建設グラフインターネットダイジェスト

〈建設グラフ2000年7月号〉

interview

時代の流れは桧山に

インフラ整備、1次産業の振興を

北海道議会議員 國澤 勲 氏

國澤 勲  くにさわ・いさお
昭和 13年 5月26日生まれ、端野町出身、法政大学法学部卒
昭和 49年 総務部文書課主査
53年 商工観光部資源エネルギー課電政係長
54年 同産業保安課企画保安係長
57年 総務部行政資料課主幹
59年 同文書課情報公開準備室主幹
60年 同文書課参事兼情報公開準備室長
61年 同行政情報センター所長
62年 空知支庁地方部長
平成 元年 総務部防災消防課長
3年 企画振興部地域振興室長
5年 林務部次長
7年 桧山支庁長
後、はまなす財団理事を経て、
平成11年4月 北海道議会議員に当選、現在に至る。

かつてはニシン漁が盛んで、その繁栄ぶりは「江差の5月は江戸にもない」と言われた桧山地方。しかし今、過疎化や高齢化の進行など、桧山は多くの課題を抱えている。國澤氏は元桧山支庁長で、桧山支庁管内から選出される唯一の道議会議員。議会では文教委員として活躍されている國澤氏に、教育問題から桧山の未来まで、幅広く語ってもらった。
――國澤さんは昨年4月の統一地方選で初当選され、道議会議員となられました。それまでは桧山支庁長として行政の内側から北海道を見てこられたわけですが、道職員の立場から見た北海道、議員の立場から見た北海道、その違い等も含めて、この1年間のご感想をお願いします。
國澤
桧山支庁長時代は、管内の町長さん達からいろいろ話を聞いて、桧山のことは分かっていたつもりでおりました。しかし、立場が変わってみると実際はあまり分かっていない、知らないことがたくさんあったことに気づかされました。だから、選挙に立った時も町長さんや産業経済団体の皆さんなどのところに行って、教えて下さいと頼みました。その町のことは町長さんが、漁業のことは漁協、農業のことであれば農協さんが一番よく知っているはずだから、お互いにプロの立場で言いたいことを言い合ってやろうじゃないか、やるしかないと。そういうことを言ってきましたし、今もそういう気持ちは変わっていません。やっぱり、天皇になってはダメなんだろうなあ(笑)。
――行政のプロとしての立場から、行政の素人としての住民代表の立場に変わられたと?
國澤
立場が変わったとは言いたくないけれども、行政は行政だったのですね。これからは、ある良い意味での行政としての立場も議員活動の中には入ってくるけれども、むしろ住民の側から物事を見て判断しなければならない。場合によっては、支庁長さんにもの申さなければならないこともあるだろうし、逆に地域の皆さんに対しても、いや町長さん、それはちょっと違うよと言わなければならないこともある。何れにしても、立場が変わればものの見方も変わる、見えないものが見えてきたということでしょうか。
――道議会では文教委員会に所属されているわけですが、具体的にはどのような活動を?
