事業進行中の幾春別川の新水路、千歳川については千歳川放水路ですが、石狩川の高い水位の影響を水門でしゃ断し千歳川の水を直接海に流す計画で、洪水時の千歳川の水位を大幅に低下させようというものでした。
また、大鳳川については大鳳川新水路、豊平川については都市砂防で、砂防事業により土砂災害に対する安全確保を図ります。この他にも小さな低平地帯はたくさんありますが、それについては個別の排水機場をそれぞれ強化して対応します。
――計画はどの程度進んでいるのでしょうか
田口
石狩川本流の掘削、浚渫は平成14年度には計画の85%相当の断面は確保できそうですが、引き続き、断面を大きくしていかねばなりません。また、支川の改修が遅れています。「丘陵堤」という大きな堤防の計画は下流の美唄川合流点あたりまではほぼ完成していますが、その上流部や支川はこれからです。
ダムについて言えば、滝里ダムが完成して供用を開始し、今回の出水でも一週間くらいの洪水調節を行いました。このほか忠別ダムは建設に入っており、幾春別ダム、夕張シューパロダムは、予算上は建設中となっていますが、完成までにはまだ時間がかかります。
――遊水地の進行状況は
田口
砂川はすでに完成しましたが、中流部については検討中でまだ取りかかっていません。低平地帯では、札幌北部については放水路により何とか安全確保ができるようになりましたが、北村地域は工事中の幾春別川新水路と旧美唄川の付替が完成すれば、安全が保たれるようになると思います。
千歳川の中下流部は、千歳川放水路計画の中止を余儀なくされたので、それに変わる何らかの対策を検討中です。そのため、千歳川の水害防止対策は、我々にとって最重要課題です。さすがに地域で水害を経験している皆さんは協力的で、安全を高めるために、我々とも一緒になって取り組んでいこうという姿勢があります。
――ところで、田口部長ご自身も、NPO活動に取り組まれていますね
田口
私は現在、市民の皆さんと「水環境北海道」というNPOで活動しています。地域の方々には、洪水対策に対する理解ももちろんですが、平時における川の姿についてもよく知ってもらいたいと思っているのです。川というのは素晴らしいフィールドです。子供達の教育にも、ぜひ活かしていかなければならないと感じています。洪水に対しても安全で、普段でも親しみやすくよりよい川を将来に残していくためには、地域の人々が川を大切にするという意識を持つことが最も大切なことです。それを実現していくためには、まずその地域の人々にもっと川を見てほしいと思います。
最近は、みな川に背を向けるようになったのです。例えば、水道の蛇口をひねると簡単に水が出ます。排泄物も水洗トイレで自動的に排出されていきます。しかし、水道から出る水はどこから来るのか、流し出した水はどこへ行くかについて、考えようとはしません。これだけ便利な生活スタイルになり、川の存在を意識せずに恩恵を受けているわけです。しかし、現実には、こうした我々の生活が河川に負荷を与えているわけで、そうした生活の利便性を支えていることに気づいてもらうためには、川に近づき、川を知ってもらわなければなりません。
とはいえ、「水環境北海道」では、こうした論議だけをきまじめに行っても面白くはないので、多くの人々が川に近づけるようなイベントを中心に、遊びながら川について学ぶことを、活動の基本としています。
例えば、Eボート大会や川下り大会、「流域交流フェスタ」という、一つの流域を単位に舟を使って住民の交流を行うイベント、また、魚類やアウトドアの専門家が子供達に川の自然等について教える「かわ塾」などです。
そして活動の究極の目標は、川に対する思いやりの気持ちを育てるということです。洪水対策はもちろん重要なことですが、普段の川をもっとよりよく使いたいという要請は、高度成長期以降、高まってきており、それを受けて河川法も改正され、「環境」を政策の柱としました。また、計画策定においても地域住民の声を取り入れることが必須となりました。こうした流れの中で、川に関わるNPOは、住民意見形成の上ではかなり重要な役割を果たしうるものです。したがって、河川行政の側からみても、様々な活動に取り組むことは、よりよい川を作っていく上では非常に重要なことだと思います。
――従来のようにコンクリート堤防で固めるだけでなく、緑・自然に配慮した川づくりも進んできていますね
田口
