建設グラフインターネットダイジェスト

〈建設グラフ2001年11月号・2002年1月号〉

interview

第1回  第2回

今、北海道農業を考える(1)

独立国として「食」の問題を重視せよ

(財)北海道農業開発公社 副理事長 直 宗治 氏

直 宗治 なお・そうじ
生年月日 昭和8年3月30日、北海道月形町在住
昭和 46年 4月 北海道農協青年部協議会会長(昭和47年3月退任)
昭和 54年 6月 月形町農業協同組合長理事
(平成5年4月1日より代表理事組合長 現在に至る)
平成 元年 5月 北海道信用農業協同組合連合会監事(平成5年6月退任)
平成 3年 4月 月形町議会議長(平成5年5月退任)
平成 5年 6月 空知農業協同組合連合会会長(平成6年9月退任)
平成 6年 8月 北海道農業協同組合中央会副会長(平成11年6月退任)
平成 6年 10月 財団法人北海道農業開発公社評議委員(平成11年6月退任)
平成 11年 7月 財団法人北海道農業開発公社副理事長 現在に至る
平成 11年 7月 社団法人全国農地保有合理化協会理事 現在に至る
ウルグアイ・ラウンドに始まった農産物輸入自由化への流れ、農業基本法改正による市場原理の導入、それに伴う農産物価格の低迷、また高齢化による農家の後継者難…近年、農業を取り巻く環境の変化は激しい。独立した国家としての日本を考えた場合、低下し続ける食料自給率の向上は大きな課題であり、“農業王国”北海道に期待される役割もまた大きい。今、北海道農業に求められているものは何か。自らも月形町で農業を営む、財団法人北海道農業開発公社副理事長・直宗治氏に伺った。

(第1回)