國澤
文教委員なので当然のことながら教育方面の活動を中心にということになりますが、今、教育の現場である学校の適正配置、ということが問題になっています。その根っこには少子化とか、過疎化とかいう問題があるわけですが、特に高校を中心とした学校の再配置をどうするか。どうすればそういう少子化、過疎化の中で学校本来の教育ができるか。その問題で苦労しています。これは教育という問題なので、小規模校をいくつか併せて大きくしてという、単なる経済効果だけの話にはなりません。1人でも2人でも生徒がいるうちは学校を継続しなければならない。しかし本来の教育的見地から見ればそれは問題があるでしょう。だからその辺の兼ね合いですね。文教委員としての今の仕事はこの問題にほとんど集中しています。
――ここ数日テレビを賑わしておりますが、中学生が同級生をいじめて5000万円を恐喝するという、信じられないような事件が起きています。教育の荒廃が続く中で「心の教育」の必要性が問われていますが・・・
國澤
「心の教育」というのは抽象的な言い方ですよね。そして「心の教育」のためには、教育の現場である学校と家庭と地域、三者が力を合わせてやっていかなければならないというようなことが言われている。しかし、これは分かったようで分からない。あるところでこういう話をしました。「心の教育」、学校、家庭、地域が一致協力してというのは具体的にはこういうことでないのかと。「私が子供の頃、親は非常にありがたかったし、信用もしていた。けれどもいったん何かあって怒られた時には非常に恐ろしかった。学校の先生は一緒になって野球やドッジボールをやってくれたけれども、勉強を教えてくれるときには随分いろんなことを知っているなと感心しました。地域という話になれば、自転車の練習をしていて膝小僧を擦りむいて泣いていたら、隣のおばさんが赤チンキで消毒してくれた。泣くんじゃないよと言ってくれた。そのかわり悪戯が過ぎたら近くのおじさんに目の玉が飛び出るほど怒られた。こんなことはかつて我々は当たり前のことだと思っていました。」とね。その当たり前のことを、やれ「心の教育」だとか、三者が力を合わせてだとか言わなければならないほど日本の教育は荒廃しているのか、そこまで現状は行ってしまったのかという思いがありますね。教育というのは理屈ではない。そんな難しい話ではないと思いますよ。
――教育というのは、今國澤さんが仰られたような当たり前のことを当たり前にするこということ。國澤さんからすれば、今の教育現場の荒廃というのは信じられないことでしょうが・・・
國澤
多くの人が当たり前のことに対して殊更理屈をつけて言っているという、そういうムードが薄気味悪いですね。教育とか人を育てるとかということは、もっと素朴な、もっと分かりやすい言葉で語ることではないのか。殊更書いたものにして皆でワァッーと教育はこうあるべきだと、大げさでないのかな。今の子供達は我々が子供の頃よりずっと知識はあるし、勉強だってできると思いますよ。ただ肝心の人間の気持ちというか、その辺のブレーキが引きずられてきています。それは教育現場だけの話ではなくて、地域、家庭、お互いに責任があるのではないでしょうか。家庭は社会の中の最小の社会的な単位で、家庭の中で子供は産まれて初めて社会的な生活をする。その家庭にはその家庭のルールがある。次の段階は幼稚園や小学校。そこにも必ずルールがある。社会のルールをまず家庭の中で勉強する、今度は幼稚園・小学校で勉強する、中学校、高校で勉強する。そういうものを積み重ねて社会で生きていくわけです。そうすると、教育というのは社会全体の話ということになります。だから、今は社会全体がボタンを掛け違っているのではないのかという気がしますね。けれども私は個人として人間を信じたい。きれいな目をした小学生などを見ると、絶対大丈夫だと。子供達にはまず人間として育っていってほしい。具体的にどうしたらいいのかと言われても結論はなかなか出ないのですが…。ただ言えることは、事象だけ取り上げて、議論して済む話ではない。政治も行政も、学校も家庭も地域も、すべて含んだ全般の問題ですね。
――さて、桧山支庁管内のお話に移っていきたいと思います。桧山支庁は道内14支庁の中でも人口は最小で、中心となる江差にしても1万と少しです。高齢化・過疎化が進行し、公共交通機関もjr江差線以外には整備されていません。傍目から見れば、桧山の未来はどうなるのだろうという暗澹たる気持ちにさせられるのですが、こうした現状にあって、桧山の明日への希望というものをどこに見出せばよいのでしょうか?
