建設グラフインターネットダイジェスト

〈建設グラフ2001年8月号〉

interview

全国平均より下回る港湾整備率の向上に全力

50周年を迎えた苫小牧港と開発局

北海道開発局 港湾空港部長 上原 泰正 氏

上原 泰正 うえはら・たいせい
昭和22年10月10日生
本籍地 北海道紋別郡
昭和 45年 3月 北海道大学工学部卒
〃 44年 8月 国家公務員採用上級試験(土木)合格
〃 45年 4月 北海道開発局土木試験所勤務
〃 53年 4月 北海道開発局港湾部港湾計画課開発専門官
〃 55年 4月 マレイシア国派遣
〃 57年 9月 北海道開発局綱走開発建設部網走港湾建設事務所長
〃 59年 6月 北海道開発局函館開発建設部函館港湾建設事務所長
〃 62年 4月 北海道開発局小樽開発建設部小樽港湾建設事務所長
平成 元年 4月 北海道開発局港湾部港湾計画課長補佐
〃 2年 4月 北海道開発局港湾部港湾計画課港湾企画官
〃 4年 6月 北海道開発局釧路開発建設部次長
〃 6年 7月 北海道開発局函館開発建設部次長
〃 8年 7月 北海道開発局港湾部港湾計画課長
〃 10年 6月 北海道開発局釧路開発建設部長
〃 12年12月 北海道開発局港湾部長
〃 13年 1月 北海道開発局港湾空港部長