――アメリカでのテロをはじめ、日本では小泉首相の靖国神社参拝や歴史教科書問題などで隣国との関係がこじれるなど、国際的な緊張感が高まっています。日本の安全と独立を考えた場合、食の問題は重要で、北海道農業の果たす役割も非常に大きいものがあるかと思うのですが
北海道農業は、日本の農業の中でも生産物のシェアは極めて高くなっています。現在の食料計画の中では、食料の生産を上げていこうという考えがあり、現在の食料自給率40%を、10年後には45%くらいにまで上げていこうと政府で決定されています。その状況の中で、北海道農業はその目標を達成し、国民の期待に応えなければなりません。
しかし、現在の北海道農業を見た場合、果たしてそれらの期待に応えていける環境にあるのか、私は危惧するものであります。
日本はかつて、太平洋戦争の敗戦という大きな転機によって、終戦後の食料不足の解消が課題となりました。そのため、北海道農業には、今日まで膨大な国費が投入され続けており、その成果がようやく出てきました。ところが、今度は一斉に自由化という、いわゆる市場原理を導入した価格制度に移行してしまったのです。
私たちの北海道農業は、これまでは、国の政策に従う形で努力をしてきました。しかし、それが一夜にして方向転換をしなければならない状況になったのです。平成5年のウルグアイ・ラウンドまでは、「コメは一粒たりとも輸入をしない」ことが国の基本でした。私たちは、それを信じてきたのです。もちろん、このことには批判もありましたが。
しかし、平成5年の12月に、細川内閣が、ミニマム・アクセスを認めることになりました。そこから、今度は半世紀続いた食糧管理法も変えなければならなくなりました。そして、さらに市場原理の導入に至ったのです。
私たちは、これまでは国の方針に従い、農業基本法に則った農政が展開され、それに慣れきっていました。政府が組み立てた農政のモデルとも言える、いわば優等生的な農業を展開してきたわけです。規模も拡大され、「北海道農業こそが日本の農業の中心」といわれるほど、専業農家として、その役割を果たしていこうとする強い意気込みがあったのです。
しかしながら、それが一夜にして自由化という方向に舵が切り替わりましたが、私たちは、その自由化には慣れていません。右往左往しているうちに、農産物の価格はどんどん下落し、生産費すら確保できない環境になってしまったのです。
さらに後継者がなく、高齢化が追い打ちをかける中で、専業であるがゆえに価格の下落がすぐに生活に響き、労働に対する対価が得られない、という構造的問題が発生しました。もちろん作型によって事情も違います。酪農・畑作よりは、やはり稲作農業が一番の大きな経営的な危機を迎えているのです。
こうした様々な情勢を考慮すると、このままでは日本の農業は崩壊します。特に北海道農業が崩壊すれば、食料自給率の向上などは絵に描いた餅にすぎません。その意味で、これから北海道農業が力を出せる仕組みを、どのように構築していくかが最も重要なことだと思います。
――現時点で北海道農業は、国際競争力が弱いということでしょうか
国際競争力という場合、何に標準を合わせて議論するかが問題です。歴史的に見て、アメリカ、オーストラリア、カナダなどは農業の生産国です。これらの国は、その農業生産物を輸出することにより国益を高めていこうという基本姿勢があり、農業を輸出貿易産業と位置付けています。
これに対して日本の農業は、自給を主としてきた歴史的な背景があります。したがって、アメリカの農業と日本の農業が価格競争をしたところで勝算がないことは、始めから分かっています。
園芸作物的なものであればまた展開は違ってくるかもしれませんが、日本の農業が、アメリカやEU諸国の農業と価格競争したり、開発途上国の安い労働力で生産できる国々と競い合うというのは、到底無理なことです。
――食糧安保という視点で捉えると、危機的状況と言えるのでは
私は、日本は独立国として情けないと思います。戦後56年が経ち、ようやく国旗・国歌は法制化されましたが、今なお、首相の靖国神社参拝が問題になるような国は他にはありません。食料についても同様です。
私は独立国として最も大切なものは、まず食料だと思います。食べるものがあってはじめて議論も成り立つのです。したがって、独立国であり得るかどうかの帰趨は、食料をどれだけ確保できるかにあるのです。
そしてもう一つは、教育です。食べることの次は教育です。これからグローバルスタンダードの時代を迎え、国際人ということである前に、まず人間として、日本人として、どこへ行ってもその人格が尊重され、評価されるようでなければならないと考えます。
そのためには、家庭教育も社会教育も学校教育も含めて、すべて教育が原点になると思います。
そしてもう一つが治安ですね。この3要素こそが、独立国としては最低の要件でしょう。
食料は、これからwtoの枠組み、貿易の自由化という観点から議論されますが、これはルールとしては正しいと思います。しかし、それにしては、日本国民は食料に対してあまりに無関心すぎます。日本人は、とかく人が騒げば自分も騒ぐ傾向があるようです。例えば、平成5年の米不足の時の大騒ぎは何であったのか。
また、JR東日本のように儲かれば何でも良いという企業の姿勢です。安いからアメリカ産米を駅弁に使用するなど、私にとっては「ふざけるな」と叫びたいほど心外なことです。
これらは、まさに「喉元過ぎれば暑さを忘れる」という典型例だと思います。東南アジアの国々から、日本人が様々に批判される原因もここにあるのではないかと思います。日本人の理念の浅さ、哲学的な思想体系が失われてしまっています。
だからこそ、国の責任として、いかなることがあっても、最低限度の食料を国内で確保することができるということが重要でしょう。これは国が国策として国民に示し、ことに当たらなければならないことだと思います。
――農業に市場原理を持ち込むこと自体に、無理があるということでしょうか
農業に市場原理を導入するのは、国際的な批判もあって行われることです。今日、日本における食の価格は、贅沢をしなければ極めて安いものです。牛丼一杯が280円という時代です。したがって、米を一粒も輸入するなとか、牛肉やバナナを食卓から排せよとなどというわけにはいきません。食料はある程度、競争力を保って消費者に供給されなければなりません。
ただ、国が国家予算を投入してでも競争力を保つことへの裏付けが必要です。いわば「緑の政策」とでもいうのか、農業が自然環境に果たす役割を重視し、農業を国全体として守っていくという政策が必要でしょう。価格を単に高くつり上げるのではなく、そうした総合的な観点からの価格政策が必要です。
今まで私たちは、「農業は厳しい」と言い続けてきましたが、現実に、少しでも経営状況が向上したと言えるのかどうか。農家の生活レベルは、確かに上がったのかもしれません。けれども農村が農村らしい考え方を持てなくなってしまいました。かつては、農村とは人間の原点で、あたたかみのあるところだったのです。そこには「米は食物であり神様でもある」という哲学があり、「もったいない」という精神的文化がありました。ところが、今や社会全体が、ものに対して感謝するという気持ちを忘れているような気がします。
 昨今の社会を見ると、指導的地位にあるものが、その威信をおとしめ、国民の信頼を裏切る事件が多発していますが、これこそは哲学を失い、精神文化の崩壊した今日の日本の、心の荒廃を如実に物語っていると言えるのではないでしょうか。

(第2回)

