建設グラフインターネットダイジェスト

〈建設グラフ1998年10月号〉

interview

域内経済を確立し東京からの自立を目指す

都心、副都心と地域拠点のネットワーク

横浜市助役 小椋進 氏

小椋 進 おぐら・すすむ
昭和12年9月30日生まれ、北海道大学工学部卒。
昭和 36年 4月 横浜市採用
48年 5月 下水道局施設課長
50年 6月 下水道局建設部計画課長
55年 7月 企画調整局企画部企画課長
57年 6月 都市計画局計画部長
60年 6月 企画財政局企画調整室長
63年 5月 企画財政局理事兼企画調整室長
平成 2年 6月 金沢区長
5年 5月 企画財政局長
6年 7月 財政局長
7年 6月 横浜市助役
336万人の人口を抱える国内最大の政令指定都市・横浜市は、それだけの人口と集積度を持ちながらも、東京のベッドタウンという地方都市に似た状況に置かれている。市内は東京開発の余波で都市化した市域もあり、交通体系も東京向きで昼間人口は夜間人口よりも少ない。そこで、開国都市・横浜としては、経済基盤となる都心、副都心と生活基盤となる地域拠点のネットワークを構築し、何とか経済的自立を果たそうと懸命の努力を続けている。都市整備や道路、下水、河川整備などを所管する同市の小椋進助役に、横浜市の理想像とグランドデザインなどについて伺った。
――横浜の町並みは、古いものと新しいものとがうまく共生しており、歴史的な情緒も感じますが、かといって時代遅れでもない新旧調和の魅力が感じられます
小椋
残念ながら、古いものは関東大震災や空襲でほとんど破壊されてしまい、現在ではわずかしか残っていません。そのため、まちづくりにおいてはそれらをなるべく大事にしている面はあります。
なにしろ、横浜は大阪市や名古屋市のように城下町として発展した都市ではなく、明治になって計画的、政策的に造られた街で、まだ100 年余の歴史しかありませんから。
――横浜市の特徴とまちづくりにおけるポイントなどをお聞きしたい
小椋
横浜市の長期計画には、まちづくりの理念や方向性が示されていますが、現在、約336万4,000人(平成10年8月1日現在)の人口を擁しており、ここ数年においても、札幌市などとともに毎年1万人〜2万人ずつ人口が増加しています。これだけの巨大都市をどう構築していくのか、難しい面はあります。歴史の浅い都市であるため、市民には「わがまち・横浜」といった郷土意識が薄く、40代、50代の団塊世代を中心に市民の8割以上が地方出身者なのです。70代、80代の人々には横浜に生まれて育った人が結構多いのですが、さらにその先代となると山梨県や栃木県などからの入植者で、ここで商売を興し、横浜市を造っていったのです。横浜が開港した当時は、まだ100 戸程度の寒村でした。このように、全体的にはいわば「よそ者」ばかりなので、逆に「一晩、過ごせば誰でも浜っ子」という気質もあるのです。
その半面、若い母親層やいまの子供たちには横浜生まれの横浜育ちという人が多くなり、定着人口が増えています。そうした人々が「住んでいて良かった、愛着を感じる、豊かに暮らせる」という街を造ることがポイントです。その意味では「便利」「快適」「安全」がキーワードになるのではないでしょうか。
――横浜市が直面している課題は
小椋
横浜はかつて40年代に、毎年10万人以上もの人口が増えた時期があります。札幌のように計画的に整備された都市と違って、東京の開発の影響を受けて市域が広がってきた面があります。ですから、鉄道であれ道路であれ都市の構造そのものが東京に向いているのです。「東京へ通うのにいかに便利か」という物差しで、結果的に都市が出来上がっているというのが実状です。
例えば田園都市線の沿線は非常に人口が伸びていますが、その市民は大半が新宿などに通勤しています。このため横浜市民としての意識は希薄で、東京のベッドタウンという構造になっています。336万人もの人口があるのに、経済も文化も東京の影響を受けており、都市としての自立性に欠けています。
したがって、都市づくりの基本は何かといえば、それは「東京のベッドタウンからいかに脱却するか」です。そのためにも、経済や生活の拠点づくりが重要です。
いま横浜市内から市外へ通勤・通学している人々は65万人です。対して藤沢、横須賀など市外から市内に通勤・通学する人々が35万人。差し引き30万人で、昼間人口が少ないという状況です。大都市でありながら昼間人口が夜間人口より少ないとうことは、本来あり得ないことで、これはいびつな状態です。市民は大変なエネルギーを費やして東京に働きに行っているわけです。