そうした工事を行うにしても、地域住民が、本当は何を望んでいるのかを考えず、私達だけの判断で進めてしまうと、一人相撲になってしまいます。そうではなく、真にニーズにマッチした形で計画を進めなければなりません。
ただ、中には、地域住民の要望に対して、「安全確保のためにはちょっと無理ですよ」と言わなければならないこともあります。私達はあくまでも河川管理者ですから、いかに地域住民の要望であってもやはり安全を優先させますので、無理な場合には我慢してもらわなければなりません。しかし、その一方で別な工夫ができないか、率直に意見交換すれば、様々な代替策や良いアイディアが出てくるでしょう。
私達は、河川に関する情報を十分に持っています。一方、川に対するいろいろな期待・要請は住民の側にたくさんあるわけです。衝突して関係が悪化するのは、お互いに望むところではありません。ですから、NPOは議論の場としても有意義な場なのです。
私は行政マンでありながらもNPO活動に参加しているわけですが、これを指して私は「住民参加」の逆の「行政参加」だと表現しています。行政も住民側に近づいていき、私たちが持っている必要な情報は伝えるし、逆に住民側もいろいろな声を行政に伝える、ということです。
川は地域の財産です。例えば、豊平川は間違いなく札幌市の大事な財産です。市民の飲料水はここから得ており、市街地では憩いの場にもなっています。ただし、あくまでも“公共”財産であることは忘れないで頂きたい。私物化しようとすると、河川法が排除しますので(苦笑)。地域全体の財産、みんなのものですね。だから地域全体で大事に使わなければなりません。
「365日の川」という言葉もあります。地域の人々が、河川をうまく活用してスポーツレクリエーションや憩いの場として楽しむことや、最近は川の福祉的な効果、癒しの効果についても言及され始めました。
――「水環境北海道」の活動でモンゴルを訪問なさったとのことですが
田口
「水環境北海道」の活動の柱の一つに、「石狩川流域300万本植樹運動」というものがあります。これは、流域の48の市町村・300万人の人達が一人につき一本の木を植えると、石狩川流域で300万本の木が植えられる計算になります。森が豊かになることは川が豊かになることにも繋がりますから、私達も植樹に参画しています。そこで、その植樹のやり方が東三郎先生が開発した「バイオブロック方式」というもので、「カミネッコン」にしつらえた苗を置くだけの植樹です。このため、これを植林と呼ばず、“オクリン”(置く林)と言おうかと話しています(笑)。木の苗が自力で育つに任せるわけですから、お金も労力もほとんどかからず、子供にもお年寄りにもできる方法です。ただし、時間だけはじっくりかけよう、木が育つまで10年待とうというコンセプトです。
去年は石狩市を中心に行いました。今年は北広島市を中心に行っています。この方法は全国に広がりつつありますが、木が少ないと言われるモンゴルでもこの方法は有効なのではないかということで、発案者の東先生を中心に、私たちも一緒に、モンゴルの大学生達と交流しながら、この植林方法を普及させるために行ってきたのです。できることには限界がありますが、「水環境北海道」の定款の中には国際協力も謳っていますからね。この方法は簡単で、組み立てるのも楽しく、けっこう面白いものですよ。ですから、モンゴルの学生さん達にもその面白さを体験してもらいたいと思うのが活動の根幹です。
――なぜモンゴルだったのでしょうか
田口
モンゴルは遊牧主体の国でしたから、植林という習慣がないのです。現地で聞いて分かったのですが、モンゴルの人々は木を育てたり、畑を耕したり、土を掘るといった行為が嫌いなのだそうです。そうした国であればこそ、この簡単なやり方は有効ではないかと思われます。
 今回は全部で79個、サークル数で19サークルの苗をウランバートルに置いてきました。学長の仲介で、環境保護省の大臣にもお会いしてきましたが、「モンゴルに植樹の技術や心を広めてくれるのはありがたい」と感謝されました。
――北海道の母なる川・石狩川から世界へ、夢は広がりますね
田口
NPOとしての夢は大きいし楽しいものです。このような活動は、石狩川にとどまらず河川管理という観点からは、長い目で見れば間違いなく大きなプラスになると確信しています。

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