──農業が市場経済に突入した状況下で、公社としては今後、どのような役割を果たしていきますか
今日、法人組織に対して、世間からはいろいろな形でクローズアップされ、論議されています。北海道でもそうした法人組織、公社はたくさんあります。ただ、農業開発公社の運営は、公社の先人が公益法人としての役割をわきまえ、着実に事業を推進してきました。それが今日の大きな財産となり、健全経営を保ってこられたのです。それに加え、公社は時代にマッチした組織体でもありました。
ただ、これからは環境の変化が著しく、従来通りの取り組みで役割を果たしていけるのかは疑問です。公社では主に「農地流動化対策事業」、「農村施設整備事業」、「農用地開発整備事業」、「畜産振興事業」と、4つの事業を行っています。
「農地流動化対策事業」における「農地保有合理化事業」は、農地の流動化を図るため、農家から農地を一時公社が買入れて、それを売渡したり貸付けたりするものです。
しかし、最近ではその流動化率が鈍化傾向となっています。その原因は、農業の将来像が見えず、規模拡大して莫大な資産投資をしても経営が成り立つのかという不安から、規模拡大への意欲が失われているのです。その結果、農地は不耕作地になってしまう恐れがでてきています。
その一方では、食料の自給率を上げるという大前提があるわけで、耕作地がなければなりません。
公社が平成12年度末で保有している農地は約33,671haで、金額にして612億円程になっております。農地の需要がない状況下で、農地の円滑な流動化を進めて行くには、現在の農地流動化対策に一工夫を加え、現場の現状にあった施策を展開できないかと議論しているところです。
また、「農村施設整備事業」、「農用地開発整備事業」、「畜産振興事業」については、民間との競合・競争で進められています。また、行政との関わりもあります。公益法人として制約される側面もありますが、新しい公益法人の事業主体としての役割を自ら開発していくことが重要であると考えています。
──農家毎に直接補助を出していく形がよいのか、それとも従来の農業農村基盤整備のように間接的な形で援助していくのがよいと思いますか
私は今の制度でよいと思いますが、より農地を所有しやすくする政策が大切だと思います。賃貸ではなく、農業者の資産となる形が望ましいのです。公的機関がいつまでも農地を抱えることが果たしてよいのか。10年というスパンで見ると、農地の価格に変動が生じます。そのリスクをどうするのかを今議論しておくことが必要であります。
──本州の大都市圏などでは、営農希望者の潜在需要はもっとあるのではないでしょうか
農業従事者については、都会からも農業をやってみたいという人たちが増えていることは、喜ばしいと思います。しかし、現実として農業で所得を得て生計を立てられる人はごく限られると思います。
 本当に他業種の人達も農業に参加できる環境になればよいと思いますが、そう簡単なことではないと思います。
──ところで、道産の農産物の評価は上がっているのでしょうか
今や北海道農業は、全国一の農業地域に発展しました。このことは技術の進歩、営農資材の開発により、土地型農業から野菜、園芸作物と作型も幅広となり、しかも品質、食味、量とも他県の主産地を凌ぐ高い評価を受けており、このことを大切にしていかなければならないと思います。
──農業農村整備事業で、圃場以外に市街地整備も公費で行われていますが、これに対する批判も聞かれます
たしかに言われる通り農村地域では補助事業で生活環境の整備を行っています。この事に対して色々と批判がありますが、都市と農村との生活環境格差が是正されつつあるのは、このような事業があればこそであります。都会とか農村とかで住む環境で批判はいかがかと思います。無駄を省くことは必要でありますが、必要なものは必要であります。それを一律的に単にカットするということは政治とはいえません。
──辺境の地に人が住むことは、国防上でも必要だとされますね
そうした国の辺境を守っているのが、農業者であり漁業者であり林業者の第一次産業です。国民が、そうした産業も、運命共同体の一つとして守ろうという意識を持つことが、今最も大切であります。そのことが自らの幸せつながることに気付くべきです。
──その意味でも、駅弁に外国米を使用することにしたJRには、不満もあるのでは
JR東日本が、駅弁に外国産米を使用するのは、企業感覚としては分かりますが、しかし、わが国の農業の現状を全く無視したこの行動には大きな怒りを感じます。むしろ、JRだからこそ国産米をprして食べてもらうよう、協力してくれても良いのではないかと感じます。二度とこのようなことがないよう願っております。
──社益を守ると同時に国益を守る意識も必要ですね
私たちは、農業だけがよくなれば良いなどとは決して思っていません。ただ、職業の選択は自由です。誰かのために農業に従事しているわけではありませんから、私自身だって、辞める気になったら、農家を辞めてしまうかもしれません。しかし、私は農業人としての誇りを持って営農に当たっています。
このように、職業に対する誇りがなくなってしまったなら、どの産業も崩壊するでしょう。
──一方、消費者ももう少し生産者の実状を理解すべきですね
私たちも農業の市場性を高める努力はしているのです。しかし、北海道農業がこれだけ発展してきたのに、反面では輸入農産物によって市場は狭められていっています。本当にこれで良いのか。北海道は北海道の独自性を皆で考えながら確立していかなければなりません。
農業については、日本の食料基地としての自負を持って生産者も頑張らなければなりませんが、消費者の皆さんにも応援団になって欲しいところです。特にマスコミ関係の理解と協力が必要であります。
お互いに足の引っ張り合いをするのでなく、良い方向に向かうよう、皆で考えていくこと。それが豊かになることに繋がるのです。私たちも、そうした雰囲気作りをしていこうと考えています。

HOME