したがって、このいびつな構造を直すために、地元に働く場をつくり、職住近接の都市へ変えていきたいとというのがまちづくりの目標です。
――そのためには何が必要となりますか
小椋
具体的には拠点、つまり都心、副都心をきちんと整備し、業務機能や商業、文化的な機能を持たせることです。その一つがmm21(みなとみらい21)です。元来、横浜の都心は開港当時から港の周辺(関内、関外地区)を中心に発展しましたが、横浜駅の周辺が商業、業務機能を中心に開発されたことにより、都心機能が二分された状態でした。
そこで、これらの地域を一体化するために、現在の「みなとみらい地区」にあった三菱造船所を移転してもらい、関内、関外と横浜駅周辺地区を一体化し、都心機能の強化を図るというのが、「みなとみらい」プロジェクトの基本的なスタンスです。
――「みなとみらい」、「横浜駅周辺」、「関内」と三つの地域の機能的な違いはどこにありますか
小椋
「みなとみらい」はインターナショナル・レベルの業務、商業地域として考えています。関内は港を中心に発展してきた旧都心ですから、地域経済がベースになっています。横浜駅は大手百貨店やホテルなど商業が中心です。
特にみなとみらいは、新しい商業核が出来上がりつつあるので、都心部の強化事業によって就業の場をつくり、文化、商業環境のポテンシャルを上げたいものです。
みなとみらい地区は、有名なランドマークタワーやクイーンズスクエア横浜などがある中央地区と、赤れんが倉庫のある新港地区とに分かれており、中央地区は業務・商業地区、新港地区は商流地区と位置づけています。新港地区では、現在、ワールドポーターズや国際船員センターなどが建設されています。
――長期計画では、副都心と地域拠点をバランス良く全市に配置することになっていますが、横浜市全体としてのグランドデザインをお聞きしたい
小椋
まちづくりにおいて、もう一つ重要なのは新横浜駅周辺です。ここは田畑の真ん中に出来た駅で、かつてはラブホテル街でした。そのため、市として厳しい建築規制をかけ、単なるマンション街にしないよう、業務、商業以外の施設整備を認めないことにしましたが、それでも結果的にはラブホテルがたくさん出来てしまいました。
しかし、地下鉄を通し、新幹線ひかり号の停車駅になってからは急速に発展し、拠点地域の一つになっています。新横浜と「みなとみらい」が連携した、“ツインコア”都心と位置付け、新横浜には医療の拠点として国立労災病院、横浜市総合保健医療センターを整備する一方、最大17,000人を収容出来る横浜アリーナ、70,000人を収容できる国内最大級の横浜国際総合競技場などスポーツ、イベントの拠点としても想定しています。
さらに横浜市民 336万人の面的な広がりとして生活の拠点も必要ですから、鶴見をはじめ五つの副都心があります。それ以外に駅の拠点、生活拠点をいくつか決めて、多心型の都市構造をつくり、都市としての自立性と、ある種の完結性を備え、身近な所に働く場、学ぶ場、楽しむ場がある都市をつくりたいと考えています。
――旧都心の再開発については、どう考えていますか
小椋
核になるスペースがすでにあって整備していくのであればやりやすいのですが、先行きが見えない現代に10年後の話をしても、関係する地域の市民にとっては、生活の不安が先に立って難しい面があります。
例えば横浜の商店街は、ほとんどがまだ第一世代が中心で、新しいまちづくりを受け入れやすい次世代が資産処分や再開発負担への決定権を握っているケースは少ないのです。とはいえ、その中でも成功している例は元町(中区)です。若手が中心になって街づくりを推進しているため、元気のある商店街になっています。
一方、「伊勢佐木ブルース」で有名な伊勢佐木町(中区)の商店街は老舗が多いのですが、いささか時代遅れの感があります。買物公園もあるのですが、客が店に入りやすい構造にはなっていません。生活圏域が広がり、クルマで移動する時代ですから、時代に合った街づくりをしていかなければ、古いコンセプトのままでは衰退します。そういう意識を持って、挑戦していくことが大切ではないでしょうか。
――人々に来てもらい、定着してもらうという意味では、街づくり自体も“客商売”の一面がありますね。いわゆる市場のニーズをつかむことが大切でしょう
小椋
そういうことですね。市民のニーズ、大きく世の中の流れの先を読んで、いま何をするかです。これは商店街に限らず、われわれ行政も同じことです。
――ところで、それらの拠点地区は連担させるのですか、それとも独自の発展を競争させるのですか
小椋
そうした拠点はさらに強化し、お互いにネットワーク化していくのです。そこで、大事なポイントは交通体系の整備です。