國澤
明日への希望という前に、まず桧山のおかれている現状というものをもう一度考え直してみたい。まず、産業でも経済でも、日本全体がバブルに浮かれていた頃、大きいものはいいことだと騒いでいた頃と今とでは、桧山の位置づけが違ってきているのではないかと思います。大量に作って大量に消費するという時代、そういう時代は、桧山というのは全道的にもあまり注目されなかったし、ある場面では邪魔者扱いされていました。農業や漁業にしても商工業にしてもそうでした。観光にしても、大きな湖や大きな温泉があるわけでもない。ある時期、桧山というのは、私の嫌いな言葉ですが「先発後進」という言葉に表されるように、日の当たる場所には出られなかった。しかし、バブルによって死ぬほどの目に遭わされたかというとそうでもなかった。桧山は取り残されたというか、相手にされなかったというか、時代の流れとは無縁の時期があったのですね。そして、いったんバブルが弾けた後何が残ったのかというと、大きなホテルが巨大な墓場のようになっているように、一時の夢を見たところはその後始末で大変な状況になっている。桧山の場合はバブルの波に乗ることはできなかったけれども、ほとんど無傷で残った。しかも世の中が単純に大きなことがいいことだということではなく中身だよというふうに、見方が変わってきた。そうすると桧山の声も道庁に届くようになったし、桧山に向かって風も吹いてきた。そういう時代の大きな流れがあると思うのですよ。だから過去言われたような、桧山は先発後進だとか、何もないとかいう、そんな話は今は通用しなくなりつつある。桧山も頑張ってはいたけれど、それ以上に政治、行政、経済の動きの中で、桧山の位置づけが変わってきたのではないでしょうか。だからこれからは桧山の声も発信できるし、外からも桧山をそういう目で見ざるを得なくなってくる。その時に桧山は今言ったようにバブルの後遺症もほとんどなく、無傷で残っているわけだから、条件的には非常にいいところにつけている。これが私の桧山論ですね。同じようなことを桧山の各町長さんも言っていますよ。だから、そういう世の中の流れ、価値観が変わってきた今、桧山は新たな流れの中に乗れるのか乗り遅れるのかということだと思います。今度乗り遅れたら本当にもうダメになってしまいますね。
――なるほど。時代の流れは桧山のほうに向いてきているというお話ですが、それでは桧山にとって具体的にはどのような施策が求められるのでしょうか?
國澤
やはり1次産業を中心とした施策ですね。桧山に大企業を誘致して、大々的に工業なり商業を、というようなことは考える必要はないと思います。無理をして背伸びをする必要はありません。桧山は漁業・農業という基幹産業を中心に力をつけていけばいいのではないかと思います。それからもう一つはインフラの整備です。桧山の道路は先発後進の象徴ですね。道路は歴史から言っても道内では一番早くできた。車社会になる前にはそこそこの道路で済んでいたのだけれども、急速に車社会になってきて、早くに道路ができたがゆえに、大丈夫だ、まだまだ使えると言っているうちに役に立たなくなってしまった。だからまず第1に国道、道道含めて道路は徹底的にやってほしい。特に桧山の道路というのは、通勤・通学、買い物、通院から観光まで、この地域にとってはもう切っても切れない命の綱ですよ。だから同じ道路であっても、jrが走っていたり空港が近くにあったりするところとは意味が違うのです。
――特にライフラインとしての道路の重要性ですね。
國澤
それから下水道。管内の下水道の普及率は12%程度です。生活のレベルアップという観点、また漁業が基幹産業であるとすれば、環境に対する負荷を考えなければなりません。その時、公共下水道が12%という話はないでしょう。確かにこれにはすごいお金がかかりますけれどもね。つまり生活基盤としての道路と公共下水道です。今どき他の13支庁では道路や下水道という話は出ないはずです。しかし桧山ではそれを言わなければならないほどの現状にあるわけですよ。 公共事業削減という総論には賛成だけれども、それを各論に落としていって現地の姿を見た時には、必ずしもそういうことにはならない。何が何でも道路と下水道は徹底的にやってもらわねばなりません。

(後編)