北海道の苫小牧港は、今年で50周年を迎えた。一方、同港の整備をになってきた北海道開発局も、今年は発足50周年で、両者の歴史は軌を一つにしており、ともに半世紀にわたって北海道の経済振興と流通の利便性向上に貢献してきた。日本の海運は高コスト構造といわれ、国際競争においてはまだまだ不利な立場にある。ポイントは港湾使用料や手数料の低減と、サービスレベルの向上をいかに実現するかにあるが、そのためにも施設の充実は不可欠だ。全道の港湾を、施設面のレベルアップを通じてサポートする局港湾空港部の上原泰正部長に、全道的な港勢の動向と今後の対応などを伺った。
――北海道内の港湾の港勢と現況は
上原
北海道は全国の22%を占める広大な面積に4.4%の人口が住んでいます。港湾の数は、全国の3.6%に相当しますが、地形的には海岸線の延長を港湾数で割った数字、つまり1港のカバーする海岸線の延長は全国の3.5倍にもなり、一つの港の持つ背後圏は広くなっています。道内と海外は99.9%が港湾を経由する貨物となっており、北海道は海上輸送に大きく依存した経済活動が行われていることを物語っています。
こうしたことから、港湾取扱貨物量では、全国の7.5%、一港あたりの扱い量では全国平均の約2倍となっています。北海道のように、広大な国土で、港湾の数も少ないと、陸上輸送コストが全体の物流コストに占める割合が高い傾向にあり、北海道価格という現象の要因の一つとなっています。
北海道経済を支え、全国でも重要な産業となっているのは、農林水産業と食料品製造業、パルプ、木材、家具工業、観光産業です。こうした産業を支え、これを核として発展させ、力強い北海道を実現していくことが道民からの切なる要望となっています。農業は、畜産などの土地利用型農業が中心で、海外からの飼肥料に半分以上を依存しています。また、紙・パルプ、木材工業などの素材型産業も原材料の多くを輸入に頼るなど国際的な環境において競争力を保っていく必要があります。さらには、農産物や紙製品などを国内に供給するためには、効率的な国内物流体系が必要で、国内コンテナ、RORO船による海上輸送の充実が重要です。
世界の趨勢であるコンテナ輸送については、現在、苫小牧港(西港区)を中心に石狩湾新港、室蘭港において扱っています。コンテナの増大は全国以上に急激です。特に、従来は製造業関連の製品や大都市関連の雑貨などの消費材の物流が中心であったのが、現在では、バルク系貨物として不定期輸送が中心であった餌料原料などの農業関連の資材や木材もコンテナ化が進んでいます、こうしたことから、全道における需要が高いため、コンテナ対応港湾が道央に集中する状況について、地方展開も含めた対応が必要と考えられます、しかし、その場合、単に陸送距離を短くするという考え方とは異なり、定期便で週何便という頻度での利用が必須となるので、非常に限定した拠点化となるかと思います。
――北海道のポートセールスにおける課題と、それを支援する基盤整備、港湾施設の充実について、どう捉えていますか
上原
施設面でいえば、港湾を経由する貨物の輸送の効率化に寄与するのは、船舶の大型化への対応です。海上輸送は木材や飼料を中心に大型船による物流コストの削減が既にかなり進んでいます。しかし、それを受ける大型岸壁の整備が北海道の各重要港湾においては遅れています。その結果、ユーザーはたとえ遠くても苫小牧や釧路を利用しなくてはならない伏況にあり、貨物が苫小牧港や釧路港へ集中しており、大型貨物船が岸壁空き待ちのために2〜3日も待船している状態です。このことが、北海道の高い物流コストの一因ともいわれています。このため、大型岸壁の整備を拠点的に進める必要があります。
陸上輸送においてトラックなどの輸送機材がいかに効率よく背後に輸送するかが、物流の効率化の上では重要な課題となります。そこで、私たちは半日アクセス圏という目安を設定しています。これは、石狩湾新港にける大型岸壁の事業化の際に明らかになったのですが、現状では、ユーザーは札幌近郊に所在し、約73km離れた苫小牧港を利用しています。これが33Kmの石狩湾新港を利用することで、それまで、トラックが1日一往復であるのが、一日2往復が可能となり、物流コストの縮減は単なる輸送距離の短縮以上に効果が顕著だということです。こうしたことから、荷物の積み卸しなどを考慮して90分アクセス圏域という目安を提案しています。
現在この半日アクセス圏は、全国が60%程度の面積カバー率であるのに比べ、北海道はわずか38%程度にすぎません。これを、大型岸壁の拠点配置をすることで、全国の現状のレベルにまで向上させようと考えています。
さらに、高規格幹線道路の整備と十分な連携を図ることで、この圏域をより拡大することを目指したいと考えています、ポートセールスにおいては、こうした各港湾の連携や背後道路整備との連携などを十分に考慮しながら、地域の個性を活かして競争していく事が重要であると考えています。
――貨物については、北海道から輸出する貨物の量が乏しいと、よくいわれます
上原
平成12年に旧運輸省が発表した「新世紀港湾ビジョン〜暮らしを海と世界に結ぶみなとビジョン〜」に、「長距離基幹航路のゲートウェイとなる中枢・中核港湾の総合的な機能の向上」という一つの柱があります。新世紀に向けた輸送サービスの形成には全国的なネツトワークの形成が必要であり、なかでも欧米などとの長距離基幹航路の我が国におけるゲートウェイとしての機能を確立するため、中枢国際港湾とそれを補完する中核国際港湾において、国際的に遜色のない港湾機能を備えるというものです。北海道においては、苫小牧港が中核国際港湾として位置づけられています、
苫小牧港は西港区において、本道初の外貿コンテナ専用埠頭として、入船ターミナルを平成9年に供用開始しましたが、2年後にはすでに計画取扱量に達するなど、予想をはるかに超えるペースで増大しています。このため、沖待ちする滞船が生じ、しかも陸上の保管場所も溢れている状況です。
このため、隣接する岸壁の改良やクレーン等の荷役機械の増設、周辺のヤードの確保など、効率性を高める対応をしてきてはいるものの、貨物の増大には対応が困難となってきています。こうした現状に対応するため、東港区においては、コンテナに対応できる施設を平成16年の供用を目指して整備することにしています。
一方、急激な貨物の増大の実態を調べると、輸出入のアンバランスが目立ってきています。このアンバランスは、具体的には空コンテナの増大で、非効率な輸送ということにつながります。では、本当に輸出貨物がないのかといえば、そうでもないのです。道央には、海外向け部品を製造する工場が立地していますが、輸出は京浜や釜山など他の港に依存しているという状況です。
理由は、北米航路が輸入型航路となっており、輸出利用をすると時間がかかることと、頻度が少ないということから、ジャストインタイムが要求される生産分野にとっては利用しにくいためです。そこで、今後は施設の増強とともに、こうした航路などのソフト面において、手続きの電子化(港湾EDI)等も含めてユーザーに使いやすい港を目指した施設の展開が重要な課題です。
――苫小牧港といえば、開港50周年を迎えましたね
上原
そうですね、苫小牧港がそもそも建設されるに至った発端は、大正13年に当時道庁技師であった林千秋氏が発表した勇払築港論です、この勇払築港論は、当時、北海道の主要産業の1つである石炭の輸送コストを削減することを目的に、産地と積出港との関係を論じたものです。当時の石狩や空知にあった炭田で採掘され、北海道から本州への移出量は約230万トンありましたが、このうち約130万トンが室蘭港から移出されていました。これを採炭地に近い現在の苫小牧である勇払に港を建設し、積み出しする方がコスト縮減になるという提案でした。また、この築港論は、当時不可能であると考えられていた、砂浜の広がる苫小牧の海岸に防波堤を配して漂砂を克服し、内陸を掘り込むことにまで言及していました。
この勇払築港論が発表されてから、約30年が経過した昭和26年、つまりほぼ今から50年前に国の直轄事業として苫小牧港の建設が開始されました。実はこの同じ年に北海道開発局という組織も生まれまして、苫小牧港の整備・発展の歴史が、そのまま北海道開発の歴史にもなっています。
その後、西港区については、昭和38年に供用が開始されたあと、その臨海部において、日の出化学、日軽金、出光興産北海道精油所をはじめとして多くの企業が進出し、臨海工業地帯を形成するかたわら、背後に北海道を代表する札幌都市圏を抱えるという特性を活かした本州・北海道間、さらには海外・北海道間の物流の拠点として発展をとげています。
また、東港区については、苫小牧東部大規模工業開発の中核をなす港湾として昭和51年に着工し、昭和55年には供用を開始しています。以降、日本最大の石油備蓄基地や北電の火力発電所が立地するなど、北海道の経済の拡大に対応してきました。こうした中で、平成7年に策定された苫小牧東部開発新計画により、これまでの背後の工業開発に対応した港湾から西港区と一体となった広域的な流通港湾へと転換を図ることになりました。
苫小牧港全体の取扱貨物量は、平成11年現在約8,300万トンに達し、北海道全体の約1/3を扱うようになり、苫小牧港の発展が苫小牧市の発展のみならず、北海道の海の玄関口として、その経済活動を支え、重要な役割をはたしています。
私達としては、北海道開発の特徴的な事例として、苫小牧港建設をとらえ、その整備効果を総括してみようということで、昨年度より調査を開始し、今年度はシンポジュームなどにより、多くの方々から、苫小牧港整備、ひいては北海道開発について議論していただこうと考えています。 

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