横浜は東京を中心に発展してきましたから、交通体系はすべて東京向きになっています。横浜自身の交通体系を見ても横浜駅を中心に放射状に伸びています。広域幹線の国道1号、15号も東京に向かっています。その中に横浜があって、横浜駅に集中しています。京浜急行、東海道など鉄道も横浜駅に集まっています。
このため、南部の人が電車で北部へ移動するにもわざわざ横浜駅を通過しなければなりません。それだけ余分に時間がかかりますから、放射・環状的なネットワークの整備が急務なのです。
そこで、3環状10放射の道路交通網を計画しています。都心、副都心、地域拠点をネットワーク化することでお互いに交流が生まれるでしょう。そうして、生活圏域に広がりを持たせたい。そういう都市構造をつくることによって、東京依存から脱却し、横浜としての自立性を高めたいものです。
――ところで、市民が衛生的で快適な都市生活を送るために不可欠な下水道の普及率は、かなり高いようですね
小椋
私が市役所に奉職した昭和36年当時は、普及率がゼロでした。その後、急ピッチで下水道整備が進み、トイレの水洗化率は98.6%にもなっています。市街地などはほぼ100%です。
しかし、横浜は平坦地と丘陵地が重なり合っている地形で、特に平坦地は低い土地柄なので浸水が多いのです。浸水対策として雨水処理の問題はまだ残っています。そこで、1時間50ミリに対応できる下水道を目指しているのです。中でも都心部では地下街など地下構造が複雑に入り乱れているので、安全度を高めるために1時間60ミリ対応に向けて補強工事に取り組んでいます。
下水道事業は、水洗化普及率が100%になったから終わったというものではありません。
――処理の高度化にはどのように取り組んでいますか
小椋
二次処理はほとんど実施されていますが、東京湾の水質が問題視されており、東京、千葉とも連携して水質改善することが大きな課題です。
横浜市も部分的ですが、三次処理までを行っている処理場もあります。下水道において、水質汚濁の負荷が最も大きいのが合流式なのです。横浜の低地はポンプで強制的に排水しており、浸水対策として整備した下水道は全てが合流管です。狭あいな道路網が輻輳している中で、分流式に切り替えるのは技術的に難しく、経済的にも成り立ちません。
そこで、雨天時に排出される水をダイレクトに流さずに一度、貯めておき、晴天時に下水処理場へ送る手法も合わせて行っています。それによって東京湾全体にかかる汚濁負荷を低減していく考えです。部分的に水をきれいにするのではなく、全体の負荷量をどれだけカットするかがポイントです。
――一方、河川事業の現況を伺いたい。特に8月は突発的な豪雨もあり、床上浸水の被害も出るなど、下水道と同様、治水対策の大切さもあらためて痛感させられました。一方、河川整備も、従来とは異なる工法が見かけられます
小椋
最近の河川事業は、治水はもちろんですが、利水や環境保全の観点から自然系に近づけようとしています。横浜市では「まほろばの川づくりモデル事業」「ふるさとの川整備事業」により、堤防をなだらかにしたり、水性生物が住めるようにしています。これまで、流水断面を大きくするために専らコンクリートの擁壁を造ってきたことへの反省が全国的にあります。そのため、河川整備も、なるべく自然の姿に戻しながら、というのが基本です。
自然といえば、横浜にも自然に親しむさまざまな愛護会といった市民グループがあり、行政としてもお手伝いさせてもらっています。
例えば、市内には町内会単位に公園愛護会があり、定期的に清掃奉仕などの活動をしています。「われわれの公園」という意識が持たれており、結構なことだと思います。また、徒歩圏にある地区センターの運営は、地元住民の運営委員会が担当しています。これはまちづくりに行政と市民が協力する理想的な形だと思います。河川の維持管理もこうでありたいものです。
――ところで、そうしたまちづくりにともなう公共事業に対して批判が目立ちますが、どう考えますか
小椋
それが世論になっているようですが、わが国の都市基盤はまだまだ不十分です。とりわけ都市のインフラ整備は遅れています。横浜も道路整備は、まだ半分しか到達していません。
もう一つは、全国的な公共事業費の配分のバランスが悪いと思います。ガソリン税等の道路特定財源の国税分のうち市域に還元されるのは20〜30%程度という実態があります。
いずれにしても、都市の発展、地域経済の活性化にとって公共施設の整備は不可欠だと考えています。市域の一体性を確保し、都心部と郊外部のバランスがとれたまちづくりを推進することが必要ではないでしょうか。

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