――道路、下水道というハード面での社会資本整備が必要だというお話ですが、桧山を新しい時代の流れに乗せていくためには、ハード面だけでなくソフト面での整備も必要でしょう。桧山の明日を担う人づくりについてはどうお考えですか
國澤
人はいるんですよね。U・I・Jターンでやってきた若い人が農業や漁業関係者の中にもたくさんいるのですが、如何せん、それが地域全体の力としては動いていません。そういう人達が経済なり、政治の表舞台にいずれ出てくるとは思うのですが、今はちょうどその交代期というのでしょうか。漁業をやりながら町会議員になっていたりする人もいるわけですが、産業・経済界などではやはりお年寄りが多い。それは決して悪いことではないのですけれどもね。ただ、若い人が台頭してきてはいるし、彼らも徐々に発言権を持ち始めていますよ。
――桧山における具体的な取り組みとしてはどんなものが挙げられるでしょうか
國澤
道内で初めて、桧山の8漁協が桧山漁協として1本化しました。全道的に見ても漁協や農協、森林組合が合併していく傾向にありますが、これほど大々的な合併はありません。合併には、南西沖地震で各漁協が壊滅的な被害を受けたという他動的な理由もありましたが、その効果は既に現れてきています。一つはいろいろな面で合理的になってきた。それからもう一つはいろいろな組合から職員が集まってきたので知恵も出るということです。
漁業について言えば、桧山は非常に有利なものを持っています。平目や鮑。これは日本海特有の水産物でしょう。しかも日本海でも北の方では獲れません。特に鮑は北檜山くらいまでです。平目や鮑は桧山の専売特許なんですよ。これをどうやって表舞台に押し上げていくか。
今の桧山ではイカとスケトウで大部分でしょう。イカやスケトウは大きな船で、沖合に行って獲ってくるということになりますから、高齢化がどんどん進んでくる中で、後継者などいろいろな問題が出てきます。ところが、近場での漁だったらお年寄りでもできるわけですよ。だから、桧山の強み、桧山でしか獲れない平目や鮑を使って、過疎とか高齢化の問題をどのように解決していくか、ドッキングさせて考える。確かに、まだ平目にしても鮑にしても、漁獲高全体に占める比率は少ないわけですが、それを何とかうまく組み合わせる。そうすると、桧山の漁業は相当有利性があると思います。
――農業についてはいかがですか
國澤
上川や空知など米を何十万トンも出しているところに、桧山は太刀打ちできません。ところがこれからは無農薬米や有機米がいいということになってきます。そうすると、桧山のような小さな経営面積のところは小回りが利きますよね。それは先ほど述べましたが、桧山のような小さなところに追い風が吹いているという、そういうことですよ。今までと違って量さえあればいいということではなくて、品質を追い求める時代になりました。そうなれば桧山としては非常に有利です。気候的には、米を作ってもイモを作っても、桧山では非常にいいものが穫れる。桧山はもともとそういうところなのです。
南部5町の農協が去年合併したのですが、その前に「夢パレット桧山」という統一ブランドを作りました。野菜がきゅうりとトマト、花がリンドウ、この3種目で出荷したのです。平成8年が約2800万円、平成10年が約7200万円くらい。どうしてそういうことになったのかといえば、単独でやるよりもスケールメリットを活かせるからです。いかに中身で勝負していると言っても、「江差? 知らない」「厚沢部? 聞いたことない」では話になりません。箱からラベルまで統一してどんどん出したわけです。そうすると3倍くらいの売り上げになりました。
それからさらに先にやっていたのは、北部4町、瀬棚、北檜山、今金、大成の統一ブランド「ほこほこ大地」です。これはすごいですよ。大根、人参、スイートーコーン、アスパラ、ほうれん草などで、平成8年で約4億7000万円、平成10年では約7億6000万円です。このように漁協でも農協でも桧山への風を敏感に受け止めて、新しい戦法で打って出ているわけです。
――それだけ桧山の人達の意識というものも変わってきているのですね
國澤
漁業の話に戻りますが、こういう話も出ています。桧山の漁業の中心であるスケトウはモミジコという腹、つまり卵ですね、これが一番お金になりますが、腹を取ったあとの身はスリ身にするか、干して叩いて食べるしかできません。オスのほうは腹がないので二束三文です。
ところが、韓国ではスケトウは日本の鮭と同じくらいの需要があるのです。鍋物に使うなど、年間何十万トンも必要なのですね。だから韓国の漁船が日本までスケトウを獲りにやってきていたのです。しかし、日韓漁業協定により獲れなくなってしまったので、去年あたりから買い付けに来ています。ただし腹はあまり欲しがらない。腹が入っているに越したことはないわけですが、とにかく魚が欲しいのです。
桧山のスケトウというのは延縄で釣っているスケトウなのです。羅臼や噴火湾では網で獲るので魚体も痛むし生きも下がる。しかし、桧山のスケトウは船に揚がっても生きているものがいるわけで、韓国もそういうスケトウを非常に欲しがります。今年は漁協の人達も調査などのため、韓国に行っているはずです。来年からは腹の入っていないオスや腹を取ったメスを韓国に輸出するということになるでしょう。そうなると日本ではあまりよろこばれないものを韓国では高く買ってくれる。これは1漁協だけの話ではなくて、北海道全体のスケトウ漁にも影響を与えるということにもなります。韓国への輸出が実現すれば桧山漁協が情報の発信源ということになりますね。
――いわば今までゴミとして捨てていたものが資源になる。発想の転換ですね
國澤
そうですね。遅きに失したと言われるかもしれませんが、地元の人自ら気がついてそういう発想になっていくというのはすごくいいことだと思いますね。他にもありますよ。確か今金でもやっているでしょう。籾で取っておいて、注文を受けてから精米してお渡しするという今摺米。決して量では勝負できないけれど、中身で勝負する。生産者の顔が見える農作物ですね。そういう努力を続ければ、桧山の行くべき方向も自ずから決まってくるでしょう。
――高齢化だ、過疎化だとある一面だけを捉えて桧山の未来は暗い、という見方をするのではなく、冷静な目で桧山を見てみると少しずつではあるけれども未来への希望が見えてくる。桧山に住んでいる人達が桧山の価値というものをあらためて見直し、その価値をこれからに活かしていこうと自主的に立ち上がり始めている。桧山にとっては非常に勇気づけられるお話ですね
國澤
俺達の出番が来たじゃないか、やろうじゃないかと、そういう動きが少しずつではあるけれども出てきたことは非常に頼もしいことだと思いますね。
――なるほど。時代の流れは桧山のほうに向いてきているというお話ですが、それでは桧山にとって具体的にはどのような施策が求められるのでしょうか?
國澤
やはり1次産業を中心とした施策ですね。桧山に大企業を誘致して、大々的に工業なり商業を、というようなことは考える必要はないと思います。無理をして背伸びをする必要はありません。桧山は漁業・農業という基幹産業を中心に力をつけていけばいいのではないかと思います。それからもう一つはインフラの整備です。桧山の道路は先発後進の象徴ですね。道路は歴史から言っても道内では一番早くできた。車社会になる前にはそこそこの道路で済んでいたのだけれども、急速に車社会になってきて、早くに道路ができたがゆえに、大丈夫だ、まだまだ使えると言っているうちに役に立たなくなってしまった。だからまず第1に国道、道道含めて道路は徹底的にやってほしい。特に桧山の道路というのは、通勤・通学、買い物、通院から観光まで、この地域にとってはもう切っても切れない命の綱ですよ。だから同じ道路であっても、jrが走っていたり空港が近くにあったりするところとは意味が違うのです。
――そうした桧山の人達の自主的な動きというものを何とか形にしていかなければならない。國澤さんは道議会議員という立場で、桧山の人達の声を道のほうに伝えていくお立場にあります。桧山管内選出の議員は1人ということもあり、なかなか難しい面もあるかと思いますが
國澤
桧山の道議として桧山の声を道に伝えていくのは当然ですが、それは決してお願いということではなく、議論を通じて伝えていきます。私はあくまでも桧山全体の代弁者だと思っているので、選挙で勝ったとか負けたとかということではなく、1人しかいない道議としてオール桧山で行かなければならないと考えています。
私はなぜバッジを付けることができたのか、桧山のためにという大原則、それだけは忘れたくないですね。私は知事サンでも副知事サンでも部長サンでも言うべきことは言わせてもらいますが、ご意見も聞かせて下さいとお願いしています。道議の仲間でも議論はする。そういった中で、お互いの知恵を出し合いながらやっていきましょうということですね。これからはいつまでも桧山、桧山とばかりは言わせてはもらえないですからね。ただ皆さんが言うほど桧山は先発後進だとか、小さい支庁だとかということは気にしていません。
――ただ、道の合併推進要綱検討委員会が江差、上ノ国、厚沢部の合併を提示するなど、市町村合併が議論の俎上に載せられていますが
國澤
その地域をどうするかということと、どんな行政形態がよいのかということは無関係ではありませんが、別の話ですよね。まず、いかに地域に力をつけるか、地域に住んでいる人が物心両面で豊かになれるかということでしょう。そして、そのためには境界線をどこに引こうかという話になるのではないでしょうか。けれども今は境界線を引き直したら世の中よくなるよという話でしょう。逆でないのか。
町村合併というのは将来を展望する上で一つの方法・要素ではありますが、それがすべてではありません。小さな町を大きな町にくっつければいいといった、そんな単純な話にはならないでしょう。通学圏、商圏、或いは医療圏、いろいろなものが積み重なり、絡みあった中で、地域の人が自分たちでどうしたらいいのかということを考えるべきであって、頭からひとまとめにしてという話ではありませんよ。
――支庁の統廃合についてはいかがでしょうか
國澤
桧山支庁は小さいから渡島支庁にくっつけるという話が何十年も出たり消えたりしています。だから桧山の町長さんたちの頭の中には、支庁の統廃合というとこれしかないわけで、絶対反対という答えしかないのです。しかし、桧山だって5万人以上の人がいるのですよ。
私は支庁長時代から言っておりますが、本当に地域のために何がいいのかという議論をして、結果として渡島支庁とくっつくのがいいよとなるかもしれない。そういう見方をすればあまりヒステリックにならないよと言うのですけれどもね。町村合併にしても支庁の統廃合にしても、私は魔法の薬だとは思っていません。それほど世の中は単純でない。その辺のことを桧山の人にはしっかりと分かってほしいのです。
――なぜ住民にとって町や支庁があるのか、町や支庁とは何かという根本的な面から問い直すということですね
國澤
支庁長時代、若い人達とよく話をしました。彼らは、桧山支庁をどうするんだ、全道で一番人口は少ないし面積も小さい桧山はなくなるのではないかと言う。しかし私は言いました。そこに支庁があって支庁長がいるのは必要があるからで、支庁長の権限がどこまで及ぶか、支庁のやる仕事がどれだけあるかで支庁がいるかいらないか決まるはずだ。単に見せかけの人口や面積などで惑わされてはならないと。そういう見方をすれば一番小さな支庁はどこか分かりますか?石狩支庁ですよ。
石狩支庁管内には札幌市も含めて道内の人口の約4割がおります。けれども札幌市は政令市で知事の権限もほとんど及ばない。普通市でも支庁長の権限はほとんど及びません。支庁長の権限が及ぶのは、支庁のやる仕事は原則として町村の範囲内なのです。石狩支庁は市を除くと1町3村で人口は3万ちょっと。これが、本当の意味でのエリアなのです。だから本気で支庁の統廃合の話をするのであれば、最初に話題になるのは石狩支庁でないのか。桧山管内は10町で、石狩支庁管内より人口も多く、面積も広いと考えるべきで、石狩支庁が残っているうちは桧山支庁も絶対なくならないよと言っているわけです(笑)。
――最後に、議員としての任期は残り3年ですが、これからの抱負をお願いします
國澤
管内の町長さん、議会議長さん、農協、漁協の組合長さん、商工会長さん、建設協会の会長さん、皆さんその道のプロです。そういう政治、産業、経済のプロの人達の話をよく聞いて、それを道に伝えていきたい。地域の声をそっくりそのまま繋ぐのも一つの役目だし、場合によってはコーディネーター、調整機能、その両方をうまくやっていきたい。お互いの立場を尊重しながら、桧山の様々な人々の声を地域の声として結集し、道政の中に反映させていきたいと思います。

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